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ファラオの呪いは、
エジプトの古代王墓の発掘に関わった者が、次々と非業の死を遂げてしまったと語られる伝説である。
王家の呪い、ツタンカーメンの呪いとも呼ばれる。
ツタンカーメン王の墓が発見されたのは1922年11月4日の事だ。
エジプト第18王朝末期のツタンカーメンは、わずか11歳で王になり、18歳の若さでこの世を去ったが、純金で出来た人型の棺に、
純金の仮面を被せられ、おびただしい金銀財宝とともに手厚く葬られていた。
発見者はハワード・カーター博士が中心となった発掘隊で、長年探し求めていたツタンカーメン王の墓をついに発見したのだ。
人夫達が土を次々に掘り返し、片っ端から籠で運び出すと、封印された扉が現れたのだ。
世紀の発見のニュースはすぐに世界中に広がり、熱気と興奮に包まれた。
そして扉の開き、つまっている土砂を取り除いていくと、
大きな石壁に死神アヌビスの像が刻まれており、
そのすぐ下には「王の眠りを妨げる者は、死の翼が触れるだろう」という呪いの言葉が刻まれていたのだ。 |
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むしろ「いらっしゃいませ」とかじゃなくて良かったな。 |
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あ、私も内部の様子がよく見えない喫茶店とか入りづらいんですけど、入口に一言あるとやっぱ
違いますよね。 |
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| 王墓の入口を前にするドヤ顔の発掘隊▲ |
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しかし発掘はかまわず続けられ、
その結果、3500点あまりの副葬品や黄金製品、そして黄金のマスクを被ったツタンカーメン王のミイラが墓の中から発見された。
ところが、墓の石壁に刻まれた呪いの言葉が、その後、不気味なほど的中し、発掘に関係した数名らが次々と怪死を遂げたのだ。
最初の犠牲者は発掘の出資者であるカーナヴォン卿であった。
彼は原因不明の高熱にうなされる様になり、1923年4月のある日の午前2時頃、ベッドの上で「おしまいだ。私を呼ぶ声がする・・・」と声高く叫んだ時、
同時にカイロ市全体が突然停電になってしまったという。
そしてその後、カーナヴォン卿はカイロ市内のホテルの部屋で事切れているのが発見された。
また、これはあとで分かった事なのだが、この時、カーナヴォン卿のイギリスの邸宅でも、
奇妙な事が起こっていた。
真夜中に男爵の愛犬スーザンが突然吠え始めたのだ。
邸宅の者は犬をなだめたが、犬はその後もえんえんと鳴き続け、とうとうそのまま力尽きてしまったという。 |
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なるほど、町と一緒にカーナヴォン卿の灯火も消えたという事か。 |
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カーナヴォン卿の死後も不吉な事件が続々と起こる。
墓室でツタンカーメン王のマスクを見物した南アフリカのジェルという実業家が、船のデッキから河に落ちて死に、
アメリカの富豪グールドも、やはりツタンカーメン王の墓の見物後、高熱を出して急死。
カーター博士の発掘作業に協力した考古学者のアーサー・メイス教授は、作業中に倒れて急死し、
イギリスからツタンカーメンの研究にやってきたカーター博士の友人のフルール教授は、数日後に原因不明の熱病にかかって死亡。
そしてミイラのレントゲンを撮ったリード教授は、原因不明の熱病にかかって死に、ホワイト博士も王墓の中で調査を終えて外に出た途端、
不快を訴えて、数日後、「ファラオの呪いを知った。もう生きていられない」と謎の遺書を残して自殺してしまったのだ。
さらにデービズ教授は、ツタンカーメン王の名を刻んだ水さしを発見した直後、熱病にかかり死亡。
ミイラ学者のテリー教授も、ミイラの調査から数日後、同じく熱病にかかって急死してしまった。
この一連の怪死事件を受け、エジプト政府も調査に乗り出した。
エジプト文化庁の高官ライは、墓地を調査中に毒蛇を見かけた事から、死因は毒蛇に噛まれた事によるものという説を主張したが、
ライ自身も墓から出た後、高熱を出して死亡してしまったのだ。
墓の発見から約一年以内に、墓から副葬品を運び出したガードナー教授、ウインロック教授、フーカール教授、
助手のウルフやキャレンダー、ブリュエール、リューカ、グルド、ビーセルらも変死し、発掘関係者だけで22人もこの世を去ったのである。 |
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わ、私達は大丈夫でしょうか・・・。心配で今夜眠れないかも・・・。 |
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| 1922年、興奮に包まれた発掘現場の様子▲ |
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怪死の原因として、まず考えられたのが毒蛇説と蚊によるマラリア説です。
しかし、王家の谷にコブラがいない訳ではないですが、死者には噛み痕は残っておらず、
また、ここでマラリアの蚊に刺されて死んだという事例も過去に無かったのです。
古代エジプトの神官が、現代人の知らない毒物を墓の中に仕掛けたのだという説も出ました。
例えば、作家のコナン・ドイルも、墓荒らしを懲らしめる為に致死性のカビの様なものが意図的に配置されていたのではないかという見解を
示しています。
しかし、これまでの調査では、ツタンカーメン王の墓室内から毒物の様なものは検出されておらず、
発掘の最前線にいたエジプト人の人夫の中には犠牲者がいないという事も腑に落ちません。 |
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王家の秘密を古代から守り続ける砂漠の民に暗殺されたとかだったらアツいのにな。 |
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けれど、一族の戦士と発掘隊の女性が偶然出会い、やがてロマンスに発展・・・とかだったら尚素敵ですね。
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それと、王家の谷に一歩も足を踏み入れていない者まで死を遂げているのだよ。
例えば、カーナヴォン卿の死後、彼の義弟が狂い死にし、次に卿の夫人が原因不明の熱病で急死、夫人の母親も毒虫に刺されて死に、
カーナヴォン家の看護婦ローレルも奇病にかかって死んでいる。
さらにカーター博士の秘書のウエストバリー卿は、高層ビルの屋上から飛び降り自殺し、秘書の息子も心臓麻痺を起こして死亡、
その上、秘書とその息子の柩を墓地に運んだ車は、途中で通りすがりの青年をひき殺しているのだ。
また、アメリカの作家シンキンズが、1934年にツタンカーメン王墓発見をテーマにしたドラマを作る事になったが、ある日突然、
「ツタンカーメンの亡霊が追いかけてくる」と狂った様に叫びだし、おかげでドラマ制作は中止になり、
シンキンズもその後原因不明の死を遂げたという。
しかし、意外な事に、ツタンカーメンの墓を発掘した張本人のカーター博士は、
1939年に66歳で死ぬまで、健やかに生涯をまっとうしているのである。
ただ、実はカーター博士にも悲劇があったと言えばあった。
王墓を発見した直後、カーター博士がとても可愛がっていたカナリアが毒蛇に襲われて死んでしまったそうなのだ。
カーター博士はカナリアをいつも鳥カゴに入れて持ち歩き、目の中に入れても痛くない程に溺愛していたが、
ちょっと石垣に置いて目を離した隙に毒蛇に食われてしまったのだ。
カーター博士は愛鳥の死を深く悲しみ、「カナリアが私の身代わりになってくれたのだ」と涙ながらに話したそうだ。
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へえ、カナリアが・・・。 私も金魚が死んだ時は泣きましたけど・・・。 |
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この取ってつけた感、なかなかどうして侮れぬな・・・! |
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| ツタンカーメン王の棺を調べるカーター博士▲ |
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カーナヴォン卿の死因ですが、元々彼は1901年にドイツで自動車事故に遭って以来、虚弱体質になっており、
死の1ヶ月前の1923年2月末、アスワンで数日間の静養を取っていた際に蚊に刺された頬の腫れ痕を、髭剃りでうっかり傷つけた為、
出血の際に菌血症になった結果、肺炎を併発したものというのが有力な説です。
そもそもこのファラオの呪い、マスコミの捏造により広まった伝説とも言われています。
確かに王墓発見後、その関係者が複数名死んだのは事実ですが、大半の人物は相当の高齢だったのです。
また、実は各人が死亡した時期というのも、発掘からだいぶ時間が経っており、
ファラオの呪いと結びつけるというのは、どうしてもこじつけの感が否めません。 ツタンカーメン王墓の発掘作業は1916年から開始されたのですが、
何年経ってもなかなか成果が得られず、
前評判が高かっただけに周囲の風当たりが強くなっていたらしく、
カーナヴォン卿はカーター博士に無断で、墓が見つかった場合の全ての報道権を「ロンドン・タイムズ」に与えるという
約束で、同社から資金援助を受けていたそうなのです。
そして実際に墓が見つかると、「ロンドン・タイムズ」に報道が独占されてしまい、これに世界中のマスコミが
不快感を露にし、悪口を書き立てられる様になってしまいました。
そして、カーナヴォン卿が急死すると、墓をあばいた酬いがふりかかったのではないかという記事が、
ざまあ見ろといわんばかりに「ファラオの呪い」として書かれる様になったという事らしいです。
あと、入口にあったとされる呪いの言葉はデマらしいですね。 |
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んだよ、呪いの正体はいつものマスゴミの過剰報道かよ。 |
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ファラオの呪いは映画などのフィクションでも定着している▲
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ファラオの呪いは映画などのフィクションでも定着している▲ |
そ、そう、その通りだよ。 私も前々からそうじゃないかと思っていたのだがね。
しかし、結果としてファラオの呪いという概念や先入観がウィルスの如く世界に伝染していき、
現代においてもその影響を与えているというのもまた、事実である。
例えば、ファラオの墓の副葬品による呪いで災難に見舞われたという話がある。
2004年、エジプト考古物学会会議長のシャリエフ・スバシエ氏は、南アフリカに住むある女性から1通の手紙を受け取った。
その手紙には「指輪の呪いで家族を失い、自分自身も体に痛みを感じている。エジプトに指輪を返還したい」と綴られていたのである。
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どうやら差出人の女性は、1960年代に親戚の女性からスカラベの指輪を譲り受けたらしいのだが、
指輪はもともと、船長をしていた親戚の女性の夫が、1920年代にカイロの賭場で、
ツタンカーメンの発掘に携わる考古学者との賭けに勝った際、支払いの代わりに譲り受けたものだという。
しかし、夫の船長は、指輪を自分の娘に託した後、ヨーロッパに出航したそうが、
船が沈没して亡くなってしまったという。
さらに、指輪を貰った娘も白血病で21歳の若さで亡くなった。
そして、その娘の遺品として手紙の差出人の女性が指輪を貰ったという事らしく、彼女は定期的に指輪を身につけていたが、
18年後、ディーラーに指輪を売ろうとした日の翌日、彼女の娘が交通事故で亡くなったそうなのだ。
しかも、その娘が亡くなったのも21歳だったという。
この手紙を受けて、エジプト考古学会の代表団は南アフリカまで指輪の回収に向かったそうだ。
また、2007年8月には、以前、王家の谷を訪れたドイツ人男性が、
碑文が刻まれた壁から石のかけらを盗んで持ち帰ったところ、
帰国直後から背中の麻痺や高熱、癌に侵されてしまい、3年間苦しんだ後に亡くなった為、
ファラオの呪いを恐れた遺族が石のかけらを在独エジプト大使館に返還するという事があったそうだ。
こうした報告例はあくまで偶然の連なりに過ぎず、
決して呪いというものを肯定出来るものではないが、フィクションなどを通じて
人々の脳裏に植えつけられた恐怖が、マイナスプラシーボ効果として未だに作用し続けている点においては、
ある意味では“呪い”と言えなくもないのかもしれない。
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