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[2013.11.22]

ジョン・F・ケネディ暗殺事件
~50年目の真実、大統領は宇宙人の存在を明かそうとして 殺された?~



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1963年11月22日、第35代アメリカ大統領ジョン・F・ケネディは、遊説旅行の為、テキサス州ダラスに訪れた。
ケネディー夫妻は沿道の数万の市民の大歓迎陣に応えながら、パレード用のオープンカーで、ラブフィールド空港からダラス中心に向かっていた。
比較的人口の少ない地区では、時速25ないし30マイルで進んでいたそうだ。


第35代アメリカ大統領ジョン・フェッツジェラルド・ケネディ(John F. Kennedy)▲
凶弾に倒れ、46歳の若さでこの世を去った。

中部標準時午後12時30分、エルム通りへのコーナーを回って、陸橋方向へ41メートル進んだ地点で、突然、丘から何者かによるライフル銃の発砲がなされた。
この時の弾数については諸説あり、同事件の謎のひとつとなっているが、 アメリカ政府の公式発表として採用されたウォーレン委員会(詳細は後述)の調査記録では、 発砲された数は全部で3発で、1発目ははずれ、2発目はケネディの首を貫いてコナリー州知事の右肩口に命中、右胸に貫通し、右手首、左股に傷を与え、 3発目はケネディの右後頭部を撃ち抜いたとされている。
しかし、別の報告では発砲数が異なり、1発目はケネディの首に命中し、続いてダル・テックス・ビルからの2発目が、右肩下に命中、 同時に教科書倉庫ビルから発射された3発目はコナリー知事の右肩口を直撃、4発目はダル・テックス・ビルから発射されたが大きく外れ、5発目は再び丘から発射され、ケネディの右後頭部を撃ち抜いたとするものもある。
いずれにせよ、ケネディはほぼ即死であったと推測される。

暗殺直前のケネディ(後席右側)▲
前列はテキサス州知事のコナリー夫妻。
犯人がケネディを狙撃したとされる事件現場付近のダラス・テキサス教科書倉庫ビル▲
事件後20年以上もの間、同地は閉鎖された。

この時、この場所に不審な行動をとった人物がいたそうだ。
快晴のこの日、何故か雨傘を持つ男がいたのだ。
彼は何か合図をするように雨傘を上げたという。
その瞬間、銃が発射されたと、一部の目撃者は供述しているそうだ。
この男は通称「アンブレラマン」と言われている。
容疑者として逮捕されたのは、ソ連亡命経験者で共産主義にかぶれたリー・ハーヴェイ・オズワルド。
容疑者としては、アメリカ人の納得いく経歴の持ち主であった。
オズワルドは暗殺現場の正面にあるテキサス教科書倉庫で働いており、その日も倉庫にいた事が確認されている。
そして、倉庫の片隅から3発の弾丸が発射されたライフル銃と空と薬莢が発見され、その銃身にオズワルドの指紋がついていたのである。
22日から23日にかけてダラス市警、シークレットサービス、FBIの尋問をうけたが、大統領殺害の容疑事実に関しては一貫して否認し続けた。

ジャック・ルビーに詰め寄られ、射殺される瞬間のリー・ハーヴェイ・オズワルド▲
しかし、彼は本当に犯人だったのか、未だ謎のままである。
容疑者オズワルドは、護送途中の警察署の中で射殺されてしまったのだ。
24日、午前11時20分頃、市警の留置場から1マイル離れた郡刑務所にオズワルドを移送する為に、オズワルドは両脇と後ろから刑事に付き添われ地下の房から出てきた。
彼が2、3歩車に向かって歩き始めたその時、記者が集まっているカメラの右手から1人の男が突進してきた。
テレビ中継を通じて数百万の人々が注視する中、男は短銃でオズワルドを撃った。
オズワルドはたちまち意識を失い、パークランド病院に移送されたが、意識を回復しないまま、午後1時7分死亡した。
これにより、オズワルドは口封じの為に殺されたのではないかとする見方もある。
犯人は、52歳になるジャック・ルービーという市内のクラブ経営者であったが、彼もまた、 獄中で精神に異常をきたし、治療で入院中だった病院で死亡している。

最新のデジタル技術によって再編集されたケネディ暗殺の瞬間の8ミリ映像▲
パレードの見物に訪れていた アマチュアカメラマンで衣料販売店の経営者エイブラハム・ザプルーダーによって撮影された為、「ザプルーダー・フィルム」と呼ばれている。
26.6秒で486コマのフィルムであり、映画『JFK』にも使用されている。
オリジナルのフィルムはFBIによって押収され、11年間も封印された。
ウォーレン委員会の報告による致命傷を与えた銃弾の方向▲
1発の銃弾がこうした不自然な弾道を辿ったとする苦しい見解から、「魔法の銃弾」と呼ばれている。

副大統領から大統領に昇格したリンドン・B・ジョンソンは、暗殺事件の真相を究明すべく、アール・ウォーレン連邦最高裁判所長官を委員長とした大統領特命調査委員会(ウォーレン委員会)を発足させた。
捜査の結果、委員会はJFK暗殺はオズワルドの単独犯行であり、その背後には組織・陰謀は存在しないと結論づけた。
しかし、アメリカ国民の3分の2(2003年の世論調査では70%)の人々は、ケネディー暗殺はオズワルドの単独犯行ではなく、背後に何らかの陰謀があったと考えているそうだ。
現に21人の目撃者や関係者が、4年以内に全員亡くなっているのだ。
いずれも死因は変死・交通事故等とされている事も、まるで裏で何者かが暗躍しているかの様な印象だ。
何はともあれ、ジョンソン大統領は、ケネディ暗殺に関わる資料を75年間に渡り非公開とし、アメリカ政府は事件の最終報告書を2039年に提出すると公約している。
これは当時の関係者がほとんど死亡している頃合として設定されたものと思われるが、本当に事件の真相が明かされるかどうかは気長に待つしかなさそうだ。

暗殺事件から今年でちょうど50年目を迎え、娘のキャロライン・ケネディ氏が駐日米大使として着任した事もあり、 再び注目を集めている▲

ケネディが暗殺されるに至った要因としては、様々な説が存在するが、 彼の急進的なベトナム戦争撤退の方針が、政府側や軍産複合体の利害と対立した事によるという見方が根強く、 ケネディ暗殺について描いた映画『JFK』では、監督のオリバー・ストーンは事件にはアメリカ政府(CIAやFBI)が関わっていた可能性を指摘している。
一説には、副大統領リンドン・B・ジョンソンによるクーデターではないかとも言われている様だ。
さらに、サイエンスエンターテイナーの飛鳥昭雄氏がある独自のルートで入手した情報によると、 ケネディは暗殺当日、ダラスで演説する予定であったが、 彼はそこで、地球外知的生命体(つまりエイリアン)の存在を政府が既に把握している事を宣言するつもりであったというのだ。
と言うのも、暗殺されたケネディの服のポケットの中には、そうした内容が記されたスピーチの草稿があったらしく、 その草稿は現在も某所に保管されており、近いうちに公開されるという噂があるそうだ。

ジェイムズ・E・ファイルズ▲
なお、2008年に日本テレビで放送された『モクスペ・アメリカ元大統領暗殺、JFKは俺が撃った!』という番組では、 現在別の事件で終身刑を言い渡され、シカゴのステイトビル刑務所で服役中のジェイムズ・E・ファイルズという囚人が、 インタビューで「ケネディを撃ったのは俺だ」と衝撃の告白を行ったとしている。
それによると、 暗殺事件当時ファイルズはマフィアと通じるプロの殺し屋であったらしく、 オズワルドは単なる案内人過ぎず、狙撃者は3人いて、最後に撃った彼の弾がケネディに命中したのだという。
彼についての情報源は、映画『JFK』の原作者であるジム・マーズという一応は信頼に足る人物であるが、 しかし、決定的な証拠に乏しく、色々と怪しい点もあり、ファイルズは自分に有益な取引を持ちかけられた為、 作られた設定の人物を演じていたに過ぎないとか、あるいは自分が暗殺犯だと信じ込んだパラノイアだという見方もある。


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