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青森県の下北半島中央部、むつ市に位置する恐山は、本州最果ての霊場として日本人にとっては馴染みが深い。
高野山、比叡山と並ぶ「日本三大霊場」の一つとされ、
特に死者の霊を呼ぶイタコの口寄せが行われる事で有名な地である。
周囲には硫黄の臭いが立ち込め、地獄と極楽に例えられる不気味なまでの荒涼さと美しさを併せ持つ神秘的な風景は、
21世紀を迎えて久しい今日、訪れる者に一体何を感じさせるのだろうか。
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恐山 |
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2015年6月、キリスト祭に参加すべく、念の為開催日の前々日に青森入りした我々は
暇を持て余し、恐山へと足を運んでいた。 オカルトサイトとして、なんとなく一度は訪れておかねばならない気がした為だ。
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くそっ、フェイスブックの友人は「ドーム行くのが楽しみ」とか書いてるのに、私は一体何をしているんだ・・・。 |
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熱狂やリア充とは程遠いひんやりとした空気と硫黄臭ね・・・。 |
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むつ市内からバスに乗る事40分程、途中、清めの冷水タイムの下車を挟みつつ辿り着いた恐山菩提寺の総門。 さすがに中途半端な時期であった所為か、観光客は少ない。
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伝承によれば、恐山の開山は貞観4年(862年)、天台宗を開いた最澄の弟子である円仁(慈覚大師)が唐への留学中、
「汝、国に帰り、東方行程30余日の所に至れば霊山あり。地蔵大士一体を刻しその地に仏道を広めよ」との夢のお告げに従い、
帰国後すぐに諸国を行脚した末に辿り着いたのがこの地であった事によるという。
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広々とした駐車場の脇で印象的に鎮座する六地蔵。
仏教の六道輪廻の思想(全ての生命は6種の世界で生まれ変わりを繰り返す)に基づくものだ。
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なんとなく「この先に進みたくば、我々を倒す事だな」的な事を言いそうじゃな。 |
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入口向こうなんで、別に倒さなくても進めるんですけどね。 |
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入場料500円を支払い総門を越えて参道を進むと、正面に立派な山門が見える。
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山門の手前には、恐山を最も象徴するアイテムである風車に多数囲まれたお地蔵様が置かれている。
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大量に立ち並ぶ巨大な卒塔婆。
霊場っぽい雰囲気を盛り上げてくれる。
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そういやイタコは何処にいるんじゃ?
マイケル・ジャクソンの霊を呼んでムーンウォークしてもらおうぜ。 |
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なんかここに常駐してる訳じゃないみたいですよ。 年二回の例大祭の時だけ来るようです。 |
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あまり知られていない気がするが、恐山は火山である為、
境内には参拝者が入れる4つの温泉小屋(+宿坊には露天風呂)がある。
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明治~昭和初期に存在した硫黄鉱山の掘削時に噴出したものらしく、
全て源泉掛け流しだという。
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遠くの丘の上には何やら気になるお地蔵様が見えるが、あとで行けそうなら行ってみる事にした。
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参道の奥にある本尊安置地蔵堂。
慈覚大師が彫った本尊の地蔵菩薩が安置されているが、内部は撮影禁止だった。
ここには古くから死者の魂が集まると言われており、これが下北地方では「人は死ぬとお山(恐山)へ行く」と信じられている所以だという。
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地蔵堂を過ぎると火山岩に覆われた「無間地獄」が広がっている。
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このモノクロな感じの殺風景や、火山ガスの所為で動植物がほとんど生息しない環境も、
まさに地獄と呼ばれるに相応しい。
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順路に従いゴツゴツした岩肌の斜面を進む。
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さあ、今回も毎度お馴染み、地獄巡り体験コーナーの時間がやってきたぞい。 |
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むしろ我々の地獄巡りは一体いつになったら終わるんですか? 無限地獄じゃないですか。 |
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まったくだわ。景色同様、この不毛な気持ちをどうしてくれんのよ。 |
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丘の上にある慈覚大師堂。
ちょっとした休憩ポイントの様になっていた。
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振り返って下界を望む。
来る前はどれだけおどろおどろしい雰囲気なんだろう・・・と少し思っていたが、
実際は全体的に風光明媚な場所である。
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大平和観音が佇む丘の上まで登ると、
向こう側に広がる宇曽利湖(うそりこ)がよく見渡せた。
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日本の原風景といった感じの実に美しい眺めである。
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あれ、おかしいな。
地獄を歩いてたはずなのに、もう清々しい景色になってきたぞ。 |
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どうやらこの辺は、地獄と極楽がそれぞれ領土をせめぎ合っているみたいですな。 |
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さすがに血まみれの変なオブジェとかは無いようでホッとしたわ。 |
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我々が訪れるとほぼ同時に観音像の頭上に降り立ったカラス。
あたかも「監視しているぞ」と言わんばかりのようで、何やら意味深なものを感じさせた。
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さてはコイツ、霊場のガーディアンか・・・!?気をつけろ・・・! |
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気をつけるとしたら一番怪しいオーラのアンタだっつーの。 |
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観音像の手前にある地面からニョキッと生えたような仏像。
割と真新しく、名前が書かれた小石もあるので、最近になって故人の供養の為に建てられたものなのかもしれない。
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風車だらけの水子地蔵。
風車は輪廻の象徴であり、植物が育たぬこの地では、供養の花の代わりに供えるのだという。
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戦没者を供養する為に建てられた英霊地蔵尊。
手ぬぐいで顔が全然見えない。
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何だかポーズがカッコいいお地蔵様。
ただ、すごい奥の方にあった為近づくのが億劫で、遠くからズーム撮影するだけで失礼した。
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小石が積み重ねられた賽の河原。
親より先に死んだ子供が罪滅ぼしの為、ドMの鬼に邪魔されながら永遠に小石を積み重ね続けるという、例のあそこである。
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ここにある小石の集積は、賽の河原の話に基き、子供を亡くした遺族の方々が供養塔として築いたものらしい。
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血の池地獄。 明らかに大げさなネーミングに思えるが、
稀に藻が発生して、池の水が真っ赤に染まる事があるという。
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手ぬぐい巻いちゃってる所為で竜ちゃんっぽく見えるな。 |
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今にも「押すなよ?絶対押すなよ?」って言いそうですね。 |
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賽の河原の奥にある八角円堂。
内部には亡くなった方々の衣服などの遺品が収められている。
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賽の河原を抜けると、湖畔の方に出た。 そしてそこには、これまでの彫像とは異なり、
明らかに真新しい佇まいのお地蔵様が安置されていた。
両端にはそれぞれ「希望の鐘」と「鎮魂の鐘」なるものがある。
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それもそのはず、裏手に回ってみて分かったが、
これは2011年3月11日に発生した東日本大震災の犠牲者の為の慰霊碑で、
翌年7月の例大祭で設けられたものらしい。
たくさんの大小の手形が物語る、あの日突然失われた多くの尊い命の冥福を祈るばかりだ。
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エメラルドグリーンの水面と白い砂が美しい極楽浜。
気味が悪くなる程の圧倒的な静寂が支配していた。
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まさに極楽浄土、地獄を見た者だけが辿り着ける別天地じゃな。
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ほんと、この世のものとは思えないくらい綺麗で静かな場所ねー。 |
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先程まで多少姿を見かけた他の観光客も、この辺まで来ると完全にいなくなり、貸切状態。
まるで本当に俗世からあの世に入り込んでしまったような心細さを感じるが、それも不思議と何処か心地良いものだった。
だが次の瞬間、そんなセンチメンタルな気持ちは、唐突にスマホの着信音で打ち破られた。
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オレオレ! 買ったばかりの車のハンズフリーフォンの使い心地を試させてくれ! |
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バカもん!今こちとら恐山を満喫しちょるんじゃいッ!
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なんと事もあろうに、こちらの状況を狙ったかのように(当然何も知らせていないが)、
東京の知人からハンズフリーフォンのテストを依頼する電話がかかってきたのである。
こちらの周囲に雑音なども無く、テストするにはまさかの打ってつけの状況。
気持ち的にはソッコーでブツ切りしたかったのだが、断る理由も無いので協力してあげました。
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せっかくの心に染みるムードが台無しだっつーのよ・・・。 |
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手向けられた風車がカラカラと音を立てて回り、浜辺にポツンと座る小さな水子地蔵。
ここまでも複数のお地蔵様を目にしたが、特に哀愁と趣を感じさせる存在だった。
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動物がほとんど生息しないと言われる霊場だが、
デカデカと危険を告げるこんな看板があった。
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おっと、景色に見惚れて油断してたらヤバそうじゃぞ。 |
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極楽浜であの世行きなんてシャレにならないですよね。 |
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とか言いつつ、アンタらこーいう看板とか結構好きでしょ? |
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霊場内の所々には積み石があり、独特の景色を作っている。
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これらは死者のあの世での幸せを祈って積み重ねられたものだ。
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一方で、積み石は地面から噴出する有毒な火山ガスを空気と効率良くなじませる意味合いも持っているらしい。
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また、風車が多数置かれているのも、火山ガスの風下に入らない為の工夫でもあるという。
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先程遠くから小さく見えた延命地蔵尊まで辿り着いた。 これで霊場も大体一巡り完了である。
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恐山名物の霊場アイス。
6月ながら夕方の山の上という事で普通に涼しい気温だったが、
せっかくなので購入する事に。
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ブルーベリー味(恐山盛り)を注文。 霊気と冷気を感じつつも、おいしかった。 |
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日が傾き始め、景色を鏡のように写す宇曽利湖。
恐山はこのカルデラ湖を中心とした外輪山の総称で、
古くは宇曽利山「うそりやま」と呼ばれたそうだが、
下北訛りにより変化し、恐山「おそれやま/おそれざん」と呼ばれるようになった。
「うそり」とはアイヌ語の「うしょろ(窪地)」を指し、カルデラを意味するらしい。
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バスで来た為、行きは素通りして順路があべこべになったが、
恐山の入口には霊界と俗界の境である三途の川が流れており、いかにもな朱色の太鼓橋が架け渡されている(川の正式名称は正津川)。
悪人には、この橋が針の山に見えて渡れないと言われるそうだ。
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橋の袂にある脱衣婆(だつえば)と懸衣翁(けんえおう)の石像。
死後の世界、三途の川の畔で待ち構えるとされるババアとジジイの鬼である。
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三途の川の渡し賃である六文銭を持たずにやってきた亡者は、
この脱衣婆に衣服を剥ぎ取られる。
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一瞬己のタレパイを武器にしてるのかと思いましたよ! |
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そして、剥ぎ取った衣服は、懸衣翁が柳(衣領樹)にかけて、
その枝の垂れ具合で亡者の生前の罪の重さ=死後の処遇を計るとされる。
こうした内容は、江戸時代末期には民間信仰の対象とされていたという。
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橋の欄干近くには何気に首無し地蔵らしきものが並び、ヤバい雰囲気を放っている。
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開山以来、千年以上に渡り地蔵信仰の聖地として受け継がれてきた恐山だが、
今日の様な霊場として整備されたのは比較的最近、戦後の事だという。
かつてこの辺りには硫黄鉱山があったと前述したが、その際に重機で掘り返されて出来上がった荒涼とした風景と、
そこに集まる盲目の巫女であるイタコの神秘性から、
テレビの心霊番組などのマスコミによって"死者の魂が集まる山”といった風に取り上げられるようになり、
いつしかイメージが形成されていった言わば霊場テーマパークの側面があるのだという。
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実際に円仁が下北半島まで来たという史実も無いらしく、
恐山に関する資料が確認出来るのは、戦国時代の享禄3年(1530年)、
田名部の曹洞宗円通寺の僧侶・聚覚(じゅかく)和尚によって、
一度廃寺となっていた同地が再興されてからで、
それ以前の状況については天台宗の修験道場として栄えたとされるが、詳しい事は不明確だという。
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また、恐山で最初にイタコの口寄せが行われたのは昭和10年(1935年)頃で、
昭和30年代にマスコミに取り上げられて一躍脚光を浴び、全国から観光客が押し寄せるようになった。
しかし、かつては40名を超える程いたイタコも高年齢化が進み、今では後継者不足で僅かな人数となり、
夏の大祭(7月20~24日)時には長蛇の列が出来るという。
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生と死が交差する霊場・恐山。
日本古来からの山岳信仰と仏教が習合した山中他界観に基くものなのだろうが、
人々の厚い信仰の積み重ねと美しい奇観により築き上げられた、死者を供養する為の聖地として、
今も祈りを捧げに遠方から訪れる人が後を絶たない。
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あ、ところで面白半分に恐山に行くと祟られるそうじゃぞ。 |
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