> 魔界冒険記 > 飛びだせ!魔界ウォーカー > Article


[2018.05.20]

ヨーロッパ・オカルトアート紀行⑤
~呪われた死神ベンツ(デス・カーズ)~



  • このエントリーをはてなブックマークに追加

第一次世界大戦勃発のきっかけとなった「サラエボ事件」。
この時、暗殺されたオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルディナント大公夫妻が乗っていた車は、通称「死神ベンツ」と呼ばれ、オカルト好きにはそれなりに有名な存在となっている。
都市伝説では、「車はその後、所有者を転々と変えて次々に死に追いやった末、博物館に収蔵されたが、第二次世界大戦中の空襲によって失われた」と語られる事が多い。
しかし実際のところ、車は現在もウィーンの博物館に展示されているのである。


■前回までの「ヨーロッパ・オカルトアート紀行」
①~魔法の都の怪奇の館(ホラーダンジョン)~
②~不気味で美しい骸骨教会(ボーン・レガシー)~
③~世界で最も恐ろしい教会(ゴースト・イン・ザ・チェコ)~
④~カオスが牙を剥くドイツの狂竜公園(マッド・ジュラシックパーク)~


オーストリア ウィーン

ウィーン到達記念に、まずは「アイーン」のポーズを決めるワシを出すなんてのはどうじゃ?

大魔王様、その演出プランはあまりにも危険です。
くだらな過ぎて見るに耐えません。

ってか、この明らかに不要なしょうもないくだりで、全員そっとブラウザを閉じるわ。


ウィーン軍事史博物館


国際列車が乗り入れするウィーン中央駅に程近く、 有名観光地のベルヴェデーレ宮殿(最初の写真の建物)から南に少し歩いた場所に、「ウィーン軍事史博物館」がある。

敷地が横長過ぎて、引いたアングルで撮影しても全然収まらんぞ。

ちゃんと広角レンズ使わなきゃ無理ですよ。

ショートカットしようとして公園に迷い込んだミスを生かせず残念ね。


入口が思ってたよりさり気ない感じだったので少々迷ったが、こちらから敷地内へ。


早速「死神ベンツ」の存在をアピールする看板があった。

もっとクラスで3番目に可愛い子くらいの扱いかと思ってたぞい。

いや、それは一体どんな微妙な扱いなのよ。

むしろ最前線に押し出したプロモーションを展開していますね。


入口から少し歩くと、通称「HGM(Heeresgeschichtliches Museum)」と呼ばれる軍事史博物館の建物に到着。


この建物は元々、19世紀後半の革命に衝撃を受けた皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が、市民の武装蜂起に備えて設けた兵器庫だった。


しかし、徐々に当初の目的は薄れ、現在は軍事史博物館として、17世紀の三十年戦争から第二次世界大戦までに至る、オーストリアが関わった戦争の貴重な軍事資料が数多く展示されている。

自転車置き場か何かかと思いきや、大砲めっちゃあるやん。

こりゃ館長を怒らせたら一溜まりもなさそうですね。

別に怒らせるよーな事しなきゃいいでしょが。


歴史的なレンガ造りの建物に似つかわしくない、 近代的な戦闘機もいきなり屋外展示されていた。


内部に一歩入ると建築の壮麗さに圧倒された。
大理石造りの56体の将軍像が並ぶ軍司令官ホールである。


ヨーロッパの美術館などはその建物自体が芸術作品のような尊さがあるものだが、 元々が兵器庫だったにしては気合が入り過ぎである。

おいおい、どう見ても宮殿じゃねーか・・・。

さすが芸術の都、やばたにえんって感じですね・・・。

これくらいで怯むんじゃないわよ・・・。


受付に入場料+撮影料を支払い、荷物を預けて奥へ。


今回の目的のブツは、1階の入って右手の部屋を少し進んだ先に展示されており、館内の割と序盤にあった。

おっ、早くもあったぞ。貸出中とかじゃなくて良かったわい。

レンタカーじゃないんですから・・・。
まあ先日のシャンデリアは修理中でしたけど。

もったいぶって登場するかと思いきや、これまた意外ね。


所有者が次々と命を落し、“死神が取り憑いた呪いの車”としての伝説を持つ、通称「死神ベンツ」。
同館での展示名はあくまで「サラエボ・カー」となっており、 暗殺事件の発生時、フランツ・フェルディナント大公と妻ゾフィー・ホテクは、車両の最後部に座っていた。


なお、死神ベンツについては、以下の記事に詳しく書いているので併せて参照して頂きたい。
手前味噌だが、この都市伝説を国内ネット上の最初期から紹介している当サイトとしては、 今回、現地視察が適った事はなかなか感慨深い事であった。

■関連記事
人を死に至らしめる呪物


後部の車輪付近には、生々しい弾痕が確認できる。
この穴を貫通した銃弾は、妊娠中の妻ゾフィーの腹部に命中した。

この車がもし対テロ用の防弾仕様とかだったらな。

そもそもオープンカーなんで隙だらけですからね。

歴史に「もしも」はないけど、 紙一重で大きく違うものになっていたのかもしれないわね。


ところで、都市伝説では“呪いの赤いベンツ”とも呼ばれているが(後に青く塗り替えられたとも)、ご覧の通り車体の色は黒い。


というか、そもそも車種もベンツではなく、グラーフ&シュティフト社製の「ドッペル・フェートン」というものである。

誰だよ、最初にベンツとか言いだしたアホは。

まあ確かに「死神ドッペル・フェートン」じゃ呼びづらいですからね。

世の中フェイクニュースだらけって事ね。


死神ベンツの伝説を一般に知らしめたのは、20世紀の超常現象作家フランク・エドワーズが1959年に著した書籍『Stranger Than Science』だという。
しかしこの本、他にも“一夜で村人全員が失踪したイヌイットの村”など眉唾物の話がまことしやかに掲載され、内容の信憑性自体はかなり低いと見なされている模様。
ただ、それ以前にも呪われた車として、1927年のハンガリーの新聞などで記事にされているらしく、 前述の本が出版される以前からも、ある程度知られた伝説だった事が伺える。

■関連記事
不可解な集団失踪事件


さて、車が実際に辿った運命だが、 事件後すぐに所有者のハラッハ伯爵が皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に献上し、1914年~1944年まで元々この博物館に展示されていた。
しかし、第二次世界大戦末期に米軍の空爆を受けて損壊。
都市伝説では、これにより大破して永久に失われた感じの結末だが、史実では無事に修復され、 1957年から現在の部屋に展示されているという。

所有者を転々と変えて死に追いやるみたいなのは、状況的に無理みたいですよ。

いや、実は博物館が空襲を受けたのは、この車の所為なのかもしれんぞ。

往生際が悪いわよ、このクソオカルティストが。


ナンバープレートには「AIII 118」と記されている。
なんて事のない英数字の並びに見えるが、一説によると、 これは「A 11-11-18」と置き換える事ができ、第一次世界大戦の休戦記念日(Armistice)である1918年11月11日を示しているという。
つまり、戦争勃発の根源となったこの車が、1910年に作られた当初から後の悲劇を予兆していたというのである。
もちろん、単なる偶然というか、都合の良い解釈に過ぎないとは思うが(そもそもドイツ語なのでAは無関係とも)、 この期に及び伝説に尾ひれがつく事も含めて、少し気になる話ではある。


車の隣には、暗殺チームが使用した3丁の銃が展示されている。
彼らは合計4丁の銃を所持していたとされるが、大公夫妻の命を奪った犯人がどれを使用したかは、現在も謎のままだという。
いずれにせよ、押収されたこれらの銃は、セルビア軍関係者の支給品である事が判明し、事件から約1ヶ月後、オーストリア=ハンガリーはセルビアに宣戦布告したのである。

すぐ横に銃が展示されてるとか、皮肉なもんじゃな。

これが文字通り、1000万近い死者を出す大戦の引き金になろうとは、誰も予想出来なかったでしょうね。

まさに歴史の1ページを垣間見てるようだわ。


大公が暗殺された時に着用していた礼服と、息を引き取る際に横たわっていた長イスも展示されている。


大公は2発目の銃撃で首を被弾し、それが致命傷となった。
礼服の襟元には、銃弾により空けられた非常に小さな穴がある。

よく見ると、うっすら血の痕がついてるな・・・。

手当ての為に一回破ったような痕もありますね・・・。

車とかよりもこっちの方が生々しいじゃないのよ・・・。


こちらは暗殺時にゾフィーが持っていた薔薇の花とレースの編み物。


1914年6月28日、暗殺事件当日のサラエボ市内の視察ルート。
黄緑色が実際に走行した道で、ピンク色が当初予定されていた道、黄色が予定変更後の道だ。
市庁舎(赤色の場所)を経由した大公夫妻は、中央部の☆の地点で銃撃された。


この日、大公夫妻は直前に彼らを狙って発生した爆発事件の負傷者を見舞う為、急遽予定を変更し、病院を訪問する途中だった。
午前10時45分頃、車がラテン橋付近の十字路にさしかかったところで、正確に目的地変更の情報共有がされていなかった運転手が道を誤り、一時的に立ち往生した。
するとその隙を突いて、 偶然近くの店にいた国家主義者の秘密組織「黒手組」のメンバー、ボスニア系セルビア人のガヴリロ・プリンツィプ(19)が短銃を持って飛び出し、 至近距離から大公夫妻を銃撃したのである。

NHKの『映像の世紀』の曲が聞こえてきそうじゃな。

ああ、あのやたら悲壮感が漂ってるやつですね。

アンタ達、受信料とか払ってんの?


血なまぐさい歴史を物語る薄暗い展示室だが、 学生達が集まって学ぶアカデミックな空間でもある。

ヨーロッパの奴ら、結構その辺に気にせず座り込みがちじゃな。

あー、確かに屋外でも普通に地べたに座ってるのよく見かけますね。

家の中でも靴を履いたまま生活する文化だからじゃん。


フランツ・フェルディナント大公の胸像。
本名、フランツ・フェルディナント・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン。享年50歳であった。


こちらは大公の肖像画。
彼らがサラエボに訪れた6月28日は、たまたま1389年にセルビアがオスマン帝国に敗北したコソボの戦いの日でもあり、 結果的に一部の国民感情を逆撫でする事になったという。


同じ室内には、別の展示スペースながらも、まるで大公夫妻を追悼するように十字架などが並べられていた。


2発の銃弾をきっかけに始まる第一次世界大戦に関する展示は、次の部屋から始まる。

急に現代的なミュージアムっぽい雰囲気になったな・・・。

むしろ本番はここからって感じですね・・・。

こりゃ先がだいぶ長そうね・・・。

そんな訳でこの博物館、 沢山の見所があるものの非常に広大である為、以降はダイジェストでサラッとお送りいたします。


数年前に改装された第一次世界大戦の展示室には、 巨大な高射砲、複葉機、軍服や軍旗、手榴弾といった武器などがある。


また、実物大のトーチカや塹壕の再現スペースなど、体験型の要素も設置されている。

体勢を低くして「衛生兵ー!」とか叫ぶ、ミリタリーごっこが出来そう。

なんすか、その不謹慎なごっこは。

アンタはちゃんと精神科で診てもらった方がいいわよ。


死神に取り憑かれた兵士の絵画。

なかなか人懐っこそうなホラーマンじゃねーか。

もしかしたら、死神ベンツはこの絵を見た誰かが思いついたホラー話だったのかもしれませんね。

それダジャレが言いたいだけよね?

なお、戦時中には結構アンビリバボーな不思議体験も報告されているので、 宜しければ下記などもついでにご覧ください。

■関連記事
モンスの天使
奇説・戦時中の聖母や天使の降臨は軍事戦略的なホログラムだった?
第一次世界大戦中にUボートが撃沈した海の怪物


続いて、中央階段を上がり2階へ。


2階ホール「名声の間」。
やはり国王の玉座でもありそうなロイヤルな雰囲気。


天井画も実に見事な豪華絢爛ぶりである。


2階では三十年戦争、対トルコ戦争、ナポレオン戦争などで使用された武器や軍服、ナポレオンやハプスブルク家などにまつわる品が展示されている。

ナポレオンの辞書は無いのか?

ちょっとそれらしきものは見当たりませんね

あっても色々な言葉が削除されてそうだわ。


敷地の広大さがよく分かる、軍事史博物館のミニチュア模型。
「アーセナル」という兵舎・兵器庫の軍事複合施設で、中央の建物が現在地の博物館である。
館内はホールを中央にして、1階と2階の左右両翼がそれぞれの時代ごとの展示エリアになっている。

移動にセグウェイでも欲しくなる敷地面積じゃな。

それでもし展示品に突っ込んだりしたら、死神セグウェイになるんですね、分かります。

ゴチャゴチャしょうもないコメ述べる余裕あるなら、普通に歩きなさいってのよ。


1階に戻り、第二次世界大戦の展示室へ。
オーストリアは、大戦直前にヒトラーによってドイツに併合された為(そもそもヒトラー自身がオーストリア出身であった事もあり)、 ナチス・ドイツ軍の飛行機やジープ、高射砲、軍服、プロパガンダのポスターなどが陳列されている。


ハーケンクロイツのクッション。
ヨーロッパではナチスのシンボルであるこのマークは滅多にお目にかかれないが、 ここでは堂々と展示中であった。

花とか咲いてて無駄に可愛らしい感じじゃな・・・。

「イエス・ノー枕」ならぬ「ハイル・ヒトラー枕」ですね・・・。

これで寝ちゃったら悪夢でうなされそうね・・・。


奥の方はオーストリア海軍に関する展示で、 戦艦や潜水艦の巨大模型、潜水服や軍服、絵画などが置かれていた。
今でこそオーストリアは内陸国だが、第一次世界大戦で敗戦し、帝国が解体されるまで海軍は存在していた。


館内を一巡すると、最後に中庭に出た。
ここは「タンク・ガーデン」と呼ばれる屋外展示場で、第二次世界大戦で使用された戦車などが多数並べられていた。


ウィーン軍事史博物館の入口には、「Kriege gehoren ins Museum.」と記されている。
これは直訳すると「戦争は博物館の中に属する」となり、つまり“負の歴史をこれ以上繰り返してはいけない”という意味合いの、反戦メッセージになっているのだ。

広過ぎて歩き疲れたわい・・・。

もう新たな戦争の展示が増えない事を祈るばかりですよ・・・。

色々やりすぎちゃってる都市伝説とかもね・・・。


■参考文献
・『Das Auto von Sarajevo: Der geschichtstrachtigste Oldtimer der Welt』 トーマス・イルミング/クリスチャン・M・オルトナー
・etc
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

この記事を読んだ人は、多分こんな記事も読んでいます。

Back number

Archives

News Headline

ページのトップへ戻る
inserted by FC2 system