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地方や郊外に出かけるとしばしば目にする事がある巨大神仏の像。
今回は日本各地にあるちょっと変わった巨神像を4体ご紹介します。
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旧ユートピア加賀の郷 |
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石川県加賀市と言えば北陸屈指の温泉街「加賀温泉郷」などの観光地で知られるが、そんな同地の丘陵には、これ見よがしに金色に光る巨大な観音像が鎮座している。
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ぐはあ、やっと着いたか・・・! 東京から初めて夜行バスを利用して来た訳だが、恐ろしい程かったるいじゃねーか・・・! |
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あのカーテンさえ閉め切った閉鎖空間に10時間は、まさに拷問の様でしたな・・・。急に太陽の下に出て頭がクラクラします・・・。 |
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ったく、たかだか新幹線代くらいケチってんじゃないわよバカ!
隣のおっさんの加齢臭の所為で一睡も出来なかったじゃないのよ! |
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JR北陸本線のすぐ近くに位置する為、
加賀温泉駅からもその姿がよく見える。
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よし、行くぞ・・・!って、こっち駅の反対側じゃねーか。
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せっかく温泉地に来ても毎回ことごとく温泉スルーですよね・・・。 |
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まだちょっとバスの揺れの感覚が残った疲弊した体を癒したいわ・・・。 |
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この高さ73mの観音像、元々は「ユートピア加賀の郷(さと)」として、
バブル全盛期の1987年に総工費280億円をかけて建設された仏教テーマパークとでも言うべき宗教施設の一部であった。
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これ昼間はまだいいですが、夜に暗闇の中ジッと佇んでいると思うと不気味でしょうがないですね・・・。 |
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もうちょっと萌えキャラ風の顔にしときゃ良かったのにな。
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しかし、元の運営会社が1998年に倒産した事で、その後は別会社に引き継がれるも、
園内にあった遊園地や宿泊所、レストラン、美術館などの施設は徐々に潰れていき、
閉鎖と再オープンを繰り返す派目になる。
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名称も「ユートピア加賀の郷」から「密教禅大本山豊星寺」、「観音院加賀寺」へと変遷を辿り、
一時は懐かしのタレント織田無道が住職になったりと迷走を続け、
今やすっかり北陸珍スポットのラインナップのひとつと化している。
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観音像の見つめるその先に、何やら意味あり気にあった祠。
ちょうどここで、すぐご近所に住むという通りすがりの老人に話を伺う事が出来た。
簡単にまとめると、
・観音像の存在は地元住人的にもあまり良く思っていない
・また少し前から閉鎖されている
・関係者らしきヤクザみたいな男が来ていた
との貴重な情報を得た。
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フッ、世を忍ぶ仮の姿を好青年風で装っているからな。
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高校生くらいの孫扱いをされていた気もしましたがね・・・。 |
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敷地前には「観音ホテル」という名の宿泊施設の廃墟がある。
よく廃墟マニアの間で“「●●観光ホテル」と名付けられた物件は必ず廃墟になる”というジンクスが語られているのを耳にするが、
一文字違いでもダメだったようである。
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大観音像がある方に向かって緩やかな坂道を上っていく。
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近づいていくにつれ、やはりその巨大さに圧倒されるが、その穏やかな表情とは裏腹に、
なんとも言えない不安感を覚える。
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一応最近まで、大観音像と温泉施設のみはほそぼそと運営されていたようだが、
2012年末時点でまたも別会社の管理下に置かれたらしく、
先ほどの老人の言葉通り、同地を訪れた2013年4月時点では工事中の為、閉鎖されているようであった。
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コチラは観音像の側面。
観音像には所々窓のような穴が見受けられ、内部の螺旋階段を登って最上階まで登っていけたらしい。
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敷地外から恐らく最も間近で観音像が見れるポイントは、ブランコの椅子が撤去されている寂れた公園だった。
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引き続き敷地沿いの道路を進んでいくと、
観音像の背後に位置する場所に出た。 併設された寺院の建物もなかなかデカいように見受けられる。
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この取り残された感のある後姿がなんともシュールじゃな・・・。
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ヒトは何故こんな巨大な偶像を造り、そして廃墟にしてしまうんでしょうか・・・。 |
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人類の歴史なんて所詮余計な事の積み重ねって事なんじゃない・・・。 |
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さらに進むと道端に「夢いっぱいの未体験ゾーン ユートピアランド」と掲げられた錆び付いた看板があった。
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どうやらここが例の遊園地の入口だった場所らしい。
園内にはジェットコースターや観覧車、ゲームセンターなどがあり、
オープン当初の年間来訪者数は50万人だったという。 しかし、内容にこれといった特色も無く、料金設定も高めであった事などから、
年々入場者数は減っていき、やがて閉園に到ったという。
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加賀の郷の外周道路沿いにあった洋服店のディスプレー。 学校や古民家が立ち並ぶ落ち着いた通りの片隅に、このようなパンクなオブジェがあった為、なんとなく目を奪われた。
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こんな田舎の小道でなかなか尖ったセンスじゃな・・・!
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類は友を呼ぶみたいな感じで、妙なもん同士が引き寄せあってるのかもしれませんな・・・。 |
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サタニズム漂うチェックポイントがあるなんて、随分と素敵な通学路じゃないの・・・。 |
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観音像のある観音山を麓から望む。
巨大なバブルの亡霊と化しながらも、なんだかんだで今日もランドマークとなり続けている。
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福済寺 |
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長崎県長崎市の長崎駅から程近い場所にある福済寺(ふくさいじ)。
坂の町である同地らしく、大通りから細い路地に入って少し登ったところに特徴的な山門がある。
上部にある鎮魂の鐘は毎日、長崎に原爆が落された時刻の午前11時2分に7打つかれ、7万人以上の犠牲者の霊を慰めているらしい。
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フッ、すぐ近くに珍スポットがあって良かったな・・・!
空港行きのバスを待つ時間潰しにちょうどいいわい・・・!
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全然良くないわよ!普通にお土産とか選ばせなさいってのよ! |
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ちょっとはウロチョロしない努力をして下さいよ・・・。 早朝から寺とか一体何の修行なんですか・・・。 |
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門をくぐると、すぐ右手に本堂(大雄宝殿)がある。
第2次大戦以前の建物は国宝に指定されていたそうだが、残念ながら原爆で焼失してしまったという。
また、勝海舟や坂本龍馬とも縁のある場所らしく、
1864年に、英仏蘭米の四国連合艦隊と長州との戦い(下関戦争)を調停する為、長崎に入った彼らが1ヶ月程の間滞在した事があるという。
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さてそんな由緒あるこのお寺、一体何が珍スポットなのかと言うと、
なんと巨大な亀の上に乗った観音像が鎮座しているのだ。
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その名も「万国霊廟長崎観音」というらしく、
原爆の犠牲者を弔う為、世界平和を祈願して1979年に建立されたという。
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慈母観音像の高さは18m(地上からは34m)、重さは35tに及び、
右手で喉の乾きに苦しむ犠牲者(足元の子供)に甘露の水を与え、左手で安らかに眠るよう念じている姿を表しているらしい。
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また、ガメラみたいな足元の霊亀は霊廟の建物となっており、
仏の使いとされ万年も生きる事から縁起が良く、時間がかかっても願いを叶えてくれるという意味もあって、台座となっているそうだ。
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柔らかな朝の日差しが入り込む霊廟内部。 まだ他に来訪者の気配は無い。
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中央の祭壇手前には、円形の鉄格子が設けられている。
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内部には地球の自転を示す「フーコーの振り子」(釣り糸の長さ25.1mで日本最大級、世界第三位)が取り付けられている。
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中を覗くとこんな感じ。地下の空間との吹き抜けになっている。
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なんじゃ、もしやこのワイヤーをつたって下に降りろという事か。
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振り子がある地下室には、どうやら建物の外から行けるらしい。
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階段を下りていくと、鉄扉に妙に腰の低い張り紙があった。
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それでも鍵は開いており、
張り紙の指示通り真っ暗な室内に入って電気をつけると、福済寺にまつわる展示資料が設けられた細長い空間が広がっていた。
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そして部屋の中心には、噂のフーコーの振り子(調整中)があった。
そもそもフーコーというのは、
1851年1月8日にパリのパンテオンで公開実験を行い、地球の自転を証明したフランスの物理学者レオン・フーコーの事で、
彼は「ジャイロスコープ」という呼び名を一般に広めた人物でもある。
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微動だにしなかったが、これが日本最大級の振り子である。
吊り糸は、観音様の頭の部分からぶら下っているらしく、
永遠に動き続ける地球とともに人類も永遠に平和である事を祈って、この霊廟に設置されたのだという。
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チッ、振り子のくせにやっぱ動かねえか・・・。 ヨシオちょっと揺らしてみろよ。
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嫌ですよ、寺の人に怒られますよ! ただでさえ故障してるのにトドメさしてしまいますよ! |
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永遠の平和なんて、そう簡単には実現出来ないって事なのかしらね。 |
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戦前・戦中の福済寺の写真や、軍服や水筒などの遺品も数多く置かれ、
亀観音のシュールな外観などを除けば、珍スポットというよりは基本的にマトモな平和学習施設のようにも思える。
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長崎観音のミニチュア模型もあった。
こうして見ると、バランス的にも台座の亀がかなりデカいのが分かる。
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フィギュア化して3000円位で売ったら買ってやってもいいぞい。 |
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海洋堂のリボルテックタケヤあたりに期待するしかないですね。 |
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江戸時代以来、有名な唐寺(中国風の寺院)で長崎の四福寺(他は崇福寺・興福寺・聖福寺)のひとつとされる、福済寺。
小高い丘から下界の平和を見守る亀観音が、そこにはある。
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布袋大仏 |
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愛知県江南市には、
通称「布袋大仏」と呼ばれる珍スポ界隈では顔の知られた薬師如来坐像がある。
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独特な面構えをしたこちらの像、高さは18mのコンクリート製。
坐像としては奈良の大仏よりも2m大きく、個人所有のものとしては最大級との事。
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なんというドタマのデカさ! 『ワンダーJAPAN』の表紙でもお馴染みのやつじゃな! |
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なんとなく大阪のおばちゃんみたいな顔してますな・・・。 |
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ヨシオ、そんな事言ってると関西行ったら殺されちゃうわよ。 |
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大仏の由来が記された看板。
正式名を「御嶽薬師尊」というらしく、
1949年、名古屋市で鍼灸師を営んでいた故・前田秀信(当時43歳)氏が、
夢のお告げによって大仏の建造を決断し、病気で悩む人々を救うべく、私財を投げうって独力の手作業で5年かけて1954年に完成させたものらしい。
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夢のお告げとか所謂オヤジ系スポットのお約束通りじゃな・・・。 |
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しかし何故あんなユニークなご尊顔になったんでしょうね・・・。 |
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ツッコミどころ満載な事が平然と書かれてんじゃん・・・。 |
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風雨で色あせてしまっていたが、
健康祈願のお札のシールもベタベタ貼られており、この大仏が信仰の対象として地域で親しまれているのが伺える。
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さてこの大仏、実は背後には建物があり、台座の部分とそのまま一体化している珍しい造形物でもある。
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くっそ、なんか木の枝がすげーウゼーんじゃけど・・・! |
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そこはほら、持ち前の魔力とかで何とかしてくださいよ。 |
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この建物は「大佛治療院」という整骨院らしく、現在は移転し営業はしていないそうだが、前田秀信氏のご子息が管理しているそうだ。
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大仏の中で行われる治療って一体どんな感じなんじゃろな? |
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なんか聖なる大仏パワーでも注入してもらえるんじゃないの? |
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副作用で大仏みたいな顔にされそうで嫌ですな・・・。 |
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敷地内には他にも石碑や祠、地蔵などが併設されている。
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さらに何故か鐘突き堂まで完備してあり、
宗教施設×治療院というある意味で理にかなったハイブリッドがなされていた。
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大仏の後姿。完全に建物と連結している。
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名鉄犬山線の布袋駅から徒歩10分程に位置する布袋大仏。
そのすぐ側には線路が通っており、
一瞬ながら西側の車窓からもその姿を目にする事が出来るようだ。
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大仏の完成当初は周辺に民家も少なく、
田んぼの真ん中にデーンと座る姿は一際目立っていたとか。
世間一般の知名度は低いものの、
今でも地元で愛される存在となっているようだ。
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世界平和大観音 |
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兵庫県淡路島に聳える白亜の巨大観音像。
その名も「世界平和大観音」といい、台座を含めると全長100mにも及ぶ。そして何を隠そうこの物件、廃墟なのである。
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死してなお、我々好事家を楽しませてくれるだなんて、ありがたいではないですか! |
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この観音像、
元々は淡路島出身の不動産会社経営の実業家であった奥内豊吉氏が、
1977年に「豊清山平和観音寺」としてオープンした観光施設のシンボル的建造物であった(故に宗教法人としての正式な寺院ではない)。
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それにしても、淡路島は珍スポットが多くてまさにパラダイスって感じじゃな! |
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ほっほっほっ、ワタクシは車で待機しておりまする。 昨日から全く寝ておりませぬ故。 |
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建造当時は世界最大の像として話題になったものの、1988年にオーナーの奥内氏が他界し、
相続した妻が営業を続けるも2006年に亡くなった事に伴い、同年2月26日に閉館となり、今では完全に廃墟となってしまっている。
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所有者不在のまま長年放置されている為、
敷地内は荒れ放題。
また、観音像は倒壊の危険性があるらしく、
強風の日には老朽化した外壁のコンクリート片が、周辺の民家まで飛び散っているという迷惑この上無い存在となっているらしく、
度々テレビのワイドショーなどでも取り上げられているようだ。
しかし、権利関係の問題で行政も撤去を進める事が出来ず、
競売にかけられた事もあったそうだが、誰も入札しなかったという。
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当時の入場料は800円、最盛期は1日2000人が訪れたらしいが、
今では入口も頑丈なベニヤ板で封印され、内部に入る事は出来ない。
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観音像の内部を撮影した動画。
2011年9月10日、淡路市が異例の措置として債権者へ通知の上、職員ら50人が内部調査を行った際のものである。
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入口部分からの眺め。
観音像の見下ろす美しい大阪湾が良く見える。
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手前には屋根が無残に崩壊している
十重之塔(高さ約40m)が確認できる。
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同じく入口部分にあった案内板。
営業時には年中行事などイベントが定期的に行われていたようだ。
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観音像の台座に当たる建物は5階建て。
その内部は1階のみ本尊が祀られるなど宗教施設の一面もあったそうだが、
以降の階は奥内氏の趣味の個人コレクションが展示された博物館であり、
クラシックカーや芸術作品のレプリカ、鎧兜などが数多く収蔵されていたという。
また、土産物屋の他、展望レストランに温泉浴場、宴会場などもあったそうだ。
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多角形型をしている台座外周の通路を進む。
なかなかダメージが激しい。
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あちこちに倒れた木材や、コンクリ・ガラスの破片が散乱し、
スムーズに歩くのが困難であった。
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何を蜘蛛の巣くらいで今更!それでも廃墟マニアか!? |
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廃墟探索では毎度の事であるが、植物の侵食も激しく自然の力強さと時の流れを感じさせる。 このままさらに放置していたら、やがて観音像自体もツタまみれになってしまうかもしれない。
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建物の側面には非常階段も設置されていたが、
所々底が抜けていたりして使い物にならない危険な代物であった。
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再びオーシャンビュー。 眺めがいいだけに、閉鎖されてしまったのが勿体無い。
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この観音像、展望台の部分がギプスのようである事から、
別名「むち打ち観音」とも呼ばれているらしい。
ちょうど、この探索が行われる直前の今年8月に度重なった台風の影響(この所為で探索自体も延期となった)で老朽化が加速し、
以前は無かったはずの腹部の大きな穴や、台座の窓ガラスが割れている状態も確認でき、まさに満身創痍といった様相を呈してきた。
今後もある意味目が離せない存在である。
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この廃観音、この先一体どうなるんでしょうなあ・・・。 |