エリア51――UFOや宇宙人などのオカルトに興味がある者ならば、誰しも一度聞いた事はあるだろう“世界一有名な秘密基地”である。
Area 51俯瞰図(画像クリックで拡大)▲
総面積3万6000ヘクタールに及ぶ敷地には、巨大な航空機施設や7本の滑走路、その他様々な建物が並ぶ。
中でも基地内最大の“Hanger18”と呼ばれる格納庫は、全長が約19km(一説には38km以上とも)に及ぶと言われ、UFOの残骸や宇宙人の死体が保管されているなどの、陰謀論の中心となっている。
アメリカ、ネバダ州ラスベガスの北西約150km、
周囲を山で囲まれたグルームレイクと呼ばれる乾湖の西端にあるエリア51(ネバダ砂漠のテストサイト地図の区画番号からそう呼ばれる)は、ネリス空軍基地周辺の数千平方マイルの地域に点在する軍事施設の複合体を指しており、
正式名をグレームレイク空軍基地と言う。
以前よりこの付近では奇妙な発光物体の目撃が幾度もなされ、ロズウェル事件 で回収された墜落UFOの残骸や宇宙人(グレイ)の死体が保管されているなど、謎に包まれた極秘施設としての噂が絶えなかった。
安全保障上の理由から、国防総省は長い間この施設の存在を殆ど認めずにいたが、近年になってようやく、航空演習施設としての存在は示唆される様になった。
同地域は多数の侵入検知センサーが設置され、アクセスは厳しく制限されており、もしも侵入禁止の境界線を越えると、たちまち丘の上のジープで見張っている警備員に逮捕され(特に不審な場合は警告無しに発砲される)、600ドルの罰金が課せられる。
1964年に飛行機により撮影されたエリア51の珍しい写真▲
もちろん現在に至るまで同地周辺の上空は飛行禁止区域である。
別名ドリームランド、パラダイスランチなどとも呼ばれるエリア51は、米ソ冷戦時代の1955年4月、
当時両国の諜報活動が激化の一途を辿るという状況の中、
CIA(アメリカ中央情報局)の要請によって開発が進められていたU-2偵察機のテストを行う為に、
人里離れたネバダ州の砂漠に建設された。
機密性を保ち易い僻地的な立地である事や、乾燥した平坦な地表が軍事施設の滑走路に適していた事、
既存施設との近接さなどの理由からグルームレイクが選定されたのである。
以降、米政府はこの新たな航空基地の存在を頑なに否定し続け、地図にも記載しなかったが、
70年代中頃にソ連のスパイ衛星によって同地域一帯の衛星写真がリークされ、メディアにその謎めいた存在がスクープされる。
80年代になると、エリア51付近で夜間、奇妙な光が目撃され始め、
この頃から付近の警備の厳重さが急に増した。
ボブ・ラザー▲
表向きの肩書きは、マサチューセッツ工科大学(MIT)で物理学博士号を取得し、
エリア51以前はニューメキシコ州のロスアラモス国立研究所で働いていた。
その後、面識のあったエドワード・テラー博士(アメリカの「水爆の父」と言われる人物)の紹介により、
ネリス空軍基地内のS-4で研究に従事する事となったという。
エリア51の存在が決定的に有名になったのは1989年、
ラスベガスのローカルテレビ局KLAS-TVの番組『Channel8』にデニスと名乗る核物理学者が出演し、
「エリア51ではUFOの研究がされている」といった証言をした事による。
このデニスという当時30歳の男は、後にボブ・ラザー(ロバート・スコット・ラザー)という名である事が判明する。
ボブ・ラザーによると、彼は80年代前半、エリア51内にあるS-4と呼ばれる巨大な地下軍事施設で働き、
墜落して回収されたUFOの研究(動力源である反重力装置のリバースエンジニアリング)に携わっていたという。
彼がこの時、格納庫で見せられたという9機の回収されたUFOは、
機体の直径が10メートル、高さが5メートルもの大きさで、
研究員からレティキュラム座のゼータ星系から来たレティクル星人により開発されたものであると説明されたらしい。
さらに、それらの機密情報の漏洩を防ぐ為の極秘機関メン・イン・ブラック(MIB) の存在も言及された。
しかしボブ・ラザーは、この秘密の重みに耐えられず妻や友人に情報を漏らした事で、
所属の国防産業関連業者であるEG&G社を解雇される。
そして以降、彼は政府の諜報部員に尾行され始め、空港に向かう途中に車のタイヤが狙撃された事もあった為、
命の危険を感じ、エリア51の事を世間に公表しようと決意したという。
彼のこの衝撃的な暴露話は全米に広がり、やがて現地周辺には観光客達が集うようになったが、
しかしその為、1995年4月からエリア51の絶好の観察場所であったホワイトサンズ山とフリーダムリッジがアメリカ空軍によって閉鎖されてしまった。
日本のテレビ番組でも度々取り上げられた「宇宙人解剖フィルム」▲ 日本では1996年2月2日にフジテレビが独占公開した。
ちなみに1995年と言えば、宇宙人解剖フィルムが注目を浴び始めた年でもある。
このフィルム映像には、1947年7月にロズウェルに程近いソコロに墜落した円盤から回収された宇宙人の検死解剖の様子が、
フォート・ワース基地(しばしばエリア51内とも)で撮影されたものとされ、
非常に生々しくリアルな内容から、長らく論争を呼んだ。
こうしたロズウェル事件の話題と関連付けられる形で、
エリア51の名も一応のお約束として露出する機会が増えていった訳だが、
フィルムについては、2006年4月、映画の特殊美術を手がける彫刻家ジョン・ハンフリーが捏造であったと告白している。
公開されたエリア51のマップ(画像クリックで拡大)▲
そして2013年8月、研究組織「米国家安全保障アーカイヴ」による情報公開請求に基き、
機密解除された文書にて、 CIAがエリア51の存在を初めて公式に認めたのである。
この文書は、1992年に内部向けに書かれたもので、1998年には検閲された形で機密解除されていたが、
改めてほぼ検閲の無い状態で公開された。
ただし、文書には、宇宙人やUFOに関する記載は一切無く、
あくまで米政府が実施していた航空監視活動の実験場としての言及に留まるのみであった。
しかし、半世紀年以上に渡り沈黙を守っていた政府の秘密主義が、ここに来てようやく柔軟な姿勢に転じ始めたのではないかとして、
エリア51を語る上での大きなポイントの一つとなった。
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ボイド・ブッシュマン▲
2014年8月7日に78歳で亡くなった航空宇宙軍需企業ロッキード・マーティン社の元エンジニア。
約40年に渡り兵器製造に従事、シニア・サイエンティスト(上級科学者)として活躍し、
数多くの特許を獲得した世界的に有名な技術者とされる。
しかしこれらの輝かしい経歴は、後に所謂盛られた情報であった事が判明している。
さらに、2014年8月には、
ボイド・ブッシュマンなる老人が死の直前、
自身が約40年に渡りエリア51のUFO研究チームでエンジニアとして働いていたと証言し、
数々の体験談や入手した宇宙人の死体写真の公開など、衝撃の暴露を行った。
同年10月には、30分にも渡るその時のインタビュー動画がYou Tubeにアップされると、
再整数はすぐに100万回を超え、大手メディアでも取り上げられて話題となった。
動画では、要約すると下記の内容が語られた。
・エリア51ではロシア人と中国人が反重力に関する共同研究をしている。
・エリア51には18人のエイリアンが働いている。
・地球にはすでに数多くの宇宙人が訪れており、中には地球人として生活している宇宙人もいるほど身近な存在となっている。
・彼らは68光年離れた「クイントニア(Quintumnia)」という惑星から直径約12mのUFOに乗り地球までたったの45分で到着する事ができるそうだ。
そしてその到着場所の1つに米政府空軍基地“エリア51”があり、宇宙と通じている特別なルートを持っているという。
ただし、このボイド・ブッシュマンの話を裏付ける証拠は全く無く、
写真に写る宇宙人のフィギュアっぽさ(後に市販の玩具と判明)からも察せられるように、
現在ネット上やマトモな研究者からはネタの一種としか見なされていないようだ。
しかしこのようにエリア51は、ボブ・ラザーの暴露から30年近く経った時代の変わった現在でも、
依然として根強く我々に最新のトピックをもたらし続ける、大いなる謎に他ならないのである。
アメリカ ラスベガス
2014年11月26日、
我々はエリア51へ向かう拠点となるネバダ州ラスベガスの街にいた。
これからいよいよ、全オカルト少年少女の聖地に乗り込むぜい!
昨夜カジノで2万近くすったのにテンション高いですね。
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ラスベガスの玄関口であるマッカラン国際空港。
現在日本からの直行便は基本的に無く、ロサンゼルスやサンフランシスコ経由で国内線に乗り継いで訪れるのが一般的だ。
この空港からはほぼ毎日、
町からかなり離れたエリア51に130人以上の従業員を乗せてフライトしているとされる謎の飛行機をフェンス越しに目にする事が出来る。
この白に赤いラインの入った737-200s型飛行機の機体には、
航空会社名のロゴなども見当たらないが、航路のコールサインが「ジャネット」である事から、通称「ジャネット航空」と呼ばれている。 同機が発着するラスベガス空港内のデッキは、ボブ・ラザーがかつて所属していたというEG&G社によって独占契約されており、
エリア51以外にも毎日サンフランシスコやロスアラモスといった地域へのフライトがあるという。
しかし当然、我々は現地ガイドが運転する車で陸路移動し、
数時間かけて砂漠のど真ん中にあるエリア51を目指す。
ガイドが時折、ネイティブのいい発音で「Area51 is(エリア・フィフティー・ワン・イズ)~」といった具合に色々と解説してくれるが、何を言ってるのか殆ど分からんな。
彼もなんとなく我々が理解してないのを察し始めてる気が・・・。
どうするのよ、この車内の気まずい空気は・・・。
ったく、先が思いやられるわね・・・。
途中、宇宙ベンチャー企業ビゲロー・エアロスペース社(ノースラスベガスにある本社)に立ち寄る。 この会社は、NASAの国際宇宙ステーション(ISS)などの重要モジュールを開発・提供しており、
1999年にホテル王のロバート・ビゲローにより、宇宙にもホテルを造る事を目指して設立された。
む、なんだ、ウトウトしてたらもうエリア51に着いたのか? 思ったより早かったな。
いや、違うでしょ。 まだ出発して30分位なのに、
こんな近い訳ないじゃないですか。
何故か建物の外観には宇宙人の顔の様なマークが描かれている。
これが物語る通り、一部の人々には、宇宙人から得たテクノロジーのリバース・エンジニアリングなども噂されており、
2010年2月には、アメリカ政府によりUFOを目撃した時の緊急連絡先として、
ビゲロー・エアロスペース・アドバンスト・スペース・スタディーズ(BAASS)という機関が設けられた。
周囲の厳重警備の様子は、
既に軍事施設のような雰囲気である。
つーかこの辺、車降りた瞬間から猛烈にピザの臭いしねーか?
何故か漂ってきましたね・・・いくらアメリカだからって・・・。
さてはデブの仕業かしら・・・? なかなかミステリーな場所じゃないのよ・・・。
ちなみに、ここの創始者であるロバート・ビゲローは、
ユタ州の超常現象が多発する謎の牧場スキンウォーカー・ランチを購入し、
NIDSなる自身の研究機関の管理下に置いた人物でもある。
また一説には、ボブ・ラザーのエリア51暴露発言は、
UFO愛好家の一面を持ち、興味を示したプロジェクトに支援する事で知られていたロバート・ビゲロー(幼少時にUFOを何度も目撃した事で
宇宙や超常現象に興味を抱いたという)から、
多額の資金を得る為のでっちあげだったのではないかとも言われているようだ。
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エリア51
ラスベガスから国道93号線をひた走る事、数時間。
周囲はすっかり何も無いアメリカらしい荒野に。
エリア51にはまだつかないのか・・・!?
殺風景な景色ばっかでいい加減飽きてきたぞ・・・!
だからってこの大自然の中でスマホゲーやってんじゃねえよ!
車内がさっきよりも気まずいムードじゃないのよ!このドアホ!
途中、恐竜のオブジェが目印のアラモという小さな町に寄る。
ここにはガソリンスタンドと小さなスーパーマーケットがあり、この先100マイル以上まともな店は無い為、ドライバー達にとっては重要な補給地となっている。
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なお、アラモではないと思われるが、
最近でも同じネバダ州のガソリンスタンドにて、UFOらしき機体がトレーラーで運ばれているところが撮影され、
エリア51との関連が噂されて話題となった。
町からしばらく進むと、
「エイリアン・フレッシュ・ジャーキー」の看板と、未知との遭遇チックな壁画が印象的な場所があった。
ここを目印とするように、すぐに二又に分かれた道を左折すると・・・
全米一UFOが目撃されるというネバダ州道375号線、通称「エクストラテレストリアル・ハイウェイ(Extraterrestrial Highway=地球外生命体の高速道路)」に突入。
いよいよエリア51に近づいた事を実感させ、否応なしにテンションが上がる。
ほう、ここが噂のエクス・・・なんとかハイウェイか。
略してETの高速道路ってところですね。 我々もせいぜい、アブダクション されぬよう気をつけましょう。
国の秘密基地なのに行政はノリノリでUFO押しな訳ね・・・。
ここはちょっとした撮影スポットとなっており、何グループかの観光客が車を停めて、代わる代わる看板の前でポーズを取っていた。
元々は通称だったものが1996年2月に国に正式認可され、この名前になったのだという。
さらに道を進み、
まるで不時着し母船の迎えを待つかのように1人ポツンと大地に立ち尽くす宇宙人を通り過ぎる。
この日は閉まっていたが、どうやらエリア51リサーチセンターなる観光客向けの店らしい。
また随分デカいグレイですね。フラモン も顔負けの体長10m位あるんじゃないですか?
何処までも続いているかのような375号線。
こうして雲ひとつ無い澄み切った青空の下を駆け抜けていると、
まるで火星などの別の惑星にいるかのような感覚に陥る。
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我々のジープの他に車の通行は殆ど無く、こんな所でガス欠でもしようものならホントにシャレにならない。
宇宙人がいた地点から30分程進んだあたりだろうか、
これまで牛の横断注意の看板くらいしか物がなかった前方の荒野に、何やら集落のようなものが見えてきた。
集落の手前には、こちらもそれなりに名物となっている看板があった。先程のもの以上に記念ステッカーだらけでフリーダムな状態だ。
まず辿り着いたのは、エリア51最寄の宿場町レイチェル。
無断着陸禁止といった感じでレッカーされるUFOのオブジェと、いかにもなグレイの看板が物語る通り、
マニアにとっては是非一度は訪れておきたい聖地巡礼のチェックポイントとなっている。
この村で勇者は装備を整えて魔王の待つラスダンに挑むっちゅー訳じゃな・・・!
何を訳の分からない事言ってんのこのめんどくさいアホは?
本丸のエリア51に挑む前に、まずはランチ休憩という訳ですね。
ここには「Little A'Le'Inn(リトル・エイリイン)」という名物店がある。 むしろこの店以外に旅行者が訪れるような場所は何も無い。
この店は、観光客向けのお土産販売やバー&レストラン、
モーテルの宿泊部屋などのサービスを提供している。 訪れたお客達は名物のエイリアンバーガーやサンドイッチ(メニュー )を味わいながら、真剣かつ緩いUFOディスカッションに花を咲かせているようであった。
店内の随所にユーモア溢れるエリア51や宇宙人関連の展示がある。
パット&ジョーのトラヴィス夫妻が1988年に購入したこの店は、
ボブ・ラザーの暴露があった1989年頃から周辺への観光客が増え始めた事を受け、現在の“エリア51の公式観測所”という素敵な立ち位置の状態となった。
壁にビッシリと貼られた資料の写真が独特な雰囲気を作っている。 奥にある立ち入り禁止の部屋(入ったら罰金?)の内部を覗くと、エリア51研究関連の資料ビデオでいっぱい であった。
こんな所にある訳ねーだろ! もっとベッドの下とか天井裏とかに隠すわ!
何気にバーのカウンターの状態が凄い事に。
天井や壁には、観光客が記念に残していったと思われるメッセージ入りの1ドル札が大量に貼り付けられていた。
こんな僻地にまでわざわざやって来るマニアには、それなりに魅力的に見える脱力な宇宙人グッズの数々。
クールを装いつつ結構買いましたね・・・おっ、エリア51マウスパッドいいですね。
またよく分からないガラクタを増やしちゃって・・・。
故郷の星を思いながら空を見上げているかのような宇宙人。
窓辺からやがて飛び立つのだろうか。
トイレに入ったらデカいウンコが流されずにそのままあった・・・。
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動画でもレイチェルの様子をどうぞ。
1996年公開の映画『インデペンデンス・デイ(ID4)』のプロデューサーによって設置されたという記念石碑。 2050年に開封を予定しているタイムカプセルでもあるらしい。
前作より20年の時を経て今年公開される続編 にも果たしてエリア51は登場するのだろうか。
高地砂漠にあるこの集落は、元々「テンパイウート村」と呼ばれる鉱山労働者の居住地で、
最盛期は500人以上の住民を有していた。
1978年3月に、前月にこの谷で初めて生まれた赤ん坊である
「レイチェル・ジョーンズ」の名前を取って現在の「レイチェル」に改名した。
しかし、1988年に鉱山が閉鎖されて以降、現在では100人以下まで減少している。
かつてはトレーラーハウスが密集し、小さなスーパーやガソリンスタンドもあったそうだが、
2006年に土地が買収された事により、いずれも閉鎖されてしまい、過疎化が進んでしまったようだ。
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さて、長い前フリはここまで。
この後はついに、皆さんお待ちかねのエリア51の立ち入り禁止地点に向かう。
レイチェルから元来た道を15分程引き返し、目印となるブラックメールボックスのある地点から、未舗装の道を突き進んでいく事となる。
Q.いよいよこれからエリア51に足を踏み入れる訳ですが、今のお気持ちは?
ずっと行きたいと思ってたからワクワクするよね。
これまでオカルトサイトなんてやってきたのは、
全てここに辿り着く為の序章に過ぎなかったと言っても過言ではないからね。
いや、このシーン絶対いらないでしょ!?キャラ微妙に違ってるし!
ブラックメールボックスは、
エリア51の北部を走る375線沿いにある謎の郵便ポストだ。
エリア51へ至る為の目印として有名で、いつしか同地を訪れるUFOマニアにより宇宙人への手紙などが投函されるようになり、
これ自体が一つの観光要素となった。 元々は黒かったものが、後に白く塗られたらしく、
記念の落書きやステッカーが後を絶たない。
一体誰が何の為に設置したのか・・・今となっては都市伝説的な雰囲気すらあるが、実際のところは、
70年代からこの近くの土地を所有する牧場主のスティーブ・メドリンという人物が普通に使用していたらしく、観光客が増えだした1997年に
宇宙人宛て用の小さいボックスを追加したとの事。(画像は2005年時点に撮影されたもの)
フッ、わざわざブラックメールボックスに投函する為の年賀状を英語で書いて用意して来たんだぜい。
さすが大魔王様、隙あらば小ネタをぶっ込んできますな。 安上がりなやつを・・・。
ところがこの後、我々は予想外の光景を目の当たりにする。