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[2015.11.23]

嵐を呼ぶ九州暗黒観光ツアーズ②
~古墳を守る異形の石像パラダイス~



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宮崎県中部の高鍋町にある持田古墳群周辺の高台には、 非常に独特な造形の石像が林立する九州最強クラスの珍寺が存在する。
その寺、「高鍋大師」は、ある1人の僧侶が半生をかけて築き上げたセルフメイドのパラダイスなのである。


前回までのあらすじ:
超大型台風が日本列島に迫る中、果敢にも東九州の物件巡りの旅に打って出た我々(ドアホ)。
最初の目的地である禁断の骸骨洞窟を電動アシスト自転車なる禁じ手であっさりクリアしたものの、刻一刻と悪化の一途を辿る天候を危惧し、ろくに昼飯も食わずに次なる物件へと急ぐのであった。
(画像:NASA/Google Earth)


高鍋大師


2014年10月11日午後5時、宮崎県高鍋町の高台。
大分から列車で2時間近くかけて南下し、我々は目的地の珍寺に辿り着いた。

おいおい、空模様と風の強さがヤバいな・・・!
つーか小雨も降ってきたぞ・・・!

まだ台風はだいぶ遠くのはずですが、 さすがに少し近づいた事もあり、先程とは露骨に天候の違いが出てきましたね・・・。

これ、あまり深入りすると海沿いの鉄道が止まって帰れなくなる恐れが有りますよ・・・。見てくださいよ、あの荒波・・・。


今回は残り時間も差し迫ってきたという事で、 金に物を言わせて駅からタクシーで現地に乗りつけた。

という訳で、今回もダッシュで撮影を済ますぞ!

許容された制限時間は15分、それを過ぎると待機中の運転手さんがキレますからね。

やれやれ、時間かけて来た割に相変わらず忙しない滞在ですね・・・。


タクシーを降りてまず視界に飛び込んできたのは、この高鍋大師を象徴する衝撃的な巨大石像。高さ6~8mはあるだろうか。


その名も「十一めんくわんのん」。
トーテムポールやロボットを髣髴とさせる異形の姿である。

なんじゃコイツは、明らかに敵顔じゃがボスキャラか!?

初代プレステのポリゴンかよって位、めっちゃカクカクしてますね・・・。

「くわんのん」って書いてあるので観音様なんでしょうか・・・。
文字表記もまた独特ですね。


アヴァンギャルドな巨大石像があちこちに。
これら謎の石像は、岩岡保吉という明治22年(1889年)生まれの人物による作品である。


入口付近にある「十二めんやくし」。
岩岡氏は、地元で精米業を営んでいたが、29歳の頃に四国八十八ヶ所巡礼を行い、 写し本尊の霊場を造ろうと決意する。
そして45歳になった昭和3年、仏師石工を招き、石彫の技術を習得しつつ、 この地のすぐ近くを流れる小丸川で仏像の製作を開始したという。


奥の方に立つのは「アマテラスオオミカミ」。
よく見ると反射鏡が所々に取り付けられており、晴れの日は太陽の光を受けて輝かすという芸が細かい仕様になっている。

・・・つよい(確信)。

笑顔がヤバいですね・・・。

太陽神なのにダークサイドっぽい・・・。


ミニ四国霊場を完成させた後、石仏職人として覚醒した岩岡氏は、 高野山真言宗で得度し「弘覚」という僧名を名乗る。
そしてご覧の通り、四角い原石をそのまま積み重ねたような、独特な作風の仏像を次々と作り出すのである。

遠い異国の邪教の古代遺跡みてーな所に来ちまったな・・・。

それにしても、どんよりとした空模様も相まって、実に不安にさせられる存在ですねこれは・・・。

ほんと、まるでお絵描きソフトの線ツールだけを使ってデザインしたみたいな石像ですね・・・。


鳥居の先には、 赤く塗ったブロックを積み重ねて作られた祠があり、内部には「けもの一サい」と書かれた謎の祭壇があった。
手前に狐の像があるので、稲荷明神という事なのかもしれない。


運転手さんを待たせている事もあり、 大急ぎで鳥居周りの巨像群を撮影した後、のどかな田園地帯が一望出来る見晴台の方へ。

しかし石像の背後のつっかえ棒が笑えるな。

アレが無いと簡単にぶっ倒れそうですからね。

特に今日みたいな災害が起こりやすい日は必須ですよ。


本堂の前庭はこんもりと盛り上がった古墳があり、それを囲むように大小様々な石像が立ち並ぶ。
岩岡氏は元々、この周辺にある5~6世紀頃の古墳が盗掘で荒らされている事に心を痛め、 神仏を祀る事によって古墳の霊を鎮める為に(戦没者の慰霊も併せて)、この高鍋大師を建てたのだという。

国指定の古墳にこんな事していいのかよ・・・。

霊も鎮まるどころかザワつきそうですよね・・・。

ちょっとしたイースター島っぽい雰囲気もありますね・・・。


そこら中にニョキニョキと生える一見して意味不明の石像。
創作のモチーフは神仏だけに限らず、他にも動物から近所の老夫婦の彫像までと多岐に渡り、 岩岡氏が思い描いた脳内ワールドがここぞとばかりに具現化されている。

ドス黒いゾンビみたいなのばっかじゃねーか!

確かに古墳から蘇ったよーな奴もいますね・・・。

まあまあ、このヘタウマな感じが味わい深いじゃないですか。


岩岡氏が86歳の頃に作った最も晩年の作品「みとこモん」(と亀)。
見た目通り水戸黄門ご一行という事らしく、「カくサん」と「すけサん」を従え、 胸には「人をたすけまわる」と刻まれている。
その姿は、岩岡氏自身の理想像を投影したものなのかもしれない。


本堂である大師堂の傍にも守護神の如く巨像が立っている。
こちらはヒゲとチョンマゲがチャームポイントの「正一いいない大神」。


そして反対側では、剣を片手に赤子を抱えた子連れ不動明王像の「百たいふど」がデーンと聳える。


よく見るとその目はガラスの器で、赤子の方は電球がつけられ、 マジメなのかふざけているのかよく分からない脱力感を放っていた。

くそっ、あまりの珍オーラと強風で写真がブレたぞ・・・!

夏休みの工作の宿題みたいな雰囲気になっちゃってますね・・・。

私も昔、牛乳パックやお菓子の空き箱で作った記憶があります・・・。


背後にはさり気なく、人形焼みたいな顔した普通の不動明王像が居心地悪そうにいた。


左手に見えるのは高さ6mの弘法大師像。
年老いてもその創作意欲は衰える事無く、70代の頃に岩岡氏が手がけた9体あるうちの最初の巨大石像だという。
確かに初期の作品という事もあってか、比較的オーソドックスな造形に見える。


こちらは「かぜのかみ」と名付けられた風神像。
その姿は、 どう見ても言い逃れできないくらいロボットである。


「少年とロボット」的な画ズラも撮影可能であるが、台風が迫っているので気持ち的にそれどころではない。

逆本、どうにか風神ロボを操縦して台風を足止めして来い!
少年よ神話になれ!

少年というかもうおっさんですけどね、逆もっさん。

僕にお国の為に神風を吹かせろと!?
おっさんなのでお断りします・・・。


そして隣に立つのは、「かみなり」と名付けられた雷神像。
こちらもこちらで、かなりキている感じだが、岩岡氏が最後に作った巨大石像がこれら雷神風神のコンビらしく、 つまり半世紀かけて辿り着いた最終形態と言っても過言では無いのである。

なんちゅースパークした髪型と顔立ちじゃい!

昔懐かしい先行者みたいにどことなく馬鹿っぽくて良い感じですね。

この片手がバズーカみたいなアンシンメトリーな造形に男心をくすぐられますね。

さて、そろそろ本堂の中へ・・・と思い近づいてみると、


ガッツリ台風対策で封鎖されていた。

おのれ、台風19号の野郎めえええ・・・!!

まあ、そらそうだって感じですがね・・・。

こんなタイミングで来てる僕らにも問題ありですがね・・・。


本堂の下には、かつて岩岡氏が修行した「ぎょうば」という全長65mの手掘り洞窟があるのだが、内部崩落との事で、こちらも入口が封鎖されていた。

こっちもかーい!なんてこったーい!!

戦中に手掘りされた洞窟なんか入るのは願い下げですけどね・・・。

現に崩落しちゃってますもんね・・・。


眼下の高鍋町を見守るライオンみたいな髪型の「スサノオノミコト」。
こいつだけ何故か他の石像とは独立した場所にあり、孤高の戦士っぽい雰囲気であった。


高鍋大師に通じる一本道の途中にある賽の河原。
積み石が複数あり、印象深い鬼の親子像や地蔵様が参拝者をボーッとした表情で迎えてくれる。


岩岡氏の自刻像。
地元民の協力と理解を得ながら(時に眉をひそめられながら)、 この高鍋大師で大小750体の石像を生み出した彼は、 昭和52年(1977年)に89歳で亡くなった後も、こうして自分の世界を見守り続けているようだ。

閣下、残念ながらそろそろタイムオーバーみたいです。

これ以上粘ってると帰りの足が無くなって涙目になりますよー。

チッ、短時間で撮影するにはいささか石像が多過ぎるぞい・・・。


1人の鬼才が半世紀に渡り、ノミと槌でひたすら神仏の石像を彫って出来上がった高鍋大師。
この丘の上の不思議な空間は、 今では町の観光名所の一つとして、地元で「おだいっさん」と呼ばれ人々に親しまれているようだ。

なお、余談ながら、「十一めんくわんのん」をモチーフにしたたか鍋大使くん」というゆるキャラがいるらしく、町のマスコットとして日夜PR活動に励んでいるらしい。
今回は当然会えなかったが、ある意味で今後も目が話せない。

おいおい、なんだよこの圧倒的にどんよりとした撮れ高はッ!

「高鍋大師」で画像検索すると他のサイトの写真は大概晴れ渡った青空が背景なんですがねえ・・・。

以前心スポ逝った時もでしたが、今回もここに嵐を呼ぶ男がいる所為じゃないですかね・・・。


さて、この日は高鍋町付近のホテルで一泊するつもりであったが、 暴風警戒域に入りつつある同地にこれ以上長居するのはリスクが大きいと判断し、 大急ぎで宮崎県から列車で逃げ出した。
(しかしこの後、列車が鹿を轢いた為、かなりの時間足止めを食らう)

仕方ねえから戦略的撤退じゃーい。とりあえず大分まで戻るぞいー。

いやー、ほんとにトンボ帰りになりましたね・・・。

あの僅かな滞在時間の為だけに、結構な経費使ってますよ・・・。

せっかくホテル予約してたのに、こりゃ今夜もきっとネカフェ泊ですな・・・。

うっせ!細けえこたァいいんじゃよ!

しかし、車窓の外は段々ヤバい雰囲気になってきましたね・・・。

次回、ついに本土に超大型台風が上陸!
我々にも甚大な被害をもたらす――!?

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