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超トンデモ通信Z
[2015年08月] 

世界の謎と不思議に挑戦するスーパーミステリーJKの風谷葵です。
ここでは、日々いろんな所からよせ集めたオカルトニュース&コラムなどを、私独自の素晴らしい見解を交えつつお送りしちゃいますよ。



[2015.08.23 16:30]

謎のベル型UFOが墜落したケックスバーグ事件と、ナチスの秘密兵器ディグロッケ



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【ケックスバーグ事件】

「ケックスバーグ事件」の墜落する物体のイメージ図▲
“ペンシルバニアのロズウェル事件”や“第二のロズウェル事件”とも呼ばれる。
ミシガン州のリチャード・シャンパイン氏が1965年12月9日16:43に撮影した未知の火の玉▲
「1965年の五大湖の火の玉」とも呼ばれ、その煙の道は20分に及び残り続けたという、

今年7月26日、アメリカのペンシルバニア州ウェストモーランド郡にあるケックスバーグという小さな町にて、 同地で起こったUFO墜落事件から50周年の節目を迎えた記念イベントが開催されたそうです。
このイベントでは、事件研究の第一人者であるスタン・ゴードンさんが中心となり、 当時地元に暮らしていた目撃証人とのディスカッションが行われたようです。
UFO墜落といえば、真っ先に1947年にニューメキシコ州のロズウェルで発生した騒動が思い浮かびますが、 それから18年後にも通称「ケックスバーグ事件」と呼ばれる同様の事件が起こっているそうなんですね。
1965年12月9日午後4時45分頃、夕方の空を光り輝く巨大な火球が横切るところを、 アメリカのオンタリオ州、ミシガン州、デトロイト州などの他、カナダに至るまでの広範囲に渡り、複数の地点で数千人に目撃がなされたそうです。
この謎の火球の影響と思われる報告も各地に寄せられているらしく、ミシガン州やオハイオ州では、溶融した熱い金属片の落下物があったり、草地の火災が引き起こされたり、ペンシルバニア州西部ではソニックブームが発生したそうです。
そしてこの火球は、方向を変えたり上昇したりしながら移動し、 最終的にペンシルバニア州ピッツバーグの南東64km程に位置する農村地帯の町ケックスバーグ近郊の森に墜落しました。
この時、振動を感じた近所の少年は、森の方から青い煙が昇るのを見て母親に伝え、彼女の通報により 地元のボランティア消防団も駆けつけて、現場の調査に乗り出し、 物体を目の当たりにしたそうです。

ケックスバーグの森の墜落現場のイメージ▲
火球が目撃されたコース▲

彼ら森に入った目撃者の証言によると、半分土の中に埋まった墜落物体は大きさが直径3m程のドングリ型、またはベル型とでも言うべき形状の金属の塊で、継ぎ目の無い表面は赤っぽい銅色をしていて、エジプトの象形文字のようなものが刻まれていたそうです。
また、彼らは現場に落ちていた部品なども一部回収したそうです。
騒ぎを聞きつけた野次馬も数百人規模で森の周辺に訪れたそうですが、 その後すぐ、1時間足らずでお約束通り軍が現場に大挙すると、民間人を締め出して周辺を封鎖し、 物体をオハイオ州のライトパターソン空軍基地に運び去ってしまったそうです。
これに関しては、フォルクスワーゲンくらいの大きさのベル型の物体を載せた軍用トラックが走り去るのが目撃されているそうです。
翌日になると、『ペンシルバニア・トリビューン・レビュー』紙のグリーンズバーグ全郡版の1面記事に、「ケックスバーグ近郊に未確認飛行物体が墜落。軍が周辺エリアを封鎖」という内容で事件の報道がなされたそうです。
しかしこれに対して軍は、当日深夜の森の捜索では何も見つからず、人々に目撃された火球は 「中規模の隕石か流星の落下による自然現象に過ぎない」と結論付けたそうなんです。
こうして、大半の住民は軍の公式発表を特に疑う事も無く、 事件は一応の終息を迎える事となったみたいです。

当時の事件報道(左上)と墜落物体の目撃スケッチ(右)▲
物体の表面には謎の記号のようなものがあった(左下)。
森の中で土に埋もれたベル型の墜落物体のイラスト▲

事件当時、視聴者からの連絡を受けて、グリーンズバーグ近郊の ローカルラジオ局WHJBの記者兼ニュースディレクターのジョン・マーフィーさんも現場に駆けつけ、 写真を撮影したり目撃者にインタビューを行ったそうですが、 フィルムは軍に全て没収されてしまったそうです。
それでも彼は以降数週間に渡って独自の調査を行い続け、『森の物体』と題した 事件のラジオドキュメンタリー番組の準備を進めていたところ、 ある時、政府関係者を名乗る2人の黒いスーツの男(MIB)が訪れてきたらしいです。
彼らはいくつかのオーディオテープなどの取材素材を没収していき、 どうやら番組内容から余計な部分を削除するよう要求してきたようなんです(マーフィーさん自身はこの出来事について誰にも詳細を語らなかったようですが)。
実際マーフィーさんの前妻ボニーさんによると、 後に放送された番組内容は、当初夫が書いていた内容とは大きく異なった検閲バージョンであったそうです。
番組放送後、落胆したマーフィーさんは事件の調査から完全に手を引き、1969年2月にカリフォルニアで休暇中、 正体不明の何者かが運転する車に轢き逃げにあい、殺されてしまったとの事です。
また、彼以外にも、物体を目撃した民間人のもとに軍関係者が訪れたという話もいくつかあるようです。
きっと余計な事を口外したら消すぞって事ですね。ひい、恐ろしい。

軍に回収されたベル型UFOのレプリカ▲
こんな感じで政府の情報操作の成果かは分かりませんが、 いつしか人々の記憶からも忘れ去られていったこの事件でしたが、 1990年に放送された『未解決の謎 ケックスバーグUFO』というテレビ番組で題材にされた事によって掘り起こされ、再び注目を集めるのです。
これがきっかけとなって、地元の住人から新たな2人の証人が出てきました。
1人はロックボーン空軍基地の将校で、彼は12月10日に、 防水布をかけられた円錐形の物体を積んだトラックの護衛を命じられ、目的地のライトパターソン空軍基地へ向かう途中、 近づき過ぎた者は誰でも発砲して良いと言われたそうです。
また、もう1人はある建築業者で、 事件2日後に、ライトパターソン空軍基地から2重に上薬を塗った特殊な耐火レンガ6500個の発注を受けたらしく、 レンガを倉庫に搬入した際に、白い放射線防護服を着た作業員が、高さ約3.6mのベル型の物体を検査しているところを目撃したと証言しているそうです。
レンガはこのベル型の物体を囲う為に使用されたみたいです。


ケックスバーグ事件に関するドキュメンタリー番組▲
1時間に渡り全編英語だが、事件の再現ドラマシーンだけでも当時の雰囲気を追体験出来る。
ケックスバーグの町に設置されているウンコ墜落物体を再現したオブジェ▲
元々は1990年のドキュメンタリー番組の為に作成されたものらしいが、 持って帰るのが大変という事で地元に寄贈されたものだという。

2003年になると、アメリカのSF番組専門のケーブルテレビ局Sci Fi Channel(サイ・ファイ・チャンネル)による現地調査が行われ、 木の年輪を調べたところ、UFO墜落地点とされる場所の周辺の木は1965年にダメージを受けていた事が判明したそうです。
ただし、これは雪による被害や、強風に晒された結果という事も考えられるようです。
さらに同年には、ジャーナリストでUFO研究者のレスリー・キーンさんが、 事件当時の夜にNASA(米航空宇宙局)の職員を数人現場で見たという目撃証言もある事から、 NASA局内に事件に関する記録資料が存在するかどうかの調査を求める訴訟を起こし、 2005年にも情報開示を急がせる督促の申し立てが行われたそうです。

旧ソ連の金星探査機コスモス96▲
NASAは当初、森で目撃された円錐形の物体は、 旧ソ連の金星探査機コスモス96が墜落したものと声明を出したそうです。
確かにこの日、同機はカナダ上空で大気圏に再突入した事が確認されているそうですが、 アメリカ空軍の観測による軌道に基くと、その時間は午前3時18分との事で、 午後4時47分頃のケックスバーグの目撃報告よりもだいぶ早いみたいなんですね(約13時間差)。
また、ロシア政府も当日の落下物がコスモス96である事を否定しているそうです。
しかし、NASAは2005年12月に訴訟を受けると、どういう訳かコスモス96から「ロシアの衛星」であったという風に主張を変更し、 事件関連の記録文書は1990年代に紛失したという発表を行っているそうです。
ケックススバーグ事件に関する公式記録は、空軍の「プロジェクト・ブルー・ブック」関連のファイルのものだけらしく、 その内容はペンシルバニアのオークデールレーダー基地から送信された招集命令により、 森に墜落した物体の調査に、3人編成のチームが派遣されたという事と、 様々な機関が物体に大きな興味を寄せていたものの、結果的には捜索で何も見つからなかったという事が記載されていたそうです。
2009年には、ヒストリーチャンネルも現地調査を行っているそうですが、 これと言って新たな発見は無かったようです。


【ナチスのベル型UFO】

幻のナチス製ベル型UFO「ディグロッケ(DIE GLOCKE)」のイメージ▲
「ザ・ベル(THE BELL)」とも呼ばれ、一説には時空間にも影響を及ぼすタイムマシンやフリーエネルギー的な装置であったとされる。
ディグロッケとケックスバーグの墜落物体の比較図▲
表面の謎の記号が刻まれている事からも察せられるように、機体の開発には秘密結社ブリル協会が関わっていたとも言われている。
未知のエネルギーであるブリル・パワーを崇拝するブリル協会は、ナチズムのルーツのひとつとされており、オカルトに傾倒していたナチスの高官達は、後にブリル・パワーを動力源とする空飛ぶ円盤の開発に着目する事となった。

ケックスバーグの森に墜落した物体の正体については、 隕石やスペースデブリ、旧ソ連の衛星以外にも、ナチス製のベル型UFOだったのではないかという驚くべき説があるそうなんです。
ナチス製UFOと言えば、ハウニブやブリルなど、今更改めて説明するのも面倒なくらいオカルト好きには有名な存在ですが(とは言え、これらについても別途まとめる予定です)、このベル型の機体のコードネームは「ディグロッケ(Die Glocke)」というものだそうです。
ドイツ語で釣鐘を意味するその名の通り、ベル型の見た目や大きさはケックスバーグの物体とも共通点も多く、 2008年に放送されたディスカバリーチャンネルの『ナチスのUFO開発計画』というドキュメンタリー番組でもその説が取り上げられています。
ディグロッケの存在は、 ポーランドのジャーナリスト、イゴール・ウィトコフスキーさんが2000年に出版した『ドイツ驚異の兵器についての真実』という本で紹介された事によって、世に知られるところとなったそうです。
ウィトコフスキーさんによると、元ナチスSS士官ヤコブ・シュプンベルグの尋問記録のコピーを見た事によって、 ディグロッケの存在を初めて知ったらしく、 これは1997年8月に、ポーランド政府の公文書にアクセス可能な匿名の人物から情報提供されたものだそうですが、 コピーは許可されなかった為、一部を書き写しただけのものと主張しているそうです。
これらの話の信憑性を保証する証拠は無いようですが、その後、イギリス人作家の ニック・クックさんがディグロッケに関する独自の考察を追加した上で著作を発表し、 英語圏にも幅広く伝わる事となったみたいです。

親衛隊大将 ハンス・カムラー▲
ディグロッケの開発は、 1944年に秘密兵器開発の最高責任者に任命された親衛隊大将ハンス・カムラーの指揮のもと、極秘に進められたそうです。
当時、連合軍によるドイツ本土への爆撃が日に日に激しさを増し、 空港の崩壊に伴い、滑走路を使わない画期的な新型航空機の開発がナチスの科学者達の急務となっていたそうです。
そこでカムラーはチェコスロバキアのピルゼンの地下壕に有識者を集め、 垂直離陸により飛行が可能な新兵器の設計を行ったそうです。
一説にその最終目的は、ディグロッケに核爆弾を搭載し、 敵の本拠地を爆撃する事であったとも考えられているようです。
しかし、敗戦が濃厚になった1945年4月、 連合軍の進撃に備え、たカムラーはハインリッヒ・ヒムラーから直々に、 ディグロッケなど兵器の痕跡を消し去るように命じられたそうです。
そして、カムラーによって地下秘密基地で働いていた開発計画の関係者64名は銃殺され、 地下壕の入口も破壊された事で、兵器開発に従事させられていた収容所の囚人達もろとも秘密兵器の存在は封じられたそうです。
ところがその後、カムラーは親衛隊本部への出頭命令に背き、 貴重な研究データを奪って、そのまま行方をくらませてしまったそうなんですね。
公式記録では1945年5月にカムラーは服毒自殺したとされており、 彼の遺体を見たという証言もあるそうですが、 その一方で、1981年にナチスの元軍需大臣アルベルト・シュペーアが「カムラーはアメリカへの情報提供を画策していた」と証言しているらしいんです。
つまり、ナチスの極秘技術を手土産に連合国側に亡命したんじゃないかという事らしいです。
もちろんこれは憶測に過ぎず、今となっては真相は闇の中みたいですけど、 カムラーが所有していたユンカースJu 390機が戦後も行方不明だったそうなんですね。

開発中のディグロッケのスケッチとされるもの▲
近くの生物に謎の放射線による影響を与えたという。
ディグロッケは直径約2.7m、高さ3.7~4.6mの陶器で覆われた金属製で、 大量の高圧電流を流す事で、強力な放射線が放ちながら、未知の効果を伴って1~2分の間、垂直に浮かぶ事が出きる反重力飛行装置だったそうです。
装置の内部の軸に取り付けられた2つのシリンダーの内部には、 「Xerum 525」という紫がかった水銀のような謎の高度放射性物質(ベリリウムやトリウムの化合物とされる)が満たされていて、 これを電流で逆回転させて渦を発生させる事で空気を取り込み、動作させていたそうです。
装置の最初の起動時には数名の科学者が死亡したり、 様々な種類の動植物を収めた状態のテストにおいては、全て黒いドロドロの物質に分解したそうです。
また、近くで放射線を浴びた関係者は、口に金属の味を感じたという報告をしているらしく、 実験終了後には、機体や周囲を飽和食塩水で洗い流す除染作業がなされていたとの事です。

ポーランド南部のリーゼ複合体にあるストーンヘンジのような建造物▲
そのまま「ヘンジ」の通称で呼ばれ、四方に鎖で繋がれたディグロッケの反重力実験が行われた場所と考えられている。
ただし、これはポーランドの原発に隣接する給水塔の土台と構造が極めて似ている事が指摘されている。
ディグロッケは、現在のポーランド南部、 チェコの国境に近いラウス鉱山の「デアリーゼ(Der Riese=巨人)」と呼ばれる地下施設で兵器が開発されていたそうです。
この施設は当時のドイツの最大の建設計画で「プロジェクト・リーゼ」と呼ばれ、それぞれ地下トンネルでネットワーク状に結ばれた 周囲7つの主要施設は、合わせて「リーゼ複合体(Riese Complex)」とも呼ばれています。
その明確な目的は明らかにされていませんが、ヒトラー総統本営の一部として機能するよう意図していたと言われているそうです。

フラットウッズ・モンスターのイメージ▲
2002年9月に開催された 「フラットウッズ・モンスター50周年記念フェスティバル」の際、 当時の目撃証言から改めて描かれた怪物の想像図は、ロボット兵器の様なものだった。

第二次世界大戦後、アメリカ軍は「ペーパークリップ作戦」と称して、 ドイツの優秀な科学者を多数本土に連行している為、ナチスの科学技術を没収したのではないかと考えられているようです。
実際、ナチスにその才能を見出され、歴史上初の大陸間弾道ミサイルであるV2ロケットを開発したヴェルナー・フォン・ブラウンなんかは、 ロケット技術開発の最初期に大きな影響を与えた人物で、後にNASAのマーシャル宇宙飛行センターの初代所長を務め、 人類が月面を踏む為のアポロ計画などにも貢献しているそうです。
その為、戦後アメリカでしばしば発生している奇妙な事件などは、ナチスの技術を手に入れた米軍の極秘実験の一環によるものという見方もあり、例えば1944年にアメリカのバージニアに現れた毒ガス怪人マッド・ガッサーや、その何処と無く似ている形状や共通点から、 1952年にウェストバージニアで目撃された3mの宇宙人フラットウッズ・モンスターとの関連性を指摘する説もあるようです。
まあ何でもすぐに軍や政府の陰謀論と結びつけるのはどうかと思いますけどね。
果たして、今から50年前にアメリカの小さな田舎町を騒がせた物体とは何だったのでしょうか?
ナチスの技術を引き継いだ実験兵器だったのか、それとも・・・!?



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