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[2012.08.25]

FILE002:ムー大陸


ジェームズ・チャーチワード
(James Churchward)▲
1851年2月27日 - 1936年1月4日
ムー大陸は、約1万2000年前まで太平洋のポリネシアからミクロネシアにかけて存在したとされる幻の大陸だ。
白人を中心として高度な文明が繁栄していたものの、神の怒りを買い、一夜にして海底に沈没してしまったという伝説がある。
ムー大陸の存在は、1926年〜1931年にイギリス系アメリカ人の陸軍大佐ジェームズ・チャーチワードが、『失われたムー大陸』(The Lost Continent of Mu)という本をニューヨークで刊行した事により世に知れ渡る事となった。
それによると、1868年、インドの中部地方(またはチベットとする情報も)は空前の大飢饉に見舞われ、当時インドを支配していたイギリスは、人々の救済と治安維持の為に、救援隊を編成し、チャーチワードを隊長としてベンガル地方へ赴いた。
チャーチワードは隊を率いてよく働き、土地の住民達と親しくなっていき、ある日、彼は古いヒンドゥー教寺院の壁の浮き彫りの紋様に興味を持ち見とれていると、顔馴染みになった寺の高僧がやってきて、読み方を教えてくれたという。
高僧の学識の高さに感心し、東洋の神秘に魅せられたチャーチワードは、それ以来、暇を見つけては寺を訪れ、高僧から様々な紋様の読み方を教わった。
するとしばらく経った頃、高僧が「この寺には秘密の穴蔵がある。そこには誰も手を触れてはならないと定められた“ナーカル碑文”という粘土板が何枚も眠っているらしい。もちろん私も見た事は無いが、いい伝えによれば、世界で一番古い人間の言葉が刻まれているそうだ」などという重大な秘密を明かしたそうなのだ。

若き日のチャーチワード(?)▲
それを知ったチャーチワードは、掟を破ってはいけないと思いつつも、何としてもその粘土板を見てみたいという念にかられ、高僧を説得し続けた。
そして半年後、ついに根負けした高僧は、チャーチワードを寺院の地下の穴蔵に案内し、門外不出の粘土板ナーカル碑文を見せたそうだ。
何枚もの粘土板には、図形とも記号ともつかない不思議な紋様が刻まれていたらしく、その意味は高僧にも分からなかったそうだが、そこで2人は協力して、解読作業に取り組む事にした。
そして、高僧の深い知識もあって、2年程で解読に成功したらしく、どうやら粘土板は、遥か昔の「ムー」と呼ばれる未知の大陸からやってきた「ナーカル(聖なる兄弟)」が記した歴史書だったという事が分かったという。
チャーチワードは粘土板を読み解きながら、表現は多少異なっているものの、内容が旧約聖書の『創世記』にそっくりである事に気づき、ムーの歴史は、インドからエジプトを経由してシナイ半島に伝わり、それが旧約聖書に記されたのではないかと推理した。
この推理はチャーチワードを研究に駆り立て、彼はインド各地の寺院を巡った後、チベット、タイ、カンボジア、中南米、太平洋の島々へ足をのばし、ムーの存在を探っていったそうで、この調査でハワイ諸島やイースター島をはじめとした多くの島々や国々に、失われた母国の伝承が残されている事をつきとめた。
さらに、ウィリアム・ニヴンというアメリカ人技師が、メキシコで発見したという2500個の石板に描かれていた紋様に、インドの紋様と同じ意味が読み取れる事に気づき、これらの集めた資料をもとに、チャーチワードは「ムー大陸は太平洋に実在した」という結論を下し、著書で発表したのである。
超古代文明ってやつですね。
でも本当にそんな大陸あったんですかねえ。
こんなん超誇大妄想の間違いじゃろが。
チャーチワードが描いたムー大陸の地図▲
チャーチワードによれば、ムー大陸は太平洋の真っ只中にあり、陸部は極狭い海峡によって3つに分割され、その北の端はハワイ諸島、西はマリアナ諸島、南はフィジー、トンガ、クック諸島、東南端はイースター島までを占める範囲で、東西8000km、南北5000kmの面積を有していたそうです。
大陸には山は無く、大部分が熱帯に属している為、気候は温暖で、牧草に覆われた平原が広がっていたそうで、今から5万年以上前に高度な文明を誇るムー帝国なる巨大な国家が築かれ、帝王にして大神官ラ・ムーを中心とする白人層に支配されていたそうです。
「ラ」は太陽を意味し、「ムー」は母を意味する為、ムー帝国は“母なる太陽の国”とも呼ばれ、3つの海峡が交差する大陸のほぼ中央部にある首都ヒラニプラを中心として、最盛期には6400万の人々が住んでいたらしいです。
ラ・ムーはヒラニプラの王宮で、宗教と政治の両方を司り、最高位の神官でもあったそうで、宗教は宇宙の創造神たる7頭の蛇「ナラヤナ」を崇めていたそうです。
ムーの首都ヒラニプラのイメージ▲
また、帝国内には首都をはじめ、7つの大都市が栄えていたそうで、何処も真っ直ぐな石畳の道路と、ヤシに縁取られていた運河が網の目の様に延びていたみたいです。
都市全体は整然と区画され、熱帯樹に包まれた巨大な石造りの官庁や宮殿、神殿が建ち並び、壮観な風景であった様です。
特に首都ヒラニプラの賑わいは他を圧倒し、花々が咲き乱れ、熟れた果実の香りが街中にむせ返る様に満ち溢れていたそうです。
また、ムー帝国の国民は10種族に分かれ、彼らは高等な知識と文化を持ち、特に建築と航海の術に優れていたそうで、大陸は非常に豊かな土地であった為、人口の増加が著しく、過密気味になった頃、彼らは世界各地に植民団を送り出したそうです。
最初の植民団はカラ族という種族で、東を目指した彼らは中央アメリカから南アメリカに移り、そこでカラ帝国を築いたとされているそうです。
また、西に向かったウイグル族は、中国大陸に上陸し、ウイグル帝国を築き、さらに現在のミャンマーに上陸したナガ族は、ナガ帝国を作ったそうです。
こうして世界各地に植民し、栄華を極めたムー文明ですが、前述の通り、今から約1万2000年前、突然、大地震が起こり、火山が活動を始め、都市や村々は巨大な地割れに飲み込まれ、やがて山の様な大津波が襲い掛かり、全てを覆いつくし、ムー大陸は海の底へ沈んでいったそうです。
そして、ムー大陸の沈没と同時に世界各地にも大規模な地形の変動が起こり、植民した人々も自然の驚異と母国を失った事により、徐々に衰退していってしまったとの事です。
ちょっとスペース取り過ぎじゃろ!太平洋がほとんど無いやんけッ!
こんなデカい大陸なのにあっさり沈んじゃったりするでしょうか・・・?
1万2000年前、天変地異により海中に没したムー大陸滅亡のイメージ▲
ムー大陸は一夜にして沈んだと言われているが、その原因として考えられる説のうち、ムー大陸の大火山が噴火した時に地下にあったガスの貯まっていた層に引火し、その層は中身が空になってしまった為に崩れ、大規模な地盤沈下を起こしたというガス・チェンバー現象が有力だ。
太平洋の島々には巨大な石を使った遺跡や石像などの文化的共通点が多く見られ、また、それらの島々には白い神の信仰や大洪水の伝説が残っている所も多い。
しかも、その洪水は大雨によって起きたのではなく、海面の異常上昇によるものだと言われ、大陸が沈んだ時にごく少なく残った陸地に波及効果が及んだとも考えられている。
滅亡のきっかけは火山の大噴火か?▲
ディエゴ・デ・ランダ著『ユカタン事物記』に記載されたランダ・アルファベット▲
(1863年にシャルル・エティエンヌ・ブラッスールによって再版されたもの)
しかし現代では、チャーチワードが唱えたムー大陸の存在はほぼ否定されております。
チャーチワードがインドでナーカル碑文を見せてもらったのが1868年とされていますが、そうなると彼は当時まだ16歳だという事になり、 そんな青二才にヒンドゥー教の高僧が秘密の粘土板を見せるとは思い難いです。
また、チャーチワードが著書で引用しているマヤの『トロアノ古写本』の訳文は、 フランスの医師でピラミッド神秘学者のオーギュストゥ・ル・プロンジョンが、実際には天文学書だというのに、 何をとち狂ったか、大西洋の失われた大陸アトランティスの記録だと信じ込んで翻訳したものであり、信頼に足る物ではありません。
同時に、やはり引用されているチベットのチベットの都ラサの仏教寺院にある『ラサ記録』なるものも、 1912年10月に、トロイの発掘で有名なシュリーマンの孫パウル・シュリーマン博士の名で『ニューヨーク・アメリカン』紙に掲載された でっち上げ記事によるものだそうで、これも論外と言えるでしょう。
また、そもそもムー大陸の「ムー」とは、ナーカル碑文に繰り返し刻まれていた解読不能な言葉だそうで、決して大陸の名を示したものではなかった様なのです。
実際には英語の「THE」の様なものだったのではと解釈されます。
こうした事の原因としては、 1864年にフランスのシャルル・エティエンヌ・ブラッスール神父が、スペインのマドリッド王立歴史学会にて、ディエゴ・デ・ランダというスペイン人宣教師が 1566年に著した『ユカタン事物記』を発見したそうなのですが、 それに記載されていたマヤ文字とスペイン語のアルファベットを対照させた表の マヤ・アルファベット(ランダ・アルファベット)に基づき『トロアノ古写本』を解読した結果、 「M」と「U」に似た文字を発見した事から、 古代に栄えた海底に没した「MU(ムー)」なる国の記録を見出し、 ブラッスール神父はこれをアトランティスの別名と考え、アメリカ大陸とエジプトの古代文明は、いずれもアトランティスに発祥したと説いた事によるそうです。
え、この落書きだらけのノートみたいの一体何ですか?
まるで私のみたい。
全体的にものすごくテキトーじゃねーか。
なんと愚かな伝言ゲームじゃ・・・。
チャーチワードの主張による失われた土地に関する古い記事▲
さらに、実はチャーチワードは、陸軍大佐だったというのは自称に過ぎず、青年時代から英陸軍に従軍し世界各国に出向く機会に恵まれ、大佐にまで出世したという彼の主張はデマくさいのです。
事実、イギリス陸軍の記録の中に、ジェームズ・チャーチワードという人物は存在していなかったらしいです。
なお、一部情報によっては、チャーチワードは若い頃に『メイン州北東部への大物釣りガイド』(A Big Game and Fishing Guide to North-Eastern Maine)なる本を出版しており、 これが彼が軍に所属していなかった事の裏づけとされてきたみたいですが、実際には出版年は1898年で彼が47歳の時のものだそうです。
あちゃ、中二病みたいな経歴詐称はいけませんね。
私にも身に覚えがありますが。
とんだペテンじゃねーか。つーかマニアックな本出してんな。
竹内文書の一部▲
神代文字という古代文字で書かれている。
一説によりますと、チャーチワードがこの様なでっちあげを行った理由は、当時、有色人種の国である日本が欧米と肩を並べる程の強国になり、この現実を受け入れたくなかったが為、日本人はムー大陸の支配層の白人の子孫であったとする事で、折り合いをつけようとしたのではないかと言われています。
これに関する事項として、 古史古伝の書物である竹内文書によれば、 かつて不合朝69代神足別豊鋤天皇の代に「ミヨイ」、「タミアラ」という大陸(島)が存在し、 これらの島では五色人(白人・黒人・赤人・青人・黄人)と王族の黄金人が暮らしていたが天変地異で沈んだ為、 天の岩船で日本など太平洋の沿岸域に避難したとされているそうです。
「ノアの大洪水」などの世界の洪水伝説は、この時の水没の影響だそうです。
さらに、日本の天皇家はムーの黄金人の子孫であり、日本人こそムーの系譜であるとしていたそうですが、 この説は第二次世界大戦前、日本の天皇こそが世界の正統なる支配者であるという根拠の一つとして 一部の急進的な愛国者の間で支持されたものの、国が教育する天皇像や皇国史観から逸脱している為に弾圧されたみたいです。
そもそも、この竹内文書自体が明治から大正にかけて竹内巨麿なる人物によって創作された偽書とされ 史料価値が認められておらず、一般にムー大陸は存在しなかった伝説上の産物と見られています。
もはや右翼ですらスルーしそうな戯言じゃな。
つーか誰だよ竹内って・・・。
でも、そういえば日本の国旗って日の丸・・・つまり太陽。
“母なる太陽の国”と呼ばれたムーと確かに共通してそうですよね。
沖縄にある与那国島の海底遺跡▲
太平洋の島々に共通する巨石造りの遺跡▲
しかし、大陸は存在しなかったものの、 太平洋上に残された数多くの遺跡や遺物に見られる文化的特徴の共通性から、環太平洋文化圏=ムー文化圏とでも言うべき、日本も含む太平洋の島々を繋ぐある種の高度な文明は存在したのではないかという可能性が提唱されています。
(これは海洋民族の舟による移動能力が優れていた為、各島々で交流があった結果ともされていますが)
また、ジェームズ・チャーチワードの父ウィリアムが1890年に『ブルックリン・タイムズ』土曜版に沈んだ大陸についての投稿をしたとされ、 ジェームズは父の遺志を継いだのではないかとも考えられている様です。
そんな彼も1936年1月4日、84歳の時にロサンゼルスでの講演中に倒れて亡くなり、 ニューヨーク郊外にある墓にはムー帝国の紋章が刻まれているそうです。
私達後世の人間にロマンという名の置き土産をありがとう、チャーチワードさん・・・。
・・・そんな感じの扱いでいいのか?
ナーカル碑文(?)を持つ僧侶▲
海底調査でも太平洋に巨大な大陸が海没した事を示す証拠は見つかっておらず、科学的にも ムー大陸のあったとされる年代に大陸は無かったという事が明らかになっている。
だが、なんと近年「ナーカル碑文」は実在し、その写真も公開されているという情報があるのだ。
一説によると、第二次世界大戦の終戦時に、東京の市ヶ谷にあった陸軍参謀本部にGHQが踏み込んだ際、 資料押収のため教育総幹部の一室に入ったところ、そこには山済みになった書類がそのままの状態で置かれていたという。
(当時ほとんどの書類は焼却されたが、最重要書類以外は後回しにされ、ある程度残っていたらしい)
そして、そこから“南輝”と書かれた分厚い封筒を発見し、 中には日露戦争の頃に製作されたと思われるインド北部、現在のラジャスタン州の古地図と180枚もの写真が入っていた。
写真はどれもインドで撮影されたものらしく、ヒンドゥー教寺院や僧侶などが写り、 文化調査の資料にあるはずの不許可や検閲済みの印が無く、撮影したのは旧日本軍であると思われる。
そして、その中の1枚に20世紀初頭にこのヒンドゥー教寺院で撮影された インド人と思われる僧侶が粘土板を大事に持っている写真があったのである。
どうやら、この僧侶が持っている粘土板こそがナーカル碑文らしいのだ。
インド人というかムー人かと思いましたヨ。
へえ、これが噂の粘土板ですか・・・。
iPadか何かじゃねーの?
んなもん持ってるかッ!
ムー文明のシンボル▲
重要な資料だと判断したGHQは、これらを詳しく調べたところ、 南輝が“ナンアカル”即ち“ナーカル”と読め、 粘土板の表面に浮き出ている模様は絵文字であり、 チャーチワードのベストセラー著書『失われたムー大陸』に掲載されたムー文明のシンボルと酷似している事から、 ナーカル碑文の存在が実証されたのである。
旧日本軍から押収された南輝資料は現在、アメリカの某大学で軍関係の学者が研究を続けているそうだが、解読には至っていないそうだ。

また、1997年になってアメリカ軍は南輝資料の地図にあったインドのラジャスタン州に向かい、 問題のヒンドゥー教寺院の調査を行ったという。
一見して怪しい箇所は見つけられなかったそうだが、 軍事衛星がレーザースキャンで撮影した映像を改めて分析したところ、 寺院の西一角に僅かに小さな地下空間の存在をつかみ、 付近にあった枯れ井戸こそが聖なる収蔵庫の秘密の入口である事が判明したのである。
井戸の内側の壁面には螺旋状に杭が打たれており、 これを頼りに下りると地下室の木製扉があり、その内部には複数の粘土板や用途不明の器具、 恐竜を模した様な怪物の像などが多数あったそうだ。
アメリカ軍は分析の為、それらを本国へと持ち帰ったとされる。
GHQが見つけた南輝資料の存在からも推察出来るが、 どうやらムー大陸伝説の誕生は旧日本軍が裏で関与していた可能性があるという。
日露戦争直後の日本はイギリスと同盟関係にあり、旧日本軍はイギリスの支配下にあったインドにも訪れていた。
そして、ヒンドゥー教寺院の地下から粘土板が発見され、 日本にも訪れた事がある親日派のチャーチワードが旧日本軍と接触して古代文明の伝説を知り、 そこから得た着想で失われたムー大陸の物語として世に放たれたのではないか、という事らしい。
なるほど、古き良き時代のラノベってところでしょうか?
つまり一言でまとめるとムー大陸なんぞ無かったと。
2億年前(三畳紀)の世界地図▲
南半球中心にゴンドワナ大陸は広がっていたとされる。
しかし、一方でムー大陸の正体として、近年の地質学的知見をもとに、 有史以前の太平洋上に存在した超大陸パンゲアやゴンドワナ大陸、氷河期に陸地として存在した東南アジアのスンダランド、 オーストラリア大陸とニューギニア島などを合わせたサフールランドなどの場所が挙げられているみたいです。
もしかしたら、ナーカル碑文にはそうした情報が記されていたのかもしれないですね。
初出:[2002.10.10]
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