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[2018.03.02]

珍☆時空旅行(後編)
〜ノーモア関ヶ原合戦!天下分け目の戦国ジオラマを駆け巡る〜


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いつの時代も、歴史は勝者によって作られるものである。
社会秩序を敷く権力側の理屈が正義となり、都合の悪い敗者の記録は改変、隠滅されたりする為だが、 例えば天下分け目の合戦として有名な「関ヶ原の戦い」も、勝利した東軍側の史料が圧倒的に多く残されているという。

今回は、そんな血で血を洗う戦国合戦の模様を、正史ベースで真面目に現代に再現したものの、 結果的に見事な奇景と化してしまった、とある施設をご紹介したい。

2015年5月、岐阜県の関ヶ原町。
前回、霊界付き恐竜洞窟を脱出した我々は、 ついでに以前から気になっていた東海地方の有名物件も攻めておこうと、新幹線に飛び乗って同地へ訪れたのだった。

安土桃山時代の慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)、 石田三成と徳川家康の東西合わせて約16万の兵力が激突した戦国最大の戦の地は現在、 「関ヶ原古戦場」として国指定の史跡となっている(こちらは徳川家康の最終陣地跡)。

最近も豪華キャストの実写映画が公開されて話題を呼んだ。

日本の歴史において非常に重要な出来事だが、 整備された古戦場からは、今から400年以上前の当時の様子を窺い知る事は難しい。
やるせないくらい特に何も無いじゃねーか・・・。
夏草や兵どもが夢の跡って感じですなあ・・・。

関ヶ原ウォーランド


だがご安心を。
同地には現在、 「関ヶ原ウォーランド」なる当時の様子をコンクリ像で再現した私設資料館があるのだ。
急遽思い立って、元々いた和歌山県から移動した為、閉園の約30分前にギリギリ到着。なお、天候はあまり良くない。
雷雨の関ヶ原とはオツなものじゃな・・・。
何だかドラマチックな雰囲気ですね・・・。

エントランス周辺はこんな感じ。
早速独特な要素が散りばめられ、期待と不安が高まる。
とりあえずやたらと馬が多い・・・。
戦国ストラックアウトって・・・。

珍スポ界で超有名なこの施設には、レジェンド造形作家・浅野祥雲による 200体以上の等身大コンクリ像が屋外展示されており、我々後世の者に当時の合戦を追体験させてくれるのだ。
うーむ、こりゃ乱世って感じじゃのう。
殺伐とした彫刻の森みたいな場所ですね。

しかし訪れたこの時は、 閉館時間も迫っている上に天気も悪かった為、我々は黙々と急いで撮影を行う他無かった。
つーか100均で買った雨合羽が全然役に立たないぞゴルア!
それお子様用サイズじゃねーですかッ!

それはある意味、我々にとっての関ヶ原の戦いでもあった。
何でアイツだけ脱いでんだよ・・・!
大魔王様、いちいちツッコミ入れてたら間に合いませんよ!

3万平方mに及ぶ敷地のあちこちに設置されたコンクリ像の数々。
これらの躍動感溢れる作品群は、祥雲氏が70歳を越えた晩年に手がけたものらしい。

愛知の桃太郎神社など、様々な珍名所の生みの親として知られる同氏に縁ある地の中でも、コンクリ像の数はここが一番多いという。
いずれもリアリティとユーモラスが同居する祥雲氏独特の作風がよく伺える。
人口密度は多く感じるが、客はほとんどいないな。
ガラガラの関ヶ原なんて無駄に贅沢ですな。

祥雲氏は名古屋のアトリエで像を制作後、トラックでここまで運んで設置し、塗料で着色を行ったのだという。
聞いただけでも、実に気の遠くなる作業である。

関ヶ原ウォーランドは1964年に開館。
前会長の谷口玉泉氏の父が、数多くの命が失われた地に弔いの為の施設や資料館も無い事を嘆き、 彼の遺言により建設されたという。
しかし、ぶっちゃけ薄暗い空の下で見ると若干不気味な印象なのは否めないな・・・。
モノによってはペンキが色褪せてたりしますしね・・・。

刀や槍を振り上げ、東西両軍が入り乱れて激突する戦場。
コンクリ像は実在した武将も数多く作られており、 それぞれの配置が史実の布陣図通りになっていたりして、結構勉強になる。
こんな雨の中で濡れながら、ワシら一体何やってるんじゃろう。
それ思っても言っちゃダメなやつですよ。

おや、向こうの丘の陣営にいるのは・・・?

本合戦最大の戦犯・小早川秀秋だ。
開戦当初は三成率いる西軍が優勢だったものの、 彼の東軍への寝返りを機に形成が逆転し、結果的に家康が勝利する事となった。

「裏切っちゃおっかなー。どうしよっかなー」
俗説では、優柔不断な秀秋はしばし戦況を見守っていたが、業を煮やした家康に問鉄砲で催促され、 ビビッて寝返ったたとされる。
しかし、開戦と同時に家康側についたとする記録があったり、 当時19歳の最年少武将だった事や、豊臣の権威への積年の復讐心によるものとする見方もある等、諸説ありの模様。
この顔は絶対裏切るな。
これは確実に裏切りますね。

小早川の寝返りにより切腹する西軍の大谷吉継。
病におかされ、関ヶ原の戦いの頃には失明状態であった。
自身の余命が残り僅かと悟り、20年来の盟友であった石田三成に加勢し奮戦するも、 あえなく戦場に散った。

戦場の中央には、露骨に修復作業中といった感じの道具が置かれたままで、少しシュールだった。
屋外展示である為、風雨による経年劣化も激しく、定期的に人形の塗り替えが行われてるらしい。
ほれ急げ!閉園までに全て撮り切るぞ!
さすが大魔王様!まるで足軽のような軽快な動き!

「刀こんなんだし、今日もう早退してもいっすか?」

「お命ちょうだい!」

「あいや待たれい!」

フリーライターの大竹敏之さんが著した『東海珍名所九十九ヶ所巡り』の表紙で「買うのじゃ!!」と言ってる猛々しい感じのおっさん。
ただリペイントされたらしく、以前とは少し顔つきが変わっている。
なんとなく老化が進んだような・・・。
「揉むのじゃ!!(肩を)」とか言いそうですよ。

こちらは映画でジャニーズが演じた石田光成の陣。
思ったよりも端っこの方のさり気ない場所にいらっしゃった。

家康と敵対し、関ヶ原では西軍の総指揮を執ったが、 敗戦後は自国の近江古橋 (滋賀県米原市)で捉えられ、京都六条河原にて処刑された。

敷地の一番奥には、赤茶色の戦観音像が鎮座していた。
「ククク、よくここまで辿り着いたな・・・!そうだ、我こそが人間達に戦を起こさせた張本人だ・・・!」みたいなラスボス感があるな。
なんとなく俳優の岸部一徳に似てますね。

引き続き足早にウロウロしてたら「にんにん城」と書かれた看板があったので、矢印に従って行ってみる。
なるほど、これは怪しいな。
とは言え、行かないのも手ですよ。

仕方なくしばらく進むと、敷地の端っこと思しき場所に、 何らかの建物が見えてきた。

なるほど、どう見ても風雲・にんにん城である。
・・・・・。
・・・・・。

だが城という割りに内部は狭く、物置みたいな雰囲気。

足元を見ると、さらに先に進めるルートを発見。
大人1人が通れるかどうかくらいの小さな穴である。
たまの日曜大工みたいな仕上がりじゃな・・・。
おざなり感が半端ないですな・・・。

頑張って穴を這い出ると、すぐ目の前が行き止まりになっており、 関ヶ原のゆるキャラよもぎちゃんがただ微笑んでいるだけだった。
くっそ、ナメたマネしやがって。
時代考証もへったくれもないですな。

込み上げてくるやるせなさに抗いながら、ハシゴを上って2階へ。

窓の外を見ると、忍びの者がいた。
城に入る前から見えてたし、 そもそも案内板の絵と同じなので、特に何の感動もない。
・・・・・。
・・・・・。

ちなみに、あとで敷地の外から眺めたらこんな感じで、 忍者がリバーシブル仕様だという意外な事実が判明。

やるせない気持ちで城を抜け出し、 東軍・徳川家康の陣にある首実験場へ。 先程訪れた古戦場史跡の当時の様子を再現したものだ。
おっ、飲み会みたいな楽しそうな広場があるぞ。
何やってる場所なんですかね?

家康と対峙する湯浅五助の生首。
彼は先程の西軍・大谷吉継の側近で、隊が壊滅して切腹する主君の遺言により、 遺体の首を関ヶ原に埋めて隠した人物である。
いや、全然楽しくなさそうじゃな。
真逆ですよ、真逆。

だが、敵の藤堂高刑に発見された為、「自分の首をやる代わりに主君の首を埋めた場所を秘密にして欲しい」と頼んだ。
その結果、高刑は五助の首を取り、家康の元に持ち帰ったが、約束通り吉継の首の在り処は頑なに言わなかった。
この姿勢に感心した家康は、褒美に自分の槍と刀を与えたという。

戦場の真っ只中にも関わらず、 池には龍と美女がいた。
ここは「十九女池(つづらいけ)」という同じ町内に実在する池をモチーフにした展示らしく、その名は龍女伝説なるものに由来する。

寛文7年(1667年)頃、関ヶ原村には夜になると時々現れる19歳頃の美しい娘がおり、横笛を吹く姿が目撃されたり、 村の若者にお椀を借りたりする事があった。
ある時、若者が返却されたお椀が生臭い事に気付き、さては娘は池の大蛇の化身ではないかと思うようになった。
そこで、お椀の底に大蛇が嫌いな金物の針を仕込み、改めて娘に貸したところ、以来彼女はパッタリ姿を現さなくなった・・・と言った感じの日本昔話である。
いやこれ、急にどうしたんじゃ・・・。
合戦と全然関係無いですよね・・・。

見つけて意外だったのが、10代の頃の宮本武蔵の姿。
そう言えば、井上雄彦の漫画『バガボンド』の冒頭でも武蔵が関ヶ原にいる様子が描かれているが、 彼については文献が少なく、実際合戦に参加したかどうかはよく分かっていないらしい。
かつては西軍の宇喜多秀家のもとで足軽として戦ったという説が有力だったものの、 武蔵の養父の新免無二が東軍の黒田官兵衛(黒田如水)に仕えていた事を証明する文書の存在から、 1600年の時点では父と一緒に従軍し、九州の豊前で戦ったという説が現在だいぶ有力視されている模様。

戦場の中心で「ノーモア関ヶ原合戦」を叫ぶ武田信玄の亡霊。
合戦の何年も前に死んでいるはずの彼が、まるでこの施設のオチの様な存在感を放っていた。
どの口がそんな事言ってるんだよ・・・。
散々他国に戦を仕掛けたくせに・・・。

雨脚が強まった為、逃げ込むように屋内へ。
外のてんやわんやな感じとは異なり、急に真面目な展示があって少々戸惑う。武具甲冑資料館らしい。
ノーモア関ヶ原撮影じゃ・・・!
天気が良くて時間に余裕ある時に来たかったですよ・・・。

恐竜時代から戦国時代へと駆け抜けた今回の旅。
脱力感臨場感溢れる弱肉強食の世界に、あなたもタイムトラベルしてみてはいかがだろうか。


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