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[2017.02.07]

ヨーロッパ・オカルトアート紀行②
~不気味で美しい骸骨教会(ボーン・レガシー)~



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チェコの中央ボヘミア州に位置する小さな街クトナー・ホラは、かつて中世の主要都市として栄え、 世界遺産の歴史的建築物が点在している為、プラハから日帰りの旅先として人気が高い観光地である。
そしてここには、その筋には有名な通称“骸骨教会”があるのだから、 良い子のオカルティスト(スカルティストとも)なら襟元を正して訪れておかねばならないのだ。


2016年4月下旬、プラハ中央駅にて。

駅前がエロいな。

一国の首都のメインステーションがこんな目を見張る有様だとは、 実にけしからん事ですな・・・!いいぞもっとやれ。

エロいのはアンタらだろーが。


という訳で、列車でプラハから東に約70kmのクトナー・ホラへ。
何番線のホームから出発なのか直前まで電光掲示板に表示されない為、ダラダラしていた売店前からダッシュで乗り込む。

あの車両じゃ急げ!(バリボリッ)

ポテチ食いながら走るんじゃないわよ!

くっそ、何でこんなにアナウンスがギリギリなんだ!?


美しい風景を眺めながら、1時間程の優雅な鉄道移動だ。

まるで『世界の車窓から』みたいですなあ。

一応それっぽく他の乗客達の姿も適当に撮っておくか。

やめとけドアホ!


ちょうど景色も見飽き始めた頃、 クトナー・ホラ本駅に到着。


駅舎を出ると、目の前にいきなり気になる廃屋があった。

早くもこんな感じとは、我々好事家を楽しませてくれそうな街じゃな。

もう最近は廃墟が我々に吸い寄せられてくる気さえしますよ。

いやいや、そんなのマジ勘弁だっつーのよ。


クトナー・ホラは13世紀後半に良質な銀が採れる鉱脈があり、チェコで最も裕福な経済拠点だった。
しかし、16世紀半ばに鉱脈が枯渇すると、ペストや三十年戦争の影響もあって、みるみる衰退。
現在、当時の活気は影を潜め、人口2万人程の街は何処となく寂れた雰囲気が漂っている。


何気に2階の窓辺に顔とかついててオカルティック。
この地方の魔除けか何かなのだろうか?
実にミステリーな物件である。

大魔王様、ほらあそこ!オカルトアートがあります!

おっ、いいね!ヨシオ、10ポイント!

いや、いつからポイント制になったの!?


駅前の通りを道なりに15分程歩くと、聖母マリア大聖堂がある。
1300年代に建てられたもので、ゴシック様式としてはチェコ最大の聖堂である。
1995年にはクトナー・ホラの歴史地区と併せてユネスコの世界遺産に登録された。
この教会があるセドレツ地区は、1140年にシトー会修道院が出来て以来の歴史ある場所なのだ。


セドレツ納骨堂


さて、聖母マリア大聖堂を過ぎて少し進むと、 今回のお目当てである全聖人教会が見えてきた。

空模様が不穏な感じになってきたぞ・・・。

お天道様が空気を呼んでくださったんですかね・・・。

どうやらアンタ達の日頃の行いが良過ぎるみたいね・・・。


周囲を墓で囲まれたこの小さなカトリック教会は、約4万人もの死者の人骨が保管されており、 なんとそのうち約1万人の人骨が地下のコストニツェ(チェコ語で納骨堂)の装飾として使用されているのだ。


伝承によれば1278年、セドレツの修道院長ハインリヒが、エルサレムにあるゴルゴダの丘から持ち帰った一握りの土をここに撒いたところ、 この教会は聖地と見なされるようになり、埋葬を望む者の遺体が中央ヨーロッパ各地から続々と集まった。

作り物の死体の後は本物の死体を見に行くんですね・・・。

フッ、あんなダンジョンは前座に過ぎないのじゃ・・・!

そりゃ残念なお知らせだわ・・・!


14世紀のペストの大流行や、15世紀のフス戦争による数万人の犠牲者も、この地に眠っているという。


15世紀初頭には、墓地の中央にゴシック様式の教会が建てられた。
この建設工事に伴い、埋葬者の一部が掘り起こされて以来、教会の地下が納骨堂となった。


一見すると外観は普通の教会に見えたが、 よくよく観察すると鐘楼の上にも骸骨マークが掲げられており、ちゃんとセールスポイントを主張していた。


正面の門付近の塀の上にも骸骨の彫刻があったりして、 まさに骸骨教会と言った感じである。

なんか悪の組織のアジトみたいじゃな。

ドクロベエみたいな奴がいるんですかね。

せいぜいその罰当たりな態度のおしおきを受ければいいわ。


内部に入ると、高い天井の入口部分に、早速インパクトのある骸骨の装飾がなされていた。

これどうやって固定してるんですかね?

アロンアルファとかじゃね?

100均素材のDIYじゃないんだからさ。


地下へと通じる階段の降り口両側にある聖杯。

これで赤ワインでも飲んだら大物感が凄そうじゃな。

マジキチ感が凄くてドン引きだっちゅーの。

骨の隙間からめっちゃワイン漏れそうですね。


1783年、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世の改革により、シトー会修道院は閉鎖されたものの、 侯爵の家系であった領主シュヴァルツェンベルク家がこの教会の後見となり、 19世紀には教会が購入された。


そして1870年、シュヴァルツェンベルク家はスカリツェ出身の木彫家フランティシェク・リントに、 人骨を使用して納骨堂の内装を制作せよという、トンデモない依頼をした。
制作者であるリントの名は、階段脇の壁に骨のアルファベットで記されている。

ネットで配布したらウケそうなフォントじゃな。

多分もうこんなやつめちゃくそあるかと。

一体こんなの何処で使うってのよ。


骸骨アーチを潜って階段を下りていくと、そこはもう荘厳な雰囲気が漂う納骨堂が広がっていた。


四方八方に並ぶ、見渡す限りの骨、骨、骨・・・。
死者達が造り出す異様ながらも幻想的な光景に圧倒され、ただただ息を呑む。
これらの装飾には、人体のほぼ全ての骨のパーツが使われているという。

うーむ、これぞまさにオカルトアートじゃな!

なんとまあ、見事に悪魔城って感じですなあ。

誰か止めさせて説教する奴はいなかったのコレ?


堂内の中央には4つの小尖塔があり、それぞれに22個の髑髏が取り付けられている。


この骸骨一体一体にかつてはそれぞれの人生があったという事を、つい忘れてしまうくらいのクオリティーだ。

真ん中に立ったら暗黒のパワーが注入されそうな造りじゃな。

病んだ目つきになって帰るのは御免ですよ。

既に闇堕ちしてるから別に今更大丈夫でしょ。


先っぽには不気味さを軽減させるかのように、眠ったらすぐお迎えに来てくれそうな可愛らしい天使が座っている。

骸骨の上で微笑む残酷な天使とか厨二心をくすぐられるな。

いい加減そろそろ少年から神話になってくださいヨ。

一体いつまでくすぐられてるつもりなのよ?


「メメント・モリ」という言葉(“自分がいつか必ず死ぬ事を忘れるな”の意味)をモチーフにした芸術作品は、 人間の欠陥や過ちを思い出させる為の警鐘として、ヨーロッパのルネサンス・バロック期によく用いられた。


ファンタジー作品に登場する有翼種族っぽい骸骨の装飾。
骨ののれんみたいな事になっているが、何だか妙にかっこいい。

武器攻撃が当たりにくい飛行タイプで、しかもアンデッド系とは厄介なやつじゃな。

この手のモンスターは奇襲攻撃もしてくるんですよねえ。

マニアックに不謹慎な事言ってんじゃないわよゲーマーども。


大部分の骨は巨大な円錐形に積まれて保管されており、全部で4つの髑髏ピラミッドが側廊を飾っている。


整然と並ぶ数多の骸骨。
教会が完成した後も、 キャパオーバーとなった墓地の規模を縮小する為、人骨の掘り起こしが続けられた。

100人乗っても大丈夫みたいな事になっとるやんけ・・・。

物置のCMじゃないんですから・・・。

つーか100人どころじゃなさそうよ・・・。


この作業は、古くは1511年の半盲のシトー会修道士から始まり、 掘り出された人骨はこんな感じに整然と積み重ねられていった。
伝説では、やっと一つの山を作り終えた時、修道士の視力が回復したという。


大勢の死者達と生者達が対峙する不思議な空間。
おどろおどろしい存在の骸骨だが、修道士の視力が回復した伝説もあってか、 むしろ幸運をもたらす力があると信じられているそうだ。
シュヴァルツェンベルク家が装飾を依頼したのも、その話にあやかろうとしたからかもしれない。


堂内は冷ややかな空気だが、 絶えず観光客が出入りして賑やか。
あくまで神聖な場所としてルールが厳しめだったローマの骸骨寺とは異なり、全体的にカジュアルな感じで写真撮り放題であった。

今回はポストカードの画像でお送りするという苦肉の策を講じる必要が無いようで良かったぞい。

ローマの方はギャルに混じってキャピついて写真撮ろうとしたら怒られましたからね。

あれでよく記事に出来たわね。
もうわざわざ現地に行く必要ないじゃん。


観光案内も配慮されており、受付のスタッフに納骨堂の歴史について書かれた日本語のテキストを手渡された。

片言みたいな面白い日本語文章を期待したが、事のほか丁寧によく書けているやんけ。

そんな歪んだ期待をしないでくださいよ。

アンタもうちょい魂が浄化されたほうがいいわよ。


中には博物館の様に小綺麗なケースに保管された髑髏も。
頭頂部のダメージは、戦争の際に剣や弓で傷つけられた痕の模様。


堂内から入口の階段の方を見たアングル。


日本人からすれば悪趣味で不謹慎と思われるかもしれないが、 修道士達にとっては死後に教会に祀られるというのは喜ばしい事であり、魂の救済にも繋がると考えられているという。


入って左側の奥には、一際人々の注目を集めるものがある。

なんだなんだ?デスメタルバンドのゲリラライブでも始まるのか?

んな訳ねーだろ!騒音で教会が崩壊しますよ!

あそこにも何か凄そうなオブジェがあるみたいよ。


教会の後見となったシュヴァルツェンベルク家の紋章。
ここまで来ると不気味さはほとんど無く、もはや笑えるくらい芸術的な印象である。

まさに芸術は爆発だな、「ボーン!」って。

「BONE!」って。

あの大魔王様、そのネタ2009年もやってましたけど、進化ってものは無いんですか?


納骨堂の正面中央にある祭壇。


撮影しづらいアングルだったが、暗がりの片隅にも、なかなか良い造形デザインのオブジェがあった。
カトリック教会で行われる聖体賛美式の際に用いる聖体顕示器らしい。


さてこの教会、既に十分濃厚な空間なのだが、先程からずっと、 何か物足りなさを感じていた。

あれ、見所はこれで全部だっけ?

そういえばまだ何かあったような・・・。

えっ、一体何なのよ?


シャンデリアが無い。

影も形もねえええええ!!?

なんじゃそりゃあああああ!!?

ざけんなこらあああああ!!?

折りしも我々が訪れたタイミングは、 老朽化が進んだシャンデリアの修理中だったらしく、別の場所に移動されていたのだった。

だが、大丈夫である。
何故ならそう、我々には免疫がある。


アメリカのエリア51では、名物のブラックメールボックスが消失。
UFOマニアの聖地の砂を涙で濡らし、何ともやるせない気持ちになった。


長崎の三菱崎戸炭鉱では、廃墟の建物自体が消失。
他サイト様に頭を下げて、在りし日の画像をお借りするという屈辱を味わった。


挙句に、東北の廃墟探索中に乗っていた車がチュドって消失。
急遽ツアーは取り止めとなり、全員ほぼ無言のまま新幹線で帰路につくという苦い経験をした。


そう、我々にはこうした物体消失現象と戦ってきた歴史があり、免疫があるのだ。 (写真は戦いのイメージ)

こちとら伊達に何年もこんなサイトやってねーっちゅーんじゃい!

最後のチュドったやつは強引じゃねーですかね?

見るも無残な黒歴史じゃないのよ!


ちなみにこれが、在りし日の骸骨シャンデリア。

こうなったら案内板の写真を接写して、何食わぬ顔でアップすりゃ読者にバレないじゃろ。

バレない訳ねーだろ!しかも、どうせこのやりとりも載せるくせに!

結局ポストカードと大して変わらないじゃないのよバカ!


なお、このシャンデリア、2017年1月現在は戻ってきているようなので、もしこれから行く予定のある人は安心してほしい。
こんちきしょー!



オマケ

入口の売店にあったお土産の骸骨Tシャツ。
この俗っぽさも良しとする開き直りっぷりが潔いと思う。


プラハの街中にあった切羽詰った感じのピクトグラム。
ヨーロッパは公衆トイレが少なく、 あっても基本的に有料である為、そりゃこうなってしまうのも頷ける。

これ既にちょっと漏れちゃってるじゃろ。

足をクロスさせるとかもう限界突破に近いですよね・・・。

結構なハードモードよね・・・。

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