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[2005.06.12]

フール・ド・フランス⑤
~魔界遺産/ノートルダム寺院~



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BGM:『The Song of Life』

<ロービジョン撮影>

(以下、寺尾聰っぽく)
パリの歴史は、セーヌ川の中州にあるシテ島にケルト系のパリシィ人が集落を築き住み着いた事に始まる。

そこから両岸に街は広まり、1世紀のガリア・ローマ時代には都市ルテチアが建設され、360年頃より、この地が「パリ」と呼ばれる様になった。

古代ケルトの神を祀ったこの聖地に建立されたのが、フランス・カトリックの総本山ノートルダム寺院(ノートルダム大聖堂とも)。
フランス国内では一般的に「ノートルダム・ド・パリ」と呼ばれている。

1991年に「パリのセーヌ河岸」として、ユネスコの世界遺産に登録された。

ノートルダムは「我らの貴婦人」を意味し、聖母マリアに捧げられたこの教会は、1163年にパリ司教モーリス・ド・シュリーによって着工され、200年後の1345年にようやく完成した、初期ゴシック建築の最高傑作と言われている。
こんなものが日本が鎌倉時代の頃に建てられたというのだから驚きだ。

正面には「聖母マリア」「最後の審判」「聖アンナ」の3つの入口があり、それぞれ施された装飾が非常に凝っている。

だが、フランス革命時には、聖堂入り口の上に立ち並ぶ旧訳聖書の諸王の像28体が、フランス歴代の王と間違われて破壊されるという被害を受けたりもした。

入口の前には、各国から訪れた観光客の行列がズラリ。

それでも比較的空いていたのか、10分程並んだだけで聖堂内部へ。
パリからの距離を示す場合、このノートルダム寺院が基点とされているらしく、 まさにパリの中心地にやってきたという訳だ。

ノートルダム寺院では、様々な国家的行事が行われている。
中でも、ジャンヌ・ダルクの裁判や、ナポレオンの戴冠式は歴史に残るものだ。

彫刻やステンドグラスにおいても、美術史上極めて重要な位置を占めている。

聖堂内の各壁面には、信徒や資産家からの寄付に応えて13~14世紀に作られた礼拝室が設けられ・・・

西・南・北の3面には直径10m以上もの壮麗なステンドグラスのバラ窓が見られる。

この荘厳な雰囲気に思わず合掌でナムー。

日曜の午前10時にはミサが行われる。
パイプオルガンと聖歌隊の荘厳な歌声が聞こえ、その合間に、祈りを捧げる声が聞こえて来る。

動画:ミサの様子
ご覧いただく為にはQuickTimeプラグインが必要となります。
インストールされていない方はこちらより入手してください。

集まった大勢の人々も、讃美歌を斉唱します。

寺院の正面向かって左側の北塔の、387段ある狭く急な階段を登ると、地上69mの展望台に出る。(※有料)

何処までも広がっている様な美しいパリの街を眺められる。

雨が降れば、北側に突き出た様々なガーゴイルの口から、まるでうがいをしているかの如く、水がはき出される。

屋根の上も、抜かり無く非常に凝った装飾がしてある。

寺院の正面向かって右側にある南塔には「エマニュエル」と呼ばれる13tもの大鐘があり、重要な行事の時に鳴らされる。
俗に言う「ノートルダムの鐘」だ。

映画『アメリ』では、主人公のアメリが6歳の時に、母親がノートルダム寺院に「弟が授かります様に」とお参りした後、自殺願望のカナダ人観光客が寺院の上から飛び降りて、その下敷きになって死んだ事になっているが、実際はきちんと網で囲ってあって飛び降りたり出来ない様になっている。(そりゃそうだ)

華の都パリ800年の歴史を見守ってきた勇壮なその姿は、今後も世界中の人々を魅了し続ける事だろう。

次回の「魔界遺産」は、モン・サン・ミッシェルをお送りします。

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オマケ

目の前で急にバスがバックして、駐車してた車にアタックかまして、リアガラス割ってた。
出てきたバスの運転手さん、慣れているのか、まったく動揺の様子を見せず。クールだぜい。

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