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しとしと小雨が降る陰鬱な天候(※1)の中、住宅街の寺に辿り着くと・・・
※1:2015年の訪問時が雨だったからという訳でもないが、
実はつい最近再訪した為、少しだけ晴れの写真も混在している。あしからず。
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ちょうど参拝を終えた猫が門から出てくるところで、いくらか不安が和らいだ。
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ここは、東京都豊島区西巣鴨にある「妙行寺」(※2)。 『四谷怪談』の幽霊として知られる“お岩さん”の墓所である。
※2:正式名は「法華宗陣門流寺院・長徳山妙行寺」。 江戸時代に麹町清水谷に創建された後、300年近く四谷鮫河橋南町にあった。
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| 日本の幽霊の代表格である、四谷怪談のお岩さん▲
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お岩さんと言えば、顔半分が醜く爛れた姿で、「うらめしや~」のフレーズとともに出現する、おどろおどろしい国産幽霊の代表的存在。
夫・伊右衛門に裏切られ、命を落とした彼女は、幽霊となって関係者を次々に祟って殺し、復讐を果たす悲劇のヒロインでもある。
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| 提灯に化けて伊右衛門らを脅かすお岩さん▲
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この怪談は創作だが、元禄時代の事件を基にしており、モデルの女性“お岩”は実在したとされる。
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| 歌舞伎や落語、映画などの題材にもされる四谷怪談▲
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ちなみに更新日の7月26日は「幽霊の日」だが、
これは文政8年(1825年)7月26日、江戸の中村座にて4代目・鶴屋南北作の歌舞伎『東海道四谷怪談』が初演された事に由来する。
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| 歌舞伎の仕掛けである戸板返しなどのトラウマシーンが見所▲
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同作品では、それまでのお岩伝説に加え、劇薬でお岩さんの顔半分が爛れたり、
不倫の男女が戸板に釘付けにされた上で神田川に流された(当時のスキャンダラスな話題)などの要素が付け足された。
その結果、お岩さん=怨霊という市井のイメージが色濃くなる事に。
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妙行寺はお岩の生家・田宮家の菩提寺である事から、代々の先祖と一緒に葬られており、
「四谷怪談お岩様の寺」と称しているようだ。
また、寺の付近には「お岩通り」があるなど、お岩さんは地域のアイコン的存在となっている。
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境内には「うなぎ供養塔」の他、「忠臣蔵」や「赤穂事件」で知られる、赤穂藩主・浅野長矩(浅野内匠頭)の妻・瑤泉院(阿久里)の供養塔もある。
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寺は元々、新宿の四谷(旧・四谷鮫河橋南町)にあったが、
1909年(明治42年)に現在地へ移転したという。
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ただ少しややこしいが、四谷怪談の舞台は普通に新宿の四谷かと思いきや、
実は江戸の雑司ヶ谷四谷町(現・豊島区雑司が谷)である。 |
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お岩さんの墓の方を矢印で案内する石材もあった。
ところで、四谷怪談やお岩さんを題材にした芝居や映像作品の関係者は、
事前に彼女の墓(またはお岩稲荷)にお参りしないと事故が起こるという噂がある為、
どうしても若干の不安がつきまとう。
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本堂の裏に回ると墓地の中に、お岩が信仰した稲荷を勧請したのか、寺なのに鳥居がある。
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その後方には由緒の案内板(※3)が。
曰く、お岩が病気で寛永13年(1636年)2月22日に亡くなると、田宮家では“わざわい”が続き、 住職が読経で因縁を取り除いたとか。
※3:「お岩は病身で亡くなった」とあり、“発狂して失踪”とする四谷怪談の内容とは異なる。
そもそも、『東海道四谷怪談』の元ネタ『四谷雑談集』(1727年)では、
お岩と伊右衛門の夫婦関係は仲睦まじかったとされ、この辺りも怪談化に伴い脚色されたようだ。
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奥にあるお岩の墓は多数の卒塔婆に囲まれ、個室ブースのような独特な空間。
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卒塔婆を捧げ、熱心に祈れば願いが成就するらしい。
怨霊のイメージが強いが、
お岩稲荷もあるように、彼女は様々なご利益をもたらす神格として信仰されているのである。
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現在、田宮家の子孫が管理するお岩稲荷の由緒によると、
四谷左門町に住んでいた武士・田宮又左右衛門の娘がお岩(21)で、浪人の伊右衛門(31)を婿に取ったとされている。
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家計は苦しかったが、お岩が屋敷社としてお稲荷様を篤く信仰したところ、やがて家勢が再興。
その御利益にあやかろうと、人々から信仰を集めるようになったのが、
田宮家の屋敷跡にある現在のお岩稲荷(於岩稲荷田宮神社/於岩稲荷陽運寺)という事だそうだ。
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