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[2015.12.13]

ナニャドヤラ!キリスト祭2015
〜神秘とロマンの青森十来塚伝説〜


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今から約2000年前、ゴルゴダの丘で十字架刑に処された後、復活を遂げて神となった男、イエス・キリスト――。
そんな人類史上最も有名な彼、キリストの墓とされる場所が、 事もあろうに日本の東北の地、青森県にあるというのはそれなりに有名だ。
そんな同地では年に一度、キリストの生誕を祝うクリスマスとは別に、キリストの霊を慰める「キリスト祭」が厳かに執り行われるのである。

キリストの里公園(キリストの墓)


時に西暦2015年6月7日、青森県新郷村(しんごうむら)。
八戸市内から車で1時間程かかる、この十和田湖の東にある長閑な村に、まさかのキリストの墓がある。
彼の埋葬地は一応、エルサレムの聖墳墓教会(ゴルゴダの丘であったとされる場所)というのが世界的な常識であるが、一体これはどういう事なのか?(関連記事
てな訳で、ジーザス慰霊しに朝っぱらからこんなド田舎までやって来たぞい!新郷村の割に信号のある交差点1つしかねえらしいぞ!
いきなり地方をディスりだすなよ・・・。
しかしモーゼの墓の時といい、いい加減にしてもらいたいですなあ・・・。
ったく、アンタはアンチ・キリスト的な立場じゃないのかよ・・・。

我々はこの日の為に、東京から飛行機で前々日の晩に現地(八戸)入りし、万全の態勢で祭に臨んだ。
と言うのも、キリスト祭のハイライトである「ナニャドヤラの舞」という神秘的な盆踊りを、かねてより是非とも撮影したいと思っていたからだ。
例のキリスト看板が増えてきたな。これは墓が近いぞ・・・!
確かに単に地方だからあちこちにあるという訳でもなさそうね・・・。
つーか下にある消費者金融の看板が台無しにしてますね・・・。

「キリストの墓」の存在は、道路の青看板にもしっかりと記されていた。
現在墓のある場所は、キリストの里公園として整備され、村おこし的な感じで観光地化されている。
なんだろう、このホーリー感の欠片も無い感じは・・・。
バチカンはこうした実効支配みたいな状況どう思ってるのかしら・・・。
しかしピラミッドもあるとかこの辺、マジでミステリーゾーンですな・・・。

午前9時30分、 キリストの里公園の入口付近に辿り着くと、 警察による交通規制が行われていた。

駐車場には売店兼お食事処、その名も「キリストっぷ」がある。

ここではオリジナルTシャツや手ぬぐい、ナニャドヤラCDなどの各種グッズが販売されていた。
ちなみに営業時間は「十字架ら三時まで」らしい。
ミニストップっぽいポップな店名にしやがって・・・。
随分と思い切ったネーミングセンスとグッズ展開ですね・・・。
まさに神をも恐れぬ所業だわ・・・。

男衆の後をついて行く形で、いざキリストの墓へ。
さり気なく看板にロゴがあるけど、スポンサーはコカコーラなのか?
世界を圧巻してるもの同士の協力関係という事なんでしょうか。
見えない大きな力が裏で動いてるのは確かね。

「第52回キリスト祭」と書かれた入場ゲート。
1964年から 毎年一回、6月の第一日曜日に催されているので、かれこれもう半世紀以上に渡る伝統文化として、 この地に根付いているようだ。

受付で進行表のプリントを貰い、会場となる丘の上を目指して遊歩道をしばらく進む。
気をつけろ!
聖地のガーディアンやグレイヴ・キーパーがいるかもしれんぞ・・・!
いねえよ!
いないわよ!

会場に着くと、準備中の新郷村観光協会のスタッフや談笑している関係者の姿があった。

早めに着いた為、まだあまり人はいなかったが、 中央の広場にはズラッと来賓用の椅子が並べられており、祭が村をあげての大々的なものである雰囲気が感じられた。

敷地内には、この土地の旧家で、キリストの墓を守り続けてきた沢口家のお墓もある。こちらは純日本的な墓石である。

祭の進行予定はこんな感じ。
目当てのナニャドヤラの舞(奉納舞)はやはり祭りのクライマックスに行われるようだ。
ちっ、しばらく退屈なスピーチとか聞かなきゃならんという事か。
なによこれ、挨拶が多いわね挨拶が・・・。
頑張って色々盛り込んだ感じのラインナップですね・・・。
さて、そもそもキリストが密かに日本に渡り、東北の地で葬られていたなどという、『ダ・ヴィンチ・コード』も霞む程のトンデモ伝説が何故、この新郷村に実しやかに語り継がれているのか?

オカルト界隈ではお馴染みの『竹内文献』(※脚注1)における 「イスキリス・クリスマス(イエス・キリスト)の遺言」という文書によれば、実はキリストはゴルゴダの丘で処刑されておらず、 十字架に磔にされたのは身代わりとなった弟のイスキリであるという。
そしてキリストは弟子と一緒に日本まで逃れ、 このみちのくの山村で十来太郎大天空(とらいたろうだいてんくう)と名を改めて暮らし、 ユミ子という名の女性と結婚し三女を儲け、106歳で天寿を全うしてこの地に葬られたらしい。
竹内またテメーの仕業かあッ!!
まったくアイツやりたい放題ね・・・。
ソースは2chって以上に胡散臭い・・・。

脚注1:
『竹内文献(たけのうちぶんけん)』とは、昭和前期の宗教団体である天津教の教祖・竹内巨麿(1874〜1965年)によって1928年に公開された古史古伝の歴史書。
『古事記』や『日本書紀』とは大きく異なる日本の歴史が神代文字で記された文書や写本群、文字の刻まれた石や鉄剣などの一連の総称である。『竹内文書』と呼ばれる事も多い。
6世紀頃の武烈天皇の勅命により、日本古来の歴史の記録を後世に残すべく、 武内宿禰(大和朝廷初期に活躍したといわれる伝承上の人物)の孫の平群真鳥が漢字とカタカナ交じり文に訳したとされ、 長年に渡り秘密裏に保管されてきたものを、 第66代当主となった巨麿が竹内家に伝わる神宝類として譲り受けた。
原本は不敬罪や詐欺罪容疑で巨磨が逮捕された際に、最高裁判所で提出され真偽が争われたが、 後に東京大空襲によって焼失している。
その荒唐無稽な内容からアカデミズムからは偽書とされているが、 この手の怪しいオカルトネタを盛り立てるキーアイテムとしては、一目置かれる存在と化している。

(画像左上は神代文字で記された文書、左下は文書が収められている開かずの壷、右は武内宿禰の子孫を自称した竹内巨麿の人物写真)

祭の開始時刻までまだ余裕がある為、 とりあえず敷地の奥にある「キリストの里・伝承館」を見学する事に。

新郷村は元々、戸来村(へらいむら)という名前であった。
ここにはその当時の、昭和初期の生活様式を復元したコーナーや村の文化を伝える展示物がある。

旧村名の戸来という言葉は、その名残が現在の住所(三戸郡新郷村大字戸来)にもあるが、 元々は「ヘブライ(古代イスラエル、ユダヤ人の別称)」が語源ではないかと言われており、実際この村にはユダヤを思わせる風習が複数残っているそうだ。

例えば、生後10ヶ月の赤ん坊を初めて外に出す時には、健康祈願の意味合いで額に墨で十字を描くという行いもその一つである。
また、足がしびれた時も、指につばをつけて額に十字を3回書くというおまじないが伝わっているとか。
おい、顔色の悪いガキがこっち見てやがるぜ・・・。
なによあれ、生まれ立てのキリスト?
確かにあの歳にして全てを悟りきったような目をしてますね・・・。

また、他にも 村人の服装がユダヤの農民の服装に似ている事や、父を「アヤ(またはダダ)」、 母を「アパ(またはガガ)」と呼ぶ事なども挙げられる。 これはアダムとイブが訛ったものとも言われる。

アトランティス大陸やピラミッドなどの世界中のミステリースポットが記された不思議儀。
これ自体、オーパーツの聖徳太子の地球儀を髣髴とさせる。

先程お墓があった沢口家の戸袋のレプリカ。
沢口家にはキリストの娘が嫁いだとされ、その家紋はユダヤ教のシンボルであるダビデの星型(六芒星)のようだ。
また、村役場の方によると、沢口家の昭和10年当時の当主は、青い目で鼻が高く、非常に背が高かったという。
つまり子孫にユダヤ人の血が受け継がれているという事が言いたいのだろう。

ただしダビデの星とユダヤ人が結びつくようになったのは、歴史的にはごく最近の数百年前の事らしく、 元々ユダヤ教では7枝の燭台「メノラー」がシンボルとして使われていた。
また、現在の沢口家にはクリスチャンはいないそうで、竹内巨麿がキリストの墓の存在を世間に発表するまでは、 村には特に関連する伝承などは無かったという。
どさくさに紛れて売ってる・・・。
南部俵炭2,500円・・・。
村の職人による特産品みたいね・・・。

昭和10年(1935年)8月、茨城県の磯原市(現北茨城市)から訪れた 竹内巨麿が戸来村で2つの盛り土を発見し、 昭和10年10月10日にキリストは日本に渡来し青森で亡くなっていたと発表した。
そしてここは、「イスキリス・クリスマス・フクノカミ(キリスト)の墓である」とし、十来塚と名付けられたのである。

さて、肝心のキリストの墓は、小高い丘の上にある2体の十字架のうちのひとつだ。
竹内の影響を受けた山根キク女史が昭和12年に著書『光りは東方より』、昭和33年には前著の改訂版に当たる『キリストは日本で死んでいる』を発表し、ロングセラーとなった事で、キリストの墓は世間に知られる事となる。

こちらはイエスの弟、イスキリの墓である「十代塚」。
ゴルゴダの丘で兄の身代わりとして処刑されたという彼まで、何故この地に葬られているのか? 触れてはいけない部分なのだろうか。
誰だよイスキリって!唐突に新キャラ出してくんなよ!
なんかよく分かんないけどキリストの弟らしいですよ・・・。
結構重要なポジションのはずなのに、驚くほどマイナーよね・・・。

そしてこちらがキリストの墓、「十来塚」である。

聖書には、キリストの青春時代に当たる12年間の記載が無い。
キリストはその空白の期間の、21歳の時に日本に渡り、神学について修行を重ねた後、33歳の時にユダヤに帰って教えを伝道したのだという。
ほう、想像していたよりもかなりシンプルな墓じゃな。
でもさすがにモーゼの墓よりは墓標がしっかりしてますね。
こっちにも「ありがとうございます」があるけどね。

墓の近くには、新郷村との友好の証でエルサレム市より寄贈されたというレリーフがある。

祭開始5分前。
列席者もほぼ揃ったらしく、現場の期待感が徐々に高まる。

メインのナニャドヤラの舞を確実に撮影すべく、 我々はキリストの墓の目の前かつ、丘の上から全体が見渡せる好ポジションにあらかじめ陣取ってスタンバイ。
周囲には同様の目的で集まったカメラ小僧やマスコミの取材陣が沢山いて、油断できない状況であった。
いいか、なんとしても このポジションを死守しつつ撮影するぞい!
さすが大魔王様、ひとまず遠慮がちにスタンバイしている 周囲がドン引きするくらいのバイタリティですな!
ったく、恥かしいからもうアンタどっか行ってなさいよ!

午前10時、お偉いさんの挨拶とともにいよいよ祭開始。
沢口家の現当主に新郷村村長の他、県会議員・国会議員や例年は県知事なども列席するらしいが、 この日はちょうど、青森の県知事選の投票日というタイミングであった為、来賓祝辞は知事の代理の人が読み上げていた。
地元名産の「飲むヨーグルト」のPRも兼ねて、美人過ぎる八戸市議の藤川優里さんも列席しているようだった。
いや今、大祭長いきなり「伝説が本当かどうかはともかくとして」って言っちゃったけど。
言っちゃいましたね・・・。
とにかく村の貴重な観光資源なのは間違いないようですね。
しかし、よくもまあ、これだけ大勢集まったもんよね・・・。

意外な事に、キリストの慰霊祭は神道の形式で執り行われる。
三嶽神社の宮司さんが祝詞を奏上し、皆で玉串を奉奠する。
こんな所でさり気なく東西文化の融合を果たしているとはな・・・。
日本は異国の宗教も柔軟に受け入れる国ですからね・・・。
神も八百万もいるので細かい事は気にしないのかしらね・・・。

続いて獅子舞による力強い踊りが披露され・・・

第19回短歌ポスト(後方に見えるポストに投稿された短歌)の入選歌表彰式が終わると・・・

午前11時15分、キリストの墓にナニャドヤラ芸能保存会の皆さんが入場し、いよいよ盆踊りのスタートである。訪れた人々の熱い視線が集中する。
どうしよう、もの凄くションベン行きたくなってきた。
おいコラ。これ見にわざわざ来たんだから我慢しろや。
いいから黙って見てなさいヨ、このクソ罰当たりが。

ナニャドヤラー ナニャドナサレノ ナニャドヤラー」と何度も繰り返し唄いながら、浴衣姿の淑女達が十字架の周りを盆踊りする。
おお、これは待った甲斐のある実にシュール神秘的な光景じゃな・・・。
こりゃまた実に不思議な盆踊りですねえ・・・。
つーか「ナニャドヤラ」ってなんなのよ・・・。

この日本語としてあまりにも意味不明な「ナニャドヤラ」の歌詞については諸説ある。
岩手県の神学博士・川守田英二は大正時代に、この歌はヤハウェを称える民族の進軍歌であり、 ヘブライ語として訳すと、
「ナニャドヤラー(御前の聖名をほめ讃えん)
ナニャドナサレノ(御前に毛人を掃蕩して)
ナニャドヤラー(御前の聖名をほめ讃えん)」という意味になると発表している。
おばさん達のメリーゴーランドみてーじゃな。
そーいやタイの地獄寺でも賽銭箱持った人形がこんな感じで動いてましたね。
アンタら余計な事言ってんじゃないわよ!

しかし、川守田博士はこの自説について、 キリストの墓との関連までは否定しているらしく、「ナニャドヤラ」自体も青森県南部から岩手県北部、秋田県の一部にかけての地域に伝わる盆踊りであり、 新郷村のみの伝承歌という訳ではない。

動画でもナニャドヤラをどうぞ。
一方、民俗学者の柳田国男は、自身が立ち寄った岩手の漁村で盆踊りを見た際、 村娘にその歌詞を教わった事から、この歌は
「ナニャドヤラー(なんなりとおやりなさい)
ナニャドナサレノ(なんなりとなされませんか)
ナニャドヤラー(なんなりとおやりなさい)」という意味であり、 祭りという特別な日に異性に向かって呼びかける恋の歌であるとしている。
南部地方以外はニャンニャンと聞こえる為、「南部の猫唄」と呼ばれていたらしく、 土地の者が夜を徹して踊りながら歌い、この晩だけは男女が夜陰に紛れて思いを遂げる事が許されていたという。

そして、盆踊りが終わると、りんごジュースで 「カンパイ!」ならぬ「アーメン!」のかけ声で笑いを誘いつつ、 1時間半に渡る慰霊祭は閉会した。
アーメン!
アーメン!
アーメン!

神秘とロマンを掻き立てる青森キリスト伝説。
しかしぶっちゃけた話、これらの塚は、古代に活躍した豪族の墓である可能性が高いという。
かつて東北地方には「蝦夷(えみし)」と呼ばれる朝廷の支配が及ばない民族がいた。
青森県教委の調査資料によると、キリストの墓がある現場は元々「野月館」と呼ばれる城館だったらしく、 地元の独立を守ろうと戦った蝦夷の英雄の墓であると推測出来るそうだ。

また、最近の研究家に押されているこんな説もあるという。
平安時代中期、青森県の現在の五所川原市付近は「十三湊(とさみなと)」という大きな交易港があったが、 ある日1人のロシア人船夫が遭難してしまった。
しかし彼は、運良く人に助けられ、現在の新郷村である山村に到達する。
そして結局、ロシア人船夫はそのまま村に住み着き、沢口家の娘と結婚した。
その後、ロシア人船夫の墓として、彼の信仰していたキリスト教のシンボルの十字架が立てられたという事だ。
実際この時期、近くの鉱山でロシア人が働いていたという記録も残っているらしい。

演目終了後は早々に撤収したと思っていた淑女の皆さんが、今度は伝承館前の広場の方で盆踊りを始めていた。

一般の見学者も輪に加わって、皆で仲良く広場を大回り。
キリストの墓とされるものの発見から80年後、そこには古の伝説に思いを馳せながら、和気あいあいと踊る老若男女の姿があった。
もはや今更、伝説の真偽なんてそんな細かい事はどうでも良いじゃないかと思わされる光景である。
よし、じゃあそろそろピラミッドでも行くか!
いやいやあそこ行く気なのかよッ!?
帰りの飛行機に間に合わなくなったらどーすんですか!
ちょっとちょっと、冗談じゃないわよ!?

オマケ

うちのキリストの墓の戦利品は「新郷黒飴」(地味だな)。
普段こういうのはあまり買わないのだが、売店のおばちゃんに南部煎餅につけて食べるとうまいと勧められて購入。
でも煎餅買うのは忘れた。

ソレミテ〜それでも霊が見てみたい〜』の作者であるデラコー先生こと小野寺浩二さんも祭り見物にいらしていたらしい。
あとで撮影写真を確認したら、確かに先生らしき方が写ってました(笑)。
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