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超トンデモ通信Z
[2013年12月] 
どうも、 もし守護霊がいるなら、そろそろ夢枕にご先祖様が現れそうなくらい最近パズドラばかりやってる風谷葵です。
だって私にはゲリラダンジョンでレアモンスターと大量の経験値をゲットしなきゃいけないという使命が(ry
ここでは、日々いろんな所からよせ集めたオカルティックなニュースを、 私独自の素晴らしい見解を交えつつお伝えしちゃいますよ〜。

[2013.12.30 17:00]

ロシアの雪山で9人が怪死したディアトロフ峠事件の謎に新説


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1959年2月26日、救助隊が発見したキャンプの残骸▲
テントは内側から引き裂かれ、メンバー達は着の身着のままの姿で逃げ出していた。
物語はまるで低予算のB級ホラー映画を思わせるが実話であり、2013年には同事件をモチーフにした『ディアトロフ・インシデント』というタイトルの映画が公開されている。
1959年2月1日午後5時頃、キャンプ設営中の一行▲
写真はテント付近で後に発見されたフィルム・ロールから現像された。
1959年2月2日の夜、 ロシア西部(当時のソ連領)のウラル山脈北部で起きた9人の登山者が遭難し、全員が怪死を遂げた未解決事件である通称「ディアトロフ峠事件」について、 ある研究者の新説がその謎を解き明かした可能性があるとして、注目されているそうです。
そもそもこの事件は、スキー休暇を楽しむ為、 極寒の雪山の登山へ1月28日に出発したエカテリンブルクのウラル科学技術学校(現在のウラル工科大学)の学生らがその後連絡を絶ち、 予定されていた12日頃になっても関係者に対して音沙汰が無い為、 2月20日になってようやく軍や警察による本格的な捜索が開始され、26日にボランティアの捜索隊により山の斜面で放棄されたテントと、周辺で散らばる 彼らの不審死した遺体が発見されたというものだそうですが、 当時は旧ソ連体制下であった事も影響し、外部への情報は極端に少なかったそうです。

発見された遺体の状況のイメージ▲
しかし1990年代のソ連崩壊後のロシアの情報公開により、 明らかになってきた事件の調査報告によると、 遭難したメンバー(男性7人、女性2人)は、2月1日の夕方に彼らの最終目的地であったオトルテン山の隣に位置するコーラット・サイキール山の東側斜面にキャンプを設営後、 翌2日にまるで何か恐ろしいものに怯えたかの様にテントから飛び出したみたいなんです。
しかも、マイナス30度の気温の中、下着に靴下(あるいは素足も)だけのほとんど半裸の姿で、それぞれバラバラに雪に埋もれ凍死している状態で発見されたそうです。
奇妙な事にテントは内側から引き裂かれ、荷物もそのまま残されていたそうで、 テント近くの雪の上には、メンバーのものと思われる足跡が近くの森の方へ向かって500m程続いていたものの、 途中で雪に覆われて見えなくなっていたそうです。
しかし、この森のはずれで、 捜索隊は大きなヒマラヤスギの下で、下着姿のメンバーの遺体と焚き火の跡を発見したらしく、 その木の枝が5m程の高さまで折られていた事から、 彼らが木の上に登って避難していた事を示しているみたいです。
学生の遺体は最初に5人発見され、いずれも検死で死因が低体温症と判明したそうですが、 残りの4人が見つかるまではさらにそれから2ヶ月もかかったらしく、 ヒマラヤスギからさらに先に進んだ渓谷の深さ4mの雪の下から発見されたそうです。
遺体のうち何人かのもは、まるで交通事故の衝撃に匹敵する強い力に襲われた様に、 肋骨や頭蓋骨を損傷していたそうですが、しかし誰かと争った形跡や外傷も見られず、 ある女性の遺体は舌や眼球を抜かれ、また遺体の何人かの服が強い放射能を浴びていた等、 その他にも色々と不可解な点のある、実に異常なものだったそうです。

事件前の学生達▲
急病で旅から離脱する女性ユーリイ・ユーディン(唯一の生存者)が、 リュドミラ・ドゥビニナを抱擁して別れを惜しんでいる様子だ。
遭難したメンバー9人は、クロスカントリースキーや登山の専門知識に長けた イゴーリ・ディアトロフ(23歳)率いる大学のスポーツ観光クラブの経験豊富な20代前半の男女中心で構成されていたらしく、 発見された彼らの最後の日記には、事件直前まで学生達が元気であった事が示され、 次の日、ちょうど10キロ北のオトルテン山へ移動する事が計画されていたそうです。
冬の雪山について精通していたであろう彼らが、この様な悲劇的な最後を迎えた事については、 誰もが疑問を抱くものの、しかし、当局が最終的に結論付けた事件の原因は「抗いがたい自然の力によって死亡した」というもので、 よって特定の犯人はいないとして、数多くの謎を残したままトップシークレットとして封印されてしまったそうなんです。
また、事件後3年間に渡り、事件の発生した地域へ立ち入りが禁じられたそうです。

現在のコーラット・サイキール山▲
事件があった峠は、遭難した学生達のリーダーであったイゴーリ・ディアトロフの名前から、ディアトロフ峠と呼ばれるようになった。 同地はロシア版エリア51とも見なされている。
近づいてはならない禁断の地に入り込んだ彼らは、そこで一体何を目にしたのだろうか?▲
また、事件現場であるウラル山脈のコーラット・サイキール山は、先住民のマンツィ族の言葉で「死の山」を意味する聖地であり、 古くから頻繁にUFOやイエティが目撃される場所らしく、 1950年代にはソ連の秘密核実験施設の存在が噂される様なオカルト要素盛りだくさんな土地柄なんだそうです。
なお、事件のあった夜にも、事件現場から南に50km離れた場所にいたトレッキング客の一行が、 コーラット・サイキール山の方角の夜空に奇妙なオレンジ色の光球を目撃しているらしく、 同様のものが1959年2月から3月にかけて近隣地域で目撃されたみたいですが、 これは後にR-7大陸間弾道ミサイルを発射した光であった事が判明しているそうです。

2007年に研究者ユーリ・クンシェーヴィッチによって発見された謎の金属片▲
ディアトロフ峠事件の原因には様々な超常現象的な説が唱えられており、 当初は先住民のマンツィ族が、彼らの土地に侵入した一行を襲撃したのではないかという憶測もあったそうですが、彼らは非常に平和的な人々であり、 現場には学生達の足跡しか残っておらず、また、誰かと争った形跡も無い事から、同説は否定されたみたいです。
また、エイリアンの襲来や、旧ソ連軍の秘密兵器の実験の犠牲になった(あるいは秘密を知られ口封じで殺害された)という説が根強くあるそうで、 2007年には同地域で研究者のユーリ・クンシェーヴィッチによって謎の金属片が発見されており、 これが何らかの軍事技術のテストで用いられたという見解や、小規模な雪崩が発生しテントを押し流した(しかし足跡の部分は保存された)という 現実的な見解等があるそうです。

作家のドニー・アイカー(中央)が、運良く事件を逃れ唯一の生存者となったユーリイ・ユーディン(左)にインタビューしている様子▲
亡くなった学生9人の慰霊碑▲
さらに、今年10月には、アメリカのドキュメンタリー映画作家のドニー・アイカーさんが、 ロシア最大の謎の一つであるこの事件について、4年間に渡る調査の結果をまとめた著書『デッドマウンテン:ディアトロフ峠事件の語られざる真実の物語』において、科学的な論説を発表したそうです。
彼の理論によると、事件は低周波音によって引き起こされたものらしく、 死の山の独特の地形による反復的な強風が、聞き取れない程の音量の非常に低いピッチのノイズを起こし、 それがその場に居合わせた9人に恐怖の感情を植え付け、パニックに陥らせたのではないかという ものらしいです。
ただ、確かにこの理論は興味深くもっともらしいものの、メンバーの遺体から舌や眼球が無くなっていた点については説明出来ておらず、やはり ディアトロフ峠事件は依然として謎のままという感じみたいです。

・・・9人の学生達の身に一体何があったんでしょうね?
ソ連軍が極秘に開発したバイオハザード的な生物兵器とかに襲われたんでしょうか?
少なくとも、極寒の中へ半裸で飛び出してしまう程の恐ろしい何かに遭遇したって事ですよね、多分。
私なんかお風呂上りの脱衣所ですら凍えそうなのに・・・。
やっぱり寒い年末やお正月は、出来る限りコタツというセーフティ・ゾーンでぬくぬくとお笑い番組やオカルトサイト見ているのが賢い過ごし方なんですよ。
別に冬休みに特に予定が無いからって嘆く必要なんか全然無いんですってば!(涙目)

Sorce 【Dailymail / etc】

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