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[2023.04.24]

東京カテドラル聖マリア大聖堂
~都内で再現されたルルドの洞窟~



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1858年2月11日、南フランスのピレネー山麓にあるルルド村の洞窟にて、少女ベルナデッタの前に聖母マリアが降臨し、奇跡的な治癒力を持つ水が湧き出した。
オカルト界隈でもお馴染みの、所謂「ルルドの泉」である。
その後、バチカンが一連の現象を“奇跡”と認定すると、この小さな山村はカトリックの聖地と化し、 世界中から霊水を求める人々が押し寄せる事となった。


だが、わざわざ海を越えなくとも、各地のカトリック教会には、ルルドの洞窟を模した建築物があり、実は東京都内でも聖地を遥拝出来る。
その場所とは、文京区関口に建つ「カトリック関口教会」、通称「東京カテドラル聖マリア大聖堂」だ。


目白通りの正門より入場。
銀光する聖堂の外観は、まるでミュージアムやコンサートホールのようである。
20世紀を代表する建築家・丹下健三氏による設計だ。


同教会の聖堂は、戦災で長らく失われていたが、ドイツ・ケルン教区の多大な支援を受け、1964年の東京五輪直後に現代的な形で再建。
1967年には吉田茂元内閣総理大臣、2005年には丹下氏の葬儀が執り行われた他、1981年には、来日したローマ法王ヨハネ・パウロ2世も訪れている。


見る角度によって、まるで印象が異なる建築設計。
「岩場の水面に舞い降りた銀色の白鳥が羽を震わせているよう」とも称される、8面のそそり立つ優美なHPシェル構造だ。


実は上空から見ると、聖堂全体が十字架の形状になっている。
「灯台もと暗し」ならぬ「教会ごとクロス」である(?)。
正門から入って一度敷地の奥まで進み、転回する形で聖堂の入口に至る導線は、 神社の参道の造りが意識されたようだ。


2018年の訪問時(※1)は、 ちょうど桜が満開に咲いていた。
ちなみにキリスト教では、桜は“聖母マリアの聖木”とされており、 花は「処女の美しさ」、実(サクランボ)は「天国の果実」に例えられる。

※1:ルルドの奇跡から160周年であり、 奇しくもこの日は、聖母マリアが16回目に降臨し、「無原罪の御宿り」を自称した3月25日であった。


かように魅力的な聖堂だが、内部は撮影禁止だし、結婚式の準備もやっていたので、今回は外観のみでスルー。 目当てのルルドの洞窟がある駐車場の奥へ。


こちらが少女ベルナデッタの前に聖母マリア(無原罪の御宿り)が現れたとされる、ルルドの洞窟こと正式名「マッサビエールの洞窟」のレプリカ。
近年はカトリック信者のみならず、パワースポットとして注目されているようだ。


近づいてみると、 手前に柵があって中には入れないものの、岩肌や祭壇などがリアルに再現され、一瞬海外に来たかのような気分に。 コンクリ製とは思えないクオリティーだ。


オリジナルと全く同じ大きさらしいが、奥行きはあまりなく、洞窟というより窪みといった印象である。


こうしたルルドの洞窟(泉)の模型は、 1891年に当時のローマ法王レオ13世が、バチカンの宮殿内に造らせた事から、世界中で同様のものが量産されるようになった。


日本では1899年(明治32年)に、潜伏キリシタンの歴史を持つ長崎県五島列島のペルー神父が、 国内初のルルドの洞窟を井持浦教会に建造。
信者らが手で石を積み重ね、 本場ルルドから取り寄せた泉水と聖母像を使用した、本格的な信仰施設であった。
それを皮切りに、全国各地のカトリック教会で盛んに造られ始めたという。


ここの洞窟模型の設計者は、 チェコ人建築家のヤン・レツル。
明治末期から大正にかけて主に日本で活動し、原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)の設計を手掛けた人物である。
そう、平和祈願の象徴たる聖母と被爆地が、意外なところで繋がっていたのだ。


レツルが当時、関口教会の聖堂を改修した縁から、洞窟の設計も依頼されたとか。
その後、1911年(明治44年)5月、フランス人宣教師のアンリ・ドマンジェル神父によって建立された。
実物大ジオラマ的なテーマパーク感とは裏腹に、何気に築100年超の歴史ある建造物なのである。


洞窟の傍らにある印象的な像「受けとめるヨゼフ」。聖母マリアの夫である。
1999年に、彫刻家の関谷光生氏が設置した作品らしい。
そのきっかけは、関谷夫人が病床で「夫が教会の庭に聖人の像を立てる」という夢を見た事によるそうだ。


誰かが奉納したのだろうか、 木陰にもさり気なく小さな聖母像が。
潜伏キリシタン的な祀り方である。



近未来的ですらあるモダニズム建築と相対し、超自然的な歴史を伝える“東京のルルドの洞窟”―― 霊泉こそ湧いてないが、都会の隠れたオアシスのような、癒し系空間となっていた。


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