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[2019.04.26]

ヨーロッパ・オカルトアート紀行E
〜世界一美しい街の暗黒幽鬼伝説(アンデッドランドサガ)〜


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チェコの南ボヘミア州にある「チェスキー・クルムロフ」は、 メルヘンな景色が豊富な同国内でも、特に中世の面影を色濃く残した人気の観光地で、“世界一美しい街”と呼ばれている。
そんな死ぬまでに行きたいこの街には、幽霊や吸血鬼などの死んでても生きたい“アンデッド”にまつわる、不気味な伝説が残されているのである。

“オカルトアート”を巡る旅も、いよいよ今回で一区切り――。

■前回までの「ヨーロッパ・オカルトアート紀行」
@〜魔法の都の怪奇の館(ホラーダンジョン)〜
A〜不気味で美しい骸骨教会(ボーン・レガシー)〜
B〜世界で最も恐ろしい教会(ゴースト・イン・ザ・チェコ)〜
C〜カオスが牙を剥くドイツの狂竜公園(マッド・ジュラシックパーク)〜
D〜呪われた死神ベンツ(デス・カーズ)〜

チェスキー・クルムロフ


オーストリアの古都ザルツブルグからバスで移動する事数時間、国境にも程近いチェコのチェスキー・クルムロフに到着。
街の中央に位置するスヴォルノスティ広場に降ろされた。
という訳で、久しぶりにチェコに戻ってきたぜい。
可愛いらしい雰囲気で、かなりいい感じの街じゃない。
確かにFucking村に比べると、だいぶ一般的な観光地のようで。

ショーウインドーを覗くと、 いきなりハリーポッターがいたりして、同地のファンタジー度の高さが伺えた。

この小さな街は、チェスキーが「ボヘミアの」、クルムロフが「川の湾曲部の湿地帯」を意味する通り、 ヴルタヴァ(モルダウ)川沿いのS字カーブに位置している。
どうやらいきなり道を間違えたようじゃ。
ちょっと、何やってんのよこのドアホ。
クネクネした独特な地形に惑わされてますね。

また、ボヘミアの深い森に囲まれ、中世のまま時が止まったかのような風情が漂う歴史地区である事から、別名「眠れる森の美女」とも呼ばれている。

高台には、街のシンボルであるチェスキー・クルムロフ城が聳える。
プラハ城に次いでチェコで2番目に大きい建物で、城内にはバロック様式の宮廷劇場や庭園がある。

街と城の建設は13世紀後半に始まり、 1302年にボヘミアの有力貴族であったローゼンベルク家の支配下となってから、河川貿易や手工業などで発展した。
やがてローゼンベルク家が財政破綻すると、 1601年に神聖ローマ帝国のルドルフ2世に売られ、三十年戦争で貢献したエッゲンベルク家に下賜されたものの、 1719年に断絶となった為、最終的に有力貴族のシュワルツェンベルク家のものとなった。

街は元々ゴシック様式で造られたが、領主が変わる度に増改築され、 16世紀にはルネサンスやバロック、ロココなど、様々な建築様式が混在する、現在の華やかな街並みが形成された。

しかし19世紀以降は、主要な鉄道路線からスルーされるなど、産業革命の波に取り残され、街は次第に衰退。
20世紀になると、ドイツ系住民とチェコ系住民の対立や、 ナチス・ドイツの支配、共産党の独裁体制の影響ですっかり荒廃し、一時は無人になる程の死の街と化した。

ただ、結果的には近代化を免れた事で、中世の姿が保たれた。
プラハの春が訪れた1960年代以降は、徐々にその歴史的価値が見直され、 建造物の修復などを経て、かつての美しさを取り戻し、1992年にはユネスコの世界遺産に登録された。

坂を登り、正門から城の敷地内へ。
ここで我々は、ある意外な存在を目にする事となる。

なんと、城のお堀にクマがいるではないか。
言い伝えでは昔、城主が森で遭遇して追いかけてきた熊が、 城の堀にあった吊橋から落ち、そのまま住み着いたとされているとか。
ねえ、何で城にクマがいるのよ?
そりゃお前、シロクマだからじゃろ。
もっとこう、読者にとって有益な情報は出てこないんですか?

実際は元城主のローゼンべルク家が、 イタリアの名門貴族オルシーニ家との親戚関係を示す存在として、代々熊を飼育しているようだ。
何故なら、オルシーニ家の名は「オルソ(熊)」が由来で、紋章に3頭の熊が描かれているからだ。

ここに来て、ある違和感に気付いた。
城の外壁や装飾が何だかおかしい。

一見レンガ造りの立派な壁のようだったが、よく見ると絵で描かれているのだ。
なんじゃこりゃ、トリックアートかよ・・・。
遠くからだと全然気付かなかったですね・・・。
なんでこんな事になってるのよ・・・。

これはこの地方独特のスグラヴィータというもので、ルネッサンス時代に流行った立体的に見せる装飾様式らしい。
イタリア系の貴族であったローゼンベルク家は、この街を彫刻で溢れるイタリアの街のようにしたかったものの、 当時は財政難で苦しんでいた為、仕方なくこうした“だまし絵”を街中に施したのである。

カラフルな配色の「フラデークの塔」。
その名は「小さな城」を意味し、城で最も古い13世紀の建物である。
これも当初はゴシック様式だったそうだが、16世紀にルネサンス様式に改築されたという。
よし、まずはあそこに登ってみるか。
つーか、あの塔の外壁も何気に絵じゃん。
ちゃっかり古くさい感じにダメージ加工されてますね。

入場料を支払って塔の内部へ。
入ってすぐの部屋には、昔のクルムロフ城の模型があった。

こちらは塔の中ほどにあった鐘楼付近の模型。
くそっ、まだ階段上るのかよ・・・。
なんでエレベーターとか無いのよ・・・。
シンデレラ城じゃないんですから・・・。

街を一望する塔の上からの眺め。
まるでおとぎの国に迷い込んだような感覚に陥る。
こんな感じの街が土砂崩れとかで陸の孤島になったら、かなりサスペンス映えしそうじゃな。
そこに脱獄犯やサイコパスが紛れ込んで、住人達が疑心暗鬼に陥る展開になると尚良しですね。
よくこの美しい景色を前にして、そんな薄汚れたマニアックな発言が出てくるわね。

さて、このままではただの観光記事になってしまうので、 そろそろオカルト情報をぶっ込んでいきたいと思う。
と言うのも、実はこのクルムロフ城には、チェコで最も有名な幽霊“ホワイト・レディー(白い貴婦人)”が出るといわれているのだ(チェコ語では「ビーラーパニー」)。

彼女の正体は、15世紀に城に住んでいたローゼンベルク家オルドリッチ二世の娘ペルチタ(1429年〜1476年)。
ペルチタは美しく知的な女性だったが、20歳になった1449年、 リヒテンシュタイン家のジョンという貴族と政略結婚させられると、 その夫の虐待により幸薄い暮らしを送る羽目になる。

1473年、ジョンは死に際になって、ようやくペルチタに今までの酷い仕打ちの許しを請うも、彼女は断固としてこれを拒否。
すると逆ギレした残忍なDV夫は、 「お前は死んでも天国には行かせない!永遠に城の周りを彷徨う幽霊になれ!」と、ペルチタを呪って息を引き取ったのである。
なんという不安定な空模様・・・。
雨が降ったり止んだりの繰り返しですね・・・。
幽霊でも出そうな不気味な雰囲気ね・・・。

そして、理不尽な呪いの通り、ペルチタは1476年に47歳で亡くなってからも、 雨がしとしと降る晩になると、白いドレス姿で現れるようになったという。
この城は夜間はライトアップされ、中庭までは入る事が出来る為、散歩に訪れた人などによって、 窓からジッと見下ろされたという目撃報告があるらしい。

ところで、この霊はいつも手袋をしているらしく、 その色によって吉凶を予兆するという、占いみたいな要素があるようだ。
白い手袋ならば、結婚や出産などのおめでたい事がある知らせで、 一方、黒い手袋の時は、死や病気などが訪れる不幸の知らせらしい(赤い手袋の場合は火事とも)。
ちなみに、最後に黒い手袋をした彼女が現れたのは、1938年のナチス侵攻の直前だったとか。

なお、城内にはホワイト・レディーの絵画が飾られている。
伝説によれば、彼女の足元に描かれた神秘的な碑文の意味を解読出来れば、 彼女の魂は救われ、謎を解いた者への報酬として、宝物の在り処が示されるといわれている。

城の中央は吹き抜けになっており、反対側に通り抜けられる通路が続いている。

城内の見学ツアーもあったのだが、残念ながらこれは撮影禁止であった。
ここも全部だまし絵じゃな。
まるで壮大な映画のセットのようですね。
こうまでして見栄を張りたかったのかしらね。

城と庭園を繋ぐプラスティー橋を抜けていくと・・・

改めて、街を一望する絶好のビューポイントに到着。
観光ガイドや絵葉書などで使用される定番の構図である。

チェスキー・クルムロフは首都プラハから約170km、車や列車で3〜4時間程の距離である為、 日帰りの旅先としても人気が高いようだが、それも頷ける素晴らしい景勝であった。
インサート用の素材に色々なアングルでしつこく撮影しておくぞい。
雨待ちで結構待機させられましたが、やはり日が差した方がオレンジの屋根が映えてより綺麗ですね。
アンタ達、せっかく現地に来てるのに、カメラ越しばっかで見てたらもったいないわよ。

マストとしていた風景も抑えたので、クルムロフ城を後にし、再び城下町へ降りる。

最初は気付かなかったが、改めて意識して見回すと、街のあちこちの壁がだまし絵仕様になっている。

巧みなバランスでペイント中の職人の姿も。
現在進行系で描いてるのかよ!
劣化した箇所の補修作業っぽいですね。
あんな風にやってるんだ。器用なもんね。

前述のとおりアートの街でもある同地には、 一見して何屋なのかよく分からない、アトリエ兼ショップなども見かけられた。

外に出ない限りモンスターなぞエンカウントしそうにない平和な雰囲気だが、 ホワイト・レディーの他にもう一つ、チェスキー・クルムロフには不気味な伝説が残されている。
いや、魔女と招き猫って・・・。
福を呼びたいのか、どうしたいのか分かりませんね・・・。
使い魔っていう設定なんじゃない?

2000年、プラハの考古学者達が、チェスキー・クルムロフの街外れ(プレシヴェッカー通り)で発見された17〜18世紀の墓地を調査中、異様な3体の骸骨を掘り出した。
キリスト教の埋葬では通常、遺体は南北方向に安置されるが、それらの骸骨は真逆の東西方向になっていた。
また、下半身の方でクロスされた腕にはロザリオが巻きつけられ、手足の上には大きな重石が乗せてあった。
さらに、特に奇妙だったのが、骸骨のうちの1体は心臓の部分に杭が打たれた形跡があり、 別のもう1体は首を切断され、頭蓋骨が膝の間に置かれていたのである。
そして、その頭蓋骨の口には石が噛まされ、首の第一関節が無くなっていた。

吸血鬼の疑いがある死者の墓を暴き、マギア・ ポストゥーマを行う図▲
法医学的な分析の結果、発見された3体の骸骨は、スラブ民俗における古い吸血鬼退治の儀式的埋葬 「マギア・ ポストゥーマ(死後に施す魔術)」が行われたものと結論付けられた。
これは18世紀当時、ヨーロッパ各地は吸血鬼伝説の恐怖に脅かされており、 吸血鬼の疑いをかけられた者が死後、夜な夜な蘇るのを防ぐ為の処置であった。
天然痘などの伝染病も吸血鬼がもたらす災いとされ、 何か起こると罪人などの墓を掘り起こし、遺体の心臓に杭を打ち込んだり、頭部を切断したのである。
吸血鬼といえば、現代ではドラキュラ伯爵(アイルランドの作家ブラム・ストーカーの同名小説の登場人物)のイメージが一般的で、そのモデルの一人として、15世紀のワラキア公ヴラド3世(※1)の名が知られている。
しかし、そうした生き血を好む怪人・怪物の他、仮死状態で一度埋葬されて蘇生した人や、腐りにくい死体、幽霊や魔女、悪魔のような存在など、時代や地域によって色々な形態の伝承があり、主に夜間活動する超自然的なもの全般を指す概念でもあった。

ヴラド3世(左)とドラキュラ伯爵(右)▲
吸血鬼伝説は古代からあったが、17〜18世紀頃に東欧諸国で顕著に流布した要因として、 これらの不可解な事件や迷信が出版物として一般に普及した事や、 医学が十分に発達していなかった為、原因不明の疫病(コレラなど)の発生が、 一種の集団パニックを引き起こしたとも考えられている。
吸血鬼を意味する「ヴァンパイア(vampyre)」という言葉が登場し始めたのもこの頃で、 1730年代には出版物で使用されている。
語源は諸説あるが、スラブ語の「Vampir(飛ばない人)」や、 リトアニア語の「飲む(Wempti)」、トルコ語の「魔女(uber)」などとされる。
※1:ヴラド3世(ヴラド・ツェペシュ)は、1460年頃のワラキア公国(現ルーマニア)の領主。
敵味方問わず、数多くの人々を串刺しで処刑した事から、「串刺し公(ツェペシュ)」の異名を持つが、どちらかといえば、「ドラキュラ公」という通称が多く用いられたとされる。
ドラキュラとはドラゴンの息子という意味で、所属していたドラゴン騎士団の名から、 彼の父ヴラド2世がドラクル(ドラゴン)公と呼ばれた事に由来する。
ドラゴンと悪魔は同一視される事も多かった為、これがヴラド3世の残酷さと重なり、 後の小説や映画に登場する吸血鬼ドラキュラ伯爵のイメージに繋がる事となった。
しかし実際のところ、それらフィクションの設定とヴラド3世の共通点は、 ドラキュラの名前とルーマニア出身といった断片的な部分しかなく、 彼が本質的な意味でドラキュラのモデルと呼べるかどうかは、研究者によって意見が分かれているようだ。
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さて、発掘された3体の骸骨のうち、頭蓋骨が膝の間にあった1体は、女性の骨格である事が判明した。
当時、“最も危険な吸血鬼は貴族の出身”とも信じられており、 街の歴史を振り返ってみると、吸血鬼の疑いをかけられたという、ある貴族の女性の存在が浮上する。

「ヴァンパイア・プリンセス」こと、エレオノラ・アマリア・フォン・シュヴァルツェンベルク侯爵夫人(1682年〜1741年)▲
オカルトに傾倒していた彼女は奇行が目立ち、人々から吸血鬼の疑いをかけられた。
彼女の名前は、エレオノラ・アマリア・フォン・シュヴァルツェンベルク。
元はロブコビッツ家の令嬢で、チェスキー・クルムロフ城を最後に所有した、シュヴァルツェンベルク家に嫁いだ公爵夫人である。
ちなみにこのシュヴァルツェンベルク家は、ウィーンに宮殿を持つ名門貴族で、 19世紀にクトナーホラのセドレツ納骨堂を購入し、骸骨で紋章を作らせた一族でもある。
エレオノラは、夫アダム・フランツ王子との間になかなか子宝に恵まれなかった為、 城内にオオカミを飼って、日々そのミルクを飲んだという。
当時オオカミのミルクには、子供を宿す力があると考えられていたからである。
実際、そうした努力の甲斐もあってか、彼女は42歳にして無事に男児(ヨゼフ)を出産した。
しかし、街の住人達はお祝いムードになるどころか、むしろ彼女の事を恐れ、震え上がった。
何故ならこの頃、オオカミは悪魔や魔女の使いとも考えられており、 その鳴き声が夜中に城から聞こえてくるのは気味が悪く、 エレオノラは黒魔術を用いて子供を出産したのではないかと噂されたという。
彼女が怪しまれた要因としては、 平均寿命が現代よりも少ない当時において異例の高齢出産である事や、 主に日中寝て夜に活動する昼夜逆転の生活を送っていた事、 趣味の狩猟においても、オオカミだけは撃たなかった事なども挙げられる。

1732年、夫アダムが皇帝カール6世との狩猟の最中、不慮の事故で急死すると、 未亡人となったエレオノラは皇帝の資金援助を受けるが、息子ヨゼフはウィーンに移住する事となる。
これはシュヴァルツェンベルク家側が、「あんな危険な女に一族の大事な跡継ぎを任せられない」と考え、 エレオノラとヨゼフの親子を引き離したのである。

その結果、広大なチェスキー・クルムロフ城で生涯孤独に暮らす事となったエレオノラは、 ショックのせいか体は痩せ細り、精神は錯乱状態に陥るなど、心身ともに衰弱。
容態は悪化の一途を辿り、名医が城に駆けつけ彼女を診察するも、当時の医学では原因不明であった事から、 「悪魔の力に頼った報いとして、吸血鬼になる病にかかっている」と診断した。

実際、エレオノラはこの頃、魔術に使う怪しい薬品や道具を買い漁ったり、 悪魔祓いの儀式を城内で行ったりするなど、明らかにオカルトに傾倒しており、 周囲は「亡くなった夫を甦らせる儀式を行っている」と噂したという。
そして1741年、自身の死期を悟ったかのように、エレオノラはウィーンのヨゼフを訪ねると、 そのまま数日後に帰らぬ人となった。
享年58歳であった。

エレオノラの死後、秘密裏に遺体の検死解剖が行われた。
しかし、特段の理由もなく、高貴な人物が解剖される事は当時でも珍しく、 また、担当医師が破格の高額報酬(日本円で約940万円)で集められた事も異例であった。
吸血鬼の疑いがあった女性という事で、諸々のリスクや口止め料などが加味された為と考えられる。
解剖の結果、遺体の腹部から子供の頭ほどの腫瘤が見つかり、現代医学では子宮頸がんが死因と推測される状態だったが、 当時の報告書では何も明らかにされなかった。

だが、実はこの時、彼女の遺体から心臓の摘出も行われたという。
これは心臓の杭打ちと同様の効果を持つとされたようで、 つまりこの解剖は、エレオノラが吸血鬼として蘇らないようにするトドメの儀式、マギア・ ポストゥーマであった。

遺体はその後、深夜にもかかわらず、すぐに数百キロ離れたチェスキー・クルムロフへと移送された。
また、シュヴァルツェンベルク家の人間が死ぬと、通常はウィーンの先祖代々の墓所(現在のアウグスティーナ教会)に埋葬されたが、エレオノラの場合、摘出された心臓だけが教会の外壁に埋め込まれるという、とても不可解な対応が取られた。

移送されたエレオノラの遺体は、チェスキー・クルムロフの中心にある聖ヴィート教会に葬られた。
六角形の塔が印象的な、1439年に造られたゴシック建築である。

エレオノラの葬儀はクルムロフ城の礼拝堂で行われた後、夜になってから教会の墓所へ移動したという。
しかし奇妙な事に、葬儀には高官や親族はおろか、息子のヨゼフすら出席せず、 貴族の最期とは思えない寂しいものだったという。

教会内部の様子。
エレオノラの墓はこの本堂から離れた礼拝堂に特別に建設され、石や木で何重もの封印がなされていたという。
また、墓石には姓も家紋もなく、骸骨の絵柄に死亡年月日と、 「Hier liegt die arme Sunderin Eleonora. Bittet fur sie.(ここには貧しい罪人エレノオラが横たわる。彼女のために祈る)」という文章が刻まれたらしい。

エレオノラが埋葬されると、街の住民達は「吸血鬼の貴婦人が蘇るかもしれない」と恐怖し、疑心暗鬼に陥った。
かくして、彼らは自分の家に吸血鬼避けの十字架やニンニクを掲げるだけでなく、襲われる前に退治してやろうと吸血鬼狩りを開始。
怪しい人物の死体は片っ端から掘り起こし、マギア・ポストゥーマを行ったのである。
こうした吸血鬼パニックは、18世紀にヨーロッパ各地で発生し、 女帝マリア・テレジアに全面的に禁止されるまで何年も続いた。

クルムロフ城内にあるエレオノラの肖像画。
狩り好きを物語るライフルを手にした彼女が、息子ヨゼフと一緒にいる構図である。
散々な扱われ方の割には、意外とマトモな貴族っぽい感じに描かれているようだが、 よく見ると彼女の頭部の周辺に、不自然な線跡があるのがお分かり頂けるであろうか。

実はこの部分は、1996年のX線検査の結果、18世紀に一度キャンバスから正方形に切り取られ、 後に描き直されている事が判明した。
詳しい理由は不明だが、遺体の断首と同様、吸血鬼と見なしたエレオノラに対する一種の儀式であったとも考えられ、人々が彼女に抱いた恐怖が伺える代物である。

細い路地をデタラメに歩いていたら、急に庭園のような開けた場所に出た。周囲には誰もおらず、ひっそりとしている。
もう今何処にいるのかよく分からん。
よもや読者の皆さんも、長尺の説明の裏で我々が迷子になっていようとは思わなかったでしょうね。
だから地図ちゃんと見なさいってのよ。

ここからは聖ヴィート教会もよく見えた。
あとで分かったが、どうやら修道院の敷地に紛れ込んでしまっていたようだ。

意味深な彫像。
ちょうど教会の方に体を向けており、 その姿は奇しくも、頭部を切り離されて埋葬されたエレオノラを思い出させる。
よし、これを今回のオカルトアートという事にする。
急に思い出したようにブッ込んできましたね・・・。
そんなテーマの存在、すっかり忘れてたっつーのよ。

さらに奥にも、これまた謎のオブジェが。
吸血鬼などのモンスターを思わせる造形である。

現代の吸血鬼のイメージを決定付けた、ブラム・ストーカーの怪奇小説『ドラキュラ』は、 一説によれば、“エレオノラの吸血鬼伝説にインスピレーションを受けて誕生した”ともいわれている。
彼が『不死者(The Un-Dead)』という題名で執筆していた小説の初稿版には、冒頭に女の吸血鬼が登場する章があり、 それらしき発想が盛り込まれていたそうだが、1897年の発表時には削除されてしまったという(※2)。
また、作中に登場する吸血鬼ハンターのヴァン・ヘルシングは、エレオノラを診察した医師で、カール皇帝の命で吸血鬼調査を行っていたゲラルド・ファン・スウィーテンがモデルだともいわれている。
※2:この削除された章は、作者本人か出版社が物語の流れ的に不要と判断したのか定かではないが、ブラム・ストーカー死後の1914年に、短編『ドラキュラの客』として出版されたという。
その内容は以下の通り。
ワルプルギスの夜、ミュンヘンから程近い高地で、吹雪に見舞われたイギリス人ジョナサン・ハーカーが古い墓地にさしかかり、屋根がついた大理石の立派な墓に避難した。
その墓碑には、「死者は速馬に乗る」と刻まれていたが、これは詩人ゴットフリート・アウグスト・ビュルガーの譚歌『レノーレ(Lenore)』に出てくる文で、このタイトル自体もまた、エレオノラ(Eleonore)にちなんでつけられた可能性があるという。
やがて稲妻が墓に落ちると、中で眠っていた美しい伯爵夫人(アンデッド)が燃え叫ぶ。
ハーカーは気を失い、次に目覚めた時には彼の胸の上にオオカミが座っていたが、 これは死者達の為に血を温めておこうとしたのであった。その後、ハーカーは騎兵隊に救助された――。
このように、埋葬された伯爵夫人や『レノーレ』、オオカミといった要素などから、研究者の間ではエレオノラの伝説を基に書かれたものと推察されている。

雑誌に掲載された『カーミラ』の挿絵▲
女の吸血鬼というのは当時珍しかったが、襲うターゲットは全て女性という設定もあり、若干の百合っぽい雰囲気も。ちなみに作者ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュは、ブラム・ストーカーの母校の先輩でもある。
血の伯爵夫人エリザベート・バートリ(1560年〜1614年)▲
あまりに人を殺し過ぎた為、大量虐殺を意味する「blood-bath (ブラッド・バス/血の風呂)」という言葉を後世に生み出したともいわれる。
ただし、基本的に『ドラキュラ』は、1872年にアイルランド人作家ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュが著した怪奇小説『カーミラ』の影響を大きく受けているようだ。
これはアイルランドの吸血鬼伝承が基になっている作品で、カーミラは登場する女吸血鬼の名前だが、 彼女のモデルは「血の伯爵夫人」の異名を持つエリザベート・バートリともいわれている。
エリザベート・バートリは16〜17世紀のハンガリー王国の貴族で、 自らの美容の為に処女の血を求め、数百人の若い娘をさらって刑具・鉄の処女で生き血を搾り取り、 城内の浴槽に血を満たして浸かったといわれている。
その為、彼女も実在した吸血鬼として見なされており、前述の小説などの数多くの作品に影響を与えた。
エレオノラが誤解の連鎖による悲劇だったのに対し、エリザベートはガチ勢のヤバい連続殺人鬼(それも人類史上最大レベル)だが、 “夫に先立たれ、古城で孤独に暮らした貴婦人”という、双方の共通点は興味深い。
いずれにせよ、ブラム・ストーカーはこうした複数の史実や、ヴラド3世がいたトランシルバニア地方を中心とした民間伝承を研究し、ドラキュラ伯爵というキャラクターを創造したのである。

ヴァンパイア・プリンセスとホワイト・レディー――2人の悲劇の貴婦人が眠る美しき街に別れを告げ、 歴史のダークサイドを照らすオカルトアートの旅は、こうして一応の幕を閉じたのであった。

【参考資料】
Die Vampirprinzessin(ヴァンパイア・プリンセス/2007年放送のドキュメンタリー番組)

そして旅は、エクストラステージへ――。


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