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[2012.12.28]

FILE014: モーツァルト怪死事件
〜誰がレクイエムを奏でたか〜


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ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト▲
(Wolfgang Amadeus Mozart)
バーバラ・クラフトによる肖像画(1819年、死後に想像で描かれた)
1791年7月のある日、オペラ『魔笛』(K.620)の作曲中だった音楽家ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトのもとに、マスクで顔を隠し、灰色の服に身を包んだ痩せた背の高い見知らぬ男が訪れた。
その男は名前も告げず、また、注文主の名を伏せたまま、携えてきた署名の無い手紙をモーツァルトに渡して、死者を弔う為のミサ曲『レクイエム』の作曲を依頼し、50ドゥカーテンの前金を置いて帰ったそうでしてね、その際、モーツァルトの妻コンスタンツェが後を追って名前を聞こうとしたそうなんですが、既に姿を消していたそうです。
それからというもの、その不気味な灰色ずくめな男は依頼した作曲の進行状況を確かめる為、ちょくちょくモーツァルトのもとを訪れる様になった。

モーツァルトのもとに訪ねて来た異様な男▲
グレイ・メッセンジャーとも呼ばれる。
妻のコンスタンツェはこの得体の知れない男に対して不安を抱いたが、モーツァルトは作曲者として、依頼された仕事をきっちりこなそうとしていた。
しかし実のところ、数ヶ月前からモーツァルトは病気に苛まれていて、すでにこの頃には抑鬱状態にあったそうなんですね。
ところが、それまで宮廷音楽家として活躍していたモーツァルトは『魔笛』の残りを急いで書き上げ、まるで取り憑かれた様に昼も夜もこの『レクイエム』の作曲に専念する様になっちゃったんですね。
音楽的にも『レクイエム』ってのはモーツァルトの傑作として有名ですがね、これは彼の作品の中でも独特な存在でしてね、それまで軽やかな魅力を醸し出していた作風が一転して、ゾッとする様な凄みを利かせた迫力を描き出しているんですね。
しかし、この『レクイエム』の作曲に取りかかりだした頃から、モーツァルトの体調は悪化し、原因不明の嘔吐に苦しみ、手足は異常にむくんでいたそうで、11月20日にはもう、ベッドから起き上がる事も出来なくなったそうなんですがね、それでも彼はひたすら『レクイエム』を作り続けたんですね。
しかしその後さらに病状は進み、全身に浮腫が現れ高熱が続き、結局、1791年12月5日午前0時55分に、ついにモーツァルトは35歳の若さでこの世を去ってしまったんですがね、この『レクイエム』の作曲は死の前日まで行っていたらしいんですよ、ええ。
まあ、いずれにせよ、モーツァルトは『レクイエム』を完成させる事が出来なかったんですがね、彼の死後、妻のコンスタンツェは曲を補作してくれる人を探し、委託された弟子のフランツ・クサーヴァ・ジュースマイヤーによって補筆され、どうにか曲は完成したんですね。
そもそもコイツの髪型がレクイエムを捧げたくなる感じだしな。
言って良い事と悪い事があんだろがッ!
でも結果的には、自分の為のレクイエムを作曲しちゃっていた様なもんですよね。
病床で作曲を続けるモーツァルトとその妻コンスタンツェ▲
映画『アマデウス』(1984)のポスター▲
ところで、モーツァルトの死については諸説ありましてね、一応は病死って事で、ウィーン市の公式記録では「急性粟粒疹熱」とされているそうなんですが、これは病名ではなく症状を示す医学用語に過ぎず、実際の死因は「リューマチ性炎症熱」であったと考えられているそうなんですよ。
これに関しては、彼の幼少期の度重なる旅行が原因だったんじゃないかとも言われてましてね、手紙や記録から、実際モーツァルトは旅先で病気になる事が結構あったってな事が判明しているんですね。
また、当時の医療技術が未熟であった事と、道路の舗装が不完全だった為に馬車の断続的な振動がモーツァルトにリューマチという持病を引き起こさせ、おかげで彼の体格は小柄になり、さらには死因にまでなってしまったとも考えられるんですね。
しかし、モーツァルトは病に伏す前に、コンスタンツェに「自分は毒を盛られた」と語った事があり、彼の死後、ウィーンの新聞も毒殺説を報じたそうなんですよ。
もっとも、当時モーツァルトの周囲の人間は毒殺だなんて信じていていた者はいないそうですがね、1820年頃になって、ウィーンではライバルであったイタリア人作曲家アントニオ・サリエリがモーツァルトに毒を盛ったってな噂が流れたそうなんですよ。
しかし、ライバルといってもサリエリはこの頃既に地位も名誉もモーツァルトより上であった為、犯行に及ぶ程に妬む理由が無く、現代の研究者にもほぼ否定されてはいるんですがね、彼は1825年に死ぬまでこの噂に悩まされる事になってしまったそうです。
また、この噂をアイディアとして、『モーツァルトとサリエリ』や『アマデウス』などの作品が作られたりもしたそうなんですよ。
サリエリも変な疑いをかけられて可哀想ですね。
そりゃ殺意も抱きますよね。
なるほど、つまり密室殺人事件っちゅーわけか。
犯人は恐らく、灰色ずくめの男と見せかけて全身黒タイツの奴じゃ。
いやアンタら話ちゃんと聞いてましたッ!?
アメリカ合衆国の1ドル紙幣▲
国章の裏面にフリーメーソンのシンボルとされる「万物を見通す目」(プロビデンスの目)のデザインがなされている。
未完成のピラミッドの上で、栄光の光に囲まれる三角形の3つの目で監視するという内容=神の目で人類を監視している事を示し、 即ちアメリカがフリーメーソンの支配下にある証拠だという都市伝説はもはや定番の語り草だが、 1782年の国章選定の当時はフリーメーソンとの関連があるとは見られておらず、また、フリーメーソンでもプロビデンスの目のデザインは用いていたが、 国章選定以前のフリーメーソンの文書で三角形と目によるシンボルは使われた事が無く、 フリーメーソン自身も関与を否定している。
また、モーツァルトは秘密結社フリーメーソンに暗殺されたってな噂があるんですよ。
というのも、実はモーツァルトは死の7年前にフリーメーソンに入会してましてね、作曲を依頼してきた灰色の服の男ってのも、フリーメーソンから遣わされた暗殺者だったんじゃないかと言われているんですよ。
モーツァルト自身、その男を大層気味悪がっていたそうでしてね、あの世からの使者が、『レクイエム』の作曲を自分自身の死を葬う為に依頼してきたんじゃないかと思い込んでいたらしいんですね。
当時、ウィーンのフリーメーソンは複数の支部で結成されてましてね、モーツァルトは「真の調和」ってな、多くの芸術家や科学者が名を連ねる最も重要な支部の会員だったそうなんですが、翌1785年1月にはもう、フリーメーソンとしては異常な早さで第2階級へと出世してるんですよ。
ウィーンのロッジ(フリーメーソンの支部)の様子▲
モーツァルトは右端の席にいる人物とされる。
フリーメーソンは音楽を重要な要素として受けとめ、一堂に会して合唱する事で心を一つにするってな事を儀式の一部としていたそうでしてね、モーツァルトも1785年に『フリーメーソンのための葬送音楽』(K.477)や、儀式用の曲である『支部の門出に向けて』(K.483)、フリーメーソン支部「授冠の希望」で演奏された『メーソンの喜び』(K.471)等、数多くのフリーメーソン用の作曲をしているんですね。
中でも彼の死の年に発表された『魔笛』には、フリーメーソン内部の秘儀と象徴が散りばめられているそうでしてね、例えば、一般に秘密結社の儀式の参入では、3回のノックの合図が重要な要素となってるそうなんですがね、この3回のノックをそのまま音符として使い、入場の合図にしているんですよ。
また、歌詞の中にも「兄弟愛精神を失うな」、「幸福な光の道を歩め」等のフリーメーソンに入会する時の心構えが述べられ、死と再生を基本にしたその入会の儀式も登場人物の歌で再現されているんですね。
なるほど、これは何やらプンプン匂いますね・・・。
さすがウンコ好きで有名なモーツァルトじゃな。(※参照
ウンコの匂いの事じゃねえよッ!
オペラ『魔笛(The Magic Flute) 』の舞台デザイン▲
夜の女王が登場する場面。
『魔笛』の物語の舞台はエジプト▲
モーツァルトと親交のあった興業主・俳優・歌手のエマヌエル・シカネーダーが自分の一座で上演する為に作曲を依頼した。
『魔笛』のあらすじは、王子タミーノが高僧ザラストロの司るイシス=オリシス密議で、秘儀を受けるまでの過程を描いたもので、タミーノは沈黙、忍耐、勤勉、節制等の徳性を高める様に求められ、次に「水と火の試練」で死の恐怖を克服して人間の神化を達成するってなもんなんですね。
つまりこれはですね、会員だけの秘密である秘教的シンボル「8つの水銀寓意」を曲の中に織り込んで、フリーメーソンの「徒弟」「職人」「親方」位階の参入儀礼を暴露してしまってるんですよ。
もちろん、一般には分からない様にはされているんですがね、会員からすれば一目瞭然で、反逆精神か冗談のつもりだったのかはさておき、モーツァルトは秘儀を明かすという重大な掟破りをしてしまったんですね。

『魔笛』を代表する道化的キャラクターのパパゲーノ▲
エマヌエル・シカネーダー自身が演じた。
この事をフリーメーソンが見逃すはずがなく、モーツァルトは『魔笛』を作曲して、数ヶ月後にこの世を去っており、しかもこの作曲に協力した2名の人物も同時期に変死しているという事から、『レクイエム』の作曲を依頼してきた灰色の服の男がフリーメーソンから遣わされた暗殺者で、この秘密結社の秘儀の中には、掟を破った者は水銀によって毒殺するってな処刑方法があったらしく、モーツァルトの晩年の症状からも、こっそり水銀を盛られ中毒を引き起こさせられた事によって殺された可能性が考えられるんですよ。
実際、多くの医学者達が「亜急性水銀中毒」が、モーツァルトを死に追いやった主因と主張したそうですしね。
また、奇妙な事にモーツァルトの遺体は死の翌日に、十分な検死もされないまま、何故か妻や友人の立会いも無く、大急ぎで聖マルクス墓地の敷地内にある貧民共同墓地に埋葬されたそうなんですよ。まるで何か秘密を隠したかったみたいにね。
私はテストの問題でどうしてもモーツァルトの名前が出てこなくて、仕方なく答えをフルーツタルトって書いたら冗談じゃないのに先生に怒られました・・・。
お前それは単に菓子が食いたかっただけじゃろーが。
そんなどうでもいい話と一緒にせんでくださいよ・・・。
モーツァルト死の前日1791年12月4日午後2時に病床で行われた未完の『レクイエム』の一種の試演の様子▲
ゴットフリート・ヴァン・スヴィーテン男爵▲
さらにもう一方では、モーツァルトは貴族に殺されたってな説もあるんですよ。
モーツァルトにはパトロンにして親友であったゴットフリート・ヴァン・スヴィーテン男爵ってのがいましてね、彼はオーストリアの女帝マリア・テレジアの侍医として名高い医学者ヘーラルト・ヴァン・スヴィーテン教授の息子で外交官OBだったそうなんですがね、ある時、モーツァルトは女遊びによって梅毒に感染してしまった為、彼から相談を受けたスヴィーテン男爵は、亡き父の処方箋として水銀を調合した治療薬を与えたそうなんですよ。
それを何ヶ月にも渡って服用していた為、モーツァルトは体調を崩していき、ついには水銀中毒による死を招いたとも考えられるってな事なんですね。
モーツァルトが息を引き取った時、真っ先に駆け付けたのはスヴィーテン男爵だったそうでしてね、すぐに彼の遺体を聖マルクス墓地に運び、葬式を執り行わせたのも彼らしいんだ。
つまり男爵としては、自分が処方した水銀の治療薬でモーツァルトが死んだ事実が明らかになっては、社会的地位の喪失はもちろんの事、当時それは下手したら絞首刑にされかねない重罪だった為、一刻も早くスキャンダルの種を消し去りたいと思っていたと考えられるんですよ。
彼がその事実を告げて同意を得たのかは定かでは無いんですがね、とにかくモーツァルトの死後、未亡人となったコンスタンツェが再婚したニッセンの著した『モーツァルト伝』に、「1人で絶望の淵に佇む事が無い様に、未亡人はシカネーダーの仲間のバウエルンフェルトのもとに預けられ、後にゴルトハーンの家へ移った」と記されている事からも、コンスタンツェは夫の葬儀にもかかわらず出席しなかったそうなんですね。
これはちょっと異常にも思えますがね、学者達に言わせれば、「当時の風習では未亡人やその他の女性の親戚は、家に残っている事が多かった」との事らしいんですよ。
しかしいずれにしても、他の誰ならぬ喪主である妻が葬儀を放り出して、他人の家に逃げ込んだってのは、不可解な行動と言わざるをえないんですね。
この様にコンスタンツェにも疑惑が見られる為、むしろ彼女がモーツァルトを暗殺したってな説もあるんですがね、彼女には殺意を抱く要因や動機となるものが考え難く、夫を殺したところで多額の借金を背負う事になる為、あまりその可能性があるとは思えないですね。
ちょっとコイツ殺される要素多過ぎじゃろ。
『俺の尻をなめろ(Leck mich im Arsch)』とかいう曲作って調子ぶっこいてるからじゃよ。
まあ、女遊びで梅毒に感染して、治療の為に水銀飲んで中毒になったんじゃ、自爆って言われても仕方が無い気はしますがね。
でも音楽室の壁に飾られる様な有名人なのに、奥さんにもお葬式で見送ってもらえなかったなんて可哀想ですね・・・。
コンスタンツェ・ウェーバー▲
また、1983年に発表された説では、モーツァルトを暗殺したのはフランツ・ホーフデーメルという、ウィーンの最高裁判所の書記官であり、彼は自分の妻マグダレーナがモーツァルトと不倫をしていた事を恨んで犯行に到ったってな見解が挙がってるんですよ。
マグダレーナは社交好きな女性だったそうでしてね、モーツァルトにピアノを習っていたそうなんですね。
彼女とモーツァルトの浮気は当時の上流社会では知らぬ者がいないくらい話題だったそうで、当然妻のコンスタンツェだって気づいていたはずなんですがね、別に彼を咎めたりはしなかった。
何故なら、実はコンスタンツェ自身も他の男と浮気をしていたんですね。
その彼女の浮気相手とは、さっき述べた『レクイエム』を補筆し完成させたモーツァルトの弟子フランツ・クサーヴァ・ジュースマイヤーだったらしいんですね。
臨終間際のモーツァルト▲
傍で支持を受ける弟子のジュースマイヤーと、外から様子を伺う謎の使者の姿が。
フランツ・ホーフデーメル▲
当時、モーツァルトは反封建思想としてとらえられ、ウィーン中の貴族階級の人々から反感を買っていたそうなんですがね、彼は名門ハプスブルグ家の啓蒙君主である皇帝ヨーゼフ2世に気に入られていた事もあり、それまで身に危険が及ぶ事は無かったんですね。
ところが、1790年に皇帝が崩御しちゃった為、波止めが無くなったモーツァルトは貴族達の冷たい風当たりをモロに受けて苦境に陥った。
この頃、庇護者が無くなり、多額の借金を抱え、妻のコンスタンツェの金遣いが荒くなり金に困っていた為、弟子をとって、授業料を取る事にしたんですね。
でもって、弟子入りしてきたのがジュースマイヤーだったそうなんだ。
そして彼こそが、一説ではフランツ・ホーフデーメル、あるいは他の貴族からの回し者で毒殺の実行犯だったとも言われているんですよ。
妻の浮気に怒ったホーフデーメルは、「アクア・トファナ」という白砒素と酸化鉛等の混合物で、飲んでから効くまで数ヶ月かかり、苦痛を与えずに人間を殺す事の出来るというイタリアの毒薬を入手し、自分自身で、あるいはそれを渡されたジュースマイヤーがモーツァルトに飲ませて暗殺を実行したんじゃないかとも考えらてましてね、これはモーツァルトが死の6ヶ月前に「自分は毒を盛られた」と語っている事実と符合するんですね。

なんかもう涙目のモーツァルト▲
近年は天才=変態のスカトロジストとして有名(汚名)だが、実際は真性という程ではなく、明るくお茶目な感覚のものであったという。
彼の母アンナ・マリアもウンコ好きであった事から、その影響を受けたとも考えられている。
もっとも、ジュースマイヤーはモーツァルトに弟子入りする前からコンスタンツェと親しい仲だったそうで、12月5日にモーツァルトの死を知ったホーフデーメルは、妻のマグダレーナに剃刀で襲い掛かり、顔や体のあちこちを切り裂いた末、自分の咽喉を切って自殺しちゃったそうなんだなあ。
まあ、マグダレーナはモーツァルトの葬儀に出席した帰りの友人が、たまたま彼女のもとに立ち寄った為、一命を取りとめはしたそうですがね。
しかし、何故かこのホーフデーメルの自殺は、モーツァルトとはわざと関係無い様な新聞報道がなされたそうです。
また、モーツァルトは息を引き取る直前に、ジュースマイヤーに曲の補筆をする様に遺言してたそうなんですがね、何故かモーツァルトの葬式の後に行方をくらましたそうで、ようやくコンスタンツェが彼を探し出して補筆を頼み、『レクイエム』が完成したそうなんですよ。
しかし、それから9年間は、ジュースマイヤーは自分が補筆した事を黙っていたそうでしてね、これもまた何か裏がある様な感じがするんですねえ。
なんか昼ドラみたいなドロドロ展開になってきましたね。
そろそろ死んだはずの双子の兄弟とか出てくるかもしれぬぞ。
下手したら次の世代まで因縁が引き継がれそうですね・・・。
モーツァルト直筆の『レクイエム』楽譜▲
実際のところ、モーツァルトの死に関する奇妙な噂が流布する様になったのは、彼の死後、『モーツァルト伝』等の、「彼はあの世の使者の依頼で自らの為に『レクイエム』を作曲していたのだ」という様な記述によるもので、また、当時依頼者が公になっていなかった事が原因だと考えられる。
だが、1964年になって、この匿名の依頼者がフランツ・フォン・ヴァルゼック伯爵という田舎の領主であり、その使者の灰色の服の男の正体が、伯爵の知人のフランツ・アントン・ライトゲープという人物である事が明らかになったのだよ。
ヴァルゼック伯爵はアマチュア音楽家であり、当時の有名作曲家に匿名で作品を作らせ、それを自分で写譜して自らの名義で発表するという変わった趣味を持っていたそうでね、彼は1791年2月に若くして亡くなった夫人の追悼の為に、モーツァルトに『レクイエム』を作曲させたというのが真相だったのである。
しかし、モーツァルトの死後、楽譜のオリジナルを所有していたコンスタンツェが金を得るべく、それを出版社に売った為、『レクイエム』はモーツァルトの作曲として、世に知られる様になったという訳だ。
また、『魔笛』の中でフリーメーソンの秘儀を明かした為にモーツァルトは毒殺されたという説についてだが、実はその部分の脚本を書いたのはモーツァルトではなく、台本作家にして劇場支配人で俳優のエマヌエル・シカネーダーだったという事が判っている。
そして、彼もレーゲンスブルクのフリーメーソンの会員だったそうだが、1812年に61歳で死ぬまで命を狙われる事は無かったそうなのだ。
つまり、この説はそもそもモーツァルトが殺される理由に成り得ていなかったのだよ。
んだよ、灰色ずくめな男とかいう当初のミステリー要素も、単にそいつのファッションセンスが悪かっただけって事じゃねーかコラ!
まあ、現実ってのは往々にしてそんなもんですよ・・・。
しかし、だからといって、モーツァルトの死の謎の全てが明かされた訳ではありませんよ。
結局のところ、病死だったのか、暗殺されたのか、そこらへんの真相は誰にも分からないままなんですね。
モーツァルトの頭蓋骨とされるもの▲
ところで、モーツァルトの遺体はウィーン郊外の聖マルクス墓地の敷地内にある貧民共同墓地に埋葬されたそうなのだが、誰も霊柩車に同行せず、墓碑も建てられなかった為、実際に埋葬された位置は不明となってしまった。
そして彼の没後100年の1891年に、聖マルクス墓地のベートーヴェン、シューベルト、ブラームスら著名音楽家が多数眠る中央墓地に当時あった「モーツァルトの墓とされるもの」が記念碑として移動した際、またもや位置が分からなくなってしまったという。
そんな訳で、現在、聖マルクス墓地にある「モーツァルトの墓とされるもの」は、移転後に墓地の看守が捨てられた他人の墓の一部を拾い集めて、適当な場所に作ったものであり、もちろん、モーツァルトの骨は存在しない。
しかし、ザルツブルグの国際モーツァルテウム財団にはモーツァルトのものとされる頭蓋骨が保管されており、どうやらこれは、彼の遺体の埋葬後10年目に、墓地が再利用の為に整理された際、遺骨が散逸してしまったそうで、この時、頭蓋骨だけが保管されて以来、複数の所有者の手を経て1902年に同財団に収蔵されたものらしいのだが、その真贋については、存在が知られた当初から否定的な見方が多い。
しかし、2004年に、ウィーン医科大学の研究チームがモーツァルトの父レオポルドや他の親族の遺骨の発掘許可を得て、問題の頭蓋骨とのDNA鑑定を行い、その結果はモーツァルト生誕250年目の2006年1月8日にオーストリア国営放送のドキュメンタリー番組として公表された(※参照)。
それによると、調査のサンプルとなった頭蓋骨の2本の歯と、モーツァルト一族の墓地から発掘した伯母と姪のものとされる遺骨のDNAを比較したものの、いずれも縁戚関係が認められなかったどころか、そもそも伯母と姪とされた遺骨同士も縁戚関係に無い事が判明し、謎はさらに深まる事となってしまった。


レクイエム ニ短調 K. 626 第3曲 ディエス・イレー(怒りの日) ▲
初出:[2006.12.16]

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