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キラキラしたミュージアムが多い那須高原で、忘れてはならない暗黒時代の歴史を伝える施設が「那須戦争博物館」だ(※1)。
※1:現在は名称から那須が取れて「戦争博物館」に改められている。 |
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栃木県那須町の街道沿い、皇室の御用邸付近に建ち、“日本唯一”(※2)と称して、2万点以上もの戦争資料が展示されている。
※2:私設博物館を含めれば、戦争資料の展示施設自体は他にも国内各所にある。
たが、これ程の膨大な展示規模を誇り、通年誰でも入場可能な状態で、長年運営され続けている場所という意味では、唯一無二の存在と言っても過言ではない。 |
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日の丸や旭日旗だらけで、ナショナリズムが滲む外観に軽く怯みつつ入場すると、 |
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広い敷地内の屋外に、錆び付いた戦車や複葉機、ジープ、零戦の翼やエンジン、大砲、機械の一部などが、これ見よがしにゴロゴロ置かれ、
ちょっとした基地か整備工場のような雰囲気。 |
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そんな中で特に目立つのが、ポップな黄緑色の「90式改良戦車」。
見慣れぬフォルムと状態の良さに一瞬驚かされるが、実は映画の撮影用に作られたものらしく(※3)、
しれっと架空の展示まで紛れ込ますという、まさかの同館の奇襲作戦が発動しているのだ。
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二・二六事件を扱った映画『226』(1989年公開)に使用されたもので、昭和6年の満州事変によって製作された戦車という設定らしい。
側面には、ここでスチール撮影されたと思しきアイドルグループの看板が置かれ、妙にサブカル感が強い状態だった。
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順路の最初に当たる展示棟が「陸軍館」。
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軍服や銃、戦艦や戦闘機の模型、プロペラ、当時の生活用品など、日露戦争や太平洋戦争に関する資料が所狭しと並ぶ。
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ズラッと並ぶ軍人マネキンも印象的である。
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続いて隣接する「海軍館」。
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軍服や機材の他、大小多数の戦艦模型が並ぐ様子は圧巻。
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もう一つの見所が、元日本兵・横井庄一氏(※4)の住居セットだ。
終戦後も帰国出来ず、28年間グアム島のジャングルに潜伏していた彼の姿や、生活していた地下壕の様子が再現されている。
※4:「恥ずかしながら帰って参りました」や「よっこいしょういち」のフレーズでも知られる。 |
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これらは名誉館長・栗林白岳氏(※5)が、50年以上かけて蒐集したものだ。
※5:毎年8月15日には、軍服姿で靖国神社に参拝し、一部の界隈で注目を集めた。
自身も終戦を満州で義勇軍として迎えた後、シベリア抑留を経験したという過去を持つ。
2017年の訪問時は、入口付近でうたた寝される姿が印象的だったが、残念ながら2019年3月に91歳で逝去された。
その為、現在同館は法人団体による新体制で運営されている。 |
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日本には諸外国のような国立の戦争博物館が無かった為、自ら奮起して1983年に「戦史資料館」として開館させたという(※6)。
※6:栗林氏が軍隊時代に散華した仲間や、祖国を想う気持ちを忘れる事は出来ず、自宅2階に展示品200点程の小さな資料館を開設したのが、
現在の博物館のきっかけのようだ。
運営理念は、かつて祖国を守る為に戦った英霊達の名誉や感謝を忘れず、正しい歴史認識や戦争の悲惨さを後世に伝える事としている。 |
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離れには「特別攻撃隊記念館」、「日本歴史資料館」も。
少し怪しいながらも、愛国心が生んだ貴重な場所なのである。
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