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Daimaohgun presents |
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バンコクの北約72kmに位置する古都アユタヤは、
1351年にウートン王が創建してから33代の長きに渡り、王朝の都としてタイの中心であった歴史の眠る遺跡の街である。
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アユタヤ遺跡(ワット・マハタート) |
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首都の玄関口であるバンコク中央駅(フアランポーン駅)。
タイ国鉄の起点であり、主要列車がここから国内各地へ出発する。
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今日は珍スポット行くついでに、ちょっくら世界遺産に寄ってやんよ。 |
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普通逆ですよね、世界遺産のついでに珍スポットですよね? |
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ホームに到着するアユタヤ行きの列車。
開け放されたトイレの横という素敵な位置の指定席に座ると、列車はゆっくりと動き出した。 |
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バンコクから1時間半ほど揺られアユタヤ駅に到着。
世界的に知られる観光地の駅舎にしては控えめな造りの建物で、列車ではアナウンスも無ければ看板も見当たらなかったので、本当に降りていいものか少し戸惑った。
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こういう時は明らかにサイトビージングな装いの白人(短パン)の動きに注視してれば問題ない。
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それにしても何でほぼ間違いなく短パンなのかしらね。 |
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駅から目的地のアユタヤ遺跡までは少し距離がある。
とりあえず通りを歩き出すと、いきなり火事で焼けたと思われる長屋の廃墟があった。
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アユタヤの町は3つの大きな川に囲まれており、
ちょっとした陸の孤島のようになっている。
あって欲しい場所に基本的に橋は無いので、市内中心部に行くには渡し舟で河を横断しなければならない。
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往年のRPGのマップみたいな厄介な位置関係ですね。 |
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そんなこんなでアユタヤ市内。 観光地という事もあり、
品揃いはアレだが普通にファミマもあったり、多少は店が建ち並んでいる。
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おっと、あまりの暑さで幻が見えるようだ。
まさか猿が道の真ん中で交通整理しているなんてある訳が無い。 目をこすってもう一度見てみよう。 |
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どう見ても猿のお巡りさんです本当にありがとうございました。 |
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理由は不明だが、正月独特の無礼講なノリという事なのだろうか。 いずれにせよ、日本だったら始末書ものの振る舞いだと思うが、大らかなお国柄のタイではマイ・ペンライ(気にするな)なのだろう。
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まさか、アユタヤが猿に実効支配されていたとはな・・・! |
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どうでもいいけど暑くないのかしらねあの格好・・・。 |
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タイの大型バスの外装は派手なデザインのものが多く、絵心ある不良がスプレーで描いた壁面アートの様なものがよく見かけられて面白い。
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個人宅と思われる家の敷地内に建っていた謎の祠のようなもの。 歴史的な土地柄なので、まあ色々あるのだろう。
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どうせ近いからと高をくくって、乗り物を利用せず通りを2キロ程歩くと、いよいよ前方にそれっぽい遺跡が見えてきた。
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おいコラ何処まで歩かせんのよー、トゥクトゥク呼びなさいよー。 |
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昨日路上で変なTシャツ(セブンイレブンのロゴ入り)衝動買いしたもんだからお金ケチってんですよ、きっと。 |
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やかましい、あとちょっとだからガタガタぬかすなっちゅーの。
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地元の珍走団であろうか? タイでは日本と異なり、ノーヘルはもちろんの事、小さなバイクに3~4人で跨って繰り出す光景が日常的になっている。 |
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アユタヤにはたくさんの見所があるが、今回はあまりゆっくりもしていられなかったので、これだけは見ておきたかったマハタート寺院(ワット・マハタート)だけ訪れた。
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マハタート寺院は、仏陀の聖骨を埋葬するため、
諸説あるが1374年、アユタヤ王朝3代目パグワ王(ボロムラーチャー1世)により建築が始められ、ラームスエン王の時代の1390年に完成したと言われている。14世紀後半のアユタヤで重要であった寺院のひとつだ。
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しかし、
1767年に隣国のビルマ(現ミャンマー)軍の侵攻により、417年に渡り栄華を極めたアユタヤ王朝は崩壊する。
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街は徹底的に破壊され、寺院にあるほとんどの仏像の頭も切り落され、
現在も廃墟と化したその痛々しい姿が残されている。
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アユタヤの象徴となっている菩提樹に取り込まれた仏頭。
無骨な柵に囲われてしまっているのは残念だが、
人を引き付けるその神秘的な魅力は今も健在のようである。
「仏像の頭部より上に立たないように」と日本語による注意の看板が立てられているように、
マナーとして腰をかがめて拝観しなければならない。
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木の根が長い年月をかけ、破壊され傷ついたブッタを優しく包み込むように抱えたこの奇跡的な光景に、悠久のロマンを感じずにはいられない。
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大地と文明がコラボした歴史的遺産だってのに・・・。 |
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寺院の配置は、中央にロッブリー様式の大きなチェディ(仏塔)があり、
その回りを小さな仏塔と回廊が囲み、東西に礼拝堂と仏堂があったと推測されている。 |
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中央の仏塔は、最盛期には黄金色に輝き、高さ50mにも及んだというから、さぞ豪華絢爛だった事だろう。 |
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だが現在では見る影もなく、
瓦礫の山と化してしまっている。 |
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戦争の虚しさと、諸行無常を感じさせる赤いレンガ積みの回廊。 |
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アユタヤの町は、流れの穏やかなチャオプラヤー川に位置する貿易に適した土地であった為、
国は莫大な利益を得た。 この利益を元に、
上座部仏教を信仰していた王が数々の寺院(ワット)を作り出したのである。
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アユタヤの町は東南アジア各地の文化を融合させており、
ワット・マハタートの仏塔は、当時繁栄していたクメール文化の影響を受けた最初の仏塔と言われている。
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無残にも頭部を切り落とされた仏像がズラリと並ぶ。
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仏像はもともと金箔が貼られ黄金に輝いていたそうだが、
一説には、仏像内部に黄金が埋め込まれていると信じたビルマ軍兵士が頭部を切り落とし、持ち帰ってブラックマーケットで売り捌いたと推測されている。
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数少ない頭部のある仏像。
後世に修復されたと思われる。
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1956年に仏塔の大がかりな発掘調査が行なわれ、
深さ17mの地下室が発見された。
地下室には貴重な黄金の仏像や装飾品、仏舎利を入れた箱が安置されていたそうで、
現在はチャオ・サン・プラヤー国立博物館に陳列されているという。
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崩れ落ちたレンガの壁や石柱、土台のみ残った礼拝堂の感じが、何処となく古代ローマの遺跡を彷彿とさせる。
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あちこちに聳え立つ仏塔。 クメール様式とスリランカ様式のものが混在している。
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1967年、アユタヤの遺跡を含む地域がタイ芸術局により歴史公園に指定され、1991年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
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このワット・マハタートを含め、青空の下でアユタヤの遺跡は戦火に包まれた悲しい歴史と、壮厳な建築様式の美しさを静かに伝え続けている。
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まだアユタヤに着いてちょっとしか経ってないじゃん・・・。 |
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