> 魔界冒険記 > 飛びだせ!魔界ウォーカー > Article


[2015.04.19]

珍☆桃太郎伝説
~自称・英雄生誕の聖地で鬼の正体に迫る~



  • このエントリーをはてなブックマークに追加

むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんが・・・そんな出だしから始まる日本人にとってお馴染みの昔話『桃太郎』。
桃太郎伝説に縁ある場所は全国各地にあるが、その中でも愛知県犬山市の桃太郎神社は “桃太郎生誕の地”であると自称し、境内のあちこちに幻の人形師・浅野祥雲氏の作品の等身大コンクリート像が設置されている事から、珍スポ界では有名物件となっている。


国宝・犬山城が聳え建ち、愛知と岐阜の境を流れる木曽川。


このドンブラコと大きな桃が流れてきたかもしれない風光明媚な川沿いに、噂の桃太郎神社がある。

やはり愛知B級ラインの大取として桃太郎神社は欠かせないじゃろ!

そりゃそうなんでしょうよ、何せここ行く為に急遽わざわざ1泊してますからね・・・。

フッ、最近になってようやく“ホテルに泊まる”という技を覚えたからな(以前は大体ネカフェor車中泊)!

夜な夜なホテルの外ブンブンうるさい奴らが行き来しやがった所為で、なかなか眠れなかったじゃないのよ!何なのよアレ!?

逝く先も分からぬまま暗い夜の帳りの中を彷徨う落ち武者達の浮遊霊か何かじゃろー。

お嬢、あれは名古屋名物の珍走団です・・・。

ったく、どーしてくれんのよ、この寝不足!お肌に悪いじゃんよ!
しっかり全員呪っておいたけどさ!


桃太郎神社


最寄の犬山遊園駅から徒歩約30分、 キャンプ場やレストラン、物産展などのレジャー施設を備えた緑豊かな自然公園内に桃太郎神社は位置している。

しかし、ろくに歩道も無いのに車がビュンビュン走り抜けるそれなりにスリリングなルートであったな・・・!

つーか駅からこんな遠いなんて聞いてないわよ!?
ケチらずタクシーくらい呼びなさいよ!

お嬢、そろそろ腕が限界なので背中から降りてください・・・。


桃太郎にきび団子如きで買収されたお供の猿がトップバッターとして、神社の入口で出迎えてくれる。


同じくお供の犬とキジ。
どうやらここの世界観では動物も二足歩行するタイプがデフォルトらしい。


皮肉な事に、敵役であるはずの鬼自らが「桃太郎神社」の旗を持たされているではないか。
いつの時代も、敗戦国の扱いはかくも酷いという事か。

鬼なのに割と人格者っぽい顔してるじゃねえかヨ。

パンツの趣味は全然イケてないけどね。

歴史とは勝者によって綴られるものという事なんですかね・・・。


鳥居の先に設置された洗濯岩。
川に毎日洗濯に出向いたおばあさんの足跡が残っていた為、元々あった木曽川から移設されたものだという。

なんという嘘臭さ・・・!
足跡30cm以上ありそうだけどババアはビッグフットかよ!?

岩場に足跡つくって、どんだけハードな洗濯してるんだよ!?

またツッコミどころ多くてめんどくさそうな場所ね・・・。


そしてこちらは鳥居の前で万歳するフリチン桃太郎。
印象的なその姿は、同神社のシンボル的存在となっている。


おばあさんに鉈でパッカーンされ、桃から生まれたばかりのはずだが・・・。

どう見てもおっさんじゃねーか!

確かに、メタボを気にするお年頃って感じですね・・・。

なんて破廉恥なぽっちゃり系なのよ・・・。


ポツンとした後姿もまたシュールである。
ケツの下の看板には「あぶないのでのぼらないでください」との切実なお願いが書かれている。

ところで、ワシら以外誰も訪れてこないな。

時間的にまだ結構朝早いですからね・・・。

当たり前じゃん、バーカ。まだ眠いっつーのよ・・・。


桃太郎の横には、 何処の東南アジアだよと言った雰囲気で、鬼がツノを生かしてバランスを保ちながら荷物を持っている。


階段の途中で立ちはだかる柴刈り帰りのジジイ。
ちなみに左手に見える溝は一応滑り台だったらしい(もはや誰も使わないそうだが)。

「小童共、ここを通りたくば、まずはワシを倒す事じゃな」とでも言いそうじゃな・・・!

それもうボケちゃってるじゃないのよ。家まで送ってあげないと。

迷子の老人じゃないんですから・・・。


階段を登りきると、ピンク色の桃形鳥居が印象的な神社の拝殿があった。

しかしこの神社、本当にご利益はあるのか・・・?

なんか幼稚園とか児童公園みたいな雰囲気の場所よね。

一応子供の健康祈願したりする為の神社みたいですからね・・・。


この桃形鳥居には、くぐると「悪は去る(サル)、病いは居ぬ(イヌ)、災いは来じ(キジ)」というダジャレ・・・いや、神秘的な言い伝えがあるそうな。  


古より、桃は邪気を祓い不老不死の力を与える霊薬とされている。
中国では、山奥に住む仙人に必須の「仙果」として位置づけられ、その影響かしばしば日本でも魔除けの力があるという解釈がなされる。
桃が採用された理由は諸説あり定かではないが、 数ある果実の中で希少性があり、花の美しさや香りが霊薬のイメージにピッタリだったとか、 みずみずしい果実の見た目が生命を思わせる(女性器に似ている)為とも言われている。


ところで、桃太郎伝説に登場する桃は、実は女性そのものの暗喩であったという説もある。
おばあさんが川で拾ってきたのは若い娘であり、そのシンボルとして彼女のお尻を桃に見立てたというのだ。
そして、子供が出来ず悩んでいたおばあさんは、若い娘におじいさんの子供を孕ませ、 子供を取り上げた(桃を割った)という、なんともBPOも眉をしかめそうなトンデモ・ストーリーである。
初期の1753年(宝暦3年)に書かれた『桃太郎物語』では、桃を食べたおじいさんとおばあさんが霊薬パワーで若返り、 ハッスルした結果として桃太郎が生まれたという内容であるそうだが(明治20年に物語を国定教科書に載せるにあたり、桃から生まれる事にした)、 まだそっちの方がファンタジックで多少マシに思える。


正面の石垣には鬼退治という英雄的行為により、日本一の頂点を極めたピーチボーイズ(桃太郎御一行)が威風堂々と鎮座している。


勢い余って、 とうとう鬼まで配下に従えてしまっている。


それにしても、このドヤ顔。

アイツ、全ての物事を金ときび団子で解決しようとしそうじゃぞ。

これはかなりおごりたかぶってますね・・・。

子供の為に祈願する神社なのに、 ダメな大人みたいな奴が高みの見物してるじゃん・・・。


悪運を食べるサル。
うっかり引いてしまった凶のおみくじは、コイツの口に入れて処分すればセーフ(?)という親切なシステムらしい。
以前は彩色されていたような痕跡もあるが、近年は歴史を感じさせるままに放置されているようだ。

どっちかっちゅーとオサルよりデビルって感じじゃねーか。

確かにガーゴイルっぽいわね・・・。

悪運を食べ過ぎて鬼寄りになってしまったんでしょうか・・・。


拝殿内部。
周囲にはたくさんの絵馬や年代物の写真が掲げられ、桃の賽銭箱や桃の提灯が設置されている。


桃太郎神社が現在地に建立されたのは1930年(昭和5年)の事。
元々は500mほど奥にある桃山という山(桃太郎が最後に姿を隠した場所と伝えられている為、彼を奉る小さなお社があったらしい)が御神体として信仰を集めていたものが、遷座されたのだという。
以来、桃太郎神社は子供の守り神として人々に崇拝されている。


我々が訪れた時はちょうど、宮司が神殿で祝詞をあげており、 見た目とは裏腹にちゃんとした神社なんだと思わされた。


鬼の目にも涙。
桃太郎に成敗され、涙ながらに土下座で謝罪する鬼。
湧き水を利用して、ちゃんと目の部分から水が流れ出す高等技術が駆使されている。

それ涙違う!湧き水じゃ!

反省が足りてないみたいね・・・。

きっといずれまた悪い事しますね・・・。


続いて、入場料(大人200円、子供100円)を支払い宝物館の方へ。


もういい、どうか休んでくれ・・・と言いたくなるような、 ズタボロのおじいさんおばあさん。阿吽の呼吸できび団子をこさえているようだ。


せっかくの頼もしい家来の犬も、ポーズ的に何だかザコモンスターっぽい。


半ばアンデッド化した猿も何やら似合わない口調で案内役を務めている。


泣いた赤鬼ならぬ青鬼もいた。
後ろに見える凶暴そうなキジに脅されたのかもしれない。

そして・・・


やさしい鬼がいた。

コイツ、なんてドMなオーラしてやがるんじゃ・・・!

優しいというかエロそうだわ・・・!

彦摩呂みたいな顔しやがって・・・!


どうやら桃太郎に退治された後、脳みそを改造されて心を入れ替えたようだ。
この不思議な雰囲気の空間を生み出している極彩色のゆるキャラ像の後ろの土台は、以前の宝物館があった跡らしい。


お願いします、僕の尻をもっと叩いてください」とでも言いたげなセクハラ感漂う雰囲気である。
有志の集まりなどにより、コンクリート像は定期的にペンキが塗り直されているらしく、 現在の姿はまたそれぞれ別の印象を受ける状態になっているようだ。


これら物語の名場面などを再現した境内に約20体あるコンクリート像は、東海地方を中心に数々の名・珍スポットを生み出した(当サイトでも過去に熱海城で取り上げている)、マニアには名高い孤高の造形師・浅野祥雲氏によって昭和30年代後半に作られた。

桃太郎、調子こいて命令するだけで全然働いてないやんけ・・・!

それ言ったら何故かキジも1匹だけ野生のままじゃないですか・・・。

何気に後ろの猿も手抜きしてて、実質運んでるの犬だけじゃないのよ・・・。


祥雲(本名・高次郎)氏は、父の仕事を継いで土人形製作を始めるが、 土では大きな作品が作れなかった為、当時最先端だったコンクリート素材に注目した。
その後33歳で名古屋へ移住した彼は、子供の健康祈願がなされるこの神社から、 子供達が喜ぶ像を建てて欲しいと依頼されたという。
そして、浅野祥雲は18年の歳月をかけて、この地に桃太郎伝説の名場面をコンクリート人形で再現したのである。


桃太郎にフルボッコにされ、降参した赤鬼。
祥雲氏による独特の味わい深いテイストだ。


鬼の首を取ったかのような桃太郎。
一見グーパンチが炸裂したような素敵なポーズだが、よく見ると小さなキノコみたいなものを持っている。

むしろ桃太郎の方が暴力的な感じだが、 こっちはこっちで結構ボロボロじゃねーか!

ねえ、手に持ってるのはシイタケかしら?

だとしたら、鬼はどんだけシイタケ苦手なんですか・・・。


それではそろそろ宝物館の中へ。
残念ながら、平成8年に起こった放火事件により大半が焼失してしまったそうだが、今でも興味深い収蔵品が多数展示されている。


まず何より目を引くのがこの宝車。
毎年5月5日の子供の日は子供達が桃太郎に扮する桃太郎祭りが行われるそうで、昔の祭礼の時に引かれたものだという。


内部の様子はこんな感じ。
犬山が桃太郎生誕の地である証拠として、 ひとつに周辺の地名が挙げられる。
神社のある場所は「古屋敷」という住所だが、ここはかつておじいさんおばあさんが住んでいた事に由来するとされ、 「大桃」から流れてきた桃太郎は、「犬山」「猿洞」「雉ヶ棚」で3匹の家来と出会い、現・岐阜県の可児川の「鬼ヶ島」へ鬼退治へ出発し、 鬼と「取組」んで、「勝山」で勝利し、「坂祝」で祝宴をあげ、お宝を積んで「宝積寺」へ凱旋した・・・と、 これだけ物語と関連性のある実在の地名が近隣にあるらしい。


さて、この展示スペースの一角には、 絶対に見逃せない世にも貴重なお宝グッズが陳列されている。


鬼ヶ島の岩。
鬼退治の後、悪者が二度と住まないようにと島が焼き払われた為、このような焦げた色をしているらしい。
というか以前放火されたからじゃ・・・。

島を焼き払うとかエグ過ぎるじゃろ・・・。

本当に恐ろしいのは鬼よりも人間の方って事なんですかね・・・。

ただのその辺の石っころじゃないのよ・・・。


こちらはなんと、桃太郎が生まれた伝説の桃の写真。
一見、化石のようだが、 真ん中には割れた跡と葉らしきものもあったという。
しかし旧館の火災により焼失してしまい、現在は写真で偲ぶ事しか出来ない。
『古事記』では、黄泉の国から逃げ帰る伊邪那美命(いざなぎのみこと)が黄泉醜女(よもつしこめ)という悪魔に追い詰められた際、 桃の実を3個投げて撃退したという場面が登場している。
伊邪那岐命は桃の実に大神実命(おおかむづみのみこと)という神名を与え、今後も現世で人助けをしてほしいと告げる。
この大神実命というのは桃太郎神社の祭神であり、桃太郎はこの桃の実から生まれた大神実命の化身であると伝えられているそうだ。

いやいや、なんで写真があるんじゃよ!

焼失する以前は展示されていたようですね・・・。

明らかに腐ってるじゃないのよ・・・。


さらになんと、これは鬼のミイラとされるものの頭蓋骨部分の写真。
やはり実物は焼失してしまったそうだが、本体の大きさは3.6m程で、手足の指は3本ずつだったそうだ。
なお、この画像自体は割りと有名で、書籍やネット上でも広く流布しているようだが、肝心の全身像となると見かけた記憶が無かった為、 とりあえずネットで探してみたところ、同一のものと思われる代物が簡単に見つかった。
参考サイトによると、1932年(昭和7年)に名古屋で開かれた衛生博覧会に出展された身長一丈四尺(4m超)の大鬼のミイラを写した絵葉書だという。
しかし、ミイラ自体は大阪の勝福寺の宝物とされており、その出所や所在の経緯については謎も残る。


これ紙粘土やダンボールとかで頑張って作ったんじゃね?

言っていい事と悪い事があんだろッ!

アンタじゃあるまいし、そんな暇な事しないわよ(※これとか参照)!


鬼とは、日本古来から様々な文献や言伝えに登場している、伝説上の生物であり、また、単に恐ろしい人物等をそう例える事も多い(※画像は大分県別府市のかまど地獄)。
「おに」の語源は「おん/おぬ(隠)」が転じたもので、元来は姿の見えないものである事を意味し、そこから人の力を超えたものの意となり、やがて人々に忌み嫌われる妖怪的存在という観念が定着した。
初めて「鬼」という字が登場したのは、飛鳥時代に建てられたとされる法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘の中の「鬼前大后」(聖徳太子の母の穴穂部間人皇女の事)であり、また、初めて文献に鬼の名が登場したのは、733年に撰上された『出雲風土記』の物語であり、それには、黒く逞しい体に1つ目の鬼が田を耕している農民を食べるという、恐ろしい存在として描写されている。
中世頃の日本では、鬼は実在する妖怪として恐れられ、山奥や離島、地底等の異界に住み、時々町の辻や門、橋といった境界に出没しては、人を獲って喰うと信じられていたそうである。


陰陽思想や浄土思想と習合し、地獄における閻魔大王配下の獄卒であるとされ、一般的な姿のイメージは、仏教の羅刹が混入したものであり、紅や藍の肌で、頭に角と巻き毛の頭髪があり、口には牙、指には鋭い爪が生え、虎の毛皮の褌を腰に纏い、表面に突起のある金棒を持った大男である(※画像は大分県別府市の鬼山地獄)。
これは、陰陽道における十二支の、丑の方と寅の方の間の北北東の方角である艮(うしとら)を鬼門と呼ぶ事から来ており、牛の角と体に、虎の牙と爪を持ち、虎の毛皮を身に付けているという事だ。
この事は、鬼を退治する仲間が、鬼門と反対の方角に位置する戌、申、酉の、犬と猿とキジである昔話『桃太郎』からも伺える。
しかし、鬼は元々定まった姿は持っておらず、こういったイメージは室町時代頃に出来たものである。
また、中国における鬼(クェイ)の存在は、もっぱら死者の霊魂の事を指し、直接鬼と呼ぶのはタブーである事から、婉曲して「好兄弟」とも呼ばれるそうだ。

大分県宇佐市の宝山大剰院にある鬼のミイラ

この写真は、大分県宇佐市の宝山大剰院にある鬼のミイラと呼ばれるものである。
かつてはこの地の山人族の神と崇められていたそうで、身長2.2mで、30cmはある大きな頭部には2本の角があり、足は布の様な物で巻かれ、針金状の物で固定され、手足とも3本指で、異様に太く短いという。
このミイラは、寺院の檀家の1人が寄贈したものだそうで、その檀家が誰からどんな目的で購入したのかは不明であるが、現在の額にして2500万円相当の金を払い、買い取ったそうだ。
だが、その檀家は買い取った直後、原因不明の病に倒れたそうで、周囲がミイラの祟りと噂した為、寺院に寄贈されたという。
しかし、昭和の初め頃に、九州大学でこのミイラの鑑定がなされ、女性と動物の骨で構成されている可能性があるが、風化せずに残る骨の正体は不明という結果であった。
また、2002年に、麻布大学の淺利昌男教授らがX線透過装置による分析を行い、その結果はやはり、複数の生物の骨を組み合わせて人為的に作られたものである可能性が高い事が判明した。
しかし、このミイラの足の骨の緻密質の厚さが、どの生物の骨にも合致しない程の薄さであるという、1つだけ説明がつかない謎は残ったそうだ。

引きこもりの抜け殻かと思ったヨ。

んなもん出すかッ!

でも鬼のミイラ割には威厳が感じられないわねえ。体育座りだし。


こちらは鬼の子のミイラの写真。
鬼の正体としては、筋肉質で人肉を食い、血をすする姿から、肉を食べ、赤ワインを飲む白人や、鬼が金棒を持っている事から、製鉄技術を持った民族の象徴ではないかと考えられている。
その根拠として、赤や青といった鬼の体色は、漂着して山中などに隠れ住んだ外国人の肌色からきているという説や、また、赤が鉄、青が銅、等と金属を象徴しているという説があげられる。
また、民間伝承では、里から離れて山に暮らす山男、大人の類が鬼と考えられたとされ、昔話に語られる、金銀財宝を蓄えて僻地に潜む鬼の姿と、山中で過ごす修験者や鉱山の鍛冶師等の姿が何となく合致する。
特に、『出雲国風土記』に出てくる1つ目の鬼は、鉄の民であるタタラ師を彷彿とさせる。
タタラ師は片足でふいごを踏み、片目をつぶって製鉄炉の火の加減を見る鉄製練の職業病の所為で、片足が不自由になり、片目は潰れる事が多かったという。
里の人々にとって、山々を流浪して火を操る彼等は不思議な存在であり、そういった価値観の枠に収まらない者が、鬼として語られる様になったとも考えられるのだ。
また、鬼の子孫と称する家系が各地に存在し、それらの土地柄は修験道の山岳地帯に多い為、元々は山伏といった修験者達の子孫であると考えられる。

実際のところ、鬼というのは人間の心の中に棲んでいるっていう事なのかもしれんな・・・。あ、うまい事言っちゃった。

別にうまくないですヨ。

そして数々の展示物の中で、極め付けがこれだ。


まさかの鬼の珍宝。犬が噛み切ったものらしい。

リアル「鬼に金棒」とはこの事か・・・!

ちげえよッ!金棒も別に展示されてるし!

お、おっきい・・・!
つーか、この辺の寺社はホントこーいうの多いわね・・・。


最後に訪れたのは拝殿の後方に位置し、奥の院に当たる祠。


ここにもさり気なく、自然と一体化しつつある桃太郎地蔵がパッカーンと鎮座しており、 ユーモラスな侘び・寂びを感じる事が出来る。


B級臭全開の怪しいオブジェに囲まれながら、あくまで大真面目に“伝説発祥の地”と言い張る桃太郎神社。
一般には桃太郎=岡山県(「きび団子」の吉備の国)が有名である為、 ネームバリュー的にはちょっと弱く、やや強引な解釈が否めない犬山バージョンの伝説だが、自信ありげに見せ付けてくる 数々の物証の所為で、なんとなく真実味も感じさせる。
いずれにせよ、エンタメ性に溢れ子供も大人も楽しめる愛すべき神社なのである。

どうやら、桃太郎の出身地は愛知であると認めざるを得ないな・・・!

アンタそれマジで言ってんの・・・!?

もう正直どっちでもいいですけどね・・・。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

この記事を読んだ人は、多分こんな記事も読んでいます。

Back number

Archives

News Headline

ページのトップへ戻る
inserted by FC2 system