イギリス・ロンドンにはですね、世界最大の博物館の1つで、古今東西の美術品と書籍が収集されている大英博物館てのがあるんですよ。
収集物は、書籍や美術品の他に、考古学的な遺物、標本、コインやオルゴール等の工芸品、世界各地の民芸品等、多岐に渡っていましてね、ここの2階北側のエジプト・ギャラリーには、「ミイラの間」ってのがあって、同館の目玉になってるんですよ。
ミイラ目当てで訪れるって人も結構いるんじゃないかなあ。
ところでね、ここのミイラには、こんな話があるんですよ。
1910年、エジプトのカイロでアメリカの盗掘団が、ある1体のミイラを盗掘したんですよ。
そのミイラは、作られ方や埋葬のされ方が丁寧であり、納められていた棺が、エナメルと金を施した見事な細工の王女の像が彫られていたりした事から、かなり身分が高く、紀元前1600年頃のアモン・ラー神殿の女官のものであると推測されたそうなんだ、うん。
でもね、このミイラを盗掘してから、異変は始まったんですよ。
もっとも、既に盗掘の最中に、仲間の1人が謎の死を遂げていたそうなんですがね。
しかも、「私は神の裁きで呪われたのだ」なんてうなされながら事切れたそうです。
で、盗掘者はそのミイラを、イギリスの考古学者ダグラス・マレーに売ったそうなんですよ。
ところが、ミイラを売った盗掘者は、その夜に、これまた謎の死を遂げちゃったんですね。
また、ミイラを購入したマレーも、その3日後に、ナイル河畔に狩りに出かけた際、突然銃が暴発して腕を切断するってな大怪我をしたそうです。
さらに、イギリスに帰ろうと棺を船に積んでいた同行者の2名と、棺を扱ったエジプト人2名がまたも死んでしまったんですよ。
それでもめげすに、マレーは何とかイギリスにミイラを持ち帰ったんですがね、今度は高熱に冒され、さすがに怖くなった彼は、ある富豪夫人にミイラを売ったんですよ。
したら、今度はその富豪夫人の母親が突然死んでしまい、主人は原因不明の高熱を出しちゃったんですよ。
で、夫人はミイラをマレーに返品しようとしたんですがね、マレーはこれを拒否。
いやあ、酷い奴ですね。
そこで夫人は仕方なく、怪しい物の宝庫である大英博物館にミイラを寄付したんですがね、ここでもまた、棺の写真を撮ろうとしていたカメラマンが死に、展覧会を企画した学者も開催日の夜に死んでしまったんですよ。
で、博物館も対応に困り、ミイラを持て余していた時、ニューヨークの博物館がミイラを欲しいと言ってきたので、遠慮なく押し付ける事になったんです。
ところが、結局このミイラはニューヨークへ到着する事はなかったんですよ。
1912年4月10日、ミイラは当時、「絶対に沈む事は無い」と言われていた豪華客船に乗せられ、イギリスのサザンプトン港から、ニューヨークへ向けて出航したんですね。
当然、こんな呪いのミイラを運ぶ事は、乗組員も乗客も知らされてなかった。
そして、14日の夜、その船は北大西洋沖で氷山に衝突し、沈没してしまったんですねえ。
ええ、そうです。乗客乗員1513人を死に誘ったその船とは、タイタニック号だったんですよ。
一部では、タイタニックが沈没したのは、密かに乗せていたミイラの呪いの所為だ・・・なんて言われてるんですねえ。
尚、その後、海中から棺が発見され、現在は大英博物館に収められているとか。
今はミイラも大人しくしているとの事ですがね、時々、夜中にミイラの間から呻き声が聞こえてくるってな話ですよ・・・。