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[2020.06.14]

八幡の藪知らず
~入った者は二度と出られない禁足地~



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千葉県市川市には、古来より“入った者は二度と出られない”と言い伝えられる、通称「八幡の藪知らず」という禁足地(※1)が存在する。

※1:読んで字の如く、絶対に入ってはならない場所。
基本的には神社や寺院の境内にあるが、祟りなどの伝承が付随する為、心霊スポット扱いされる場合も。 土着信仰に根ざした聖域として日本各地に点在する。


交通量が多い国道14号線沿い、市川市役所の斜め向いという街中に位置しながら、 開発から不自然に取り残されたような竹薮が、その魔の領域である。


ここは広さが僅か18m四方(※2)にもかかわらず、前述の神隠しや必ず祟りがある恐ろしい場所として、 江戸時代から様々な文献(地誌や紀行文など)で取り上げられているのだ(※3)。

※2:近年の道路拡張で一部が削り取られているものの、江戸時代中期には既にこの程度の大きさしかなかったようである。
今ではすっかり竹林だが、元々は松や杉、柏などの様々な樹が生えていたそうだ。

※3:伝承が有名になった為、入ったら出られない藪や迷路を「八幡の藪知らず」と言うようになり、 やがて道に迷う事や出口が不明な状態を指す言葉として使われるまでになった。
江戸時代や明治時代には、この藪知らずをモチーフとした迷路の興行場も作られたようだ。


別名「不知八幡森(しらずやわたのもり)」、「不知森(しらずもり)」「不知藪(しらずやぶ)」とも称される。




言い伝えを裏付けるかのように周囲は柵が設けられ、鳥居と祠がある不知森神社の一画を除き、現在も出入りはタブーなのである。


だが唯一、この禁断の森に入りながら、無事に生還したという逸話を持つ人物がいる。あの水戸黄門として知られる徳川光圀である。


17世紀半ばの万治年間に、光圀は藪の中で多数の妖怪に遭遇したが、紋所を見せたおかげか謎の白髪老人に「今回だけは見逃してやる」と言われ、命からがら脱出したという(※4)。

※4:この出来事を描いた錦絵がやがて広まり、八幡の藪知らずの存在は知られるようになった。


その後、光圀は土地の者に藪の立入を禁じたとも言われるが、 それ以前から既に禁足地であった可能性も高い模様。


伝承の由来は諸説(※5)あり、一説には、平将門の首を守った家臣6人が最期に辿り着き、 泥人形と化した地だったとも言われている。

※5:日本武尊(やまとたけるのみこと)の陣所説、平貞盛が将門平定の時に八門遁甲の陣を敷いた説、 平良将(たいらのよしまさ)の墓説、葛飾八幡宮の跡地説、古代の豪族・貴人の墓所説、藪内に毒ガスor底無し沼がある説、近隣の村の飛び地説などが主に挙げられている。


だが有力なのが、近くの八幡宮の行事「放生会」で用いる魚を放った“放生池の跡地”説だ。
当時この地域を支配していた千葉氏の内紛により行事が途絶え、詳細が忘れられ、 「入ってはいけない」という事のみ伝えられた結果、以上のような話が作られていった可能性があるようだ。


現在はすぐ裏手にコンビニがあるような立地の為、昼間はあまり嫌な雰囲気は感じられない。
ただ、特に要因が見当たらない真っ直ぐな道にもかかわらず、目の前に「事故多発」の注意看板が設置されているのが少し不気味ではあった。


いずれにせよ、数百年前から21世紀の今日に至るまで、 時代の変遷をものともせず、手付かずのままそこに存り続ける事自体が、 畏敬と信仰の念を人々に抱かせる所以なのだろう。


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