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[2005.05.31]

フール・ド・フランス④
~モンマルトルDE盗まれたる~



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パリの街を見渡す事が出来るモンマルトルの丘。
あのピカソやユトリロ、ゴッホやルノワールといった有名芸術家達が暮らした地でもあり、 多くの芸術家や観光客が集まる名所である。



フレンチカンカン発祥の地であるキャバレー「ムーラン・ルージュ」や、 映画『アメリ』の舞台となった場所としても、それなりに有名だ。


丘の頂上には白亜の教会サクレ・クール(キリストの聖心)寺院が建っている。


1870年の普仏戦争の敗北後、カトリック教徒達によって、教会並びにフランスの未来に対する信頼の印として築かれた。


丘の頂上からの眺めは絶品です。


だが、のどかな景色とは裏腹に、治安は決して良くはない。
観光客を狙ったミサンガの押し売り(↑をする黒人の皆さん)、スリや引ったくり、置き引き等が特に多い、危険地帯でもあるのだ。


そこで今回我々は、それら陰湿な盗人共を引っ捕えるべく、ある罠を仕掛ける事にした!

え~、オラ嫌だすよ!怖いだすって!

お前がエサに適役なんじゃよ!
どっから見ても、ショボくれた観光客じゃからな!


この、一見そこそこ大金が入ってそうな財布で盗人を誘き寄せ、盗んだ所を捕獲するのだ。

こんな空っぽのハッタリ財布を盗ませたら、逆ギレされ、撃ち殺され、埋められちゃうだすよ!

空じゃない。ちゃんと入ってるわい。


ドリンク券だけどな。

しかも、有効期限が1年過ぎてるし・・・。


という訳で、お盗り作戦開始です。


ツカールがサクレ・クール寺院の真ん前の階段に腰掛け、平和ボケしたショボくれた観光客を演じてエサになり、盗人を誘き寄せます。
無防備にも財布を傍らに直接置いて待機。


さあ、盗人カモン!見てよ、この隙だらけっぷり!
今なら財布がパクり放題だぜ!持ってけドロボー!

誰も来ません様に・・・。


しかし、ツカールの願い通りか、日本人観光客のオバさんに「財布、財布!」と本気で心配されたりするだけで、一向に誰かが財布を盗む気配は無い。


ん?ツカールの後ろにいるのは大魔王じゃないか。何やってんだ?


釣りしてたヨ。

フーン、フーン、フフーン♪


もうお気づきだろうか?
実は財布には、大魔王が持つ釣り竿からの糸が厳重に接着してあるのだ。
つまり、盗人が財布に手を出せば、たちまち上で待機している大魔王に釣り上げられ、捕獲されるというシステムだ!


でも、釣り竿にアタリが来ねえ。

・・・釣れないでござるね。

フ、釣りは気長にやるスポーツじゃぜ。
むしろ、この竿が引くまでの時間を楽しむもんじゃ。

それから30分後。

ふんがーッ!どーして釣れんのじゃーッ!?
さては、エサが地味過ぎたか!?

アンタが派手過ぎるんだよッ!


結果:何としても盗ませようと粘ったが、通りかかる観光客達に笑われただけで、誰も食いついてこなかった。作戦失敗。


こんなに判り易いターゲットを放ってやったのに、誰も盗りに来ないなんて・・・!チキン野郎の盗人共がッ!

主旨がズレてるだすって・・・。


以下、せっかくなのでモンマルトル界隈の 味のある街角風景をお送りします。


多くの画家達が集うテルトル広場。
画家達は有料で観光客の似顔絵を描いており、 かつてはピカソやユトリロらもここで絵を描いていたという。


狭い石畳の道に可愛らしい店が立ち並び、庶民的な雰囲気が漂っている。


裏通りに入ると、行き交う人もまばらになり、昔ながらの古い建物が連なっている。


「壁抜け男」。
芸術家の街という事で、ユニークな作品があちこち景観に溶け込んでいる。


この坂もまた、実に走りたくなる坂である。


モンマルトルは長い間パリ郊外の農地であり、その名残のブドウ畑が今もある。毎年収穫期になると盛大にブドウ祭りが行われる。


モン・スニ階段。 ユトリロの名画「モン・スニ街」で描かれた場所だ。


確かにこの街の階段は実に絵になる。


これだけロケーションが良いと、この田舎者のメガネっ子ですら洗練された紳士に見える・・・気がしなくもない。


それにしても、モンマルトルは実に階段が多い。


歴史地区に指定されたモンマルトルは、最低限の開発しか許可されていないらしい。


1944年8月にパリが連合軍によってナチス・ドイツの占領から解放された際、 それを祝福するサクレ・クール寺院の鐘の音は、この丘からパリ中に鳴り響いたという。


モンマルトル=マルチール(殉教者)の名の通り、 紀元272年頃、この丘の付近で、パリ最初の司教聖デニス(サン・ドニ)が斬首刑に処せられ、 殉教したと伝えられている。
そしてサン・ドニは、自分の首を抱えながら北に数キロ歩いてから息絶え、 その場所がサン=ドニ大聖堂になったという。


オマケ

急に芝生にどっかの国の中学生達が集まって座りだしました。
どうやら、中央に立っているサンプラザ中野みたいな人が先生らしいです。金八先生のオープニングを彷彿とさせる光景です。
騒がしい生徒達を静めると、中野先生が熱く何かを語りだしました。


でも、すぐに警備員に笛吹かれて、芝生から全員退場させられてました。芝生は立ち入り禁止だったのです、ドンマイ。

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