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[2004.02.02]

SPOT3:平将門の首塚



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東京都千代田区大手町の高層ビル郡のど真ん中にはですね、将門塚と呼ばれる場所があるんですよ。
ここは一見、公園のような雰囲気なんですが、関東の武将・平将門の首を祀る塚なんですね。
平将門は、10世紀前半承平5年(935年)に、父の残した領地と女性問題を巡り一族の内紛が勃発した際、叔父や親戚の子供3人を殺すなどの所行に及び、938年にこの内紛を収める事に成功したのをきっかけに反乱を起こし、関東を制覇して新皇と称し、朝廷の反逆者となりました。
そして天慶3年(940年)2月14日、平清盛と藤原秀郷の連合軍の前に敗退し、流れ矢に当たって討たれたのです。世に言う「天慶の乱」ですね。
その後、当時の風習で死者が蘇らない様にと、将門の遺体はバラバラにされました。で、肝心の首なんですが、京都都大路でさらし首となったそうです。
しかし、首はいつまで経っても腐らず、目を閉じず、噛みつきそうな形相でわめき続けたそうなんですよ。
3日目には怪光を放ちながら夜空に舞い上がり、胴体を求めて東の空に飛んで、矢で射落とされた所がこの地だったそうです。
なお、この首塚に不敬な行為をすると祟りがあるとされ、慰霊碑を写真に撮ると何かが写ってしまうとも言われているんですよ。


首だけで京都から東京まで飛んでくるとか強過ぎ。

崇徳天皇、菅原道真と並ぶ「日本三大怨霊」の1人のようですからね。

お、思い出した!今日は駅前留学の日だったんだ!
か、帰らねぇと!グッバーイ、エヴリワーン!

参拝せずに帰ると不敬だぞ。諦めて振り替えレッスンしろ。

調査開始

外から撮らえた首塚。図らずも日が暮れて、ただならぬ雰囲気に。

心霊ツアー初日のラストはここか。マジで都会のど真ん中じゃな。

しかし、心なしかこの辺の一画だけ通行人が少ない気がしますね。

敷地内は綺麗に整備され、案内板がありました。

なあ、ここは江戸時代の寛文年間に、大老・酒井雅楽頭の上屋敷の中庭になっていたそうで、歌舞伎の「先代萩」で知られる伊達騒動の終末、伊達安芸・原田甲斐の殺害された場所でもあるらしいぞ・・・。

歌舞伎はよく知らんが、お家騒動ってやつか。

はっ、だから何だってんだよ!そ、そんなんで、こ、この俺がビビるかってんだよ!
(ひえ~ッ(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル )

平将門 蓮阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 徳治二年

慰霊碑を撮ってみたが、特に何も写らないぞい。

あ、大事な事を言い忘れてましたが、ここで参拝する際には、決して慰霊碑に触れてはいけませんよ!もし触れてしまったら、祟りがあるそうなんですよ。

Σ( ̄ロ ̄lll) え?

・・・まさか、触っちゃったんじゃないですよね?

さ、触ってねーよッ!第一、触ったら祟りがあるとか、そんなの迷信だっつーの!
今は科学万能の21世紀だぜ!(ごめんなさいごめんなさいごめんなさい)

さっきネカフェで調べたんだが、戦後にGHQが区画整備のために、この首塚を駐車場にしようとブルドーザーで整地を始めたら、ブルドーザーがいきなり転倒して運転手が死亡した為、計画中止になったそうだ。
昭和48年には、首塚の横と向かいでビル工事が行われた時、横のビルは首塚供養をしたそうなんだが、供養をしなかった向かいのビルでは、工事中に作業員2人が死亡し、他にも怪我人が続出したそうだ。
現在、ここの周囲のビルの会社員達は、決して首塚に背を向けて座らないらしいぞ・・・。

ひえええ・・・!

1000年以上経っても怨念がおんねんな・・・!

不敬なダジャレは止めてくださいよ・・・。

調査結果:ビルのど真ん中という事で参拝者が結構多かったが、何となく息を潜めるような、独特な空気の漂う空間であった。
取材中にも何人かサラリーマン風の男性が御賽銭をあげ、拝んでいた。恐らく近くの会社の人だろう。ある会社は毎日、鎮魂の為に参拝しているらしい。
ここは心霊スポットというより、神聖な場所というのが相応しいだろう。

つーか「オバチ」って何じゃ?

「オバケ」かと思ったら違った・・・。

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