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[2022.10.21]

山崎のコンセイサマ
~死と再生の地上マンダラ~



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1972年(昭和47年)、岩手県遠野市の土淵町に位置する沢の下流、災害復旧中の治水工事現場にて、 土砂の中から奇妙な巨石が偶然発見された。
それはなんと、自然石で作られた男根――即ち、「金勢様」であった。


民話の里・遠野には、子授けや豊作を願う石神として、金勢様が多数祀られているが(※1)、 その中でも掘り起こされたモノは、高さ1.5mに及ぶ最大サイズ。
沢がある山崎集落には、昔から巨石の金勢様の言い伝えがあったものの、 本当に実在するのかどうかは長年不明だったという(写真は「伝承園」の金勢様)。

※1:柳田國男の『遠野物語』第16話にも、「コンセサマを祭れる家も少なからず。この神の神体はオコマサマとよく似たり。オコマサマの社は里に多くあり。石または木にて男の物を作りて捧(ささぐ)るなり。今はおいおいとその事少なくなれり。」と記されている。
性器崇拝信仰に基づく金勢(金精)様自体は、遠野のみならず、特に東北から関東にかけて多く存在し、道祖神(塞の神)と習合している例もある。


その為、「山崎のコンセイサマ」の顕現に人々は色めき立ち、 1978年(昭和53年)には沢の近くに、御神体として祀る御宮「山崎金勢神社」を建立したのである。


そんな神社の入口に着くと、「山崎金勢茶屋」なる平屋建ての施設があった。


茶屋と言っても、別にカフェ的な店ではなく、トイレと自販機のみがある休憩所のような雰囲気。 正面の扉は施錠され、内部を覗くと物置のような状態だった。
しかし、中ほどに置かれた木製の台をよく見ると・・・


事もあろうに、男根がニョキッと生えているではないか。
隠れミッキーならぬ隠れ珍奇(?)なこのオブジェは、どうやら「金勢神輿」なるものらしい。


同地では、毎年5月5日の子供の日に、例祭「山崎金勢様まつり」が催される。
その際に、子孫繁栄や家内安全などを願って、子供達が金勢神輿を担いで町内を練り歩くという。 この手の祭りで子供が主体になるのは、結構珍しいのではなかろうか。


茶屋の目の前から伸びる、緑豊かな緩い坂道を登っていくと・・・


路傍にカチンコチンのイチモツ(男根石)が出現。


そう、今回もおちんちんランドの開幕という訳である。


そして、斜面の上には、どういう訳か朽ち果てた廃バスが。


意外な草ヒロにテンションが上がり、つい近くまで見に行ってしまった。
どうでもいいけど、車種は恐らく、トヨタ・コースター標準ルーフと思われる。


廃バスを過ぎると、数百mの参道の果てに、神社の社殿が見えた。
写真では分かりにくいが、左下の辺りがちょっとした沢になっており、奥に砂防ダムが整備されている。


パッと見だとこれも分かりにくいが、 広場の片隅には、男女の根の形をした一対の陰陽石が並んでいた。


さらに、何故かポツンと雲梯が。
せめてタイヤ遊具とか、もう少し何か置けばいいのに、これだけじゃまるでトマソンのようだ。


辿り着いた社殿は、小ぢんまりとした質素な印象の佇まい。
しかし、すぐにビッグな異物が視界に飛び込んできた。


社殿の向かって左側、手水舎のすぐ隣に鎮座する・・・


爆発寸前の如く怒張した金勢様である。
御神体とは別物だが、こっちはこっちで、その雄々しい存在感にはおったまげる。


手水舎の案内板には、こんな説明があった。
「コンセイサマは、金勢様又は金精様と書きます。子宝を願う婦女子が、ここに奉納されている赤い小枕を一つ借りてきて腰元に置き、願いが叶えられれば二つにしてお返しするなわらしです。御神体は、男性の象徴を現し、すべての物事を神に結びつけた民間信仰に由来するもので、これは駒形信仰とも混同されるようになりましたが、本来は生産の神として信仰されたもののようです。(『遠野物語』第十六話参照)遠野市」


反対側の奥には、何やら意味深なトンネルのようなものが。
ただ、神社とは無関係で、「山崎地震観測所」という東北大学の研究施設らしい。
よりにもよって、男根の隣で観測しなくても・・・と思ったが、興奮した大地のエネルギーを感じ取るのには、こうしたパワースポットがある意味で最適なのかも。


人生にはしばしば、性地バイアス(造語)で疑珍暗鬼(造語)になり、 自然の造形物がいちいち性器の形に見えてしまう事がある。
その為、この石も、さすがに考え過ぎかな・・・とスルーしそうになったが、 よく見たら小さな穴の内部に小銭が入れられていたので、やはりありがたい代物だったようだ。


社殿の正面。
注連縄が床屋カラーだったり、賽銭箱が男根仕様だったりと、細部は結構特徴的だった。


また、「遠野遺産」に指定された観光地という事もあってか、案外カジュアルな感じで、参拝記念のノート&スタンプも置かれていた。


もちろん、スタンプのデザインは金勢様。・・・これは一体誰得なんだ。


社殿の内部に入ると、 一番奥に子宝や豊作、腰痛治療(※2)を司る石神、「山崎のコンセイサマ」が鎮座していた。
“様”と付けられ、ちょうど小柄な身長サイズ(1.5m)という事もあり、その姿は何処かヒト型のようにも見える。

※2:婦人の腰の病気に効くと言い伝えられ、タワシで磨くと快癒するとされている。


インパクトは外の方が強いが、御神体というだけあり、さすがの神々しいオーラを放つ。
“大きなサイズほど大きな御神徳がある”という考えから、 もしもさらに立派なモノが発見された場合は、シン・コンセイサマとして入れ替わり、ここに鎮座する事になるそうだ。
大きさでヒエラルキーが決まるなんて、男性は少々複雑な気持ちになるかもしれない。


金勢様は本来、各家庭ごとに祀られる民間信仰だった。
しかし、明治の神仏分離・拝仏毀釈運動によって、“淫祠邪教”の代表例として取り締まられ、 数多くの石神が破壊されてしまったという。
恐らく、山崎のコンセイサマも、 その頃に地中に埋められるなりして処分されたか、あるいは守る為に隠されたのであろう。


柳田國男の『遠野物語拾遺』第16話には、金勢様にまつわる怖い話として、 土淵村の畑に立つ“石棒”についての記述がある。
それによると、石棒の下の土を掘ったところ、なんと大量の人骨が出てきたとか。
まるで墓標やストーンサークルのようであり、 遠野の石神信仰における“生(性)と死”を象徴しているようでもある。


実際、現地の案内板によると、「中世の人々は、神社の背後の山頂にある賽の河原と一対にして、 “死と再生の地上まんだら”をここに作った」のだという。
――いつの日かまた、サイズを競うかのように、更なる金勢様は現れるのだろうか。


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