1862年、メキシコ南西部、ユカタン半島の付け根近くの密林で、ある農夫が高さ約1.5m、重さ8トンの巨大な石の人頭象を発見した。その後、20世紀になると、同じ様な巨石人頭象が数体発見され、考古学界に大きな波紋を投げかけたのだ。
当時、アメリカ最古の文明はマヤとされていた事から、この巨石人頭象も紀元前1000年頃のものと考えられていたが、発掘調査が進むにつれ、紀元前1200年頃のものである事が分かった。その為、ユカタン半島の付け根から東方一帯に、紀元前1200年から紀元前400年頃にかけて、マヤよりも先の独自の文明が存在し、栄えていたという事が判明したのだ。 この古代文明は、地元インディオがナワトル語で“ゴムの国”を意味する「オルマン」と呼ぶ地域である事から、 “ゴムの国の人”を意味する「オルメカ」と名付けられた。現在オルメカ文明は、 メソアメリカ文明における最古の都市文明とされており、後のテオティワカン文明、マヤ文明に大きな影響を与えた「母なる文明」と呼ばれている。 そして、この巨石人頭像は、「オルメカの頭」を意味するスペイン語のカベサ・オルメカ、または英語のオルメカ・ヘッドとも呼ばれるようになった。 発掘当時の巨石人頭像▲ 巨石人頭象が作られた理由は不明で、サン・ロレンソ遺跡やラ・ベンダ遺跡、トレス・サポテシス遺跡などから16体出土しており、高さは平均2m程で、最大のものでは3.4m、重さは20トンに及ぶという。材質は玄武岩や安山岩で、ベラクルス州のサン・ロレンソの北方80kmのトウシュトラ山塊から切り出し、イカダに乗せて川から運ばれてきたと推察されている。
巨石人頭象の表情はそれぞれ異なるものの、いずれも彫りが深く、分厚い唇に大きな団子鼻、大きな目があり、頭部にはヘルメットの様なものを被っている。 また、そのヘルメットの左右には帯がついていて、中央には名前を表す絵文字が彫られているという共通点が見受けられる。そのネグロイド的風貌の特徴から、以前はアフリカとの交流があった事を示しているのではないかとも考えられたが、現在では、この巨石人頭象はオルメカの歴代君主や、 宗教的儀式として行なわれた球戯の競技者の肖像ではないかという説が有力になっている。 しかし、中央アメリカで最初に栄えたとされるこのオルメカ文明には謎が多く、起源についてもよく分かっていない。この地域で農業が始まったのは紀元前6000年頃で、小規模な農村共同体が出来たのが、紀元前2000~1500年頃で、その後、ふいにオルメカ文明が出現するのである。その事から、オルメカ人はメキシコ湾岸の原住民ではなく、南米アンデス地方か東南アジア、あるいはアフリカから渡ってきた集団とも考えられているのだ。 サン・ロレンソ遺跡▲ オルメカの最も古い中心都市であったサン・ロレンソ遺跡からは、石碑や石柱、巨石人頭像が発見されているが、紀元前900年頃に原因不明の破壊が起こり、滅びてしまったという。その後、中心都市は湾岸近くの沼に浮かぶ小さな島にあるラ・ベンダに引き継がれ、紀元前1000年頃になると、ここには当時の中央アメリカでは最大の建造物であった、高さ33mの円錐形のピラミッドが建造された。また、古代オルメカ人達は、人間の女性とジャガーの交婚によって生まれたとされる半ジャガー人を神として崇拝していたのではないかと言われている。いずれにしろ、オルメカには巨石人頭像やピラミッドを作る程の技術があり、独自の文化も持っていたが、紀元前400~300年頃に、やはり原因不明の破壊に見舞われ、オルメカ文明の全盛期は終わりを告げたという。
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