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[2022.08.31]

一条妖怪ストリート
~百鬼夜行が練り歩く大将軍商店街~



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1200年もの歴史を持ち、様々な怨霊や妖怪に脅かされてきた魔界都市・京都。
もはや概ね退治されてしまったようだが、 元々そうした魑魅魍魎に対抗すべく、あらゆる神仏の力を結集し、霊的結界となる数多の寺社が建てられたのである。
都の建造には、モデルとした中国の風水も取り入れられ、特に東北は忌避の方角「鬼門」として、 鬼などの邪悪な存在がやって来ると考えられた。


京都市上京区にある一条通は平安時代、かつての都(平安京)の最北端、つまり鬼門に当たり、 言わば、この世とあの世の境界に位置していた。
葬送の地たる洛外に広がる闇夜に、当時の人々は魑魅魍魎の気配を感じ、恐怖したという。 かの「一条戻橋」(※1)も程近く、まさに魔界の中心地だった訳だ。

※1:元々は「土御門橋」と呼ばれていたが、次の伝説によって改名された。
延喜18年(918年)、平安時代の漢学者・三善清行が死後、その遺体を納めた棺が葬列で土御門橋を通り掛かった際、 修行に出ていた清行の八男・浄蔵が駆け付け、嘆き悲しみながら「どうか息を吹き返して欲しい」と願った。 すると、なんと雷鳴とともに清行が一時生き返り、父子が抱き合ったという。
そう、つまり、死者があの世から戻ってきたとされる場所なのである。
その他にも、武将・渡辺綱が腕を斬り落とした鬼女が出現したり、陰陽師・安倍晴明が式神(十二神将)を隠していたなど、 戻橋には様々な伝説が語り継がれている。


そんな数々の不思議な話が伝わる一条通も、21世紀の今では商業地として発展し、西大路通から中立売通まで、 長さ400mに渡って店々が並ぶ「大将軍商店街」(※2)となっている。

※2:「大将軍」とは陰陽道における金星にまつわる星神の事。
方位の吉凶を司り、3年ごとに四方を巡り、 大将軍の方角に当たった年には、出軍・結婚・上棟・埋葬などは不吉なので避け、 その禁を破ると3年以内に命を落とすと言われた。
商店街の中ほどには、その名の由来となった「大将軍八神社」もある。


そして、この地には「百鬼夜行」が現れたという伝説がある事から、 別名「一条妖怪ストリート」と称して商店街の活性化を図っているのだ。


百鬼夜行とは珍走団ではなく、妖怪達の集団や行進の事を指す。
元々は鬼や天狗と見做されていたが、室町時代頃からは、 100年経った古道具が変化した「付喪神(つくもがみ)」が、その正体と考えられるようになった(※3)。
『付喪神記』によると、長く尽くしてきたにも関わらず、あっさり年末の煤払いの日に捨てられた事を恨み、 人間達に復讐すべく、節分の日に化け物となったという。

※3:室町時代は、付喪神の行進を描いた『百鬼夜行絵巻』が成立した事や、 手工業が発達して道具が大量に作られた時期であった為、 そうした世相が影響したとも考えられている。


彼らは京都の北西にある船岡山の後ろの長坂の奥に棲み、 街中に出没して人間や家畜を食べたとされる。
やがてある時、化け物達は山奥に「変化大明神」という社を建て、 4月5日の真夜中に一条通を東に向かう祭礼行列(※4)を催す事にしたようだ。

※4:その理由は、賀茂祭の祭礼行列を真似たとも言われる。
毎年5月に京都の賀茂御祖神社と賀茂別雷神社で催される例祭で、 平安時代に祭と言えば、この賀茂祭(葵祭)の事を指した。


ちなみに『今昔物語集』によると、安倍晴明は幼少の頃、ある晩に百鬼夜行の接近を察知し、 牛車で寝ていた師・賀茂忠行を起こして危険を知らせたという。
それ以降、晴明は忠行から可愛がられ、術を全て伝授してもらえたとか。
つまり、ある意味、百鬼夜行が最強の陰陽師を生んだようなものなのだ。


という訳で、加盟店(訪問時25店舗)の軒先には、マスコットキャラの如く、手作りの妖怪オブジェが設置されていたりする。
平安の世では、百鬼夜行に出会うと命を落とすと恐れられた(※5)そうだが、むしろ現代では、商店街が生き残りをかけて妖怪達を迎え入れたのである。

※5:百鬼夜行に遭遇しやすい特定の日は「夜行日」と呼ばれ、人々は夜の外出を控えるようにしたという。


それぞれの業態の特色を活かしているなど、妖怪達の姿は実にユニーク。
まるで店ごとにセンスを競い合っているかのようだ。


ほとんどの店は1、2体だが、こちらの日用雑貨店には3体あった。
結構スペースを取っているどころか、入口や商品棚を塞ぐ勢いであり、 もはや乗っ取られているような状態だ。


よく見ると、オブジェは三角コーンをベースにしており、統一フォーマットが一応あるらしい。付喪神に相応しい道具のリサイクルである。


飛び出し坊やの妖怪バージョンもいくつかあった。坊や・・・なのか?


パン屋の前には食パンを被った食パンじじいが。
あまりに直球過ぎる姿に衝撃を受けるとともに、原作に捉われない自由な作風に脱パン・・・いや脱帽である。


高齢化社会を物語っているのか、 菓子屋の前にも別のじじいが。
小さいおじさんかコロボックルかと思いきや、まさかの“さいとう”だった。
思わず「誰やねん!」とツッコミたくなったが、店名だったらしい(何故か看板が無い)。


巨大な魚みたいな妖怪オブジェもあるじゃないか・・・と思いきや、これは普通に熱帯魚や金魚を売る店の看板らしい。
ちなみに、この時の訪問は2016年だが、コロナ禍の今となっては、いっそ商店街に半人半魚たるアマビエの巨像をこしらえて、盛大に疫病退散を祈願して頂きたいところだ(勝手な注文)。


妖怪ストリートの中心に当たる交差点。
渋谷で例えるならツタヤ前と言ったところだろうか。


こちらにあるのは、提灯と暖簾が印象的な「八幡屋」。
訪問時は開いてなかったが、“アヤシイモノ専門店”らしく、 妖怪手ぬぐいなどの雑貨を売っているそうだ。


2階の窓辺には、人間達の往来を監視する妖怪達の姿が。
まるで幹部クラスの立ち位置だが、見た感じそんなに強そうな奴はいないと思う。
渋谷で例えるならツタヤの上のスタバのようでもある。


同地では、 毎年8月にオリジナル妖怪グッズを販売する妖怪アートフリマ「モノノケ市」が、 毎年10月に商店街最大の行事である妖怪仮装行列「一条百鬼夜行」が開催されており、 大勢の観光客を集めているようだ。


八幡屋の反対側には「お食事処 いのうえ」という食堂がある。
店主の井上明さんは、大将軍商店街振興組合の理事長を務めており、 妖怪ストリートの仕掛け人の1人らしい。


今から十数年前、ある絵描きの客が訪れた際、 大徳寺真珠庵が所蔵する重要文化財『百鬼夜行絵巻』(「真珠庵本」)の話を店主にした事がきっかけとなり、妖怪をテーマにした町興しとして、「一条百鬼夜行」が発案されたという。
ちなみに訪問時は準備中だったが、同店では「妖怪ラーメン」なるものが味わえるらしい(いつもながら雑なグルメ紹介)。


すぐそこに「一条妖怪百鬼夜行資料館」なる施設があるとの案内板が。
入場無料らしいので行ってみる事に。


資料館があるのは、1階に商店街振興組合の事務所が入る「大将軍コミュニテイホール」のビル。 現在は「妖怪ビルヂング」と名付けられているようだ。


入口には分かりやすく妖怪顔ハメ看板が設置されており、何やら賑やかで怪しい雰囲気であった。


修理中か製作途中のオブジェだろうか、 何故か端っこの方に押し込まれていた。
猫娘っぽいやつにいたっては、晒し首みたいになっている。


妖怪ストリートのマップも掲示されていた。
例えば、各所にQRコードを設置して、スマホでコレクション出来る妖怪カード(クーポン付き)でも作ったら、 よりいっそう好事家の妖活(妖怪活動)が捗るかもしれない・・・と言った、 色々なアイディアを出すのが楽しそうな環境である。


「ヒャッキヤGOOO!!!」と書かれた無駄にテンション高いポスターを横目に、階段を上って辿り着いた2階の「一条妖怪百鬼夜行資料館」。
特に受付や係りの人もいなかったが、やはり妖怪オブジェが出迎えてくれた。


それほど広くはないものの、百鬼夜行の屏風や付喪神絡みの展示資料の他、 仮装行列で使う妖怪のフェイスマスクなど、結構色々置いてあった。


屏風の裏にもさり気なく妖怪がいたり、かっこいい天狗と河童のフィギュアなどもあり、 細かい部分まで確認してみたくなる空間となっている。


「一条百鬼夜行」や「モノノケ市」といった妖怪イベントは、 京都嵯峨芸術大学の学生サークル「百妖箱」が企画運営を行っているらしい。
かつて井上理事長の元を訪れた絵描きで、同大学の学生だった河野隼也さんが立ち上げ、 代表を務める妖怪藝術団体である。


元々妖怪好きだった河野さんが、最初は町興しのスタッフとして加わり、 2005年に初めて「一条百鬼夜行」を開催したところ、話題となって好評を博した。
以降、毎年イベントが開催されるようになり、 現在に至るまでプロデューサーとして、何かと商店街に協力し続けているようだ。


3階は畳敷きの休憩所「夜行庵」。
“くつろげるお化け屋敷”をコンセプトに作られた妖怪アート空間である。
京都嵯峨芸術大学OBの卒業制作である“光の茶室”をアレンジしたものらしく、 壁面の木材には蛍光塗料が塗布されている。


最奥部にはラスボスの如く青坊主が鎮座し、凄い妖気と威圧感を放っていた。
今までの手作り感溢れるユルい造形から、急にリアルテイストな妖怪がデーンと現れ、 油断していた客を戸惑わせるトラップである。


こんなのに至近距離でガン見されたら全然落ち着かんだろ・・・と最初は思ったが、 意外にもすぐに慣れ、結果的に割としっかりくつろげた。
リラックスしやすい薄暗い照明や、シーズンオフの貸し切り状態も幸いした模様。


天井の高さを良い事に、上の方からも濃ゆいメンツがバッチリ監視していた。
これらも仮装行列の時に用いる妖怪らしい。


床の間にはさり気なく、ナントカ大魔王が出てきそうな壺もあり、無駄に澄んだ瞳でこちらを見てきた。周りの妖怪とのクオリティーの差がヤバい。


こんな所にも顔ハメが。看板の表面も蛍光塗料で光る素材であった。
一体どんな表情で記念撮影すれば良いと言うのか。


妖怪やお化け関連の本が並ぶ読書スペース。
こちらも至近距離で強面に睨まれながら、研究書や小説、漫画などを閲覧可能。
気が散って内容があまり入って来なさそうだが。


畳の端には、これ見よがしに何かを封印した謎の桶が。
まさか、ここにこの商店街の秘密が隠されているのか・・・!?


好奇心に負け、つい封印を破ってしまったが、中身はただのケーブル隠しだった。
しかしよく見ると、意味深な紙のヒトガタも一緒に仕舞われているではないか。
もしかしたら、本物の井上理事長が姿を変えられ、ここに幽閉されているのかもしれない(棒読み)。


しかし、冷蔵庫の上の桶を開けると、なんとスナック菓子が入っており、当たりの宝箱を見つけた気分に。
もし近所にあったら入り浸るのに・・・と思わされる、キモカワな癒し空間だった。


簡素にも程があるが、一応可愛らしい蛙の妖怪ベンチ。
よく見ると年季の入った椅子に、うっすら「いっぷく処」と書いてあり、横に灰皿みたいなものも付いてるし、 良くも悪くもオヤジ臭い下町風情を感じさせる。
当初は妖怪に反対の声も多かったそうだが、学生達の協力や地元の理解を得て、 今ではすっかり街に溶け込んだ存在と化したようだ。


ストリートの中心から離れ、「さすがにもういないだろう」と気を抜いた頃、 再び妖怪オブジェを見つけて驚いた。「YOKAI SOHO」という貸し会議室の店らしい。
妖怪は神出鬼没である。


百鬼夜行の通り道、大将軍商店街。
出来れば飲食や買い物などして、経済効果をもたらした方が良いとは思うが、 妖怪を探しながらブラブラ散策するだけでも楽しめる場所である。
北野天満宮などの有名な神社からも近いので、 あなたも京都を訪れた際には、“ヒャッキヤGO!”してみてはどうだろうか?(照れながら)


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