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[2022.07.12]

黒塚
~安達ヶ原の鬼婆が眠る墓所~



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奈良時代の神亀3年(726年)、旅の僧・東光坊祐慶(※1)が安達ヶ原を通った際に日が暮れてしまい、 仕方なく近くの岩屋を訪ね、一晩の宿を求めた。
岩屋には親切そうな老婆が1人で住んでおり、快く祐慶を招き入れた。
すると老婆は「奥の部屋は絶対に見てはならぬ」と言って、薪を取りに出かけた。
しかし、祐慶が好奇心に負けて奥の部屋を覗くと、そこにはなんと、人間の白骨死体が山積みにされていたのだ。

※1:修行の旅をしていた那智東光坊の僧で、祐慶阿闍梨という。
武蔵坊弁慶の師匠だったという説もあるようだ。


驚いた祐慶は、安達ヶ原で旅人を殺して血肉を貪り食う鬼婆の噂を思い出し、さてはあの老婆の正体に違いないと考え、 こっそり岩屋を脱出する。
戻ってきた老婆は、祐慶が逃げた事に気づくと、恐ろしい形相の鬼婆へと変身し、怒りの猛走で彼を追跡。見る見るうちに祐慶に追いつく。
いよいよ鬼婆に捕まりそうになったその時、祐慶は荷物から仏像を取り出して必死に経を唱えた。すると、仏像が光を放って空へ舞い上がった。
そして、破魔の白真弓で金剛の矢を射ち、鬼婆を見事仕留めた為、 祐慶はどうにか事無きを得たのであった。


その後、鬼婆の亡骸は祐慶によって阿武隈川の畔に葬られ、そこはいつしか「黒塚」と呼ばれるようになった。
そして、黒塚のすぐ近くには、祐慶の命を救った仏像を祀る「観世寺」が建立されたのである。


以上が、昔話や歌舞伎でも有名な「安達ヶ原の鬼婆伝説」である。
舞台となった安達ヶ原は、現在の福島県二本松市(旧安達郡大平村)、安達太良山の麓にあった野原の事だ。
さすがに周辺の開発は進んでいるが、安達ヶ原の地名の他、黒塚と観世寺は現存し、今日まで信仰が続いているのである。


観世寺の境内に入ると、いきなり寺猫に出迎えられ、 図らずも猫車とのコラボ写真が撮れた。


名所らしい「鬼婆供養石」。 最初はこれが噂の黒塚かと思ったが違った。
何気に鬼婆を討ち取った白真弓の素材と思しき真弓の木も生えている。


本堂の横の「宝物史料館」では、黒塚・鬼婆伝説に関する資料が展示されている。
残念ながら内部は撮影禁止だが、鬼婆が使ったといわれる出刃包丁や祐慶の杖などもあった。


鬼婆を昇天させた仏像=如意輪観音を祀る「白真弓如意輪観音堂」。
像は行基が彫ったとされる秘仏で、60年ごとに開帳されるレア物だという。


そして、このお堂のすぐ隣には、なんと鬼婆が住んでいたとされる岩屋が、今もなお残されているのだ。


こちらがその岩屋。確かに、人外が潜んでいそうな奇岩である。
複数の岩が合わさって構成されており、それぞれに名前が付けられている。


岩屋のメインである「笠石」。
その名の通り、岩が笠のような形状で、雨宿りくらいなら出来そうだ。
しかし、現代的な感覚では、わざわざ一泊したいとは思わない劣悪環境(ほぼ野宿)だし、ここに住人がいたらヤバい奴だと思って、最初からスルーするに違いない。


鬼婆に殺された赤子の泣き声が夜な夜な聞こえたという「夜泣き石」。
涙による湿り気のせいかは不明だが、苔生し具合が凄い。


鬼婆が出刃包丁を洗ったという「血の池」もあった。
せめてもっと綺麗な所で洗えばいいのに・・・と思わずにはいられない。


それにしても、鬼婆の身になって考えれば、 かつての自宅前に自分を殺した仏像が置かれるとは、なんとも皮肉な状態である。


岩屋を撮影していたら急に別の撮影隊が現れ、グラビア撮影っぽい事を始めた。
しかも、被写体は何故かゴスロリ姿の女性。
そう、奇しくも、安達ヶ原のオニババならぬ“安達ヶ原のゴスロリ”に遭遇してしまったのである。そりゃどうせ殺られるなら、鬼婆よりゴスロリの方が若干良いけれども。


残虐非道な大量殺人犯である鬼婆だが、その誕生には悲しい物語が隠されているようだ。 元々彼女は、京都の公卿屋敷に仕える「岩手」という名の乳母だった。
ある時、可愛がっていた姫が不治の病にかかった為、岩手は「妊婦の生き肝を飲ませれば治る」という占い師が告げた迷信を信じ、生れたばかりの娘を残して旅に出る。
やがて安達ヶ原に辿り着き、妊婦を待って旅人を襲うようになった。


何年も経過したある日、「恋衣(こいぎぬ)」と名乗る待望の妊婦が現れた為、岩手は彼女を岩屋に招き入れ、出刃包丁で刺殺。
ついに生き肝を入手したが、殺した妊婦が持っていたお守りから、実は彼女は、昔別れた自分の娘が成長した姿だった事が判明。
そのお守りは岩手自身が京都を発つ時、娘にあげたものだった。
あまりの悲しみに発狂した岩手は、とうとう鬼と化してしまったという。


ところで、 てっきりこちらの境内にあるかと思いきや、黒塚は寺の山門から100m程離れた場所にあるようだった。


山門にも思い切り「安達ヶ原黒塚」と書いてあったので気づかなかった。
少し離れてはいるが、境内の一部という事らしい。


阿武隈川の畔に出ると、橋の近くにポツンと老杉が立っていた。
観世寺と同様の外壁で囲まれ、遠くから見ても意味深な存在感を漂わせている。


この杉の根元にあるのが、鬼婆の墓「黒塚」。
もっとも、木そのものが墓標や、ザンバラ髪の鬼婆を想起させる。


近くの案内板には、平安時代中期の歌人・平兼盛が詠んだ「みちのくの 安達が原の黒塚に 鬼こもれりと 聞くはまことか」という古歌と、明治時代の俳人・正岡子規が詠んだ「涼しさや聞けばむかしは鬼の塚」という俳句が記されている。
先人達のように詩的な表現をしたいところだが、 「黒塚」と書かれた石碑が一瞬、出刃包丁のように見えたというのが率直な印象である。


ちなみに、五重塔が建つ観世寺の背後には、「安達ヶ原ふるさと村」なる観光施設があり、「おにばばソフト」なる名物アイスが食べられるらしい。
しかし、訪問時は営業時間を過ぎていた為、やむなく次回以降の課題として、この伝説の地を後にした。


帰り道にこんな看板があり、つい気になってしまった。
別に内容自体に変ったところは無いのだが、この土地で見ると「鬼婆(ばば)と何か関係があるのでは?」とか、 角が生えた羊のマスコットキャラも「実は鬼婆なんじゃないか?」と、無駄に疑心暗鬼になってしまった。


また、 最寄りの安達駅付近では工事が行われており、「立入禁止」の先が、 まるで21世紀の安達ヶ原のような禁断の領域っぽい雰囲気であった。


なお、鬼婆伝説については、実は福島ではなく埼玉が発祥の地とする説がある。
と言うのも、福島の伝説にある神亀年間(奈良時代前期)とは時代が異なるが、 祐慶は平安時代後期に実在した人物で、大治3年(1128年)に埼玉県の「大宮山東光寺」を創建している。
そして、この地域、現在のさいたま市大宮区の一帯は、かつて“足立ヶ原”と呼ばれ、 やはり鬼婆伝説が残されているのだ。


古い文献でも言及されており、例えば江戸時代の地誌『江戸名所図会』では、 「東光坊阿閣梨祐慶、悪鬼退治の地なり」とし、「奥州の安達が原は誤り」としている。
また、江戸時代の雑書『諸国俚人談』では、「武蔵国足立郡を本所」とし、「奥州のことは書かれていない」としている。
実際、昭和以前は、埼玉の方が東京に近く知名度が上という事で、埼玉を本家と支持する声が多かったそうだ。


しかし、昭和初期になると、 福島の安達ヶ原と埼玉の足立ヶ原の間で、どちらが鬼婆伝説の本家であるかを巡って争いが勃発。鬼婆もビックリである。
結局は、埼玉の民俗学者・西角井正慶が「鬼婆伝説の発祥地とする事は、未開の蛮地と吹聴するようなものだから、むしろ本家を譲った方が得 」と諭し、埼玉側が引いて騒動が収束したという。
こうして間接的にディスられつつ、福島側が本家を勝ち取ったのである。


東光寺は17世紀に現在地(大宮区宮町)へ移転し、 その後、800m程離れた元々あった場所は「黒塚山大黒院」となった。
譲ったとは言え、ある程度観光地化に力を入れる安達ヶ原とは異なり、 こちらは「武州 足立ヶ原 黒塚大黒天」「伝説の地」などと書かれた看板が立つのみだ。


また、同地の北側には元々、鳥居と祠からなる黒塚が建てられていたそうだが、史跡として保存される事も無く、宅地造成に伴い消失してしまったという。
つくづく観光資源を活かせない県である。


寺院自体も普段は門が閉ざされ、参拝する事は出来ない。
住宅地の真ん中にポッカリと空いた、ミステリアスな場所となっている。


それでも、多少はマシになったと言えるかもしれない。
以前は建物が見えないくらい周辺が鬱蒼とした木々で覆われ、 それこそ鬼婆が住んでいそうな廃寺風だったようだが、 2021年の訪問時はすっかり伐採(一部建物は取り壊し)されて、随分さっぱりした雰囲気になっていた。


一説によると、埼玉の鬼婆伝説は、 同地からも程近い氷川神社の神職が、鳥や魚を捕まえて食べるという禁忌を破り、 その際に鬼の面で顔を隠した話が誤って伝わった可能性があるようだ。
しかし、鬼婆伝説は日本各地にあり、例えば大宮に割と近い都内の台東区にも、 「浅茅ヶ原の鬼婆」なる同様の話が伝わっている。


天狗や鬼伝承の第一人者・知切光歳の著書『天狗の研究』によると、 東光坊祐慶の「東光坊」は、熊野修験の本拠地である熊野湯の峯の東光坊に由来し、 ここの山伏は修行で各地を旅する際、「那智の東光坊祐慶」と名乗っていたらしい。
その為、祐慶を名乗る山伏達が各地で語った話が元となり、いくつもの鬼婆伝説が生まれたとも考えられているようだ。


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