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[2013.08.03]

ポルターガイスト
~世にも迷惑な騒がしい霊~



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欧米で最も有名な幽霊のひとつポルターガイスト▲
かつては英語読みのポルターゴーストとも呼ばれたが、ドイツ語の方が好まれ死語となった。
一説によれば、若者特有のエネルギーを糧として活動しているという。

欧米で最も有名な幽霊のひとつポルターガイスト▲
かつては英語読みのポルターゴーストとも呼ばれたが、ドイツ語の方が好まれ死語となった。
一説によれば、若者特有のエネルギーを糧として活動しているという。
ポルターガイスト(poltergeist)とはドイツ語で「騒がしい霊」という意味で、物体が空中を飛び回り、家具や窓が壊れる、物が自然発火したり、原因不明のノックや足音などのラップ音や異常な唸りが聞こえるという心霊現象の事です。
霊自体の姿は見えないそうですが、足音、燃える様に赤い目、大きな図体のものを見たという例もあります。
古くは西暦858年の『フルダ年代記』の記述に、ドイツのビンゲンというライン川沿いの村のある農家に悪霊が取り憑き、つぶてを投げたり、壁をハンマーで叩く様な音を立てていたという事が書かれています。
この時には、悪魔祓いの為にマインツ司教区から神父が派遣されたそうですが、騒動は収まらなかったそうです。
ポルターガイストは一般的に、思春期の少年少女のいる家で起こる為、彼らの不安定な精神状態が引き起こす無意識の念動現象とも言われています。
また、亡霊やポルターガイストの出没は、特に魔術の信仰や恐怖が一段と強い地域では、魔女や妖術使いの所為にされる事があったそうです、実際にブラジルの一部の人々の間では、ポルターガイストの殆どは、一族に掛けられた魔女の呪いの所為だと考えられているらしいです。

ポルターガイストだかポルノグラフィティだか知らんが、 こんなんただの痴話ゲンカが原因なんじゃね?

なるほど、騒がしい霊の正体は三角関係がもつれた男女の修羅場って事ですね。

そりゃ確かに精神的に不安定な状態・・・ってんな訳ねえだろ!
そういえば、日本でも2000年の秋頃に似た様な事がありましたね。
幽霊が出るとメディアを騒がせた岐阜県富加町の高畑住宅。
ここでもポルタ-ガイスト現象や、ラップ現象等が頻繁に起きたとかって事で、17~8人の霊能者が除霊に失敗する中で、女性霊能者の下ヨシ子氏が3日3晩かけて行なった除霊により、ようやく怪現象が収まったとかなんとか・・・。


【テッドワースの怪人ドラマー】


「テッドワースの怪人ドラマー」を描いた絵▲
怪音が聞こえるラップ現象は、日本では鼓音現象とも呼ばれた。

「テッドワースの怪人ドラマー」を描いた絵▲
怪音が聞こえるラップ現象は、日本では鼓音現象とも呼ばれた。
ところで、この現象については、「テッドワースの怪人ドラマー」という事件が有名です。
ゴーストハンターとして有名なハリー・プライスも、イギリスのポルターガイストの中で最も信憑性の高い先駆的な事例のひとつとしているんですよ。
1661年3月、イギリスのウィルトシャー州ラドガーズホールの道路を歩き回りながらドラムを叩いて騒ぎ、 偽造文書で金を稼いだ罪で、 浮浪者のウィリアム・ドゥルーリーという男(彼は旅回りの手品師で、以前は連隊鼓手も務めていた)が、 テッドワース(現ティドワース)という小さな田舎町に住むジョン・モンペッソンという地方判事(町長とも)が逮捕したんですね。
ドゥルーリーは警告のみで釈放されたが、 所持していたドラムを没収され、土地を出て行くように命じられた。
モンペッソンは没収したドゥルーリーのドラムを自宅に持ち帰ったそうです。


風刺画家ジョージ・クルクシャンクによる「テッドワースの怪人ドラマー」を描いた絵▲

風刺画家ジョージ・クルクシャンクによる「テッドワースの怪人ドラマー」を描いた絵▲
しかし、それからしばらくした4月のある晩、突然ドラムの音がモンペッソンの家の外や屋根の上から鳴り響いたそうなんですよ。
眠れぬモンペッソンは、ドラムを使用人に解体させたそうなんですがね、 翌晩も今度は屋敷の上空で音が鳴り続けたらしいんですよ。
これらの出来事をきっかけに、 金属をこすり合わせる様な音や、悪魔の様なひどい息使いが聞こえだし、さらには部屋中の物が宙を飛び交う、 寝室用の便器の中身がベッドにぶちまけられる等の怪現象が2年間も続いたそうですが、以後はぷっつり止んだらしいです。
この怪人ドラマーの話はすぐに国中に広がり、 いち早くチャールズⅡ世の礼拝堂付常任牧師のジョーゼフ・グランヴィルが調査に乗り出し、 さらにその後王の命を受けて委員会が作られ事件を調査したものの、 人間による仕業だという証拠は突き止めれなかったそうです。
こっそり戻ってきたドゥルーリーが逮捕の仕返しに嫌がらせを行ったのではないかとも考えられたんですがね、 この時、彼はグロスター州で盗みを働いて逮捕され、流刑を言い渡されていたそうです。

怪人ドラマーとか凄腕な感じのネーミングなんだから、 どうせなら超絶テクで人々を熱狂させれば良かったのにな。

いいですね、死んでるのにLIVE(※“生きる”と“演奏会”をかけた高等ギャグ)とかしちゃって、音色に合わせて皆で踊りだすんですね。

ちょっとアンタらいっぺんドラムのバチで頭叩かれた方がいいですよ?


【ハイズビル事件】


フォックス姉妹▲
左から次女マーガレット(文献や発音によってはマギーやマーガレッタだが、本項では多く用いられている方を採用する)、三女キャサリーン(愛称ケイト)、長女リア。
いわゆるスピリチュアリズムの先駆けとなった。

フォックス姉妹▲
左から次女マーガレット(文献や発音によってはマギーやマーガレッタだが、本項では多く用いられている方を採用する)、三女キャサリーン(愛称ケイト)、長女リア。
いわゆるスピリチュアリズムの先駆けとなった。
この現象は、時代によって様々な挑戦がなされており、例えば悪魔祓い師が派遣されたり、有識者による調査委員会が組織されたりしたそうですが、それらはいずれも密やかに行われており、一般に知れ渡る事はありませんでした。
ところが、19世紀になって、アメリカで起こったあるポルターガイスト事件をきっかけとして一気に湧き上がる事になったのです。
1848年3月、ニューヨーク州ハイズビルのフォックス家で、目には見えない謎の存在によって、ドアや壁がノックされる音が聞こえる様になった。
いわゆるラップ音現象が世間に広く知れ渡る様になったのはこの事件によるものなんですね。
音が何処から聞こえてくるのか分からないまま数週間が過ぎ、31日の夜、 15歳(14歳とも)のマーガレットと12歳のケイトの2人の娘が、1度叩いたらイエス、2度叩いたらノー、という合図のノックをすると、霊はそれに答えたそうなのです。
そして交信するうちに、どうやら霊は、 以前この家の住人であったジョージ・ベッグという男に500ドルを奪われて刺殺されたチャールズ・B・ロズマという名の当時31歳の商人であり、 死体が家の地下室に埋められているという事が判明したそうです。
霊の話を聞いて地下室を3m程掘ったところ、人間の毛髪と頭蓋骨に、 殺害時に血を受けたと思われる容器が発見されたそうです。
しかし、当時は現代と違いDNA鑑定などの技術も無かった為、発見された遺骸の一部がロズマのものとは特定出来ず、 犯人とされたジョージも裁かれる事は無かったんですね。


当時のフォックス家▲

当時のフォックス家▲
浮かばれないロズマの霊はその後もこの家で騒ぎまわり、 夜になるとドアが勝手に開いたり、家具が動き回ったり、 大きな音で自分が殺される瞬間の様子を再現するという事までしたそうなんですよ。
また、話を聞いた野次馬が連日の様にフォックス家に押し寄せたらしいんですね。
で、時は流れて1904年11月23日、 フォックス一家が住んでいた家は既に廃墟となっていたそうなんですが、 ここに忍び込んで遊んでいた子供達が偶然、地下室の崩れた壁の中から首の無い白骨死体と、 「チャールズ」という名が記された商人の使うブリキ製の荷物入れを発見したんですよ。
どうやら犯人のジョージは、チャールズを殺した後、首を切断して体は壁の中に埋め込んでいたみたいなんですよ。
つまり、フォックス姉妹が交信した霊が言っていた事は全部本当だったってな話なんですね。
この事件は国内外の新聞で報道され、 霊は存在するという事で、全米にセンセーションを巻き起こしたんですよ。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて交霊会や心霊研究が盛んになり、 社会現象とも言える心霊ブームは、瞬く間にヨーロッパに逆輸入という形で伝染したのです。
また、当時は、イギリスではダーウィンの『種の起源』が刊行されたばかりであり、何事も科学的に解明するという風潮の時代であった為、1882年にはウィリアム・バレット卿という人物によって、イギリス心霊現象研究協会(SPR)なるものが設立される事になったのです。
フォックス姉妹はその後、霊と交信する事が出来る霊媒師として有名になり、 長女のリアを加えて各地で交霊ツアーを行い、話題をさらったんですね。

美人三姉妹がいつか近所に越してこないかと密かに期待しているワシもこれはチェンジ!

そんな腐った幻想はとっとと捨てちまえ!

そういえば、霊感のある同級生の子が、 「浮遊霊が見える」とか言ってむしろ彼女がクラスで浮いてましたね・・・。


1851年にバッファロー大学の教授によって検査されるフォックス姉妹のイラスト▲

1851年にバッファロー大学の教授によって検査されるフォックス姉妹のイラスト▲
言っておくが、フォックス姉妹に関しては、 金儲けを目論んだ長女リアの主導のもと、逆らえない妹達が行ったインチキであると本人達が自白している。
彼女らはニューヨークを拠点とした霊能力パフォーマンスの結果、巨万の富を手に入れ、 信者達もピーク時には150万人を超えるカリスマ的存在となった。
しかし、1851年になると、バッファロー薬科大学によって「音の正体は、足首や膝の関節を鳴らしていたに過ぎない」とする調査結果が発表された。
さらに、1888年10月の『ニューヨーク・ワールド』紙には、 次女マーガレットが、バッファロー薬科大学の調査結果に沿った内容の手記により次の様な告白を行った。
それによると、彼女は交霊会と称した詐欺行為が世界中に蔓延するきっかけを生み出した事に 良心の呵責が耐えられなくなり、 そもそもは、幼い子供による単なる悪戯で、 夜、ベッドに入ってから紐を結んだリンゴを壁や床にぶつける事で母親に 怪現象を信じ込ませたが、それを母親が近所の者に相談した為に大事となり、 後には引けない状態になったというのだ。
ラップ音も三女のケイトが関節を鳴らして音を出す事で編み出されたもので、 練習の結果、そのうち器用に足の指を使ってならす事も出来るようになったという。


マーガレットとケイト▲
フォックス姉妹という場合、長女リアを除いたこの2人を主に指す。

マーガレットとケイト▲
フォックス姉妹という場合、長女リアを除いたこの2人を主に指す。
そして同月21日からは、ニューヨークの音楽アカデミーを始めとする各地で、 マーガレットとケイトの姉妹2人でトリックを暴露する公演が行われたらしく、 トリックの実演には医師も立会い、関節を鳴らしていた事が証明され、 足が動かないように縛った状態でも音が出たという。
こうした姉妹の告白の背景には、長女リアの長年の支配にウンザリし、 軋轢が生じた為の仕返しとも噂された。
以降、多くの信者はショックを受け、彼女らも以前の様に稼げなくなったが、 それでも尚、霊の存在やこの手の現象を信じようとする者は少なくなかったそうだ。
なお、約1年半後にマーガレットは暴露を撤回しており、 当時の彼女達は金銭に困っている貧困状態で、姉とのいさかい等の情緒不安定な環境もあり、 反スピリチュアリズム派の団体から1500ドルの報酬と引き換えに、 仕方無く嘘の告白をしたと証言している。
マーガレットとケイトはその後も、生涯通じて この現象について事実であったと主張し続けたものの、いずれもアルコールに溺れ、 1890年代初め頃に貧困のうちに病死した。
ところで、1904年にフォックス家の地下室で人骨や行商人が使う錫の箱が発見された事で、 姉妹が霊と交信した内容と一致するのではないかとも考えられたが、 アメリカ心霊研究協会(ASPR)のジェイムズ・ハーヴェイ・ハイスロップによる1909年の調査報告書では、 「あとから置かれたもの」としてインチキである旨が記されているという。


【エンフィールド事件】


当時のハーパー家▲

当時のハーパー家▲
以下の事例は、SPRが実業家のモーリス・グロスという人物に調査させたものですが、その中間報告に信憑性を感じたガイ・ライオン・プレイフェアという作家が調査に参加し、一部始終をまとめたものです。
数ヶ月の調査中に発生した怪現象の記録は1500を超えており、 そうした証拠こそが人間による悪戯やデマといった結論では片付けられないものにしているんですね。
1977年8月31日の夜、ロンドン北部のミドルセックス州の町エンフィールドの公営住宅に暮らすハーパー家は、数年前に両親が離婚し、母親と4人の子供で、いつもの様に夕食後の楽しいひと時を過ごしていたそうです。
やがて、9時半になり、夫人は2人の子供を2階に連れて行き、ベッドに寝かせつけようとしたそうですが、何故かその12歳のジャネットとひとつ違いの弟は落ち着かない様子だったそうです。
するとジャネットが、「何か引きずる様な音が聞こえる」と親に訴えたそうで、弟もそれに頷いたそうですが、夫人は気のせいだからと言い聞かせ、部屋を出ようとしました。
と、その時、夫人は目の片隅でタンスが動いた様な気がして立ち止ったところ、紛れもなくタンスは動いており、ズズーッと一気に50cmも動いていたそうなのです。


宙を舞う椅子などの家具▲

宙を舞う椅子などの家具▲
子供達の悪戯かとも思ったそうですが、重いタンスを動かせるはずもなく、そもそも2人の子供はベッドにいるのです。
結局何が何だか分からないまま、夫人はタンスを元の位置まで押し戻したそうですが、その後、今度は壁を叩く大きな音が4回鳴り響いたそうで、これまでこんな奇妙な現象を経験した事がなかった夫人は、居間で1人になると恐怖に陥り、いても立ってもいられなくなり、とうとう表に飛び出したそうです。


エンフィールドの公営住宅▲

エンフィールドの公営住宅▲
隣家にはまだ明かりが点いており、通りの6軒先には兄のジョン・バークームが住んでいたそうなのですが、夫人はそこまでの距離を耐える事が出来ず、失礼を顧みず、隣家のブザーを押したそうです。
出てきた主人のヴィク・ノッティンガムは、夫人の驚愕の顔を見てただ事ではないと感じ、すぐに息子を伴って夫人の家へ行き、怪しい者が潜んでないかどうか内部や庭をくまなく調査したそうですが、そうした存在を発見する事は出来なかったそうです。
が、この時ヴィクは、階段を降りる途中で「ドンドン」と壁を叩く音を確かに聞いたそうで、この不可解な事態が手に負えなくなった彼らは警察を呼んだそうです。
そして、2人の警官が駆けつけたそうなんですが、そのうちの1人である婦人警官のキャロライン・ヒープスは、夫人とヴィクから事情を聞いていたところ、椅子が勝手にスルスルと動いたのを目撃したらしいです。
キャロラインは、署に戻ると自分が見た不思議な現象をありのまま報告書に記載したそうで、これにより、ハーパー家の怪現象は公のものとなったのです。

なんとも恐ろしいな・・・欠陥住宅ってやつは・・・!
重いタンスが勝手に動くなんて、きっと傾きが半端ねえゾ。

そんな残念な解釈かよッ!ある意味では欠陥だけども!

あっ、そういえばうちもたまに、私が大事に取っておいた冷蔵庫のプリンが消えたりするんですが、これもポルターガイストの仕業なんでしょうか・・・?

そりゃ家族の誰かが食ったんでしょうが!
低次元過ぎて段々なんか腹たってきましたヨ!?

何者かの力によってベッドから宙に放り出されたジャネット▲
決してベッドでピョンピョンして遊んでいる訳ではない。

部屋の中を飛び回った物の前に立つモーリス・グロス▲

部屋の中を飛び回った物の前に立つモーリス・グロス▲
1976年に彼の娘が交通事故で亡くなったが、グロスはもしかしたら娘の魂がまだ存在しているのではないかと信じ、 彼女の葬式の日に何らかの合図を送ってくるのではないかと考えた。
この頃、ちょうど何週間も雨が降っていなかった為、合図には雨がふさわしいと思っていたところ、 翌朝、娘の部屋から突き出た屋根だけがびっしょりと濡れていたという。
他にも娘が父に接触しようとしているのではないかと思われる偶然の一致が複数あったらしく、 こうした事をきっかけとして、グロスは心霊研究に興味を持つようになったという。
翌日になると、騒動はエスカレートし、おはじきや玩具の積木がもの凄いスピードで部屋の中を飛び回りだし、落ちた物を手で掴むと異常な程に熱くなっていたそうです。
こうした現象は3日間続き、夫人も警察もお手上げ状態だったらしく、そこで教区の司祭や霊能者が呼ばれたそうですが、いずれも徒労に終わったそうです。
打つ手が無くなった夫人は、とうとうマスコミの力を借りるべく、デイリー・ミラー社に連絡し、記者のダグラス・ベンスとカメラマンのグラハム・モリスが派遣されてきたそうです。
そして日曜日の夜、彼らは午前2時半頃まで怪現象の出現を待ったものの、何事も起こらなかった為、諦めて家を出たそうですが、その直後、おはじきや積木が宙に浮かんで乱舞しだしたそうなのです。
すぐに呼び戻された2人は、この怪現象を目撃し、モリスはカメラを構え、シャッターを押そうとしたそうですが、その瞬間、猛烈な勢いで積木が飛んできて、彼の額に直撃したそうです。
その後、超常現象に興味を持つ同社のベテラン記者ファローズは、この現象はポルターガイストによるものだと睨み、夫人にSPRを紹介したそうです。
協会からは、会員である実業家のモーリス・グロスが派遣されたそうですが、最初のうちしばらくは、何事も起こらなかったそうです。
グロスは辛抱強く待ち続けたところ、9月8日の午後10時過ぎ、突然おはじきが飛んだそうで、誰もいない部屋のドアが開いたり閉じたりし、洗濯物の山からシャツが舞い上がり、床に落下したそうなのです。
グロスは何者かによる悪戯の可能性も考慮し、この様子を注意深く観察していたそうですが、そうした兆候は何処にも見られなかったそうです。
ポルターガイストによる怪現象は止まる所を知らず、 ベッドからシーツがはがされたり、枕が部屋の中を飛び回ったり、 ジャネットがベッドから放り出されて空中に浮揚したり、階段を引きずりおろされたりしたそうです。
また、トイレの水が勝手に流されたり、 本が本棚から飛び出たり、調査者の頭上に何故かハンカチが落ちてきたり、原因不明の自然発火や 調査機材のフラッシュやテープレコーダーがエラーに見舞われたり、電子合成の様な声が録音されたりしたそうです。

ベッドで寝る事を怖がり床で寝ていたはずのジャネットが、 いつの間にか大きなラジオの上で眠っている状態が発見された▲
パパもビックリな寝相の悪さ・・・ではなく、これも騒霊の仕業なのだろうか?

ハーパー家の子供達▲
ポルターガイストは子供達によるヤラセという意見もあり、実際、 いくつかの怪現象は調査者がインチキを見抜く能力があるかどうか試す為に 子供達がやってみせたという事を認めている。
しかし、グロスやプレイフェアらの調査者はすぐにそれを見抜いていたという。

ハーパー家の子供達▲
ポルターガイストは子供達によるヤラセという意見もあり、実際、 いくつかの怪現象は調査者がインチキを見抜く能力があるかどうか試す為に 子供達がやってみせたという事を認めている。
しかし、グロスやプレイフェアらの調査者はすぐにそれを見抜いていたという。
そして、1977年9月10日には、ハーパー家の怪現象は“不思議なハプニングの家”として『デイリー・ミラー』紙の一面を飾り、その翌日には、BBCテレビ4チャンネルの昼のニュースにカメラマンのモリスが出演し、自分が体験した奇妙な出来事について報告したそうです。
その後もハーパー家の怪現象には、あらゆるアプローチが続けられ、壁や床を叩く音を利用して、霊と対話を試みるというのもそのひとつであった様です。
前述のフォックス家の事例と同様に、ノック1回はイエス、2回はノーという具合で、この実験によって、ポルターガイストは2人の人物の名前で登場したそうで、その2人は、後にいずれも近くにあるデュラント公園の墓地に埋葬されている事が判明したそうです。
そして1978年10月に、ようやくこの事件は、オランダの霊能者ドノ・ホメリク・メイリングによって終息する事になったのです。
メイリングは、霊能力によるトリップで、この現象に何らかの関係がある24歳の女性と会ったと報告したらしく、不思議な事に、実は事件を担当したSPR会員のモーリス・グロスの娘ジャネットは、24歳の時に交通事故で死亡していたのです。
この事件を報告したプレイフェアは、ハーパー家の怪現象は、12歳の娘ジャネットが、ベッドから放り出されたり、タンスがのしかかってきたりする等の被害に見舞われ、明らかに彼女がターゲットになっている事から、グロスの娘の霊が、父親の関心を引く為に、同じ名前の少女を利用した結果、彼女を通じて霊界とのパイプが結ばれ、多くの霊がポルターガイストを引き起こしたのではないかと分析しています。
実際、ポルターガイスト現象は、子供が焦点となっている場合が殆どであり、 ハーパー家の事例では、両親の離婚によって、子供らが情緒不安定になっていた事に関係があるのではないかと思われるのです。

おっと、これは2時間サスペンスばりの意外な結末ですね・・・。
犯人が主人公の身内だったみたいな・・・。

しかし、24歳にもなって他人に迷惑かけてまで親の関心を引きたがるたァ、けしからんやっちゃのー。

まあ、霊の人間性をどうこう言っても今更仕方が無いですがね・・・。


【バルバドスの動く棺桶】

チェイス家の墓▲
階段を下ると地下納骨所がある。

チェイス家の墓があるクライストチャーチ教区教会(空撮)▲

チェイス家の墓があるクライストチャーチ教区教会(空撮)▲
さて、これまでは子供のいる家庭=悪戯という可能性も想定出来なくもないポルターガイスト事件を語ってきましたが、次は少し変わった事例をご紹介しましょう。
カリブ海に浮かぶバルバドス島のオイスティンという町には、チェイス家という名家の墓があるんですね。
この墓はかなり立派なもので、大きさは3.6m × 1.8m、 下半分は地下に埋まっており、サンゴ石とコンクリートで出来ていて、墓というよりは、ちょっとした部屋のような感じですよ、ええ。
墓の内部には火葬されずにそのまま遺体が納められた棺桶があった。
1807年7月、この墓に最初に遺体として納められたのはトマシーナ・ゴッダルト夫人で、翌年の2月には2歳の子供メアリ・アンナ・マリア・チェイスがこの墓に入った。
1812年6月、今度は自殺した10歳の少女ドルカス・チェイスの遺体が納められる事になり、2人の男が少女の棺桶を運び、墓の扉を開けて中に入ってみると、先に納められていた2つの棺桶が置いてあった位置から大きくズレており、まるで投げ出されたかの様に壁の方に動いていたんですよ。
墓を所有する町の権力者トーマス・チェイス卿は、これはきっと黒人奴隷の悪戯だろうと思い、棺桶をちゃんとした位置に置き直し、二度とこんな事が出来ないように墓の扉をコンクリートで固めた。
しかし、その2ヵ月後にはトーマス・チェイス卿自身が発狂死しちゃったんですよ、ええ。
1812年8月9日、トーマスチェイス卿の棺桶を同家の墓に納める事になり、重い石の扉を開け、ランプで中を照らして覗いてみたところ、すでにそこに納められていた3つの棺桶のうちの1つ、2歳の子供の棺桶が、側面が下になり倒れていたんですねぇ。
誰かがこの墓を冒涜したのだとしても、無理矢理に入った形跡はどこにも見あたらず、仕方なく棺桶を元の位置に並べ直し、墓を再び封印した。
白人達は、トーマスチェイス卿は奴隷所有者で残酷な男であった為、ニグロの奴隷の仕業に違いないと噂したそうですね。

ずいぶん寝相の悪い死人達ですね。
私もたまに教室の椅子から転げ落ちますけど。

居眠りしてないでちゃんと授業受けましょうよ・・・。

こりゃ密室事件っちゅーやつじゃな。
もしかして、棺桶の中の奴ら、実はまだ生きてたんじゃね?

大胆な推理ですが、いくら何でもさすがに誰か気づきますよ・・・。


墓の内部ビフォー・アフター▲
「なんという事でしょう」といった感じだ。

墓の内部ビフォー・アフター▲
「なんという事でしょう」といった感じだ。
1816年9月25日には、生まれて11ヶ月の赤ん坊サミュエル・ブルーズター・エイムズを墓に安置する事になったんですよ。
例の如く、墓の扉を開けると、今度は全ての棺桶が床に倒れていたんだなぁ。
トーマス・チェイス卿の棺桶は重い鉛のうちばりで、持ち上げるだけでも8人の男が必要だというのに、完全にひっくり返っていたんですよ、ええ。
しかし、今回も誰かが墓に侵入した形跡はなく、再び全ての棺桶を並べ直し、扉をコンクリートで固め封印した。
その7週間後に、他の場所に仮埋葬してあったサミュエル・ブルーズターの遺体を収容する為に墓を開けてみると、またもや全ての棺桶があちこちに散乱していたんだ。
その中の一つ、ゴッダルト夫人の木製の棺桶は、壁に激しく衝突したかの様に砕けており、中から遺体の手足がはみ出していたそうなんですね。
墓の扉は大理石で造られ、毎回セメントで封印を施しているにも関わらず・・・。
この時、政府の人間により徹底的に調査が行われましたが、扉以外には、人が入るどころか水さえ入らないような、全く隙間のない構造であることが確認されたんですねぇ。


カンバーミア総督の霊とされる有名な心霊写真▲
彼の死後に彼の椅子に座る人影が写っている。
参照記事

カンバーミア総督の霊とされる有名な心霊写真▲
彼の死後に彼の椅子に座る人影が写っている。
参照記事
この話はだんだんと人々の噂になり、次の埋葬を心待ちにする者さえ出てきたんですよ。
そして1819年7月7日、トマシーナ・クラーク婦人の遺体が杉製の棺桶に収容されて墓に納められる事になり、今回は噂を聞いた何百人という野次馬が詰めかけたんだ。
その中には、バルバドス島の管理者であるカンバーミア総督(子爵とも)もいたそうですね。
前回の埋葬の時、扉をセメントでいつも以上に頑丈に封印した為、取り除くのにかなりの時間を費やした。
そしてついに、多くの人々の見守る中、扉が開けられる時が来たんだ。しかし、今回は何故か扉が開かないんですよ。
って言うのも、中から何かがつっかえているんですね。
やっとの思いで扉を開くと、トーマス・チェイス卿の棺桶が2mも移動して扉を塞いでいた事が判明したんでだなぁ。
そして予測通り、ゴッダルト夫人の棺桶以外の全ての棺桶が散乱していた。
この時も徹底した調査が行われたんだけどね、なんら異常な個所は見つからない。
墓の中をきちんとした後、今回はコンクリートで扉を固めるだけでなく、墓の中に砂を敷き詰める事になったんですよ。
こうしておけば、誰かが侵入したら足跡が残るはずですからね。
そしてカンバーミア総督自らがコンクリートで扉を固め、間違いの無い事を確認しました。

念の為、手榴弾のブービートラップも設置しておけば良かったのに。

誰も二度と中に入れねえよッ!

棺桶をさらに増やしてどうするんですか・・・。

棺桶が勝手に移動していて皆ビックリ▲

現在のチェイス家の墓の内部▲
墓は放置されて荒れ果て、内部も空っぽになっている。

現在のチェイス家の墓の内部▲
墓は放置されて荒れ果て、内部も空っぽになっている。
1820年4月18日、カンバーミア総督の官邸のパーティーで、あの墓の話が出たんですよ。
カンバーミア総督が酔った勢いで、中がどうなっているのか見に行ってみようと言い出し、人々も興味本位から賛同し、墓を開けてみる事になったんだ。
墓に行ったのは全部で9人。
扉のコンクリートに異常は無い。
しかし扉を開けると、やはり棺桶は全てバラバラの方向に投げ出されており、ひっくり返っていたのですねぇ。
しかも、砂の上には足跡が全く見受けられない。
この状況に、カンバーミア総督は、もはや理解不能との判断を下し(島の人々が恐れた事もあって)、中の棺桶を全て別の墓に移すように命じた。
それから時は流れて120年程たった1943年、人々の記憶からチェイス家の墓の事件も殆ど忘れ去られていた頃、 このバルバドス島の別の地下墓所に、新しい遺体が埋葬される事になったそうでしてね。
その墓は、1841年にエヴァン・マクレガー元総督の棺桶を埋葬してから、ずっと閉ざされたままになっていたそうなんですよ。
ところがどっこい、墓を開いてみたところ、 マグレガー元総督の棺桶が、元々安置してあったはずの場所から明らかに移動していたそうなんだなあ。
しかもね、同じ墓所に埋葬されていたはずのアレクサンダー・アーウィンという人物の棺桶が、 跡形も無く消えていたそうなんですよ。


アーサー・コナン・ドイル▲
日本でも 『シャーロック・ホームズ』や『失われた世界』でお馴染みの作家だ。

アーサー・コナン・ドイル▲
日本でも 『シャーロック・ホームズ』や『失われた世界』でお馴染みの作家だ。
さて、これらの事件の原因として、主な仮説では地震説と出水説の2つがあげられています。
しかし、当時島に大きな地震があったという報告は無く、 また、地下水や雨水が墓所に溜まって棺桶を浮かしたのだとしても、 ゴッダルト夫人の棺桶だけが動かなかったっていうのはおかしいんですよ、こりゃ尋常じゃない。
それに、砂を敷き詰めた床にも何らかの跡が残るはずです。
呪術師が奴隷所有者への復讐の為に、ブードゥー教の呪いをかけたのではないかと言う説まで浮上する中、 SPRの会員でもあったイギリスの作家アーサー・コナン・ドイルは、 墓の内部に未確認な何かが、例えば、棺桶を担いだ黒人の体臭が墓の中にこもり、 それが死体の霊気との化学変化を起こした事が原因で爆発を起こし、棺桶を動かしたと推測しているんですよ。
しかし、この説を証明するガス等の発見はされておらず、結局、 納得のいく説明は出来ないみたいなんですねえ。

黒人の体臭とか、コナン・ドイルがおバカ過ぎじゃろ!

爆発する程の臭いとかもはや生物兵器の域じゃないですか・・・。

凡人には理解出来かねる発想に、サーの称号も台無しですね・・・。

残念だがこの話は創作の可能性が高いと考えられる。
チェイス家の墓の噂は元々バルバドス島の人々の間だけで語られていたが、 1833年のJ・E・アレクサンダー卿という人物の著書で初めて文献として登場している。
これはカンバーミア総督によって墓の中の棺桶が他所に移されて20年も経ってからだ。
また、足跡を確認する為に床に砂を撒いておいたというくだりは、この本には記されておらず、 1848年に刊行された『バルバドスの歴史』においてようやく言及されている。
さらに、イギリスの民族学者アンドリュー・ラングはこれらの文献を参照し、 身内に島内での現地調査を依頼した結果を1907年12月に論文で発表しているが、 教会の記録に墓の棺桶が動いたという記録は確認出来ず、 当時の地元新聞にもそれらしき事件の記事は全く掲載されていない事が判明したそうなのだ。
実は、棺桶が勝手に動くという伝承はもっと古くからヨーロッパにあり、 例えば1760年の文献では、イギリスのストーントンという町でフランス人一家の棺桶が3回も動いたという事件の記録がある。
そして、ラングの論文は、こうした話をバルバドス島の人々が以前から知っていたと指摘しており、 つまり、バルバドス島の動く棺桶の事件は実話などではなく、 他の地域で起きた話を下敷きにした都市伝説の可能性が高いのである。


【クイックシルバー】

英語圏においては、 ポルターガイストの霊を男女で区別して呼ぶっていう解釈もされている様でしてね、 クイックシルバー(Quicksilver)という女の子の霊のポルターガイストの伝承があるみたいなんですよ。
このクイックシルバーも通常のポルターガイストと同様に 家の中で音をたてたり物を動かしたりするんですがね、 性格はより悪戯好きだそうで、さらに騒々しい存在みたいなんですね。
例えば深夜、住人が寝静まった家に現れ、 タンスの中の衣服を全て外に放りだしたり、家中のドアを音を立てて閉めたり、 照明を全てつけたり、風呂や流し台に水を溢れさせたりと、地味にイラッとくる悪戯を働くそうです。
クイックシルバーの特徴としては、 鳴り響くような大きな笑い声や、鈴が鳴るような高い声で眠っている人を起こすらしく、 脅かすというよりは好奇心をそそらせるそうです。
また、自分の名の頭文字である「Q」を壁や窓にクレヨンや口紅、石鹸などで書き残すそうなんですよ。
通例ではポルターガイストが起こるのは一般的に思春期の少女がいる家とされているんですがね、 クイックシルバーはそんな事はおかまいなしに、子供のいない家にも現れるそうなんですよ。
しかし、この霊は家にあまり長く留まる事はなかった為(2週間程度)、そこまで厄介には思われなかったみたいですね。

わざわざトレードマークを残してくとか人間味溢れる霊じゃな。

元々は人間と言えど、自己主張が激しいですよね・・・。

掃除道具みたいな名前のくせに、部屋を汚しまくって去っていくのは勘弁して欲しいですね。


【江戸時代のポルターガイスト】


『画図百鬼夜行』の「家鳴」(鳴家とも)▲
現代でも温度や湿度等の変動が原因で、 家の構造材が軋む様な音を発する事を「家鳴り」と呼び、 特に建材が馴染んでいない新築の家で起こる事が多いという。

『画図百鬼夜行』の「家鳴」(鳴家とも)▲
現代でも温度や湿度等の変動が原因で、 家の構造材が軋む様な音を発する事を「家鳴り」と呼び、 特に建材が馴染んでいない新築の家で起こる事が多いという。
日本の古い伝承にも ポルターガイストと同様のものと思われる怪異があるんですよ。
これは家鳴(やなり)という家や家具が勝手に揺れ出す現象で、 鳥山石燕の『画図百鬼夜行』では、 小さな鬼の様な姿の妖怪が、悪戯で家を揺すって家鳴を起こしている絵が描かれているんですよ。
また、江戸時代の書物『太平百物語』では、家鳴に関して次の様な内容の記述があります。
但馬国(現在の兵庫県北部)のある浪人達が、度胸試しで化け物屋敷として知られる家に泊り込んだんですね。
すると夜更けに突然、家全体が激しく揺れ始めたそうで、 浪人達は地震かと思って外へ出たところ、揺れているのは家だけだった。
この怪異は翌日も発生した為、 こりゃ尋常じゃないって事で浪人達は智仙という僧に相談し、 一緒に家に泊まってもらう事になったんですよ。
でもってその夜、やはり家が揺れ始めたんで、 智仙は畳をジッと睨み、最も激しく揺れる箇所を見極め、小刀を突き立てた。
したらば揺れはピタリと止まったんだな。
翌朝、家を調べたところ、床下に「刃熊青眼霊位」と記された墓標があったらしく、 小刀の突き刺さった「眼」の文字の部分から血が出ていたそうなんですよ。
これは一体どういう事なのかと、近所の者に話を聞いてみたところ、 どうやらかつて、この近隣を荒らしまわっていた熊をその家に住んでいた男が殺し、 祟りを鎮める為に墓標を建てたそうなんですね。
しかし結局、男は熊の霊に憑かれて死んでしまい、 その後も家に居ついた霊が怪異を引き起こしていたという事だったそうなんですね。

おいおい、熊の霊とか反則やんけ・・・!
交渉の余地ゼロやんけ・・・!

生きてても強いのに、まるで勝てる気がしないですね・・・。

こりゃこっちも死んだフリで乗り切るしかないですね・・・。

また、1839年(天保10年)頃に出版された東随舎の『古今雑談思出草紙』によれば、 1741年~1747年(寛保から延享年間)頃、 評定所書役(現在の裁判所の書記官に相当)の大竹栄蔵が幼少時、 彼の父親が池尻村(現在の東京都世田谷区池尻)の娘を下働きに雇ってから、 家で怪現象が起こり始めたそうなんですよ。
例えば、天井の上に大きな石が落ちた様な物音がしたり、 急に行灯や食器が飛んで、隣の部屋に移動したりしたそうなんですね。
こうした現象は次第に悪化していき、 ある時には、雇った男が台所の庭で石臼を使って玄米を精米していた際、 一服して少しだけ目を離した隙に、 なんと石臼が垣根を飛び越えて、座敷の庭へと移動していたってな事があったそうです。
大竹栄蔵の父親は自宅で連日起こる怪現象に困り果てていたところ、 ある老人が話を聞きつけ訪ねてきて、 「もし池尻村の娘を雇っているなら村へ帰したほうがいい」と助言したらしく、 その通りにしたところ、怪現象が止まったみたいなんですよ。

恐ろしい、なんという不当解雇・・・!

そっちかよ!恐がるポイントちげえよ!

でも、変な疑いかけられて辞めさせられちゃうなんて、 奉公に来てた村娘が可哀そうですね。
時給によりますけど。

この話は江戸時代末期における 日本の俗信のひとつで、池尻村の他にも池袋、沼袋、目黒としても同様の怪異が語られており、 いずれも各村出身の女性を雇った家で怪音がしたり、家具が飛び回るなどの現象が起こるというものである。
しかし、実際には虐げられて自由になれない欲求不満の女性による自作自演という説や、 山間部の一部の村では全ての娘を共有物とみなす風潮が残っていた為、 女性が他の土地へ行ったり他所の男と交わる事を良しとせず、 そうした村の若者達による報復であったり、村の大事な嫁候補である女性を呼び戻す為に行った 嫌がらせ(家を複数人で揺らしたりした)であった可能性が高いと考えられている。


【アミティヴィルの恐怖】


惨劇が起きたオーシャン・アベニュー112番地の家▲
1924年に築造されたベッドルームが6部屋ある20世紀初頭風の家屋。
家は現存するが、住所は108番地に変更されている。

惨劇が起きたオーシャン・アベニュー112番地の家▲
1924年に築造されたベッドルームが6部屋ある20世紀初頭風の家屋。
家は現存するが、住所は108番地に変更されている。
有名な事例をもう一つ紹介しましょう。
この事例は1970年代に全米を震撼させたものでしてね、 同名の本『アミティヴィル・ホラー(The Amityville Horror)』が1977年に作家ジェイ・アンソンによって書かれベストセラーとなり、 その1年後には映画化がなされ、日本でも『悪魔の棲む家』の邦題で公開されたりしているので、知っている方もいるかと思います。
怪現象が始まったのは1975年12月、 ニューヨーク州ロングアイランドの町アミティヴィルの郊外の住宅で、新婚の ジョージ&キャシー・ラッツ夫妻が3人の子供を連れて引っ越してきた直後に起こった。


ジョージ&キャシー・ラッツ夫妻▲

ジョージ&キャシー・ラッツ夫妻▲
実は、彼らの越してきたオーシャン・アベニュー112番地の家は、 殺人事件が起こったいわゆる事故物件でしてね、 前に暮らしていた住人の家具もそのままの状態で売られていたらしいんですね。
ラッツ一家が越してくる1年前の1974年11月13日、 家の前の住人のロナルド・デフェオJr.(当時23歳)、通称“ブッチ”が、頭の中の妙な声に「殺せ」と強要されて、 就寝中の自分の家族6人をライフルで射殺するってな凄惨な事件が起こっていたそうなんですよ。
ロナルド・デフォーはその後逮捕され、麻薬の常習的な摂取が認められ、 終身刑となったそうです。


逮捕される“ブッチ”ことロナルド・デフェオ▲
現在もNYのグリーン・ハーベン終身刑務所で服役中。

逮捕される“ブッチ”ことロナルド・デフェオ▲
現在もNYのグリーン・ハーベン終身刑務所で服役中。
この事件に関しては、もちろんジョージ・ラッツも知っていたそうなんですがね、(何も知らずに引っ越してきたという 説もあるが、当時全米でセンセーショナルに報道された殺人事件を知らないというのはさすがに無理がある) 破格の値段であった為に家の購入を決意し、 念の為、キャシーの知り合いの牧師を呼んでお祓いをしてもらったそうです。
しかし、その甲斐も虚しく、早速怪現象が発生し、 何者かの怒った声によって牧師が家から追い出されて、 彼の皮膚に原因不明の火傷が出来てしまったそうなんですよ。
以後28日間、彼らはありとあらゆる恐怖に見舞われ、最終的には家を逃げ出してしまうんですね。


家の2階で撮影された子供の霊▲
殺された三男のジョン・デフェオにそっくりだという。
まるでコチラを覗き込んでいるかの様に見える。

家の2階で撮影された子供の霊▲
殺された三男のジョン・デフェオにそっくりだという。
まるでコチラを覗き込んでいるかの様に見える。
ラッツ一家に降りかかった身の毛もよだつ現象は、 物が勝手に動く、奇妙な音が聞こえてくるといった定番のものから、 例えば、壁から血や緑色のスライム状のものが滲み出てくるとか、 ラッツ夫妻の娘がジョディーという名の豚がいると言いはじめたり、 ジョージがデフェオ一家が殺された時間に汗をかいて目を覚ましたり、 壁にかけた十字架が頻繁に逆さまになっていたとか、 それ以外にも俄かには信じがたい異常事態が数々起こったみたいなんですね。

いっそ開き直って、お化け屋敷として営業すれば良かったのに。
そこそこ儲かるかもしれんぞ。

自宅でそんなハイリスク・ちょいリターンやる訳ねえだろッ!

むしろ霊の方も萎えて怪現象がストップするかもしれませんね・・・。

いちいち水を差す様で申し訳ないが、 この事件の話には嘘が多く、信憑性は極めて低いと言わざるを得ない。
確かに112番地の家で過去に一家惨殺事件が起こり、そこにラッツ一家が越してきた事や最後の結末は 事実であるが、肝心の怪現象については、 現在では小説を著した作家アンソンによるフィクションであり、 ラッツ夫妻の証言も嘘である事が判明している。
当時、経済的に困窮していたラッツ夫妻は、 惨殺事件の裁判で犯人ロナルド・デフェオの弁護を務めた弁護士のウィリアム・ウェバー が持ちかけてきた話にのり、悪魔が棲みつく家として一連の怪談話をでっち上げたのだ。
こうする事で、弁護側としてはデフェオの罪を少しでも軽くする狙いがあったと見られ、 ラッツ夫妻にとっても、怪現象の体験談を出版する事で多額の収入を得る事が出来るからである。
そして案の定、1974年当時は、映画『エクソシスト』が公開された事もあって、 ある種のオカルト・ブームが巻き起こっていた時期で、出版された『アミティヴィルの恐怖』はベストセラーとなった。
なお、この家はその後、1977年にジェームズ・クロマティー夫妻によって購入され、 1987年に売却されるまで10年間に渡り住まわれたそうだが、 夫のジェームズ氏は、「映画や本の所為で大勢の人達が訪れてきた以外は、何も奇妙な事は起こらなかった」と告白しているそうだ。


【アマーストの謎】


赤ん坊の乳母車が勝手に宙に舞い上がり皆ビックリな様子▲

赤ん坊の乳母車が勝手に宙に舞い上がり皆ビックリな様子▲
1878年~79年にかけて、 カナダ南東部ノヴァスコシア州のアマーストという小郡区の木造家屋に住んでいた 19歳の娘エスター・コックスの身の回りで、 奇妙な騒音や物体の移動といった典型的なポルターガイスト現象に加え、 壁に殴り書きのメッセージが出現するなどの異常事態が引き続いた。
事件が最初に起こったのは1978年8月、彼女が運悪くボブ・マクニールという男に言い寄られ、 強姦されかけた直後で、それ以後何ヶ月間か、エスターはポルターガイストに頻繁に悩まされた。
諸説あるものの、どうやらエスターを襲ったマクニールは、 彼の馬が脅えて暴走した為、事もあろうに自分の馬車に轢き殺されるという残念な最期を迎えたらしく、 彼の霊が死してなお、エスターを付け回しているんじゃないかって言われているそうなんですね。
また、この霊は芝居がかったメッセージをいくつか家の壁に残していったそうで、それには尻上がりの文字で、 「エスター・コックス、お前は俺のもんだ。殺す」という内容だったそうです。
こうした出来事は地元の聖職者などの人望の厚い人間にも目撃された為に話題となり、 その中の1人、ウォルター・ハブルという下宿人も最初は疑いの目で見ていたものの、 しまいにはこのポルターガイストを本物と確信し、『大いなるアマーストの謎』という研究本を執筆した程だそうです。
しかし、次第に幽霊は攻撃を行なわなくなり、エスター自身も急いで町を離れてアメリカに移住したそうで、 二度と事件に関して口を開こうとしなかったそうです。

ストーカーって怖いですね、私も気をつけなきゃ~。

だからそっちかよ!

それにしても自分の馬車に轢かれるとは器用な奴じゃな。


【ポルターガイストの正体】


宙を舞う椅子などの家具▲

宙を舞う椅子などの家具▲
一方、霊の存在について懐疑的な立場からは、この現象については、思春期に到るまでの、まだ未発達の子供の脳に原因があるという説が唱えられている。
科学的な見地から超常現象に言及するライアル・ワトソンは、脳にはフィルター的役割をする部分があり、無意味な外的刺激を排除し、意識を防御しているという、フランスの哲学者アンリ・ベルグソンの脳フィルター理論を踏まえて、このフィルターが不安定な子供時代、特に感情の調節が困難な思春期には漏洩が起こりやすく、無意識にエネルギーが放出され、イメージが現実化するというのである。
超心理学では、ポルターガイストは こうした思春期の男女が無意識に発してしまう超能力=反復性偶発性念力(RSPK:recurrent spontaneous psychokinesis)によるものではないかとも言われている。


1911年、アルジェリアの14歳のお手伝いの少女が経験したポルターガイストの記事▲

1911年、アルジェリアの14歳のお手伝いの少女が経験したポルターガイストの記事▲
さらに、この現象は単なる自然現象の偶発によるものであるという見方もある。
物体に発生する揺れには固有の周期(振動数)があり、ある物体に振動周期を起こすと同じ振動周期を持った物体が振動を起こす事を共振現象と言うが、振動を帯びた空気とその物体の周期が一致すると、振動が発生すると考えられる。
つまり、ポルターガイストとは、建物や土地等に隠された問題点によって振動や騒音が発生する現象であるとも推察出来るのである。
ある事例では、同じ建物の中で複数の人がほぼ同じタイミングでトイレを使い、その振動が水道管か屋内の物体に伝わり、その結果、ポルターガイスト現象を引き起こしたというものがあり、地震や水脈等から出る低周波も要因になっている可能性が示唆される。
また、奇妙な音についても、建物に使われている木やコンクリート等の建材の乾燥具合によって、一般にラップ音と言われる様なものが出たとも推察出来る。
史実、日本の昔の人々は地震は大ナマズが頭を動かすと起こる、とか悪い事や説明の付かない事を空想上の生物、あるいは無生物が原因だと考え、そうした例と同様に、説明出来ない現象を霊や悪魔の仕業とされる様になったという事は大いに考えられるのである。

ほれ見ろ、やっぱり住宅問題じゃねーか。
穿った見方をするとポルターガイストの正体はウンコっちゅー事になんぞ。

穿り過ぎだろ!
ちなみに住人が一斉にトイレに行くのは、人気のテレビ番組が終わった直後とかに集中するみたいですね。

でも、もしかしたら、私の部屋がゴチャゴチャ散らかっているのも無意識に念力を 発動しているせいなのかも・・・!?

それは単にだらしなくて片付けられないだけだろうがッ!


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