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日本の近代化を物語る産業遺産にして、廃墟マニアの聖地である長崎県の沖合に浮かぶ軍艦島。 当サイトでは2008年にも訪れている思い出の場所であるが、
当時は悪天候により船で島に近づくだけしか許されず、
また、そもそも上陸解禁がなされる以前であった為、
目の前の廃墟群を羨望の眼差しで眺める事しか出来なかった。
しかし今回、ようやく我々は上陸を果たす。
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軍艦島(端島) |
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長崎
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閣下、お久しぶりです。こうして相見えるのは3年ぶり位でしょうか。 |
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ああ、思い出した!以前チャリで九州から上京して来たお前か! |
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大雪に邪魔されたりして(※1)やっと合流出来たのに、いきなり随分な応対ですね・・・。 |
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こっちはイタズラに有休を消化してるんですから勘弁してくださいよ・・・。 |
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ったくもう、アンタ達と出かける時は、
何故か嵐になったりミサイルが飛んだりしてばっかで散々だっつーのヨ。
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※1:この探索が行われたのは2014年2月の事であるが、
当初上陸を予定していたその日は、事もあろうにピンポイントで観測史上最大の記録的な大雪に見舞われ、
出発地である東京都心でも45年ぶりに25cmの積雪となるという、天に見放されまくった有様であった為、
そもそも長崎行きの飛行機が飛ばず、スケジュールを延期していたのだった。 |
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さて、九州特派員との感動の再会を果たすと一息つく暇も無く、
そのまま即効で長崎港の船着場へ。
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前回同様、島には遊覧船マルベージャ号で向かう。 やまさ海運(建物写真)が毎日催行している軍艦島クルーズのツアーである。
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さーて、楽しい船旅の時間じゃ。 これより軍艦島上陸作戦を開始する!
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ただの観光ツアーでしょうが・・・。
見学者は誓約書を書かされてるんですから、くれぐれもおかしなマネしないでくださいよ。 |
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そうよ、もしもの時は島に封印してくから覚悟しなさいよね。 |
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今日は天気も良いし、絶好の上陸日和かもしれないですね。 |
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船内では早速軍艦島お土産グッズが販売されてて若干脱力。
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期待に胸躍らせる中、いよいよ船は出港。
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長崎が坂の町である事を改めて感じさせる、折り重なるような家々の景色。
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左手に見えてくる巨大な三菱重工の長崎造船所。
戦時中、長崎が原爆の投下地点の候補に選ばれたのは、
こうした戦艦の建造や魚雷などの兵器類を製造する軍需工業の地域であった事も影響しているという。
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前回の荒波とは打って変わり、
冬場ながらも程好い海風を感じるスムーズな船旅で、今回は船酔いせずに済んだ逆本氏。
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おっ、結構イケメンに撮れたぞ逆本よ。 やはりカメラマンの腕がいいようじゃな。
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どうですか?久しぶりでも絡みづらいのは相変わらずですよね? |
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船内アナウンスは我々の座席の反対側の方面に関する説明が比較的多く(港を出て右手に伊王島、高島、中ノ島と通過し、端っこにあるのが端島)、2回目なのにポジショニングをミスった事を後悔し始めた頃・・・
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ついに軍艦島が僕達私達の目の前にその姿を現した。
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間近まで迫った廃墟群の迫力に思わず息を飲む。
1974年の閉山以来、2009年に一般に解禁されるまで、実に35年間に及び(少なくとも表向きには)上陸禁止であった。
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クッソ、無人島のはずなのに、早速普通に釣り人がいるやんけ!
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我々が結構苦労して来てるのに、のん気に竿を垂らしやがって・・・。 |
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ロープをかけて船を係留する作業員。
軍艦島は上陸可能な日が年間100日程であり、例え天気が良い日でも、
いざ島に近づくと波が高いなどの理由で上陸出来ないケースがあると聞いていた為、とりあえず着岸成功にひと安心である。
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念の為2日分予約してたとは言え、
一発で来れて良かったぞい。
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さすが閣下。セコい・・・いや、抜かりないところも健在のようですね。
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さあ、そんなこんなで、念願の軍艦島に上陸。
ツアー客はゾロゾロと列を成してドルフィン桟橋を渡っていく。
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AEDが設置してある無人島ってどうなんじゃろ・・・。
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この調子じゃ自販機が置かれる日も遠くないかもしれませんな・・・。 |
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若干の萎え要素がありつつも、
ワクワクしながら島内の見学通路を進んでいくと、横手に見えてきたのが、
かつて石炭を運ぶ為のベルトコンベアーがあった名残の支柱がズラッと並ぶ光景。
これはなかなか印象的であり、軍艦島に来た事を実感させてくれる遺構のひとつであった。
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支柱の背後には、7階建ての70号棟(端島小中学校)が聳えている。
今となっては殆どの施設が崩壊・風化してしまっているが、
最盛期の昭和30年代には世界最高の人口密度である5300人もの島民を有し、炭鉱施設の他、
学校や病院、交番に郵便局などの公共施設をはじめ、
発電所、住宅、商店、映画館、パチンコ屋、理髪店、旅館、寺社など、生活に必要なあらゆる都市機能を備えていた。
唯一、火葬場と墓地だけは無く、死者が出た場合は隣の中ノ島が利用されていたとか。
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上陸後、貯炭場の横の広場に集められたツアー客達は3班に別けられ、
それぞれのガイドについていく事になる。
見学のポイントとなる広場はここを含めて全部で3ヶ所ある。
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廃墟というのは人の手が加えられていない野放しの状態だからこそ魅力があるのであって、安全に配慮して観光地化された廃墟なんてそれはもう、ただの廃墟ランドであり、そんなものに成り下がった軍艦島にもはや興味は薄いぜ・・・とか思っていた大魔王も、いざ上陸すると、なんやかんやでテンション・アゲアゲであった。
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フッ、まあ軍艦島なんてガチの廃墟マニアからしたらオワコンじゃろーけど、やっぱ一度は来ておきたい場所じゃからな。 |
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危うく軍艦島Tシャツ買いそうだった奴が何言ってんのヨ。 |
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しかしこの非日常的な光景は廃墟マニアでなくとも興奮しますね。 |
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まだ軍艦島の存在が今ほどメジャーではなく、知る人ぞ知る物件であった頃、
一部の活動的な廃墟マニア達は、地元の漁師に万券を握らせて船を出してもらい、
こっそり聖地巡礼を果たすというのがザラであった。
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かつての軍艦島には、わざわざそうでもしないと行けないような、
何処かベールに包まれた禁足地の如き神秘性があった。
記憶している限りだと、そうした大らかな時代の潜入作戦の話をネット上で目に出来たのは、
ひと昔前の2000年代初頭が限界であったと思う(※2)。
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※2:軍艦島は2001年に所有者の三菱グループから当時の高島町(市町村合併により現在の長崎市)に譲渡されており、それまで事実上、上陸を黙認していた状況から管理体制などが変更された事が関係しているように思われる。
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ツアー客が移動出来る範囲は鉄柵に囲まれた見学通路のみに限定されており、
その他は危険という事で立入禁止区域となっている。
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堅い事言わずに自己責任で何処でも歩いてOKにしてほしいわい。
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そんなんしたら事故が多発してしまいますよ。 崩落の恐れもあるみたいですし。 |
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一般人コースと廃墟マニア・コースに分けりゃいいんじゃよ。
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アンタ1人で変態コースでも何処へでも行けってのよ。 |
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でも普段から廃墟に行ってる人からしたら、
この鉄柵がかなり邪魔なんだろうなあ・・・。
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2ヶ所目の見学ポイントは、海上炭鉱遺構(正式名「三菱石炭鉱業高島砿業所端島砿」)であるこの島の主力坑だった第2竪坑桟橋跡。 (軍艦島の概要については前回の記事も併せてご覧ください)
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この遺構は海底炭鉱の出入り口で、
かろうじて階段の部分だけ残っている。
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産業革命以後20世紀初頭まで、最重要エネルギー源として黒いダイヤと呼ばれた石炭を求め、
鉱員達は海面下1000m以上に位置する採掘現場で、気温30度、湿度95%という劣悪な環境の中、命懸けの仕事をしていたという。
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こーいう古き良き時代の石炭産業が今日の日本を根底から支えてきたんですね。
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そのようですね、今もメタンハイドレートとか地下資源をアテにしてる状況は同じですけど。
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つーかガイドの日本昔話を聞きながらくっついていくこの感じ、まんま社会科見学じゃな・・・。
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荘厳な雰囲気すら感じさせる瓦礫の山に見とれながら移動し、
最後の見学ポイントへ。
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右手の建物は、
1916年(大正5年)に日本で最初に建設された鉄筋コンクリート造の集合住宅「30号棟」。
140戸の旧鉱員社宅で、竣工時は4階建てであったが、その後7階建てに増築された。 |
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この30号棟を契機に、次々と社宅の高層アパートが建設された。
第2次世界大戦頃の日本国内では、物資不足により鉄が軍に優先的に回された為、
鉄筋コンクリートの建物は造られなくなったが、
この島では例外的に建設が続けられ、戦争末期の1945年に完成したコンクリート造9階建ての65号棟は、
島内でも最大の構造物である。
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なんとかあの先に進みたいんじゃよなー。
ヨシオ、こっそりお前のポケットマネーをガイドのポケットへ入れて話をつけて来い。
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ガイドのおじいさんがご自分の半生のエピソードをも交えつつ、軍艦島の歴史を解説してくれる。お若い頃は郵便屋さんだったとか。
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そういや郵便屋っぽい!うん、もうなんか郵便屋にしか見えねえよ!
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食い付くのそっちかよ! もっと当時の人々の生活ぶりとか、
ノスタルジーに思いを馳せましょうよ!
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なるほど、あの建物が日本のマンションの元祖にして、
後の多くの無機質なコンクリ廃墟を生み出した始祖って事なんですかね。
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へえ、ただのボロいビルかと思いきや、
そう言われて見ると結構感慨深いわねえ。 |
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1時間だけ許された滞在を終え、
ツアー客は再び船に乗せられ島を後にした。こうして見ると、確かに軍艦のようなシルエットである。
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船尾ではしゃぐ大魔王。
帰りの船は、島の反対側をグルッと回り込んで進む。
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バカじゃないの!いっそ海水で頭を冷やせばいいのよ! |
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異彩を放つ絶海の炭鉱廃都。 どうでもいいけど、近年は映像作品のロケ地としても注目されており、映画『007 スカイフォール』の舞台のモデルにされたり、去年は実写版『進撃の巨人』の撮影でも使用される事が明かされ、俄かに話題になった事も記憶に新しい。
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船は再び島に近づき、貫禄のある廃墟が密集したエリアをしばらく見せてくれる。 時の流れを止めた空間をそのまま内包している居住区に当たる為、
自由に探索可能なら恐らくここが一番の見所になるであろう。 とは言え、住人が島を退去してから40年余り、
鉄筋コンクリート建築の耐用年数を超過して聳える巨大アパート群の姿は、外観だけでも圧巻だ。
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解釈は諸説あるが、
かつては朝鮮人労働者が強制的に連行されたとして、監獄島の異名でも呼ばれていた。
その姿は確かに日本版のアルカトラズといった雰囲気である。
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軍艦島の北東側。 厳しい労働の反面、
炭鉱収入により、当時の水準としても島民は比較的裕福な暮らしであり、
電化製品なども最先端のものを使用していたという。
また、現代のビルでも行われている屋上を緑化した空中庭園を設けるなど、
近代建築の粋を結集した場所でもあった。 軍艦島は早過ぎた未来都市だったのだ。
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エネルギー革命の荒波で、その役目を終えて廃墟と化した軍艦島。
島内各所の朽ちた風景は滅びの美とでも言うべき異世界感があり、無人島でありながら多くの人々を引き付けている。
現在では、海外でも「バトルシップ・アイランド」、「ゴースト・アイランド」などの呼び名で紹介されているし、
また、世界遺産への登録運動が行われ、「九州・山口の近代化産業遺産群」の一部として、世界遺産暫定リストに記載されている。
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港への帰路、小さくなりゆく軍艦島に向かって、何故か船尾でホラ貝を吹く人がいた。 その猛々しくも切ない音色は、まるで島に別れを告げてそれぞれの新たな人生に船出するかつての住人の思いと、なんとなく重なるような気がした。
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せっかくいい感じで締めくくりに入ってたのに・・・。 |
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さらば軍艦島。また会う日まで。
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つーか、まだ行くつもりなの!?いい加減にしなさいよね・・・。 |
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当面はgoogleストリートビューで我慢してくださいよ・・・。 |
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