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[2023.02.19]

御皇城山皇祖皇太神宮
~『竹内文書』に由来する裏パワースポット~



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「そんなバカな・・・」と思わせながらも、壮大な神話的世界観が中二心をくすぐり、なんだかんだで人々を引きつける『竹内文書』(※1)。
言うまでも無く、1928年(昭和3年)に宗教団体「天津教」の教祖・竹内巨麿(1874~1965年)が公開し、 『古事記』『日本書紀』よりも遥か昔、3000億年前からの歴史が記された、謎多き古史古伝の書である。

※1:文書や写本群、文字の刻まれた石や鉄剣などの総称で、『竹内文献』とも呼ばれる。
6世紀頃の武烈天皇の勅命により、日本古来の歴史の記録を後世に残すべく、 武内宿禰(大和朝廷初期に活躍したといわれる伝承上の人物)の孫・平群真鳥が、漢字とカタカナ交じり文に訳したものとされる。
長年に渡り秘密裏に保管されてきたこれらを、1892年に第66代当主となった巨麿が、祖父から竹内家に伝わる神宝類として譲り受けたという。
画像左上は神代文字で記された文書、左下は文書が収められている開かずの壷、右は武内宿禰の子孫を自称した竹内巨麿の人物写真。


荒唐無稽にも程がある内容の所為で、『竹内文書』はアカデミズムから“偽書”と見做されており、批判や嘲笑の対象になる事も珍しくない。
だが、戦後のオカルト界隈に大きな影響を与え、 青森県の「キリストの墓」や「大石神ピラミッド」、石川県の「モーゼの墓」といったB級観光地の元ネタとして、少なからず町興しに貢献しているとも言えよう。


残念ながら、原本の大部分は東京大空襲で焼失したとの事。
しかし、天津教――正式名「皇祖皇太神宮天津教」は、一部の写筆された古文書の内容を聖典(教典)として受け継ぎ、現在も各拠点で活動を行っているようだ。


ところで、そんな同書(『神代の万国史』として1970年に刊行)によると、なんと超古代の地球では、“日本の富山県が世界の中心だった”という。
俄かに信じ難いものの、現地にはそれを真顔で物語る施設が、ひっそりと確かに存在しているのだ。


教団の本庁は竹内家が住んでいた茨城県北茨木市磯原町にあるが、元々の神殿は、 巨麿の生誕地である富山県富山市の呉羽山にあったとされる。
そして呉羽山は、「御皇城山(おみじんやま)」とも呼ばれ、東山麓の神殿跡には現在、「皇祖皇太神宮」の社殿が鎮座している。
とても霊験あらたかな場所で、スピリチュアル系の人々から注目される、隠れたパワースポットらしい。


御皇城山の登山道の入口は、住宅地の奥にひっそりとあった。
昔はこの山(呉羽丘陵)で富山(※2)平野は東西に二分され、言葉や風俗の境界とされていたとか。

※2:「富山」という地名の由来は、越中国の国府のあった現在の高岡市から見て、 呉羽丘陵の外側に位置した事から「外山(とやま)」と呼ばれ、それがいつしか変化したとする説もあるらしい。


割と新しい看板も目につき、ちゃんと信者らによって管理されているようだ。
それにしても『竹内文書』というのは、やたらと我々好事家を山中へと誘う、厄介な代物である。


どうやら近所の人のジョギングコースでもあるらしく、この辺で朝のルーティンに励むランナー達とすれ違った。 意外と俗っぽい感じで少し安心したが、それも束の間・・・


スキーのストックが大量にあって、意表を突かれた。
親切にも、登山用の杖代わりという事のようだが、それにしても数が多い。
こんなに大挙して参拝に来るのだろうか。


しかし、ここで改めて前方を見ると、 草木が生い茂る険しい山道が続いており、真夏に訪れた事を後悔。
標高80m程の小山だが、確かに道を切り開く装備(棒とか)の1つでも欲しい環境であった。


蒸し暑さもあって、 なる早で帰りたい気持ちになりつつ、行く手を阻む草木や蜘蛛の巣を除けながら前進。


途中でまたも「皇祖皇太神宮」の看板が。
呉羽山なのか御皇城山なのか八幡山なのか、はっきりして欲しいものである。


そうして山道を10分程登っていくと、ようやく鳥居が見えてきた。


「皇祖皇太神宮」に到着。
スピ系のブログよろしく、「素晴らしいエネルギーがビンビン感じられて、アセンションしそう!」とでも書き、神秘性を強調したいところだが・・・


この鳥居の周辺から急激にヤブ蚊の数が増加し、「ブーーン」というおぞましい羽音が絶えず響き渡り、 そんなものを悠長に感じている余裕は無かった。
「今年は蚊が全然いない」と言われた2022年だったが、なんの事は無い、山にはちゃんと沢山いたのである。


薄れてしまって見えづらいが、看板に表記された祭神の名がとても多く、もはや映画のエンドロールみたいだった。
「皇祖」の名の通り、同社は歴代の天皇と皇后を祀っているらしく、ここには初代天皇から神武天皇までの名が記されていた。


『古事記』では、日本列島を生んだのはイザナギとイザナミという神で、イザナギの左目から生まれたアマテラスの子孫が、 初代天皇の神武天皇であるとしている。
しかし『竹内文書』は、神武天皇から始まる現在の皇朝を「神倭朝(かむやまとちょう)」と呼び、 それ以前の世界にも、「上古25代」「不合朝(あえずちょう)73代」「天神7代」という古代王朝があったとしているのだ。
ちなみに、上古21代天皇は「伊邪那岐身光天津日嗣天日(いざなぎあまつひつぎあめひのすめらみこと/イザナギ)」、 22代は「天疎日向津比売身光天津日嗣天日天皇(あまさかりひむかいちひめみひかるあまつひつぎあめのすめらみこと/アマテラス)」といった具合である。


タオルをヌンチャクのようにして蚊を撃退しつつ、半ば駆け足で参道を進んでいくと、正面に開放的な感じの社殿があった。
ここは、上古10代「高皇産霊身光天津日嗣天皇(たかみむすびみひかりあまつひつぎのすめらみこと)」の時代に、 岐阜県の位山にあった「天神人祖一神宮(あまつかみくにつかみはじめたましいたまや)」という神殿が移された場所らしく、 それ以後は「皇祖皇太神宮」になったという(名前がいちいち長い)。


大きめの東屋のようにも見えるが、これが同施設のメインである礼拝スペース。
雨宿りならちょうど良いが、蚊から避難するのは難しそうだ。


『竹内文書』によると、神武天皇以前の天皇=スメラミコト達は、 「天空浮船(あめのうきふね)」なる超古代の飛空艇で世界各地を巡っていたという。
その国内線の空港「羽根飛登行所」に当たるのが、この呉羽山(御皇城山)(八幡山)(※3)であり、 石川県羽咋市(UFOの町でお馴染み)に国際線の空港「羽根飛行場」があったとか。

※3:正確には、すぐ近くにある「羽根」という地名の場所を指す。


ちなみに、同県の立山町にある尖山(とがりやま/とんがりやま)も、天空浮船の発着場であり、 上古第24代「天仁仁杵身光天津日嗣天日天皇(あめににぎみひかりあまつひつぎあめひのすめらみこと/ニニギ)」の神殿「アメトツチヒラミツト」の跡らしい。
この標高559mの山は、御皇城山との関係性が指摘されており、その綺麗な三角の形状などから、人工のピラミッド説(※4)も囁かれている。

※4:『竹内文書』に魅せられたオカルティストの酒井勝軍(1874~1940年)が、昭和初期に「日本のピラミッド」を発見(認定)。
彼は、日本のピラミッドこそ世界最古のものであり、自然の地形を利用して、石や土などが積み上げられた半人工物であると考えた。
そのピラミッドの条件として、整然とした三角形の山や、山頂周辺にストーンサークルが配されている事などが挙げられている。
1984年に調査を行った富山大学の山口博教授も、同様に尖山のピラミッド説を提唱した。
ただし、後の専門家によれば、三角形の独特な山容は、約2千万年前の海底火山の噴火が原型になったとの事。


昔は“怪物が住む山”として崇められていたらしく、 山頂には、ストーンサークルのような人工的な石組みや、コンパスが狂うなどの磁気異常が起こる場所がある(※5)。
また、1970年代になると、尖山周辺で謎の発光物体=UFOの目撃例が増加。
その為、ミステリースポットとしてメディアで注目され、「UFOが離着陸する為の目標(基地)」であるなど、諸説が論じられた。

※5:山頂では、山岳信仰に関連した平安末期から鎌倉時代にかけての祭祀の遺跡も発見されている。
富山大学の広岡公夫教授による調査では、山頂の安山岩が通常の数百倍に及ぶ強い磁気を帯びている事が判明。 ただし、原因は落雷ではないかと考えられている。


正面の奥には祠が鎮座しており、その賽銭箱には皇室の紋章である十六日章菊花紋が。
通説では、鎌倉時代の後鳥羽上皇が愛用した事で定まったとされているが、 『竹内文書』では、16個の花弁がスメラミコトの16人の子供達(皇子・皇女)を指す「光の線」としている。


実はこの菊花紋とよく似たものが、 バビロンのイシュタル門やマヤ遺跡の石像、エジプトのフォラオの副葬品など、 世界各地の古代遺跡から発見されているのだ。
これらは、天空浮船による万国巡幸(世界一周)に際して、スメラミコトを歓迎する為に作られたと考えられるという。


参拝の仕方も独特で、カンチョーの如く人差し指だけ立てて、「四度拝八平手一度拝」するとの事。 二礼二拍手一礼の一般的な神社と比べると、結構な拍手回数だ。
この組手は剣の形であり、さらには笏(しゃく)を表しているという。
昔の貴族が持っていた平らな木の板=笏は、今日でも皇室行事や神社の儀礼などで用いられるが、 その代わりとして組手を採用しているらしい。


この地についての“いわれ”が書かれた看板。しかし情報量が多いったらありゃしない。


『竹内文書』によると、皇祖皇太神宮は元々1.5km程離れた久郷地区(現在の神明小学校付近)にあったが、天変地異により消滅。
しかし、天照大神が御皇城山に再建するという神対応を行い、 本殿は横幅110m×奥行113m、前殿は横幅230m×奥行220mに及ぶ大神殿が建ち、東西南北には大鳥居が建てられたそうだ。


さらになんと、釈迦やキリスト、モーゼ、ムハンマドなどの聖者が天皇に会いに来日し、修行に励んだ場所なのだという。
あまりにオールスターが大集合で、ちょっと理解が追い付かないが、 どうやらここは、ユダヤ教、道教、儒教、キリスト教、仏教、イスラム教の全てを包括する、万教帰一の神宮という事らしい。


他にも情報が渋滞しているので、以下に箇条書き。

・御皇城山は天孫降臨の神勅(神の命令)により、上古1代「天日豊本葦牙気身光大神天皇(あめひのもとあしかびみひかりおおかみのすめらみこと)」が、人間社会の統治者として選び、降臨した地。

・お宮は20年ごとに換え地に交互に立てられた。その一方のホド宮がこの八幡山。もう一方が久郷地区のミド宮。

・神殿の屋根は「ヒヒイロガネ」という、錆びない謎の金属で葺いた参殿造りだった。

・天皇が祭主の大祭が盛大に執り行われ、全世界から五色人(※6)が集い、皆で四度拝八平手一度拝をした。

※6:五色人(ごしきじん)は、『竹内文書』に記述される人類の祖先であり、赤人、青人、黄人、白人、黒人からなる、太古の5つの根源的人種。
実はオリンピックの5色の輪も、この五色人から来ているとの事。
しかも日本人は、この五色人を超越した「黄金人」の末裔だとされる。


祭礼の内容は、深湯(くがたち)祭、鎮火(ひわたり)祭、鳴動(かまなり)祭など術祭を行い、 上下万民の安泰を祈念したとの事。
なお、今も毎年8月には、当地で信者達が集い、例祭が行われているという。


また、秋の例祭では、茨城県の本庁で祈願祭・鳴動祭・深湯祭・鎮火祭が、厳かに執り行われているようだ。


ファンシーな落とし物。心当たりのある方は、皇祖皇太神宮へ。


こんな怖い注意書きも。
どうやら神社のニセ関係者が近付いてきて、個人情報を聞かれる事があるらしい。
他の神社でも、たまに同様の輩が現れるようだが、 ここは場所が場所だけに、よりいっそう、得体の知れない都市伝説的な不気味さが漂う。
建物の影から急に「教えてあげましょう」と、誰かが出てきたらどうしようかと思ったが、 幸い訪問時にそんな事は無かった。蚊も多いし。


歴代天皇と大聖者が祀られ、 超古代の秘史(あるいは偽史)を今に伝える、ミステリアスな聖地「御皇城山皇祖皇太神宮」。
壮麗な神殿跡とは到底思えない簡素な造りながらも、圧倒的な情報量と大胆さで竹内ワールドを展開していた。
それはまるで、常識という名の鎖から人々を解放し、天空浮船の如く、 新世界へと羽ばたかせんとするかのようでもあった――(知らんけど)。


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ムー大陸

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