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[2006.03.03]

中華珍々西遊記①
~俺達の天安門事件(チャイナショック)~



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中国・北京

大魔王&ヨシオは、人間界征服の礎である調査活動として、4000年の歴史を誇り、僅か17年で統一王朝を築き、完全なる民衆支配を行った秦の始皇帝を生んだ大国、中華帝国の地に、視察の為に降り立った――。

やってきたぜよ、共産圏!愛国無罪上等!
さあ、どっからでも歓迎してくるがいい、烏合の衆よ!
その持ち前の迸る熱いパトスに、こっちも爆竹で暖かく答えてやるわ!オラオラオラー!(※この頃反日デモMAX時)

いきなり何ですかッ!?
その田舎から出てきたばっかのヤンキーみたいな、妙な好戦的テンションはッ!

いや、政府に支配されし群民共が、歴史という不明瞭なもんを盾に、横暴なアクションを正当化し、やんややんやと喚いている様な国って聞いたから。第一印象でナメられたらアカンかな、と。

まあ、我が軍も似た様なヒエラルキーっぷりですがね。

天安門広場は、中華人民共和国とその首都である北京の象徴であり、世界で最も広い広場です。
南北880m、東西550m、総面積44万m2のこの広場は、1949年の建国式典の時に整備されたそうです。

この広場では、中国国内はもとより、世界にとっても重要な様々な歴史的事件が起こり、革命の聖地と呼ばれ、大きな意味を持つ場所となっている。

かつては、市民が自由に立ち入る事は出来なかったそうだが、現在は条例の解釈が緩み、大勢の人々で活気に満ちている。
だが、テロやデモ等といった活動を抑制すべく、常に公安警察や軍人達が広場を監視している為、少しでも不穏な動きを見せると、たちまち尋問されるっぽいです。

ところで、あのハゲのおっさん誰だ?

毛沢東ですよ!
1949年10月1日に、中華人民共和国の建国を、この天安門広場で宣言した、ありがたやーな人です!

は、ハゲなのに、毛沢東・・・!ブハッ!
運命とは、かくも皮肉なものだな!

噴き出すなッ!ってか、言動に気をつけて下さいよッ!
悪ノリが過ぎると、そこかしこで監視してる国家権力によって圧せられちゃいますって!

※公安が睨みをきかせていたので別の場所で撮影したものを合成しました。
※国家権力の検閲により、削除又は修正される可能性があります。
※海外でテンションが上がった若気の至りです。

じゃあ、こんな事したらマズイか?











貴方は、預言者の漫画が新聞に載っただけで暴動が起こった事件をご存知ですか?

いやァ、世の中揺れてるねえ。無駄に。

天安門広場でバカな事をやったのは、魔物かただのキ●ガイです。
良い子やクソガキ、それから精神年齢の低い大きなお友達の皆さんは絶対に真似しないで下さい。
不穏な動きを見せると公安警察や軍人達に尋問されちゃうアルよ!


さて、のっけから場が凍り付くというか、ブログだったら炎上しそうな雰囲気になりましたが、 気を取り直して世界遺産の紫禁城(故宮)に入りまっせ。

BGM:『The Song of Life』

<ロービジョン撮影>

(以下、オダギリジョーっぽく)
北京の中心に位置する旧王宮、紫禁城。
皇帝支配の象徴とされる場所です。
ここは、元の王朝が古来の歴史書『周礼』をもとに造ったものを、明の成祖である永楽帝が1406年から改築し、全国から数10万人の労働者と数100万tに及ぶ建築資材が集められ、完成までに15年の歳月を要したという。
その後、1421年に南京から北京へ都を遷してから、明、清代の皇帝24人がここを居城とし、ラストエンペラーで知られる溥儀や康熙帝といった様々な人物の歴史的舞台になった。

1644年の李自成の乱で明代の紫禁城は焼失したが、基礎が残っていた為、後継王朝の清が再建して、清朝の皇宮として皇帝とその一族が居住し、政治の中枢となった。
1912年に清は滅亡し、中華民国の臨時政府の優待条件として、最後の皇帝溥儀とその一族は紫禁城の居住を許されたものの、蒋介石率いる国民党軍が1924年に北京を占拠すると、溥儀以下、清の皇族は紫禁城を退去した。
その後、国民党の時代に外朝を古物陳列所として、皇帝への献上物の他、瀋陽故宮や承徳行宮の宝物が展示されていた為、ルーヴル美術館などの例に倣って、「故宮」と命名され博物館となった。
1949年に、毛沢東は城門の1つである、天安門で中華人民共和国の建国を宣言し、その後、溥儀が内廷を退去させられると、「故宮博物院」とされ、現在は明と清の歴史を伝える故宮博物院の「文物」として一般開放されています。

故宮は東西735m、南北961m、敷地面積72万平方km、周囲を高さ10mの壁に、幅52mの堀である護城河に囲まれている。
建造物700余、部屋数9万9000、所蔵品数100万点に及ぶ故宮は、「外朝」と「内廷」に分けられている。
「外朝」は主に公の行事を行う場で、太和殿、中和殿、保和殿の3殿からなり、「内廷」は乾清門以後の乾清宮、交泰殿、坤寧宮、東西6宮などの宮殿群からなる。
現存する門は、午門、東華門、西華門、神武門の全部で4ヶ所しかないそうです。

故宮の正面門である午門。
南北の中軸線、子午の方向にある為、そう呼ばれている。

高さ36mの門には、正面に3つの入口がある。
中央の門は皇帝専用で、生涯に一度だけ、皇后と科挙(官僚登用試験)の上位合格者のみ通る事を許されていたという。
左右の門は、貴族や役人用の通路です。

太和門。1420年に建造され、当初は「奉天門」と呼ばれた。

しかし、その後3度の火災に遭い、1883年に再建されたのが現在のもので、中国最大の宮殿建築の木造門となっている。

太和殿前の青銅製の獅子。
さすが、歴史的な重要建築物を守護するだけあって、ゴツいのはもちろんの事、表情が凄まじい。

紫禁城の中心である、太和殿。
皇帝即位の儀式などの宮廷行事をする最も重要な建物です。
映画『ラストエンペラー』のシーンで有名だ。
古来の歴史書『周易』に、「太和を保合する」とあり、「天の調和を保つならば、天下は平らかになる」という意味から、「太和殿」と命名されたと言われている。

現在は、2008年の北京オリンピックに向けて、建物は建立以来で最大規模の改修工事を施されている。
改修工事は2007年10月1日までに終わる見込みだそうです。

太和殿を過ぎると、皇帝が太和殿に行くまで待機する中和殿があり、その後方には保和殿が建つ。
1420年に建築され、当初は「謹身殿/建極殿」と呼ばれていたそうだが、清の順治年代に現在の名前になり、乾隆年代に現在の建物に再建されたという。
清朝の時代からは、毎年旧暦の1月1日と15日に、皇帝がモンゴルや新疆など外藩の王公を招いて、宴会を催す様になり、また、18世紀後期からは、科挙の最終段階である殿試が行われる様になった。
その際、この玉座に皇帝が座り、自らが面接を行ったという。
また、カンニングを防ぐ為、柱が少ない建築方法になっているという。

皇帝がいる宮殿を「紫禁」と言うのに関しては、こんな意味がある。
「紫」は、天の中央に位置する紫微垣に由来する。
古来、中国の天文学では、北天を太微垣・紫微垣・天市垣に分け、その中央にあり紫微垣は、動く事のない天(紫微)の支配を指し、宮殿の門戸が一般市民には「禁」であった事から、「禁断の皇宮」という意味で「紫禁城」と呼ばれるという。

紫禁城最大の石造物である「雲龍彫石」。
これは継ぎ接ぎのない1枚の石で彫られており、長さは16.57m、幅3.07m、重さは約250tにも及ぶ。
石は北京郊外50kmの房山から、当時は冬の道に打水をし、凍りついた路面を利用し、2万人で約1ヶ月かけて運ばれてきたものだという。皇帝はこの龍の上を輿に乗って通ったそうです。

国際書道学会の理事を務める、何たら言うとても偉いらしい書道家の人がデモンストレーションをしていました。
どうやら、3字で1万円という素敵な価格で、好きな字を書いて頂けるそうです。ふざけんな。

故宮の北側・順貞門の手前の御花園にある堆秀山。
絶品と言われる太湖石を積み重ねて造られた。
重陽の節句(旧暦の9月9日)である中秋の名月の際、皇帝と皇后がここに登り、菊の花を浮かべた酒を飲みつつ、月を鑑賞したという。

神武門。1420年に建造された紫禁城の北門。
当初は「玄武門」と呼ばれたが、清代に改修工事が行われてから神武門と呼ばれる様になった。
もともとこの神武門の上には鐘があり、皇帝が宮中にいる間を除いて、日の入りになるとその鐘を鳴らし、時刻を告げたそうです。

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そんなこんなで、北京に夜がやってきた――。

すっかり日が暮れてしまいましたね。
ってか、一体ここは何処なんでしょう?
このままじゃホテルに帰れないですよ・・・。

フ、按ずるな。
そこら辺を走ってる愚民の車を停めて、送迎させりゃいー事じゃ。

送迎って・・・。
タクシーならともかく、そうそう簡単に停まってくれませんよー。

試しもしないで諦めるとは笑止なり。
こんな事もあろうかと、ちゃんと備えはあるわい。

え?

オーイ、停まれーい!
ホテルまで乗せてけやーい!

それ、本当に「私を助けて下さい」って意味なんですか?

うむ、事前に謎の中国人Mr.SAI氏に、いくつか言葉を教えてもらっておいたから、間違い無いわい!

訳:私は変態です。

漢語指導:謎の中国人Mr.SAI氏

オマケ

ターンテーブルを無駄に回しまくる大魔王。

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