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[2021.06.25]

松原河童社
~水難守護と強力放水の奇妙な河童像~



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河童伝説が豊富な九州だが、佐賀県佐賀市の佐嘉神社境内には、 「松原河童(かわそう)社」なるものが鎮座している。


県庁の目の前に位置し、佐賀藩の鍋島家(化け猫騒動で知られる)の祖先を祀る佐嘉神社には、 広々とした境内に全部で8つの神社があり、「八社詣巡り」をすると大願が叶うと言われる。


境内の北側にある松原河童社は7番社に当たる。




訪問時はちょうど、隣接する3番社・松原神社(愛称「日峯さん​」)の春祭りが開催中で、広場には露店があり、カラオケ大会が行われていた。


東屋に覆われる形で建っている松原河童社。




この小さな社殿の奥に、河童の木像「兵主部(ひょうすべ)」が祀られており、水難除けなどの神様としてご利益があるそうだ。


言い伝えによると、兵主部はその昔、神社の横を流れる松原川に棲んでいた河童で、子供を溺れさせるという悪さを働いていた。
しかし、見かねた殿様の命で捕らえられると、兵主部は改心して木像に姿を変え、水難から子供を守る側の存在になったという(※1)。

※1:現地の説明文には、時の城主・鍋島直茂が川上にある 淀姫神社に願掛けしたところ、犠牲者999人目でようやく捕らえたと書かれていた。


ガラスケース内に安置された河童像は、ねじり鉢巻をしたペチャ顔の筋肉質という、全国的にも珍しい造形。


何かに耐えるように座る姿は、パッと見サウナにいるガテン系のおっさんだ。


近くにある石像「開運水かけ河童」(※2)も同じ造形。

※2:石像の隣には、水に浸すと運勢の文字が浮かび上がる、「水みくじ」(1回200円)の納め箱が設置されている。


整う為に誰かに水をかけられるのをじっと待っている。


『画図百鬼夜行』の「ひやうすべ」(ひょうすべ)▲
江戸時代の絵巻物では、変なポーズを取るハゲ頭の猿のような姿で描かれている。

実際、鉢巻をしているのは、河川工事を請け負った“労働者の姿”という事らしい。 その理由は、この河童の奇妙な誕生譚に由来する。

『百怪図巻』の「へうすへ」(ひょうすべ)▲

神護景雲2年(762年)、奈良の春日大社を造営する折、工事を命じられた兵部大輔(現在の軍事機関)の橘島田丸は、 作業員が不足した為、家来の内匠頭某の秘宝(まじない)によって、99体の藁人形を働かせた。
工事後、用済みの彼らは川に投げ捨てられたが、この事を恨んだ人形は河童に姿を変え、人間に復讐を開始。
松原川に棲んだ河童の一派は、子供を川に引きずり込むようになったという。
その後、島田丸が一派を鎮圧し、「主は兵部」という意味から彼らを“兵主部”と呼んだとされる。
だが、その呼び方はもっと古くから伝わっているとも言われ、 元々は別の妖怪だったものが、江戸時代以降に河童と同一視されるようになったなど、諸説ある。


梅雨や子供が水場で遊ぶ直前の時期に当たり、兵主部の鎮座日(※3)の毎年6月25日には、例祭「河童祭」が催されている。
神像の前にキュウリやかっぱえびせんが供えられ、宮司の祝詞奏上や、巫女の神楽奉納などを行い、水難厄除けを祈願するのである。

※3:社殿の建立は2010年秋との事で比較的新しいが、木像自体は今から約230年前、3番社の松原神社に奉納されたものだという。






松原川周辺にも複数の河童像が。
兵主部の一派という事なのだろうか。


この川に架かる河童橋の近くには・・・


「河太郎」という河童像が立っている。兵主部に比べると見た目は普通。

だが、その右手に握手すると、センサーで橋から勢いよく水が噴出する仕掛けが作動(※4)。 人間を驚かす河童らしいドッキリだ。

※4:訪問時は、試しに一度握手してみたところ、橋から放水が始まったものの、 予想以上に勢いが激しく、いつまで経っても止まらなかった。
せいぜい小便小僧レベルかと思っていた為、バグってるんじゃないかと怖くなったくらいである。
なお、現在はコロナ禍の影響で、右手が中二病の如くテープでグルグル巻きに封印され、残念ながら仕掛けは動かせない模様。


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