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鎖を頼りにファイト一発、落ちれば多分命は無い険しい崖を登り切ると、朽ち果てた石塔が目印の洞窟に辿り着いた。
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石塔は2基あり、誰かの墓所のような印象だが、あながちそれも間違いではないのかもしれない。
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洞窟の内部には、戦慄の光景が広がっていた。
2基の小さな祠を取り囲むように、おびただしい数の獣の頭蓋骨がギッシリと積み重なっているのだ。
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まるで人知を越えた化物の巣のような、実に異様な雰囲気である。
大分県某所の山奥に隠されたこの骸骨洞窟は、“九州最恐のパワースポット”とも呼ばれる「白鹿権現(ししごんげん)」(※1)。
※1:“ハクシカ権現”も間違いでは無いようだが、地元では“シシ権現”と呼ばれているらしい。
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明治時代に麓に創建された熊野神社の奥の院に当たる。
神社自体も、未舗装の山道を何kmも進んだ先に鎮座している。
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参拝するには、山の麓を流れる川べりから鎖場を伝って・・・
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ほぼ垂直の岸壁を約40m登らなければならない。
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この気軽には行けないアクセス難易度の高さも、九州最恐と呼ばれる所以であろう。
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古来より山の神を祀る女人禁制の聖域であり、
猟師達が毎年狩りの季節に、豊猟祈願と動物供養の為、猪や鹿といった最初の獲物の骨を奉納する信仰が続いている。
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数はおよそ1万~2万個程だろうか。
よく見ると、頭蓋骨の中には奉納者の名前や年月日、地名が書かれているものがある。
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新しい日付も多く、日本各地の遠方より奉納に訪れる人がいるようであった。
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また、奥の方の骨は緑色にカビて、相当な歳月を経ている事が伺える。
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石塔の1基に「貞和4年(1348年)」と銘記された経筒がある為、
少なくとも鎌倉時代には、既に同地の信仰の存在が判明している。
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社伝によると、平安時代末期の久安2年(1146年)、ある猟師の兄弟が奇妙な光を放つこの洞窟に辿り着き、
“白鹿の姿に化身した神”(※2)のお告げを受け、後に祠を築いたのが起源だという。
※2:その姿はまるで、『もののけ姫』に登場するシシ神を彷彿とさせる。
この「しし」という言葉は、元々は食用の獣肉を指し、転じて「猪(いのしし)・鹿(かのしし)」という意味でも用いられる。つまりシシ神とは、獣の姿をした自然界そのものの象徴。 人間が獣を捕獲して糧とする事と同様に、開拓により切り開かれる山や森などの自然界もまた、人間に食い物にされる存在という事を表しているのだ。
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こうした呪術的にまで篤い祈りの形は、あまりに生々しく不気味ではあるが、それ以上に原始の信仰(※3)の神秘さを感じさせる。
実際、参詣を終えた途端に獲物が捕れる程、霊験あらたかだとか。
※3: 自然の力に畏怖し、神聖視して崇拝する原始的な宗教形態は、山岳信仰として狩猟民族を中心に発展した。
それが後に、日本で修験道や密教修行、 富士山信仰などを生み出した。 |
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怖い程の静寂の中、時折遠くで猟銃の発砲音が響き、思わず息を呑んだ。
古代の風習が現在進行形で、なおも受け継がれているのだ。
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