|
|
|
|
|
「妖怪は神の零落した姿である」という説(※1)の如く、時に信仰が失われた聖地は“魔界”と化し、陰と陽の表裏一体を体現する。
だが、信仰から既に様子が怪しい例が、兵庫県姫路市山中にある「石切八社主神社」だ。心霊スポットの廃神社として知られている。
※1:皆大好き、日本民俗学の始祖・柳田国男先生が提唱した有名な説。
後世の妖怪研究は長らくこの零落説に追随する状態だったが、
1980年代になると民俗学者・小松和彦氏が否定し、神や妖怪などの超自然的存在は元々併在した可能性を指摘している。
|
|
|
|
|
|
まるで何かを封印するかのように鎮座する、麓の小さな観音堂(※2)の背後に、廃神社の入口である鳥居が隠されている。
※2:石切八社主神社とは別の神社らしく、こちらが元々の土地神らしい。
|
|
|
|
|
|
2016年の訪問時は晩秋で、燃えるような赤い紅葉に目を引かれ、まるで廃神社の入口をごまかす為の陽動のようでもあった。
|
|
|
|
|
|
鳥居の右手にはかつて民家があったらしいが、訪問時は跡形も無く崩壊し、土台らしき部分が残されているのみだった。
|
|
|
|
|
|
竹林に囲まれた幽寂な石段を登っていくと・・・ |
|
|
|
|
|
だいぶ傷んではいるが、立派な造りの山門に辿り着く。
通常は寺院の入口である山門だが、神仏習合の名残がある神社でもたまに見かけられる。 |
|
|
|
|
|
ここは入口の上部に部屋を備えた櫓門構造。
風通しの良い状態ながら、小部屋のようになっていた。 |
|
|
|
|
|
山門の先は境内中央。 入口の割には意外と小ぢんまりとした崖下の土地だ。 |
|
|
|
|
|
山門の目の前には、板で扉を塞がれた拝殿(内部は空っぽ)が建っている。
|
|
|
|
|
|
周辺には大量の石仏や石燈籠が。
|
|
|
|
|
|
また、何故かカエルやタヌキの像が祀られた石祠が、拝殿を挟むように前後にあった。
|
|
|
|
|
|
その他、朽ちたお堂やなどがひっそりと並ぶ。
一般的な神社の様式と異なる事も手伝い、昼間でも薄気味悪い。
|
|
|
|
|
|
拝殿前に無造作に置かれた、「神習教禁麗祈祷教師出張所」なる銘板が示す通り、
ここは「神習教」という教派神道(※5)の施設らしい。
戦後間もない頃に大阪の実業家が私財で作ったと言われている。
※5:幕末~明治に興った神道系の新宗教教団の事。神習教は神道十三派の一つ。
1857年(安政4年)に美作国(現在の岡山県)出身の教祖・芳村正秉が立教した。
独立した宗教法人なので神社本庁には加盟していないが、今も本部である東京・世田谷区の「桜神宮」などが信仰を集めている。
|
|
|
|
|
|
真偽は不明だが、ここは“生きている人間”を御神体として祀っていたとされる。
あるいは実業家の祖霊だったり、子供を神として祀っていたという噂もあるようだ。
|
|
|
|
|
|
この噂を裏付けるように、拝殿の背後に伸びる山道をさらに進んでいくと・・・
|
|
|
|
|
|
斜面の所々に奇妙な石祠が点在し、意味深な存在感を漂わせている。
これだけの岩を積み上げるのは、さぞ苦労した事だろう。
|
|
|
|
|
|
また、人名の書かれた石柱や、何かが納められていそうな石塔も。
|
|
|
|
|
|
ようやく辿り着いた山頂付近も、まるで、磐境やストーンサークル的な古代遺跡の様相を呈している。
|
|
|
|
|
|
“生きる御神体”で思い浮かぶのが、神事としても知られる相撲の“横綱”である。
力士の最高位・大関から選ばれた者のみ、神の依り代の証として、
腰に注連縄の一種「横綱」を巻いた事が由来の言葉だからだ。
|
|
|
|
|
|
もっとも、この廃神社には既に注連縄は見当たらず、神域足りえない状態であった。
|
|
|
|
|
|
ともあれ、実業家が死ぬと放置され、山全体が謎に包まれたようだ。
そんな不気味な場所だが、山頂からの眺めはなかなか心洗われるものだった。
|
|
|
■関連記事
・観音聖地~不気味な観音像が佇む謎の廃宗教施設~
・あやしい珍寺探検隊~青木ヶ原樹海奥地に謎の宗教施設・乾徳道場は実在した!!
・パラダイス・ロスト
|