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全ての動力は、何かしらエネルギー源を持っている。 しかし、何のエネルギー源も持たずに動き続ける機械があれば、それは人類にとって、まさに夢の大発明であろう。 だが、古より幾人もの科学者達がその研究を続けてきたが、実際の所、エネルギー保存の法則を無視したその様な永久運動機械が実現する可能性は、ほぼ皆無であると言われている。 ところが、歴史上でただ1人、この永久に動き続ける機械を発明したと言われる人物がいる。 その人物とは、ヨハン・エルンスト・エリアス・ベスラー、またの名をオルフィレウス。 1717年に作成されたライプツィヒの学問調書の記述によれば、1712年に、当時32歳のオルフィレウスは、ドイツ南部のチューリンゲン州にあるゲラという町に現れ、厚さ10cm、直径90cmの自動輪を公開したという。 人々の好奇の目の中、オルフィレウスはその車輪に手をかけ軽く押すと、車輪は勢いよく回転しだし、やがて速度を増し、何のエネルギー源も持たない車輪が延々と回転し続けたそうだ。 しかも、その車輪はくくり付けられたロープによって、重さ3kg程度の物を持ち上げる事に成功したそうだ。 だが、その時の人々の反応は冷ややかで、オルフィレウスの発明は多くの人々に無視されてしまったのだ。 その後、彼は町から町を渡り歩く事になり、1713年には、ドラシュヴィッツという町で、今度は直径150cm、幅15cmの大きな車輪を人々に公開した。 その機械は1分間に50回転し、重さ20kg程度の物を持ち上げる事にも成功し、その頃から、この車輪の噂が広がり始め、オルフィレウスの名は一躍世間に知れ渡ったのである。 |
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車輪ずっと回して何が楽しい? |
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別に誰も娯楽要素は求めてませんよッ! |
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1716年には、ヘッセン・カッセルという小独立国のカール大公がオルフェリウスの噂を聞きつけ、彼を町へと招待したそうで、その際、彼の見事な発明に感激した大公は、彼を町の役人として迎え、ヴィゼンシュタイン城に住まわせ、永久運動機械の研究援助を始めたそうだ。 そして1717年に、オルフェリウスは直径3.6m、厚さ35cmの大きな車輪を建造し、10月13日には、懐疑論者達の疑いを晴らす為、機械はそれまで展示されていた庭園の小屋から城内の大きな部屋に移され、11月12日に、学者や機械整備師らの数名の調査団に機械を調べさせた。 調査団は、部屋の中央に布を被されて設置されているオルフィレウスの機械が、鉄のシャフトと木造の車輪から出来ている事を確認したが、内部の構造は油を塗った布で覆い隠されていたそうだ。 調査団のフィシャー男爵が、手で軽く押すと車輪は回り始め、やがてその回転速度を増し、最終的には分速26回転に落ち着いたという。 そして、いくつかの検査が行われた後、今度は機械が設置されている部屋事体が詳しく調べられ、その後、公正を期す為、決して機械が誰にも触れぬ様に、部屋のドアを厳重に密閉し、もし誰かがドアに触れたら分かる様に、ワックスを塗ったそうだ。 だが、それから2週間後、ドアを開けてみると、何ら変わらない様子で車輪は動き続けていたのである。 そしてもう一度ドアを密閉し、その凡そ2ヶ月後の1718年1月4日に、再び扉を開けると、やはり車輪は回り続けていたという。 その後、調査団は車輪に何ら疑わしい部分が無かった事を報告したのである。 調査団のフラーフェザンデ教授は、あのアイザック・ニュートンに手紙を送り、一連の出来事の様子を「どの様な力も加わっていないのに、回り続けているとしか考えられない」との驚きを述べている。 |
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そんなに回転し続けたなんて凄いですねえ・・・。 でも、欲を言えば、何か役に立てばいいのに。 |
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商店街の福引きとかには使えるんじゃねーか?ガラガラーッて。 |
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回り過ぎて肝心の玉が出てきませんよッ! |
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さて、当然気になるのが、この永久機関の車輪が、どの様な仕組みで動いたかであるが、それを垣間見る事が出来たのは、オルフィレウスの他にカール大公だけであったという。 そのカール大公が残した記述によると、「油を塗られた布が取り去られると、重りとレバーから作られた非常にシンプルな仕掛けがあり、2つの車輪につけられた重りが、車輪の回転と共に移動し続ける事で絶えず不均衡な状態を作り、車輪は回転を続けたのだという。 また、重りが頂上部から車輪の回転と共に下に向けて移動する際、小さな釘によってその移動がブロックされていた」との事だ。 1719年には、オルフィレウス自身が『壮麗なるオルフィレウスの永久運動機械』という本を発表し、それの記述によれば、「車輪の運動は複数の重りに依存し、重りが中心から外れている限り運動は続く」そうでで、また、「それぞれの重りは決してその重さが均衡しない様に配置されている」との事だ。 |
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中で誰か走ってたんじゃね? |
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どんだけの時給ですかいッ! |
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ところで、この永久運動機械にいたく感激したカール大公は、オルフィレウスにその機械の買い取りを申し出たが、彼の要求したその値段は、実に2万ポンドという莫大な額であった。 さすがにそんな大金は無いので、どうしたものかと画策したカール大公は、ロンドンの王立学府に打診し、機械購入の為の資金繰りを申し出たのである。 その後、王立学府はカール大公の申し出を認め、資金を提供する許可が降りたが、ある日、前述のフラーフェザンデ教授が勝手に機械を調査しようとした事を知ったオルフィレウスは、「金も払わないで秘密だけ盗むつもりだったのではないか」と勘違いし、激怒して、部屋の中から鍵をかけ、機械をメチャクチャに破壊してしまったのである。 |
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とんだ被害妄想野郎ですね・・・。 |
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その後、オルフィレウスは1745年に、65歳でこの世を去り、貴重な資料の多くも彼の死と共に失われしまった。 一説によれば、オルフィレウスは時計職人として働いていたことがあると言われており、後世のある時計技師が、時計の内部に使うバネのメカニズムを用いる事で、オルフィレウスが作った物と同一の機械を作る事に成功したとの発表がなされた事もある。 だが、実際にそうした機械が展示されたという記録は、オルフィレウスのもの以外には無い。 また、時計職人の腕を利用した場合にしても、最初の小さな機械ならともかく、最後に作った大きなものが、バネの力で何ヶ月も動き続けるはずが無い。 何らかの巧妙なイカサマをしたにしろ、ロンドンの、当時としては科学の最高峰と言われていた王立学府を、果して欺く事が出来たであろうか。 オルフィレウスは独創的な考案により、本当に永久運動機械なる物を作ったのか、今となっては真相は闇の中である。 |
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綿飴やかき氷、ポップコーンとか作るのにも使えそーな気が・・・。 |
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夏祭りかよッ! |