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本記事はダン・ブラウン著作の小説『ダ・ヴィンチ・コード』のロバート・ラングドン・シリーズ第2弾『天使と悪魔』の核心に迫るネタバレ要素を数多く含みます。 その為、これから小説を読む予定の方や、2009年5月15日全世界公開予定の映画を観る予定の方は、興醒め回避の為、それらの事後にご覧頂く事を推奨致します。 |
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【Illuminati:イルミナティ】 |
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天使と悪魔――、すなわち宗教と科学。 物語中この2つは、カトリックとイルミナティなる巨大な対立関係で描かれる。
イルミナティとは、実在した太古の友愛組織。 しばしば秘密結社とも悪魔的カルト集団とも称される。 イルミナティはラテン語で「啓示を受けた者たち」、「光から来た者」という意味であり、その光は「ルシファー(サタン)」を指す。 旧約聖書では、ルシファーはもともと光の天使として絶大な力を持っていたが、その力を過信して自らが神になろうとして地獄に落ちたとされる堕天使として描かれている。 この堕天使にして悪魔王ルシファーこそが、イルミナティの神だ。
イルミナティは、1776年5月1日にバヴァリア(現ドイツ・バイエルン州)のインゴシュタット大学法学部長アダム・ヴァイスハウプト(若干27歳でこの地位に就いた天才ユダヤ人)により設立された。 その目的は超エリートによる世界統一政府を生み出す事と、現存する国家の全ての廃絶――新世界秩序の創造であり、その手段として暴力革命や陰謀、策略を巧妙に活用する事が掲げられた。 ヴァイスハウプトは反カトリック思想に熱心であり、イルミナティの組織には、オカルティックな古代の魔術的宗教性が取り込まれている。 ヨーロッパに急速に広がっていったイルミナティは、フリーメーソンの会員も多く獲得し、学者や公務員、貴族らの社会的地位の高い者も会員に加わった。 その中には、ゲーテや哲学者のヘルダー、ベートーベンの師クリスチャン・ネーフェ、モーツァルト、米国大統領トマス・ジェファーソンもいたと言われ、最盛期には各国に支部が置かれ、会員は2000人に及んだという。 イルミナティであると同時にフリーメーソンだった者も多く、ヴァイスハウプト自身そうだった。 通説ではイルミナティの活動は、1784年にバイエルン王国が全ての秘密結社を禁止するまで約10年間続いた。 その後も会員は地下に潜って密かに活動を続けた(名称を様々なものに変えたに過ぎない)とも言われ、また、イルミナティを勝手に名乗って活動を行う秘密結社がいくつも存在したらしく、アダム・ヴァイスハウプト主宰のものから一人歩きする形となった。 そしてそれが、フランス革命、アメリカ独立戦争、第一次世界大戦、ロシア革命、スペイン内戦、第二次世界大戦と言った歴史的に重要な転換点ではイルミナティの存在が見え隠れし、世界を影から操っている存在である等と言われる今日の陰謀論に結びついている様だ。
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イルミナティのシンボルはピラミッドに目があるものだ。 これはエジプトの「ホルスの目」に由来するもので、「万物を見通す目」と呼ばれ、権力構造のヒエラルキーと全てを監視する支配者を表しているとされる。 また、このシンボルはアメリカの1ドル紙幣にも国璽として使用されている事から、合衆国がイルミナティにより影から支配された国家である証拠と主張される事もある。
ちなみに、ピラミッド最下段のローマ数字"MDCCLXXVI"は、総和が米国独立宣言が出された1776年を意味するが、実は同じ年の5月1日にはイルミナティが設立されており、本当はこちらを指しているとも言われる(最後の2文字「VI」も、5月1日を暗示していると捉える事が出来る)。
どうやら5月1日は、「ベルテーン祝祭」という、ルシファーが地獄より地上に戻り、空の上に宿る日とされている事も関係している様だ。
また、"MDCCLXXVI"を今度はバビロニア語で読むと「1110」という数字になるが、アラビア語では「666」という獣の数字になるのだ。 これら2つの数字を足すと、<1110+666=1776>となり、やはり1776年を表す。 そして、1ドル紙幣のピラミッドの上下に書かれているラテン語だが、「ANNUIT CCEPTIS」は“誕生の告知”を意味し、「NUVOS ORID SECLORUM」は、“新しい非宗教的団体”を意味する(同時に“新世紀秩序”を意味する)。
つまり、「新しい非宗教的団体の誕生の告知」という、イルミナティの存在を示唆した文言になるのである。 このシンボルは、フリーメーソンでも使われている事に注目したい。 イルミナティとフリーメーソンの組織自体には直接の繋がりは無かったと考えられているが、一説には弾圧された際にイルミナティはフリーメーソンの奥深い場所に潜り込み、フリーメーソンを乗っ取ったとも言われている。
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一方、『天使と悪魔』におけるイルミナティはこうだ。 16世紀、教会に反旗を翻し、物理学者、数学者、天文学者などの、イタリアで最も知性ある人々の一部が密かに集まって、教会の誤った教理についての懸念を話し合う様になる。 ヨーロッパ最高の頭脳集団の誕生だ。 当然、ローマ・カトリック教会はイルミナティを激しく迫害した。 しかし、イルミナティの存在は学者達の間で密かに広まり、やがてヨーロッパ全土に会員の輪は広がる。 科学者達はローマに「啓示の教会(チャーチ・オブ・イルミネーション)」と名づけた極秘の集会所を構え、定期的に会合を行ったとしている。 そして、実はこのイルミナティの会員の中には、かのガリレオ・ガリレイがいたとされている。
(もっとも、前述の通り、イルミナティが創設されたのは、ガリレオの死後100年以上先の事であるし、イルミナティの源流となる組織が古くより存在していたという考え方はあるものの、ガリレオとの具体的な結びつきに言及する有力な説は無い。 つまり、ガリレオがこの種の秘密結社に所属していた可能性自体は否定出来ないが、基本的にフィクションの可能性が高い)
当時ガリレオは「それでも地球は回っている」の発言で知られる地動説を唱え、全ての天体は地球の周りを公転しているという天動説を考える教会に異端とされていた。 ガリレオは天文学者であると同時に敬虔なカトリック教徒でもあり、科学と宗教は敵ではなく友であり、双方の統一を望んでいたという。
しかし、それは教会の望むところではなく、異端者としてガリレオが捕らえられた事がきっかけで、1668年にイルミナティのある4人の会員が身元を突き止められ、拘束され拷問にかけられた。 4人は生きながらに胸に十字の紋章を焼き印され、ついに惨殺され、イルミナティに加わろうと考える人々への戒めとして、その死体がローマの街路に放置されたという。
残った会員はイタリアから脱出し、イルミナティは地下深くに潜伏し、いつかカトリック教会に復讐する事を誓いながら力を蓄え続けた―という事になっている。
『天使と悪魔』では、新しい教皇を選出するコンクラーベの最中、次期教皇の有力候補(プレフェリーティ)である4人の枢機卿が、胸にイルミナティが好んで用いた完全なアンビグラム(上下を逆さにしても同じに見える対象形)の紋章の焼き印をされ、科学の4大元素に準えられて、次々と惨殺されていく。
その科学の4大元素とは、17世紀当時に初期の錬金術師に世界の成分として信じられていた物質、「土」、「空気」、「火」、「水」である。 そして、ローマ市内にある数百の建造物の中から、4人の枢機卿の殺害予定地=上記に挙げた4大元素に縁のある“科学の祭壇”なる場所を特定する必要が生じる。 この科学の祭壇は、4ヶ所それぞれにある道標を基にして順番に辿っていくと、最終的には啓示の教会に辿り着く事から、「啓示の道(パス・オブ・イルミネーション)」と称された。 この道を辿って啓示の教会に着く事が出来たものだけが、イルミナティの入会を許されたという事らしい。 道標は、イルミナティに属するある芸術家(後述)に依頼して、4つの宗教的な彫刻としてローマの街に自然な形で紛れ込まされた。
この科学の祭壇のヒントは、ガリレオが著したとされる謎の書『真実の図表(ディアグラッマ・デッラ・ヴェリタ)』に記されたジョン・ミルトン(彼もまたイルミナティに所属し、ガリレオと知り合いだったとされる)による下記の詩の暗号だ。
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悪魔の穴開くサンティの土の墓より
ローマに縦横に現る神秘の元素
死の道が敷かれ、聖なる試練あり
気高き探求に天使の導きあらん
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っちゅー訳で、ワシらもガリレオ・コードとでもいうべき“啓示の道”を辿り、イルミナティ共の隠れ家であった“啓示の教会”を目指すぞい! |
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またミーハーかつマニアックな・・・。 ローマの名所に隠された暗号って事らしいですけど、ちゃんと場所解ってるんですか? |
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まあ大体の雰囲気はな。 来る途中、飛行機ん中で小説ザッと読んだから多分大丈夫じゃい。中巻までだけど。 |
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もっと事前に全部読了しといて下さいよッ!何ですかフンイキって! |
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まったくもう・・・、何でもいいからちゃっちゃと行きましょ! |
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まずやって来たのは、観光地としても有名なパンテオン。 紀元前25年に初代ローマ皇帝の側近アグリッパにより建造され、その後火災に遭い、120年頃にパドリアヌス帝が再建しました。 奥で何かHP高い奴がふんずりかえっていそうな外観が魅力的だ。
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詩の一行目のサンティってやつじゃが、こりゃラファエロ・サンティの事じゃ。ラファエロはパンテオンに埋葬されているらしいからな。 |
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ラファエロってあの芸術家の?へえ、こんなとこにいたのね。 |
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パンテオン前のロトンダ広場のオベリスク。 台座にはイルカの噴水があり、頂上には星の上に乗った十字架がつけられている。 ローマ帝国の略奪品であるオベリスクは、ローマ市内の各所に点在しており、合計14本のうち13本はエジプトから運ばれ、1本はエチオピアからのものらしい。
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パンテオン内部。 バスケの試合が出来そうなくらい中は広々としており、天井は遥か遠くに感じられる。
このローマ最古の教会ほど“土”に縁のある場所は市内には存在しない。 パンテオンという名は、もともとここで奉じられていた多神信仰(パンテイズム)に由来する。
つまり、万物の神、特に母なる大地の神々を祀っていたそうで、パンテオンの円堂部分の寸法にガイア(大地の女神)への賛美が込められている。
比率が非常に正確で、巨大な球体が1ミリの隙間もなく建物の中にピッタリ収まるという。
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ラファエロの墓は向かって左側の壁にある。 その棺には、「ラファエロここに眠る。彼の者生きし時 万物の偉大な母なる自然は これに凌駕さるるを恐れ 彼の者死せる時 己の死を恐るる」と記されている。
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どうしてヨーロッパの有名な奴の墓はこうケーキ屋のショウ・ウインドウみてえなんじゃろな。まあ、そのサービス精神は評価に値するが。 |
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偉人を目の前にしても相変わらずクソ失礼ですね・・・。 |
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天井にポッカリと空いた天窓(オクルス)。 ずっと眺めていると吸い込まれていきそうだ。 1975年にニューオリンズに出現したスーパードームによって影が薄れたが、それまでは自立構造のドームとして世界最大だった。
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でもさ、パンテオンて教会なんでしょ? なのに、悪魔の穴だなんて呼ぶかしらね。 |
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・・・アレ?そーいや第一の科学の祭壇て、ここじゃねえや。 |
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ラファエロが死んだのは1520年だが、その遺骸は1758年に生誕地のウルビーノからパンテオンに移された。 実は、“悪魔の穴開くサンティの土の墓”とはラファエロ自身の墓の事ではなく、ラファエロが設計した墓という意味であった。 果たしてその場所とは・・・?
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しっかりして下さいよ・・・。ってか、わざとじゃないですよね? |
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ガリレオが教会から問題児とされていた一方、逆に愛された彫刻家がいた。 その人物とは、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ。 バロックの巨匠と呼ばれたベルニーニの彫刻のクオリティは極めて高く、実に多作である。 ミケランジェロに次ぐ名声を得た彼は敬虔なカトリック教徒であり、教皇庁に関係する多くの彫刻を任され、ローマの美術界の寵児となっていた。 ところが、『天使と悪魔』では、彼もまたイルミナティの会員であったとされている。
イルミナティの会員でさえその正体を知らなかったという「無名の巨匠」がベルニーニで、彼はバチカンに取り入りながら、密かに反カトリック的な作品を生み出し、ローマに啓示の道を敷いたのだとしている。
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【Earth:土】 |
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古くから交通の要所であり、ローマの北の入口に当たるポポロ広場。 完全な楕円形に整えられ、中央にエジプトのオベリスクが聳え立っている。 オベリスクの最頂部に施された彫刻は、1ドル札に描かれたフリーメーソンのシンボルだ。
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サンタ・マリア・デル・ポポロ教会。 1099年に、ローマ市民(ポポロ)の資金負担により建設された。 ポポロ門(フラミニア門)を入ってすぐ左手にあり、目の前にはポポロ広場がある。
伝説によると、この場所にはかつて皇帝ネロを埋葬するドミティアヌス家の墓があり、そこに生えていたクルミの木に悪魔が住みついていると人々に恐れられていたらしい。 そこで法王パスカリス2世は、夢に現れた聖母マリアのお告げ通りにクルミの木を切り倒し、ネロの遺体を焼いて遺灰をテヴェレ川に流したところ、悪魔は現れなくなったという。 その事を感謝して、1099年にパスカリス2世が市民に呼びかけ、聖母マリアに捧げる教会を建てたものだそうです。
教会は13世紀初期に再建され、さらに1472年にローヴェレ家出身の法王シクストゥス4世の命で、国の玄関にふさわしい様にと再度再建され、ほぼ現在の姿になったそうな。
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“土”の科学の祭壇はここじゃったわい。 ラファエロが設計した墓があるらしいんじゃ。 |
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ジプシーだかジンガリのおっさんが階段とこで小銭をせがんでますね・・・。 |
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教会の内部は三廊式になっており、両脇に4つずつ、計8つの礼拝堂がある。
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該当の礼拝堂は何処にあるんですかね? 沢山あってどれがどれだか・・・。 |
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それらしき彫刻のある礼拝堂は見当たりませんなあ。 本当にこの教会なんですか? |
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無いはずない! ここのどっかに、キージ礼拝堂っちゅーのがあって、そこに「バクバクの天使」っちゅー彫刻があるはずなんじゃい! |
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まあ、強いて言えば向こうに怪しい修復中の礼拝堂はありましたが、肝心の彫刻は無かったですよ。 |
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キージ礼拝堂。
1513年から1516年まで、シエナ出身の銀行家アゴスティーノ・キージとその弟(芸術と科学の裕福なパトロン)の墓として、ラファエロが建築を担当し、内装の美術品はベルニーニが手がけた。 『天使の悪魔』では以前は「カッペラ・デッラ・テッラ(土の礼拝堂)」と呼ばれていたとの事だが、多分これは創りである。
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礼拝堂の両端には、対称をなした大きな大理石のピラミッドがそれぞれ置かれている。贅沢な造りだ。
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ピラミッドの真ん中には、表面に金色の楕円形の浮き彫り(メダイヨン)がはめ込まれている。
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でも、大魔王様が言う様な天使の彫刻なんてここには無・・・ |
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コ・レ・カ・ナ?
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落ち着いて大魔王様!別にキージは悪くないですって! |
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くっ、これじゃ見辛くてしょうがねえ! こうなったら我が魔力でうまい具合にアレコレしちゃる! |
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うまい具合にアレコレして見れる様になった「ハバククと天使」。 全体がバチカンでしか買えない最高品質の白大理石で出来ている。 天使もハバククも腕を伸ばし、何処か遠くへと指を向けている。 この像は救済の象徴で、ハバクク(ハバクとも)は大地の滅亡を告げた預言者。 尚、“悪魔の穴(ブコ・ディアーヴォロ)”は教会の地下室、共同埋葬所を指すとの事。
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ってか、言ってた名前と違うじゃないですかッ! 何ですか、バクバクの天使って!食いしん坊じゃあるまいし! |
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で、どっちの像に従えばいいのか、分かってるの? お互い正反対の方を指差してるわよ。 |
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ほれ、詩を思い出してみろ。 “気高き探求に天使の導きあらん”っちゅーのがあったろ。 |
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天使の指は、ライナルディによる双子の教会であるサンタ・マリア・イン・モンテサント教会とサンタ・マリア・ディ・ミラコリ教会の先、南西の方角を指している。 その方角にある主たる教会はサン・ピエトロ大聖堂だけだ。
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【Air:空気】 |
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サン・ピエトロ大聖堂はミケランジェロによる設計だが、サン・ピエトロ広場はベルニーニによるものである。 法王アレクサンドル7世の命により、1656年~66年に建造された。 広場は楕円形で、カリギュラ帝がエジプトから運んできたオベリスクが中心に建てられ、約30万人が収容出来る。
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すべての者を謙虚にさせる造りらしいですけど、大魔王様にはちっとも通用しなかったですね・・・。 |
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直径200mの左右から延びる列柱回廊に並ぶ柱の総数は284本で、回廊の上にはベルニーニの弟子達が制作した140体もの聖人像が広場を見下ろしている。
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この像の多さ、メタル・クウラを思い出す光景じゃな・・・。 |
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最上階の向かって右端が法王の居室、その隣が法王執務室。 毎週日曜日の正午には、窓を開けて信者へ祈りの言葉をかける法王の姿が見られる。
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システィーナ礼拝堂。 バチカン宮殿内に建てられ、ミケランジェロが描いた創世記などの大天井画や、『最後の審判』の壁画で有名。 法王を選出するコンクラーベの会場としても知られている。 噂ではミサイルでも無い限り、ちょっとやそっとの攻撃ではビクともしない場所とされている。
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でもって、こちらが『最後の審判』。 法王パウルス3世の代に製作が始まり、1535年から1541年にかけて『マタイの福音書』に示される最後の審判をテーマにしたフレスコ画が描かれた。 大きく4つの階層に分かれており、上から、天使たちの群像、イエス・キリストを中心とした天国、地獄に引きずり落とされる人々、地獄が描かれている。 パウルス3世の死後、裸体の陰部を隠す腰巻が書き足された。
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そして、オベリスクの根元にありました。 「ウェスト・ポネンテ(西の風)」。 この彫刻の一形態であるレリーフは、1818年に天文学者フィリッポ・ルイジ・ジリイによって設置された。
彼はオベリスクを日時計として利用出来る様に、北に子午線を設ける形で広場を舗装したそうだ。 ベルニーニの作った広場にあるこのレリーフこそ、第二の科学の祭壇の役割を担う。 西の風は別名「レスピーロ・ディ・ディーオ(神の息)」であり、つまりは“空気”を表すのだという。 彫刻された西風の神は、その口からバチカンの外へ向けて強い息を吹き出しており、その先の方角は、次の“火”の科学の祭壇を示している。さあて、一体その場所とは・・・?
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品格の無い横綱みてえなムカつく顔しやがって・・・。 |
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あっ、この縦線て息なんですか。てっきり妙な口髭かと思いましたヨ。 |
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啓示の道は、つづく―――。
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