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[2006.09.10]

FILE137:死神ベンツ


サラエボ事件
サラエボ事件1914年6月28日、オーストリアの皇太子フランツ・フェルディナンド大公は、14回目の結婚記念日のパレードの為、妻のゾフィーを伴なって、当時オーストリア領だったボスニア州(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)の首都サラエボにやってきていた。
大公夫妻は、オーストリア第5師団長ポチオレック将軍とボスニア知事、2名の護衛と共に、6人乗りのオープンカーである、まるで血の様な赤色をした当時の最新式のベンツ540の後部座席に乗っていたんですね。
ところがですね、午前10時過ぎ頃に、4台からなる車列が動き出すや、2番目にいた大公夫妻の乗るベンツに、民衆の中からバラの花束が投げ込まれたそうなんですよ。
しかし、花束から煙が出ている事に気づいた皇太子は、とっさに沿道にそれを捨てたところ、後続の車が通った時に爆発したそうなんだ。
これにより、大勢の怪我人が出たにも拘わらず、大公夫妻は無事だったので、スピードを上げて市庁舎に向かった。
そして、市庁舎でのレセプションを終えた大公夫妻は、急遽予定を変更して、先の爆発騒ぎでの怪我人のお見舞いの為、病院に行く事にしたんですね。
が、運転手が道を誤り脇の路地に入ってしまった為、車を方向転換させるべく急停止したところ、急に1人の男が飛び出して拳銃を乱射し、大公夫妻を撃ち殺しちゃったんですよ。
犯人はガブリロ・プリンツィップという19歳のセルビア人無政府主義者で、その場で毒と拳銃で自殺を図るもすぐに取り押さえられ逮捕された。
その後、オーストリア政府は、皇太子が死んだ責任は、ろくに警備を敷いていなかったセルビアにあるとして宣戦を布告した為、この暗殺事件、世に言う「サラエボ事件」をきっかけとして、死者2000万人にも及んだ第一次世界大戦が勃発する事になったんですね。
一方、ベンツは暗殺事件の後、車に同乗していたポチオレック将軍の手に渡ったんですがね、前線で指揮をしていた彼は、3個師団を失う等の作戦ミスが重なり、責任の重圧から精神を患って入院し、ベンツ入手の20日後にそのまま死亡してしまったんですよ。
次にベンツは、ポチオレック将軍の参謀を務めていたドスメリア大尉の手に渡たるも、その9日後に、彼は運転中に農夫2人を轢き殺し木に激突し、首の骨を折って死亡したんですよ。
でもって、第一次世界大戦後には、ユーゴスラビアの州知事がベンツを修復して改良を施し、彼は気に入って乗っていたそうなんですがね、4ヶ月で4度の事故を起こして右腕を失っちゃったんですよ。
知事は「この車には死神がついている」とか言って、車の解体を命じる程に恐れたそうなんですがね、彼の友人のスリキスという医師が解体に反対し、タダ同然でベンツを譲り受けたそうなんだ。
が、その6ヶ月後に、路上で転覆したベンツの下敷きになっているスリキスの遺体が発見されたそうなんですねえ。
なるほど、デス・ベンツか。これがあれば、新世界の神に・・・
なれませんよ!むしろ所有するとコロッと死んじまいますって!
とっとと廃車にしちゃえば良かったのに。何で乗ってたんでしょう?
腐っても高級車だからね。そうそう勿体無い事は出来んよ。
もはや高級車ってよりは、霊柩車っぽいですけどね。
ほら、「山村美紗サスペンス」でもそんな感じのがありましたし。
その後ベンツは、オランダ人の宝石商の手に渡ったんですがね、1年後に彼は謎の自殺を遂げてしまった。
次にある医者がベンツを所有したんですがね、次々と死者が出ているベンツの呪いを恐れて患者が遠のいたので、仕方なくサミレスというスイス人のカーレーサーに売り飛ばされたんですよ。
サミレスは呪いなぞ信じず、すぐにレース用に改造したベンツでアルプス・ドロミテのロードレースに参加したそうなんですがね、そのレース中に横転しちゃって投げ出され、石壁を越えて5m下に叩き付けられ首の骨を折り、やはり死んじゃったそうなんだなあ。
で、ベンツはドイツの実業家の手に渡ったんですがね、その僅か2日後に、彼も石壁に衝突して死んじゃったそうなんですよ。
さすがにこの頃には噂が広まっており、ベンツの買い手はなかなか現れなかったそうなんですけどね、何だかんだで巡り巡ってサラエボに住むゴルシェという農場主が買い取ったんだ、うん。
けど、やはりその数ヶ月後のある朝、彼はエンストして動かなくなったベンツを町で修理する為、通りかかった荷馬車で引っ張っていたところ、急にベンツが暴走し、荷馬車にぶつかって横転させ、ゴルシェと荷馬車の持ち主は死んでしまったんですね。
でもって、ベンツは修理工場に運ばれ、そこの経営者であるタイバー・ハーシュフィールドが所有する事になった。
彼はベンツの血の様な赤色を不吉に思い、明るい青色に塗り替えましてね、ある結婚式に呼ばれた際、5人の友人と一緒に走行していたそうなんだ。
したら、途中で急にベンツが暴走したそうでしてね、対向車に正面衝突して、ハーシュフィールドとその友人4人は死亡してしまったんですね。
その後、ベンツは再び修理されたんですが、誰も欲しがる者がいなかった為、やがてオーストリア政府に接収され、ウィーン博物館に展示される事になった。
案内係のカール・ブルナーは、ベンツをとても気に入り、大切に管理したそうなんですがね、第二次世界大戦の開戦で、連合軍の爆撃によってウィーン博物館は破壊されちゃったそうなんだ。しかし、ベンツの残骸も、ブルナーの遺体も見つからなかったってな話ですよ、ええ。
ウィーン博物館に展示されているベンツ。弾丸の穴は後部車輪上にある。
おい、ベンツなら今もその博物館に展示されているぞ。
いやいやあ、あーいう締めの方が都市伝説っぽくていいじゃないですか。
衝突やら横転とかで事故りまくってんのに、車体だけは最期まで無事だったんじゃな。さすがはメルセデスと言ったところか。
いずれ使ってやってもええな。
いや、そこはブランドのクオリティーを称えるんじゃなくて、異常にしぶとく残っていた事を不気味がるべきですってばよ!
あたしも長ーいベンツのリムジンとかで、学校まで送り向かいしてもらいたいですねえ。イジメられるかもしれないけど。
ところで、話を戻すが、サラエボ事件には不可解な点があってね。
大公夫妻の暗殺犯プリンツィプは確かにセルビア人だったが、オーストリア領のボスニア州に住んでいた。
また、セルビア政府が彼に暗殺を指令したり、援助をした証拠も無く、それどころかセルビアの宰相は、テロ組織が動いている情報を得て、オーストリア政府に通達していたのである。
ならば、オーストリア政府は大公夫妻のサラエボ訪問を中止してもいい様なものだし、また、わざわざ危険を教えてくれたセルビア政府に宣戦布告するのはおかしい。
この事から、オーストリア政府は暗殺される事が分かっていて、わざと大公夫妻をサラエボにやったのではないかと言われているのだ。
どうやら、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は、甥にあたる皇太子が女官と身分違いの結婚をして以来、彼と不仲になっていたらしく、また、ボスニアではセルビア系住民の民族運動が激しくなっていた為、セルビア政府を屈服させる必要が出てきていたと思われる。
そこで、セルビアに宣戦布告する口実として、故意に大公夫妻を暗殺させたとも考えられるのである。
そして、ドイツと手を結んだオーストリアに対し、弱小国であったセルビアは、大国ロシアに支援してもらう事で対抗するしかなかった。
当時帝国だったロシアの皇帝ニコライ2世には、絶大な信頼を寄せていた参謀がおり、彼は以前から「オーストリアの関わる戦争に介入するのは避けるべき」と進言していたという。
だが、その人物、グリゴリー・ラスプーチンは、奇妙な事に1941年6月28日、大公夫妻が暗殺された同日同時刻に、故郷のポクロフスク村で何者かに刃物で刺され、瀕死の重傷を負った為、ニコライ2世への進言が出来ず、結果、ロシア帝国はセルビアの要請を受けて参戦し、後の第一次世界大戦へと繋がる事となったのである。
Back number
FILE137:
死神ベンツ
FILE136:
謎の少年カスパール・ハウザー
FILE135:
オルメカの巨石人頭像
FILE134:
エゼキエルの幻視
FILE133:
地獄の声が聞こえる穴
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