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埼玉県比企郡吉見町にある吉見百穴。
観光資源の乏しい埼玉県でかろうじて観光スポットとなっている同地のすぐ側には、
「岩窟ホテル」なるものが存在する。
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岩窟ホテル(吉見百穴周辺) |
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岩窟ホテルは正式名称「岩窟ホテル高壮館」と言うらしく、
高橋峰吉という地元の農夫が明治37年~大正14年の21年間かけて、
岩の内部に3階建ての邸宅をノミで掘ったという建築物である。
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名前の割りに宿泊施設として営業された過去は無く、建造時にノミ一丁で奮闘する高橋氏の姿を見た人々が「巌窟掘ってる」と言ったのがナマって、
「巌窟ホテル」と呼ぶようになったとか。
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今回我々探検隊が行く吉見町は熱病やマラリアが(ry
どうやらアレが目的地の岩窟ホテルの様だな・・・! 気を引き締めて行くぞ・・・!
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ここら辺は心霊スポットでもあるらしいぜ。 噂では穴から人が覗いてくるらしいぜ。 |
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実はここ、だいぶ前から気になっていた場所であった。 それこそ冗談抜きで10年位前から。
しかし、中途半端に近場であり、行こうと思えばいつでも行けるという思いから後回しにし続けていた事と、
正直ネット上の画像を見た限り、サイトで今更ネタにする程でもない気がしなくもなかった為、
どうにも腰を上げる気にもならず、ある意味ではタイの田舎の珍寺よりも遠い場所となってしまっていたのである。
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と言うのも、過去に2回の落盤事故があったという事で、
現在ホテル内はおろか敷地自体も危険の為、立ち入り禁止の状態なのだ。
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ご覧の通り、門は堅く閉ざされ、
周囲には有刺鉄線が付いたフェンスが設けられている。 わざわざ来ても外から眺めるしか成す術が無いという事も、これまで足が向かなかった主な要因である。
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やっぱ入れないやんけ!何この予想通りの残念な気持ちは!?
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ダメだ、貴重な文化財である岩窟ホテルにまで傷がつく恐れがある・・・!
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岩に掘られた数箇所の入口も鉄柵で頑丈に封鎖されているが、一方で2階のバルコニー部分はそのままな模様。
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ホテル正面の庭には錆び付いた遊具があり、
同地の廃墟化を印象付けるオブジェとなっている。 そもそも何故ここに、子供向けの遊具を設置したのだろうか?
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崩落事故の起こる前は観光地であったらしく、
目の前には「岩窟ホテル発掘の家」なる看板のかかった岩窟売店というお店が未だにあったりする。
どうやら現在土地を管理している高橋氏の親族が営んでいる店らしく、
しばらく前なら、こちらにお願いして運が良ければ、岩窟ホテルの内部に入れてもらえる事もあったらしいが、現在はマスコミ関係を含め、そうした申し出は全て断っているらしい。
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どうやら村長の住居みたいですね・・・。 内部に入れてもらえるよう、銃で交渉してみますか? |
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いや、それは危険だ・・・!
外部の人間が迂闊に現地人に接触して刺激すれば、何が起こるか分かったものじゃない・・・!
撤退も恥ずべき事ではない・・・!
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もはやオワコンの岩窟ホテルだけでは尺がもたないので、
すぐ隣の山の斜面にいきなりあった岩室観音堂なんぞを散策してお茶を濁したいと思います。
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このお堂は元々、
空海こと弘法大師が高さ一尺一寸(36.4㎝)の観音像を彫刻してこの岩窟に納めた場所であったが、
天正18年(1590年)に秀吉の関東出陣により武蔵国の松山城が落城したのに伴ない全焼し、
江戸時代の1670年頃になって再建されたものらしい。
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サムライ達が生き抜いた時代の、日本の伝統文化が感じられて素晴らしいじゃあないか・・・!
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さすが現代のサムライである隊長は言う事が違いますな。 |
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お堂内の岩室には88体の観音石仏が祭ってあり、日陰のひんやりとした空気と相まって、神聖な雰囲気が漂っている。
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この石仏は、四国八十八ヶ所の寺院の本尊を模したものらしく、なんとここに参拝するだけで、八十八カ所巡りと同じ功徳があるらしい。 |
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まさかなんとなく来て、悟りの境地レベルに達するとは思わなんだ・・・! |
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確かに、これはお遍路さんもビックリなチートですね・・・。 |
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急角度の階段を登って2階に登ると、松山城の落城時の全焼で唯一燃え残った観音様を祀った一画と、展望スペースの見晴台がある。
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天井を支える梁には、
記念の千社札が子供部屋のタンスみたいにベタベタ貼られていた。 こんな高い位置にどうやって貼ったんだろうか。
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2階からの眺めはこんな感じ。
ここからは、側の川原や吉見百穴の辺りまで見渡せる。
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なんとここには、くぐれば願いを叶えられる神龍もビックリな「胎内くぐり」なるパワースポットがあるらしい。 |
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なんだと・・・!?どんな願いもくぐっただけで叶うというのか・・・!? ギャルのパンティーも・・・!? |
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昔の修験者や信者達は、山岳の洞窟などを胎内として、肉体と魂を浄化し新たに生まれ変わる神聖な場として考えていたんだな。
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お堂の裏は殆ど手入れもされていない急斜面になっており、
かつて頂上にあった松山城跡の裏手に当たる。
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岩石や丸太が転がり落ちてくるかもしれん・・・!気をつけろ・・・!
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岩肌の高い位置の石仏の前には梯子がかけられていた。
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斜面の左手には、胎内くぐりへ至る小道がさり気なくある。
一応登りやすいように鎖が設置してあるが、運動不足気味な現代っ子にはいささかしんどいルートだ。 |
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気をつけろ!ここ滑りやすいぞ!ゆっくり、ゆっくりな!(ズルッ) うわあああッ!?
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こちらが噂の胎内くぐりの小穴。 大人が1人屈んでくぐるので精一杯の大きさだ。 |
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全裸の美人のお姉さんがある日空から降ってきますようにッ!! |
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斜面の上から見たお堂。
山門の如く、ちょうど両側の岩肌に挟まれるように建てられている。 |
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比企西国三十三所観音札所の第三札所となっている同地の信仰は、戦国時代から現代に至るまで受け継がれている様だ。 |
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岩室観音堂の横手には、何やら気になる洞窟が。
もしかしたら、岩窟ホテルの内部に繋がっているのかもしれない。
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村人との会話イベントでフラグを立てなきゃ進めないのかもな。 |
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戦時中に作られた防空壕の跡か何かでしょうかね・・・? |
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これは地底奥深くまで続いていそうだな・・・! 地底人クルピラがいるかもしれない・・・!
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当初は岩窟ホテルだけ生暖かい目で見て撤収するつもりだったが、こうなったらついでに吉見百穴にも入場します。
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ここの近くに関東唯一の混浴風呂にして
有名なハッテンバの温泉があるらしいぜ・・・! |
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しかし、“ひゃっけつ”なのか、“ひゃくあな”なのか正しいのはどっちなんだ・・・?
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パンフレットによると、
公式には“ひゃくあな”と読むみたいですが、“ひゃっけつ”でも間違いではないみたいですよ。 |
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吉見百穴は古墳時代後期(6世紀-7世紀頃)に造られた横穴古墳群である。
一般的な古墳が土を盛った小山の中に1つだけ玄室のある構造なのに対し、
凝灰岩の岩山の表面から数mの小穴を複数掘って造られた集合墳墓なのだ。
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う~む、トルコのカッパドキアを思い出す風景だなあ・・・。
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そうか?いつものダッサイタマって感じにしか見えぬがな。 |
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県民がイラッとくる毒を吐かんで下さいよ・・・。
しかし岩窟ホテルを造った高橋氏もこの吉見百穴の風景に触発されたのかもしれないですね。 |
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思いだすな・・・戦友の墓を掘っては埋め、掘っては埋めたあの懐かしき戦場の日々を・・・! |
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今から約120年前の
明治20年に行われた発掘調査の際には、先住民族コロボックル人(土蜘蛛人)の住居跡だとか、
松山城の兵器庫だったのではないかと考えられたそうだが、
大正末期には古墳時代の代表的な群衆墳墓であるという学説が確定したそうだ。
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ここの洞窟は第二次世界大戦の末期、
昭和20年初頭から8月にかけて、地下軍需工場用として掘られたものらしい。
高さ2.2m、幅4m、長さは左右約500~800mの規模を誇り、
内壁は殆ど素掘りのままとなっている。
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当時、日本各地の
軍事施設は米軍のB29爆撃機によって大きな存在を受けており、
この時期、日本最大と言われた中島飛行機株式会社の大宮工場(現在の富士重工)エンジン製造部門の全施設をこの地下に移転する事となった。
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暗いなあ、おい・・・!あまり大声を出すなよ・・・! 静かに・・・ゆっくり急げ・・・!なあ、おい・・・!
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掘削作業は全国から集められた
3000~3500人の朝鮮人労働者により、昼夜を通した突貫工事(ダイナマイトを用いた人海戦術)で進められ、
同年7月頃には完成した場所に工作機械が置かれ、
大宮工場の従業員や勤労動員された学徒によりエンジン部品の製造が開始されたものの、
本格的な生産活動に移る前に終戦となった。
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しかしこれだけの洞窟、人間の手によって掘っただなんて、
相当大変だったんだろうなあ。
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現在一般公開されているのは全体の10分の1以下でしかないらしく、トンネルの奥は危険な為、途中から鉄柵で塞がれている。
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ここまでも結構広く感じましたが、まだまだこの先があるとは・・・。 |
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チッ、入場料300円取ったくせにもったいぶりやがって・・・! |
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地下軍需工場の出口。
雰囲気がマッチするという事で、仮面ライダーのショッカーの秘密基地など、
特撮モノのロケ地として使われる事もしばしばあるらしい。
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外に出ちまったなァ・・・。 仕方ない、今夜はここでキャンプを張るか・・・。 |
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イエッサー。すぐにドン・キホーテでテント買ってきます。 |
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天然記念物のヒカリゴケが自生している穴もある。
関東平野でヒカリゴケが自生している場所は非常に貴重らしく、保護の為に穴の手前には鉄柵が設けてある。
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仕方なく柵越しに中を覗いてみたが、わずかにコケっぽいものが確認出来たものの、それよりもなんか蜘蛛の巣があったりしてばっちいという残念な印象だった。
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あの上の方にちょこっとあるやつじゃないですかね・・・。 |
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丘の上に続く階段があったので登ってみる事に。
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しかしこうして見ると、確かに古代の集合住宅の様にも思えてくるな。コロボックル・ヒルズとでも言うか。
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今日も大魔王様はdisりまくりすてぃーですね・・・。 |
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一部の墳墓は柵なども無く、そのまま中に入れるようになっている。
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内部は小さい入口の割には思ったよりも広く、
端の方に段差があって、遺体を安置するスペースっぽい感じが確認できた。
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階段を登っていくと、中腹辺りでこんなアナウンスがあった。
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ジャングルでは一瞬の油断が命取りだ・・・! 危機センサーを研ぎ澄まして行こう・・・!
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めんどくさいんで今回そーいうのいりませんよ・・・。 |
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頂上付近から臨む秩父方面の長閑な眺め。
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いやあ、空が青いなあ。
この青空の下、コーヒーで一杯やりたいねえ。
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ありがとう、ありがとう、おいしくなれ、おいしくなれ・・・! |
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うわ、なんか唱えながら1滴ずつ時間をかけてドリップしだしましたヨ!? |
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頂上には売店の廃墟の様な建物以外は、特にこれといったものは無かった。 行楽シーズン中だけオープンする店なのかもしれないが、
いずれにせよ、わざわざ疲れて斜面を登って、こんな辺鄙な場所まで訪れる客はあまりいないのだろう。
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しかし、よく辺りをよく見てみると、何者かがいた痕跡があった。
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まだ新しいなあ・・・さてはこれ、コロボックルが野営した跡じゃあないか・・・!?なあ、おい!?
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コーヒー片手に真顔で何言ってんだこのおっさんは・・・。 |
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~♪(やっぱコーヒー飲むと小便がよく出るな・・・) |
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麓に降りた頃には、ようやく我々以外の客の姿が見られるようになっていた。 団体ツアーなのか、バスで乗り付けてきたご老人達がゾロゾロと墓穴に入っていく様子は、不謹慎だが
綾小路きみまろなら上手い事ブラックジョークにしそうな光景であった。
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埼玉県中部に存在し、古代の名残を感じさせる穴だらけゾーン、吉見町(こんな紹介の仕方だと住民に怒られるかもしれないが)。
GWをついネットサーフィン三昧で過ごしてしまった
あなたも、気が向いたら訪れてみてはいかがだろうか。
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