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[2021.08.15]

ドライブイン薩摩隼人
~英霊を偲ぶ戦史館と軍国酒場~



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戦時中、特攻隊員が零戦で多数飛び立った鹿児島県には、南九州市の知覧特攻平和会館の他にも、訪れるべき戦争資料施設がある。
そこは霧島市の海辺、錦江湾と桜島を望む国道沿いにポツンと建つ、「ドライブイン薩摩隼人」なる飲食店に併設されている。


長命ヘルシン酢醸造の近く、約800m離れた同じ国道10号線沿いに建っている。
カーブを曲がったところで突如その異様な建物が出現する為、通りすがりの運転手は前述の酢醸造と併せて、ここでも驚かされる訳だ。


店の外観はまるで廃墟のような雰囲気で、手書きの看板があちこちに掲示され、やたら情報量が多い異様な状態。


唐揚げなどのメインメニューの他、「サムライ日本」「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」(マッカーサー元帥の言葉)なども手書きされ、 右翼の街宣車っぽい感じや珍スポット臭を漂わせている。


ヒト気の無さに半ば諦めつつ呼び掛けると、幸いにも店の奥からオーナーの老人・横道貞美氏が現れ、敷地内を案内して頂けた。


桜島生まれの横道氏(訪問時87歳)は、少年時代に終戦を迎えた。
戦後はサラリーマンを経て複数の店を経営しつつ、 この霧島市隼人町の土地を買い、1970年代に出店ブームであったドライブインと自宅を建設。


現在は店の営業で稼ぐつもりは無いらしく、都会を離れてゆっくり過ごしながら、 自身の戦争体験を語ったり、英霊を供養する事を生き甲斐としている模様。




適当に木材を積み重ねたような奇妙な櫓門から入場し、店の裏の雑然とした坂道を上ると・・・


高台に「戦史館」の建物がある。


しばらく封印されていたのか、訪問時は入口付近にソファーなどの物が多数置かれ、わざわざ横道氏にどけて頂く事でようやく扉を開けられた。
お手間を取らせて恐縮だったが、思いのほかノリノリで案内して頂き、ありがたい限りであった。




内部に一歩足を踏み入れると、颯爽と佇む軍人マネキンに出迎えられ、さながら大日本帝国の領土と化している。


広々とした空間に、大量の戦争資料――日本兵の遺品や当時の写真、戦闘兵器の模型などが展示され、静かな迫力を放つ。






これらは全て、横道氏が半生をかけて蒐集したものだという。
復員兵や遺族に頼み込み、お礼と引き換えに譲り受けた品が多いようだ。




とりわけ、横道氏が自ら制作したという、軍艦が連なる錦江湾の巨大ジオラマの出来栄えは素晴らしい。


横道氏は長年、鹿児島市内の繁華街で「軍国酒場」(※1)を営み、軍服を着て食料を“配給”していた。
しかし、横道氏は別に国粋主義者や右翼でもなく、 借金を返す為にあくまでビジネスとして、創業当時、世間で流行り出していた軍国酒場の営業に乗り出したらしい。

※1:1963年に天文館の祇園会館ビルで創業し、客と軍歌を歌いながら54年間に渡り営業したが、建物の老朽化などの理由で2017年3月に閉店。


そしてある時、「霊に呼ばれて来た」と告げる復員兵の客が来店した事をきっかけに、横道氏は英霊を供養する為に戦争遺品を集めるように。






やがて店内でも飾りきれなくなり、後に戦史館を作る事になったという。
南方で多くの戦友が散った為、南の海が一望出来るこの土地を選んだそうだ。




一緒に建てたドライブインの2階は、近年閉店した軍国酒場が再現され、 天井から軍服が多数ぶら下がるディープな空間が広がる(※2)。

※2:「軍国亭」として2017年4月にリニューアルオープン。




たまに客が来ると、横道氏が昔話と共に歓迎するようだ。


2019年の訪問時も、コーヒーを御馳走してくださり、終始上機嫌の様子で取材に応じて頂いた。
平和の大切さについても沢山語って頂いたが、 「やりたい事は大体やった楽しい人生」という旨の言葉が特に印象的であった。


戦争世代の肉声を伺え、鎮魂の一杯が交わせる貴重な場所である。


【参考文献】
『ドライブイン探訪』/橋本倫史


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