イタリア、シチリア島北西部の都市パレルモにあるカタコンベ・ディ・カプチーニと呼ばれる地下墓地には、「世界一美しいミイラ」が安置されているんですよ。 このカタコンベには、17世紀から1881年までに運ばれてきた100~300年前の約8000体のミイラが、服を着たままの姿で、通路の両脇の棚に寝かされたり、無造作に壁に吊り下げられているんですよ、ええ。
ロザリア・ロンバルド▲(Rosalia Lombardo, 1918年12月13日~1920年12月6日) 遺体は血を抜かれ、薬品で洗浄等の処理を行った後、天日干しで乾燥され、胴体部分にわらを巻きつけ体型を整えてから、服を着せたそうなんですね。ですから、一応ミイラって事になるんですがね、エジプトのミイラ程クオリティーが高くなく、保存状態が悪い為に、ほとんど白骨化しちゃってるんだなぁ。 そんなこの場所の一番奥の部屋に、ロザリア・ロンバルドっていう女の子のミイラがありましてね。 彼女は1920年に、肺炎によって僅か2歳でこの世を去った将軍の娘でしてね、 アルフレッド・サラフィアという秘密主義の医師の手によりミイラとして保存されたそうなんですよ。以後、ロザリアの遺体は生前同様の姿のままで、まるで眠っているかの様な状態です。しかし、サラフィアはロザリアに施した防腐処置の内容を明かさずに亡くなってしまった為、 どうやったらこんなに奇麗に保存できるのか謎のままになってしまったんですねえ。 小さな棺に納められたロザリア▲(1984年撮影) しかし、それから90年近く経った2009年になって、イタリアの生物人類学者であるピオンビーノ・マスカリの調査によって、 サラフィア医師の親族らが見つけ出され、 そこから本人が生前書き残していたミイラのカルテが発見された事によって、 ホルマリンと塩化亜鉛、アルコール、サリチル酸、グリセリンを使用して作られたものであると判明したそうなんだ。 その各々の効果は、 アルコールがロザリアの遺体のミイラ化を促進し、グリセリンが適度な湿潤を保ち、 サリチル酸が菌の繁殖を防ぐというものだったらしく、 さらに亜鉛塩の作用が遺体の腐敗を防ぐ大きな役割を果たしたと見られているそうです。 そして、処置の最後には、顔のふっくら感を保つ為に、 遺体の頬に蝋燭の原料でもあるパラフィンが注入されたみたいなんですよ。 また、このカルテの存在により、サラフィァ医師が他にいくつものミイラを同じカタコンベに残していた事も明らかになった。 そもそもこのカタコンベ、何故わざわざ遺体を陳列してるのかといいますとね、もともと死者と対面し、自らの生を顧みる為の場所だったらしく、 18世紀のフランスの急激な人口増加に伴い、パリ周辺には無縁仏が増えちゃった為、パリ地下にある採石場を共同墓地とするようになったんですね。ここにはカプチン会の修道僧や無縁仏、フランス革命の犠牲者、グレーブ広場の市民暴動の犠牲者、農民一揆や1792年のチュイルリー宮殿での王党派と革命党の戦闘の犠牲者等が葬られているそうです。
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