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瀬戸内海に浮かぶ大久野島は、広島県竹原市の沖合い3kmに位置する周囲4.3km程の小さな島である。 近年は生息数の多さから「ウサギ島」として知られ、ファミリーやカップルで賑わう観光地となっているが、元々ここは、「毒ガス島」や「地図から消された島」などの物騒な異名を持つ、戦争の暗い歴史を今に伝える場所なのである。 |
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大久野島 |
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2015年3月、広島の珍寺と愛媛の珍寺の探索を終えた我々は、四国からフェリーで広島に戻り、
どうにかこうにか辿り着いた旅館に一泊。 翌朝、今回のツアー最後の目的地である大久野(おおくの)島に向かっていた。
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竹原市の忠海港からフェリーに乗ると、すぐに島が見えてきた。
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あれが「ラビット・ジュラシックパーク」とも呼ばれる大久野島か・・・!
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一体誰が呼んだんですか・・・。 果たしてどれだけモフモフに占領されてるんでしょうかね。 |
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海外でも結構紹介されてるからか、外国人旅行者が多いですね。 |
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1925年のジュネーブ議定書で化学兵器の使用は禁止されたが、日本はこれを批准せず、1929年から陸軍は毒ガスの生産に着手する。 地理的な条件や秘匿の容易さなどから、元々は水軍(海賊)が住んでいた大久野島が生産拠点に選び出されたのである。
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毒ガス製造工場の存在は機密事項として、一般向け地図
においても島一帯は空白で表記された。 また、工場では近隣から強制徴収した未成年の若者などが従事させられ、
島内で見聞きした情報を外部に漏らす事は固く禁じられたという。
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敗色濃厚となった終戦間際、毒ガスの機密が世界に知れ渡る事を恐れた旧日本軍は、
工場の製造機械やヒ素などの原料を島の近海や山中に投棄し、隠蔽を図った。
また戦後、残存していた毒ガスはGHQによって処分されたが、島には現在も危険な土壌汚染地域があり、当時働いていた職員達の中にも多数の死者や後遺症者を出した。
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だが、そうした事実にお構いなしといった感じで、今では繁殖し過ぎたウサギが我が物顔で島内を跳ねまわり、負の遺産とほのぼのさが共存したシュールな光景を目にする事が出きる。
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船を下りると早速、芝生でくつろぐウサギが何匹もいた。
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ほーれ、おいでおいで~!・・・来いっつんだよクソが! |
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おのれ、リア充どもめ~・・・廃墟も行かずにデートしやがって何考えてるんだ・・・! |
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逆本さん、あなた元々は真人間枠だったのにちょっとこのサイトに毒され過ぎですよ? |
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フェリーを見送りつつ、桟橋から海岸沿いを進む。
一緒に降りたはずの他の人々は、全員反対の方に行ってしまった。
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旧軍用桟橋。
この島も軍艦島と同様、2000年代初頭くらいまでは、
廃墟マニアくらいにしか興味を持たれない非常にマイナーな場所だった。
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だが、今ではキュレーションメディアなどでもしつこく取り上げられ、都会に疲れたOLが週末に癒しとインスタジェニックを求めて訪れるような、
有名観光地と化してしまった(謎の偏見が混じってスマン)。
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元「毒ガス島」のくせに、最近は「ウサギ島」の方を前面に押し出して、ファンシーな感じで女子受けを狙いやがって・・・。 |
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まあまあ、いいじゃないですか・・・。そらウサギの方を取りますよ・・・。 |
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みんな純粋にレジャーを楽しみに来てるみたいで、僕らが場違いな感じすらありますからね・・・。 |
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とは言え、土塁のトンネルを抜けると目の前に廃墟があり、
我々ダークツーリズム寄りの好事家の需要も満たす見所となっている。
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ここは1929年、
毒ガス工場(旧陸軍造兵廠火工忠海製造所)に電力を供給する為に建てられた発電所跡だ。
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島内に点在する戦争遺構の中でも最大の建物であり、
葦に覆われた貫禄の姿からは非常に歴史を感じさせられる。
昔は外壁が迷彩色に塗装されていたそうだが、今ではすっかり色褪せてしまっている。
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おっと、こんなところにもウサちゃんが。
野菜などの餌やりは可能で、抱っこ禁止などのマナーを守れば多少触れ合う事が出来る。
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モダニズム建築の内部はガラーンとして何も無く、まるで体育館の様な印象を受けた。
実際、体育館に転用される噂もあったという。
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そんなくだらないコメントが臆する事なく出てくるのが凄いですね。 |
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現役時代はここに技術者や工員が17名程常駐し、8基のディーゼル発電機が設置されていた。 燃料となる重油の供給が困難になると、本州から海底ケーブルを介して島へ電力を送ったそうだ。
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戦局が悪化し毒ガスの生産を縮小した1944年頃からは、「ふ号作戦」という名目で、
女子動員学徒による風船爆弾の製作場としても使用された。
この珍兵器は、和紙とコンニャク糊で作った安価な気球に乗せた爆弾を、
ジェット気流に乗せてアメリカ本土に落とすという代物である。
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一時期この廃墟は解体される話もあったそうだが、
戦中を偲ぶ貴重な遺構であるという事で、地元住民の署名運動により、あくまで自然の姿のまま保存される事となった。 |
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昔『ムー』にここで撮影された心霊写真が載ってたなー。 |
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足元には枯葉やガラス片などが散乱している。 この発電所は、2階建てと3階建ての大小の棟が連結された構造となっている。
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こちらが最初に作られた建物らしく、
大きい方は電力不足が心配された1933年になって増築されたそうだ。
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壁面はDQNによる落書きが目立つ。
ただスプレーではなく、チョークや壁面を傷つけるなどして書かれているようだった。
所々に記念の日付も見受けられるが、何故か1980年前後が多い。
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廃墟の内部にも、所々ウサギの姿があった。 どうやら雨風を凌げる格好の隠れ家らしい。
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しかし誰もいない廃墟で、
ウサギだけが跳ね回っている光景は、人類が滅亡した後の世界みたいな終末感が漂っていて、妙にそそる。
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ちなみに、ここが今回のハイライトだから。 あとはもう、消化試合だから。 |
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え、もうですか!?まだ上陸して大して経ってないですよ!? |
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隣接するポンプ室の建物。
劣化が激しくもはや古代遺跡のようだ。
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廃墟を抜け出して、島をグルッと一周する形で散策路を進む。
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島の頂上には、本州と四国を結ぶ高い送電線が聳え建っている。
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島に鉄塔があると、なんとなく『SIREN(サイレン)』とか思いだすな。 |
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そこら中にいるウサギ。 元々は島外の小学校で飼育されていた8羽が、1971年に島に放されて野生化したものらしく、2013年時点で700羽にまで増えたという。
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場所が場所だけに、「毒ガスの検知や実験の為にかつて工場で飼われていたウサギが逃げ出し繁殖した」とも言われるが、それらは全て殺処分され、直接の子孫ではないという。
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ウサギだらけなのは良いが、同時にウンコだらけなのは敵わんな。 |
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さっきから踏み過ぎて、もうどうでも良くなってきましたよ。 |
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地図から消されたウンコ島・・・いや何でもないです。 |
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先程よりは規模が小さい廃墟の火薬庫跡。
外壁はレンガ作りだが、万一火薬が引火しても爆発が抜けるよう、屋根は簡単に造られていたという。
毒ガス工場時代は、化学兵器の製品置き場として利用されたそうだ。
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ちなみに壁に描いてある「MAG1」の文字は「MAGAZINE1」の略で、
朝鮮戦争当時、米軍が弾薬庫として使用した時の名残である。
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島のあちこちにある砲台跡。
日清戦争の勃発を受け、1902年に軍港の呉を守る為に芸予要塞として整備された際に築かれたものだ。
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この辺りには12~24cmの速射加農砲が設置されていたという。
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砲台跡とかたまにあるけど、ぶっちゃけ大体どれも微妙じゃよな・・・。 |
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今となっては、見た目がただの空きスペースですからね・・・。 |
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皆思ってもなるべく我慢する事をサラッと言うんですね・・・。 |
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何も無いとよく分からないので、
砲台があった当時の様子を大サービスで再現。
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どうじゃい、我が魔力により昔の景色を蘇らせたぞい・・・! |
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さすが閣下、平成狸合戦のラストシーンみたいな脅威の再現っぷりですね。 |
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こちらは毒ガス貯蔵庫が設置されていた跡地らしい。
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発電機関舎跡と地下兵舎跡。
こんな一見ただの原っぱみたいな場所も、かつては多くの人間ドラマがあったに違いない戦争遺構なのだ。
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と、その時!
若い男女が自転車で我々の横を通り過ぎると、ある人物に異変が!
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逆本が覚醒した!!
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うおおッ!! 次に視界に入ったリア充カップルぶっ殺す!!! |
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あまりにモテない所為かキャラ崩壊が本格的に始まりましたね・・・。 |
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北部砲台跡を過ぎると長い下り坂が伸びている。
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つがいっぽい仲睦まじい感じのウサギがいた。
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坂を下りると広い浜辺に出た。 ここでもう半周くらいなので、本当に小さな島だ。
今更だが島を見学する場合はレンタサイクルの利用をオススメする。
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長浦毒物貯蔵庫。
終戦の時点で、島内にはイペリットガス、ルイサイトガス、クシャミガス、催涙ガスなど、計3270tもの毒ガスが残っていたそうだ。
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現役時代の様子。
奥には左右3つずつ、計6つの部屋があり、それぞれに縦長のガスタンクが置かれていた。
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壁面の黒っぽい部分は、戦後に火炎放射器で焼却された痕だ。
しかし処分は不十分で、現在でも島内の地下4~5mの一部土壌では、高濃度のヒ素が検出されるという。
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リア充を阿鼻叫喚の地獄に陥れる臭い缶詰か何かですか? |
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今回の秘密兵器であるドローン。
これで大久野島の空撮を試みようという次第である。
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さすが閣下、日々新しい技術をどんどん取り入れるその攻めた姿勢、
感服いたします!このミーハー野郎! |
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ウサギも見慣れない物体に興味津々のようである。
(※当時はドローン関連の事件が頻発する直前で、特に規制なども無く緩い状態でした)
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「飛ばにーウサギはただのウサギだ」とでも言いたげじゃな。 |
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ブワッ
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ブーーーン
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ブーーーン
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10秒で墜落したのですが。
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あくまで風が強くてスムーズな飛行が困難だった為、
仕方なくYouTubeにあった動画をご覧ください。こういうのが撮りたかった。
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どうせカットすればいい様なこのくだりも存分に掲載するくせに・・・。 |
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島内唯一の宿泊施設である「休暇村 大久野島」。
付近にはプールやテニスコートがあったり、本格的にリゾートアイランド感を漂わせている。
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この広場周辺が一番ウサギの密度が高く、ウジャウジャいた。
アナウサギという種類らしく、その名の通り彼らによって掘られた穴が、地面にいくつもボコボコ空いていた。
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この島ならしばらく閉じ込められても耐え凌げそうじゃな。 |
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こんなにセルフサービスで食料が取り放題ですもんね。 |
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こんな憩いの場のすぐ傍にも毒ガス貯蔵庫跡がある。
1984年に報道されるまで、ほとんどその事実は知られていなかったというから、
いかにこの島の過去が極秘であったかが伺えられる。
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毒ガスの研究所跡。
現在はネイチャーセンターとして利用されているらしい。
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検査工室跡。 毒ガスの管理や機密書類の保管の他、
毒ガスの検査などが行われていた場所だ。 休暇村が整備された頃には、これらの建物が一時的に宿泊施設として使用されたという。
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島の歴史を伝える毒ガス資料館。
社会科見学っぽい雰囲気になる事を懸念しながらも、せっかくなので入ってみた。
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館内の数ある展示物の中でも、特に衝撃的だった防毒服の人物。 こんな格好で何人もの作業員が島内をウロついていた光景を想像すると、背筋が寒くなる。
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さらには防毒仕様の軍馬まで。
呼吸器や目に影響を及ぼす毒ガスに加え、皮膚にダメージを与えるマスタードガスも取り扱われた為、
全身防護の必要性があった。
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投器製の毒ガス製造器具。
この島で作られた毒ガスは北九州に運ばれ、砲弾や爆弾などに装填されて戦場へと送り込まれた。
原爆が長崎に投下された際、元々の目標が小倉だったのは、この毒ガスの存在を重視したからという説もあるそうだ。
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今ではウサギのかくれんぼスポットと化しているらしく、油断して見ていると急に配管から飛び出してくる。
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他にも見所はいくつかあったが、
これにて概ね島巡りが完了。 フェリー乗り場まで帰ってきた。
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戦後70年の時を経て、かつての毒ガス島は随所にその名残を留めながらも、確かにウサギの楽園と化していた。
それを嫌と言うほど目の当たりにした我々は島を後にし、今回の広島&愛媛ツアーの旅路を終えたのだった。
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しかし思ってた以上にキャッキャウフフな観光地だったな・・・。 |
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我々のステータスがちょっとしたポイズン状態に陥りましたからね・・・。 |
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瀬戸内なんじゃこりゃツアーズ―完
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オマケ (※本編とあまり関係無いので読み飛ばし可)
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大久野島に渡る前夜。竹原市内の旅館にて。
四国から急ぎ広島に戻った我々は、
当初の到着予定時刻からだいぶオーバーした、深夜23時過ぎにどうにか宿に辿り着いた。
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ただでさえ待っててくれたのに、一旦目の前をスルーしてコンビニとか寄るからですよ・・・。 |
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ろくに何も食ってないんだから夜食くらい買いたいじゃろが・・・。 |
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滞在部屋で深夜の反省会。
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大体コースプランがおかしいんですよ、元々は大久野島が一番最初でゆっくり広島を回る予定だったのに・・・。 |
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世界遺産の厳島神社がカットとか正気の沙汰・・・いや常人にはなかなか出来る事とは思えませんね・・・。 |
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やかましい! 戦況は時々刻々と変わっていくんだから、都度大胆な判断が必要になってくるんじゃよ!
ダイバーシティってやつじゃ! |
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それにしても、
建物はだいぶ古いがシングルの客室は広く、値段も4000円台というリーズナブルさで、
場所もフェリー乗り場から程近く、これ程までに条件のいい宿が当日予約出来たのは非常にラッキーだった。
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むしろ霊まで出たらサイト的に願ったり叶ったりじゃないですか。 |
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翌朝の廊下。
普段あまり旅館や民宿を利用しない所為もあるが、なかなか味わい深い雰囲気の宿だった。
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壁が薄い所為か、隣室のジジイのいびきの臨場感が凄かったけどな・・・。
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夜な夜な5.1chサラウンドが続くのは辛いですな・・・。 |
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客はチェックイン後、この洗濯物エリアを通されて自室へと行く事になる。
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このフロントと客室棟を繋ぐ渡り廊下が特に印象的で、秘密基地とか昭和の寮っぽい雰囲気があって良かった。
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なんとなくラピュタのタイガーモス号っぽい感じすらしますね・・・。 |
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廃墟、珍スポ、心霊スポットとかの他、レトロな宿を巡るのも楽しそうですね。 |
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側面から見上げた図。
よく分からないが、別の何かに目覚めるきっかけになりそうな、そんな宿だった。
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