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[2014.07.06]

シベリア禁断のマナラ地区
~地図から消された謎の部族が住む二度葬村~



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1985年6月、 ドイツのフンボルト大学人類学部のリヒャルト・ドネル助教授にマナラ地区の調査許可が下り、 その月末の段階で彼はドイツを出発し、7月中旬には同地区に入ったとみられるが、その後プッツリと消息を絶ってしまった。
このマナラ地区というのは、中央シベリアに位置する特別民族管区(現在の自治管区)であり、 周囲を広大なタイガ(針葉樹林)に囲まれ、ロシア政府の政策的配慮によって、いかなる地図にも記載されていない事から、 その存在を知る者は少ない。



【生きて帰った者はいない?戦慄のマナラ地区】

広大な森林に覆われたシベリア地方▲
ロシアにはこうした未開拓地が数多く存在し、訪れるにも政府の許可が必要だったり、 そもそも情報公開があまりなされていない為にミステリースポットも多い。
1908年にツングースカの大爆発が発生したシベリアのボドカメンナヤ・ツングースカ周辺▲
写真は爆発の中心地であったとされる場所を100年後の2008年に撮影したもの。

マナラ地区には、マナ族と呼ばれる民族が居住しているそうだ。
マナ族は周辺の諸族とは系統が大きく異なる民族とされ、一部の人類学者や言語学者の注目を集めているというが、 マナラ地区への立ち入りが厳重に規制されている為、研究は全く進んでいないらしい。
実地調査に対する許可は1929年以来、7年に一度、ただ1人の研究者に対してのみ与えられるのが通例になっており、 先述のリヒャルト・ドネルを含め、過去に合計9名の研究者がマナラに足を踏み入れている。
しかし、その9人のうち、マナラから戻ってきた者は誰もいないという。
タイガで道に迷ったのか、マナラで何か起こったのか、研究者の失踪は様々な憶測を生んだが、 それも7年の年月のうちに忘れられ、再び意欲的な研究者がマナラへ旅立っていくのだ。
1992年6月、ハンガリー科学アカデミー民俗学研究所でウラル系民族のシャーマニズムを研究していたイストヴァン・グロスシュミット博士は、 ロシア政府の許可を得て、念願のマナラ地区調査許可証を手に入れた。
グロスシュミット博士は、従来からマナ族をウラル系民族と推定しており、その仮説を証明する為にも、 マナラ地区における実地調査は不可欠だったのだ。
彼も無論、マナラ地区の不穏な噂は承知していたが、新進気鋭である研究者にとっては、 それも気にかける大きな要素ではなかった。
マナラ地区は、シベリア鉄道をクヤスノヤルスクで降り、エニセイ河を北上していき、 ボドカメンナヤ・ツングースカからタイガへと足を踏み入れるのだ。
この先は正確な地図は無く、ガイドを雇う事も許されない為、まさに自分の足と野生の勘だけが頼りとなる。

シベリア地方の村の様子▲
7月1日にブタペストを出発したグロスシュミット博士は、7月21日になってようやくマナラ地区に到着した。
そこは、森の中に粗末な小屋が4~5軒建ち並び、丸太をななめに組んだ柵が周囲を囲っている典型的な半定住型狩猟民の集落であった。
マナ族は普段、こういった集落で定住生活を送り、狩猟の時期になると、得物を求めて森の中を渡り歩くようだった。
しかし、グロスシュミット博士は、小さな集落には目もくれず、森の中を突き進んでいった。
小さな集落をいくつか通り過ぎると、比較的大きな集落に辿り着いた。
どうやらこれが族長の住む集落らしく、この種の実地調査においては、 族長の許しがなければいくら政府の許可証を持っていても調査は不可能である為、 何をおいてもまず族長に挨拶しに行くのが肝要だ。
族長は年齢50歳くらいで、がっしりした体格の男であり、 髪は赤茶で瞳は灰色、肌の色はとても白く、 周辺に住むツングース系の諸族とは明らかな違いがあったそうだ。
シベリア諸族の言語に造詣の深いグロスシュミット博士であったが、 族長が話す言葉が全く意味を理解出来ないのはもちろん、 その言語系統すら皆目検討がつかなかったという。
族長はそれでも満面の笑みを浮かべ、興奮した様子で何事かを熱心に話し、 意外な事に歓迎されているらしい。
マナ族のように、外界から隔絶された民族の場合、明らかなよそ者は脅威とみなされる事が多いはずだが、 こうした反応であれば、かなり立ち入った調査も認めてもらえるかもしれないというグロスシュミット博士の期待も高まった。
とはいえ言葉が通じない事に困ったグロスシュミット博士であったが、 それを見て取った族長の計らいで、集落の人々の中から通訳として、利発そうな少年を呼び寄せた。
少年はたどたどしいロシア語で、「今夜歓迎の宴が催される」とグロスシュミット博士に伝えたという。


【神送りの儀式・二度葬】

シャーマニズムにおける儀式のイメージ▲

夜になると、通訳の少年がグロスシュミット博士をキャンプまで迎に来てくれた。 少年は何も言わず先行し、森の中へと導いていく。
歓迎の宴は森の中で催されるのだろうか?という疑問はあったが、 グロスシュミット博士はさほど気にせず、少年のあとをついていった。
6月のシベリアは日が長く、森の中を歩くのは困難ではなかった。
やがて森が開け、大きな岩がふたつ、まるで門柱のように並んで建つ場所に出た。
大岩の前には族長の姿があり、その周囲には数百人はいると思われる大勢の人々が木々の間を埋め尽くしていたそうだ。
しかし、その割りにはは物音も話し声もせず、独特の緊張感が漂っており、 グロスシュミットはなんとなく恐怖を覚えたという。
大岩の前でグロスシュミット博士は族長と向かい合わせで座らされ、 周囲の人間全員が座り込んだところで、 族長が立ち上がって大声を上げたかと思うと、周囲も喚声で応えはじめた。
謎の雄叫びは幾度も繰り返され、徐々に現場の興奮が高まっていく。
これは本当に歓迎の宴なのか?と思い始めていたグロスシュミット博士であったが、 あっけにとられながら成り行きを見守っていた。
やがてしばしの沈黙を挟み、 手にスコップを持った6人の男が左右から族長の前に出てきて、 族長とグロスシュミット博士の間の地面を凄まじい勢いで掘り始めたのである。
それとともに再び喚声が上がり、やがて歓喜の歌声のようなもに変わった。
突然、族長が掘られた穴の中から大きな物体を取り上げ、 大岩の上に掲げた。それはなんと、人間の骸骨であった。
グロスシュミット博士は驚いたが、ふと二度葬というものを思い出したという。


狂宴の果てに博士が見たものとは・・・?▲
二度葬とは、ウラル系諸民族に見られる独特な風習であり、 共同体で人が死ぬと遺体はそのまま地面に埋葬されるが、これは一度目の葬式、 あるいは「人の葬式」という。
そして、5年~7年程の一定期間を経て、墓は掘り返され、 白骨化した遺体を取り出して二度目の葬式、あるいは「神の葬式」を行う。
この「神の葬式」は「神送りの儀式」とも呼ばれ、 ウラル民族の宇宙観では、人間とは天界の神が地上におりて受肉した姿であり、 人間が死して肉体が朽ち果てる事により、人間は本来の形である神の姿(白骨)へと戻る。
つまり、一度目の葬式は人(肉体)を神(白骨)に変化させる過程であり、 二度目の葬式は神(白骨)に変化した人を天界に復帰させる儀式なのだ。
マナ族が二度葬の風習を持っているという事は、 彼らがウラル系民族である事を意味し、グロスシュミット博士はこの発見に興奮した。
彼は周囲と同じく歓喜の歌声にあわせて喚き、熱狂の中で意識が朦朧としながらも踊り狂った。
しかし、しばらくして、グロスシュミット博士は再びある事に気付き、目が釘付けにされた。
岩の上に掲げられた骸骨の頭部が、明らかに鋭利な刃物で断ち切られているものだったのだ。
その凄惨な姿に彼は我に返り絶句したという。
そしてその時、グロスシュミット博士の背後で大斧が振り上げられたのだった。

7月24日、グロスシュミット博士は頭部と背中に深い傷を負い、仮死状態でエニセイ河の支流を漂っているところを、 通りかかった船に救助されたそうだ。
彼は一旦クヤスノヤルスクの病院に収容され、 その後モスクワの大病院に移送された。
しかしそれから2ヵ月後、グロスシュミット博士は病室から忽然と姿を消し、 そのまま消息を絶ってしまった。
一説にはある日突然、グロスシュミット博士は マナラ地区に行くと言って病院を飛び出し、 シベリア中部のクラスノヤルスク市まで助手が同行していたものの、目を離した隙に姿を消してしまい、 以後彼の行方は全く不明となってしまったという。
もしかしたら彼は、マナラ地区の人知を超えた何かによって呼び戻されてしまったのかもしれない。


【死の谷とマナ族の正体】

かつてシベリアのビルユイ地区で発見されたという巨大な鍋の様な物体▲
「アルギユイ(大きな鍋)」と名付けられたこうした謎の人工物が点在する同地周辺は「ウリユユ・チェルケチェ(死の谷)」と呼ばれている。
ツングースカ上空で起こった大爆発のイメージ▲

外界から隔絶された地に住む古代ウラル系諸民族には、「客人神信仰」と呼ばれる風習があり、 これは外界から共同体に侵入してきた人物を「神の化身」と見なす信仰体系で、 「神の化身」を殺害する事によって神本来の姿へと戻り、それを天界に送り返す事で、 その共同体の守護神になるという。
この客人神信仰が二度葬の風習の起源であるという見解もあるようだ。
ところで、1985年に失踪したリヒャルト・ドネルは、マナラ地区実地調査に先立って発表した論文において周辺民族の伝承を分析し、 「1908年以前、マナ族は存在しなかった」という不可解な結論を記している。
一部の伝承によれば、マナ族は巨大な火球とともに地上に降り立った「神族」であると伝えられている。
この巨大な火球というのは、1908年6月30日に発生したツングースカ大爆発事件の事であると思われる。

現在の「ウリユユ・チェルケチェ(死の谷)」▲
また、マナ族は「竜王」なる存在を昔から畏怖しながら生活しており、 一説にはマナラ地区というのは、ヤクートの死の谷の最深部に当たるともされ、 神族というのは数百万年前にやって来た異人類の事で、マナ族は彼らの血を受け継ぐ子孫であるという驚くべき見解もある。
この異人類というのは、単純にエイリアン(異星人)という説もあれば、 竜王=レプティリアン(爬虫類型人類)という地底人であり、 地底王国アガルタの住人なのではないかという説まである。
さらにマナ族というのは、ヤクート族のシャーマンの祖に当たり、 人間離れした霊能力を持つ彼らは、幻視で地下世界を見る事が出来るという。

シベリア最古のシャーマンのイラスト▲
1692年にオランダの探検家ニコラース・ウィッセンが「悪魔の司祭」として描いたものだ。
ヤクートのシャーマン▲
地下世界を幻視する事が出来るという。

そもそも「シャーマン」という言葉は、 この地方に住むツングース系民族の事を指すもので、 語義としては「シャー = 知る」と「マン = 人」で、つまり「賢者」を意味し、 ロシア語のшаман(シャマーン)を経由して各国語に広まり、 一股的に宗教的指導者などを「シャーマン」と呼ぶようになった。
シャーマンの宇宙観では、宇宙は天上の世界、我々人間が生活する地上の世界、そして地下の世界の3つから成り立っており、 天上と地下は精霊が暮らしているとされる。
シャーマンは太鼓を叩く事によってトランス状態になり、 肉体から魂を切り離して天上や地下の世界に入り込み、そこで精霊の助力を得て、 政治的判断を下したり、病人を癒したり、予言を授かったりするのだ。
19世紀にヤクートでシャーマンの伝承を集めたスウェーデンの民俗学者カール・ゴットルンドが記した資料によると、 ヤクートのシャーマンはマナ族の子孫である為、生まれつき強大な能力を宿しており、 シャーマンの修行者は太鼓を叩きながら森を彷徨い歩き、 十分に能力のある者であれば、「精霊の踊り場」なるものを見つける事ができるらしい。 そしてそこで座り込み、そのまま数日間に渡り太鼓を叩き続けていると、修行者には地下の世界の幻が見えてくる。
その世界は真っ赤に輝く神殿があり、その中では黒い神々が動き回り、 そして地底の太陽が鈍く輝いているというのだ。
この太陽の描写は、ヤンセン親子が旅した地底世界において「スモーキー・ゴッド(霧立つ神)」と呼ばれ崇拝されていた太陽を思い出させる。
また、赤く輝く地下世界というのは、ヤクートの死の谷の特異構造物が赤く輝く金属で作られていた事と何らかの関係性があるのかもしれない。
そして、もしかしたら広大なシベリアの地下には、今も異人類の文明が人知れず繁栄しているのかもしれない。

ヤクート・デスバレー(ウリユユ・チェルケチェ)周辺▲
参考:
『謎の怪事件ファイルX<海外篇>』/並木伸一郎
『極北に封印された「地底神」の謎』/北周一郎


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