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[2021.09.23]

霊山寺
~謎のマネキンと石像が佇む四国霊場の古刹~



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徳島県鳴門市にある「霊山寺(りょうぜんじ)」(※1)は、弘法大師・空海ゆかりの寺々で構成される、四国八十八ヶ所霊場の第1番札所。

※1:正式名称は「竺和山一乗院霊山寺」。高野山真言宗の寺院で、本尊は釈迦如来。
奈良時代の天平年間(8世紀中頃)に、聖武天皇の勅願寺として行基によって開創された。
徳島では「一番さん」と呼ばれて親しまれているそうだ。


仏教用語で言う“発心”(※2)に当たり、多くの巡礼者達がここを出発点として、全長約1400kmの四国遍路へと旅立っていく(※3)。

※2:「発菩提心」の意味で、悟りを得ようとする心を起こす事。
つまりは「お遍路の旅に出よう」と思い立つ事を指す。
霊山寺の駐車場付近には鳥居風の「発心の門」があり、旅立つ巡礼者達のスタート地点のようになっている。

※3:必ずしも札所の順番通りに巡拝しなくても良いようだ。
香川県の第88番札所「大窪寺」から出発し、反時計回りで四国を巡礼する“逆打ち”もある。
なお、「四国お遍路を始めた最初の人」と言われる伝説の人物・衛門三郎は、 弘法大師を追って四国巡礼の旅に出たが、20周しても会えず、逆打ちの21回目でようやく会えたとされる。






伝承によると、弘仁6年(815年)に空海が修行した際、天竺(インド)の霊鷲山で釈迦が仏法を説く場に似ている事から、 天竺の霊山を大和国(日本)に移す意味で「竺和山・霊山寺」と名付けたという。
そして仏像を納め、四国霊場の開創を祈願したとされる(※4)。

※4:信仰の上では、空海が四国八十八ヶ所霊場を開き、札所の番号を定めたとされている。
だが、史実では後世の人々が定めたようで、霊場巡礼が盛んになった江戸時代の貞享4年(1687年)に、 大阪の僧・真念が出版した案内書『四国邊路道指南(しこくへんろみちしるべ)』が、札所の番号が記された現存する最古の書物となっている。
当時、大阪からは淡路島を経て四国へ渡った為、玄関口から近い鳴門の霊山寺が1番になったという。




そんな由緒正しい古刹だが、意外にも珍寺的な要素がある。




と言うのも、山門などの境内各所には、何故か“妙にスタイルが良いお遍路さん”が複数佇んでいるのだが、 色々あって一念発起した女性モデルと見せかけて、実はマネキンだったりするのだ。




言うまでもなく、マネキン人形は珍スポの重要ファクター。
畑の案山子からお化け屋敷の幽霊、博物館の展示資料など、様々な場面で活用されているフリー素材のようなものだ。
しかし、それが寺院にあるのは、割と珍しいパターンかと思われる。


四国遍路の出発点なので、売店で豊富に売られる巡礼用品の見本のつもりなのだろうか。
よく見ると、顔が少しひび割れしていて、闇堕ち感が漂っていたが。




住職の趣味なのか、本堂内には幼女タイプのマネキンまである。


また、 天井からは吊り灯篭が多数下がり、結構な映えスポットとなっている。




そして、境内中央の放生池の畔には、唐突に公園遊具風のパンダのオブジェがあり、リアル寄りの顔で意味不明な存在感を放つ。






さらに、裏の駐車場にも、前衛アートのような奇妙な石像が多数置かれ、早速の試練とばかりに巡礼者達を戸惑わせる。






一応は西遊記をモチーフとした彫像作品のようだが、パッと見は意味不明なモンスターパラダイスである。




煩悩の数(※7)と同じ88の霊場を全て巡り、悟りの境地で再度眺めた時、また何か別のありがたい景色として映るのかもしれない。

※7:人間の煩悩の数は、一般的に除夜の鐘と同じ108として知られている。
だが、それらに含まれる88の煩悩を、 真念は『四国邊路道指南』で「見惑八十八使」として紹介しており、四国霊場もこの説を採用している。


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