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[2019.02.09]

芸術は呪術だ!太陽の塔の内部を見学してきた



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1970年の大阪万博で建てられた「太陽の塔」は、日本の20世紀や昭和時代の象徴的存在としてお馴染みだが、 万博閉幕後、その扉は固く閉ざされ、内部の様子は長らく謎に包まれていた。
しかし去る2018年3月、耐震補強などの大規模改修工事の完了に伴い再生を果たし、半世紀ぶりに塔内の一般公開が開始。
すると、すぐに数ヶ月先まで見学予約が埋まるなどして、大いに話題を集める事となった。
そして同年12月、それまで禁止だった塔内の撮影が一部解禁という朗報に奮い立ち、 今年の初めにようやく行って来ました。


かつてのEXPO'70の会場・万博記念公園(大阪府吹田市)のモノレール駅に降りると、すぐに高速道路の向こう側に太陽の塔が見えた。


森の中に屹立する高さ70mの巨神像。
その姿はまるで、特撮怪獣やボウリングのピンのようである。
「芸術は爆発だ!」の名言で知られる芸術家・岡本太郎が塔のプロデューサーを務め、 縄文時代の土偶に着想を得て制作したといわれている。


万博記念公園の入口。
今回予約出来たのが朝一の午前10時の見学回だった為、9時過ぎに着いた時はまだゲートが閉まっていた(開門は9時半)。


しばらく待って開門されると、 まずは太陽の塔を目前に望むサンプラザ(太陽の広場)にて撮影。
この辺は万博当時、太陽の塔を囲む大屋根に覆われたお祭り広場だった。


6421万人が集った1970年に思いを馳せながら、しばし周囲の景色を眺め、何気なく振り向いたところ・・・


ヴィレヴァンのポップアップストアがあったりして、 急に21世紀に引き戻された。


青空に映える面白い巨塔。
見れば見るほどよく分からない、レトロSF的・土着的・呪詛的デザインのコンクリ造形物だが、 圧倒的存在感の塊なのは確かである。


あまり洗顔してないせいか、ご尊顔は結構汚れている。


この塔はそもそも、大阪万博のテーマ「人類の進歩と調和」を表現するテーマ館(過去・現在・未来を地下・地上・空中の3層で展示)の一部として建てられたもので、観客が大屋根に移動する為の縦シャフトの役割を担っていた。


当時は塔の腕の内部にあったエスカレーターが、大屋根の空中テーマ館に繋がっていたという(開口部は現在塞がれている)。


塔の裏側に回る。
太陽の塔には3つの顔があり、正面の顔が現在を、頭頂部の黄金の顔が未来を、 そして背後の黒い顔が過去を表している。


スロープを下りて塔の入口へ。
既に10時のオープンを待つ見学客の列が出来ていた。


見上げると、そこは太陽の塔の腕の下だった。
脇フェチにはたまらない現地ならではのアングルだろう。


そんなこんなで定刻となり、いよいよ太陽の塔の内部=タワー・オブ・ザ・サン・ミュージアムへ。


見学は公式サイトでの完全予約制。
受付で予約を証明するQRコードを掲示し、入場料(大人700円、小中学生300円)を支払い、奥へ進む。


弧状の通路には、太陽の塔のラフスケッチが複数展示されており、構想が固まるまでの変遷を見る事が出来る。


岡本太郎曰く、“和でも洋でもないベラボーな祭りの神像”を、会場の中心にどっしりと聳え立たせたかったらしい。


窓の外を覗くと、塔の顔をちょうど真下から眺める事が出来た。


通路を抜けるとガラッと雰囲気が変わり、当サイト好みの“お化け屋敷臭が漂う”怪しい空間が広がっていた。
プロローグ「地底の太陽」ゾーンである。


ここは万博当時、「いのち」「ひと」「いのり」の3部屋からなる地下展示「過去:根源の世界」のうち、 特に神聖で重要だった「いのり」の空間を部分的に再現した場所で、世界の仮面や神像などの一部が並べられている。


部屋の中央には、「地底の太陽」が御神体のように安置されている。
太陽の塔における“第4の顔”とも呼ばれる存在だが、オリジナルは万博閉幕後に行方不明となっており、 これは当時の僅かな資料を基に再現されたレプリカである。


地底の太陽の顔は、プロジェクションマッピングで様々な表情に変化し、 割と禍々しい感じの演出で迫力があった。
48年も封印されていた、禁断の領域への潜入ムードが高まるというものだ。


地底の太陽は万博閉幕後、美術品として兵庫県の施設に無償譲渡された。
しかし、所在が判明しているのはそこまでで、やがて施設が取り壊されるどさくさの中で、 消失してしまったという。


ただ一説には、また別の場所に移された後、最終的には大阪湾の人工島“夢洲”の地底に埋め立てられたとか。
つまり、2025年の大阪万博の開催予定地で、“本当に地底の太陽になった”というのだ。
真相は定かではないが、なんとも宿命的で胸アツな話ではある。 


「クアトリケの神像」。
建築基準法の関係から、この先は一度に入れる人数が制限されており、 その場で何分か待機した後、いよいよ塔の深部へ。


扉の先に足を踏み入れると、あまりの異空間ぶりに身震いした。
これこそ、太陽の塔の中枢にして、躍動する生命のエネルギーを表現した「生命の樹」ゾーンである。


高さ41mの巨木のオブジェには、単細胞生物から恐竜、旧人類に至るまで、時代を超えた33種、183体(万博当時は292体)の生物がびっしりと張り付いている。
まるで、終末に備えた人類のタイムカプセルやノアの方舟のようでもある。


木の最下部はアメーバ状の単細胞生物で一杯。
撮影はこの1階のみ許可されており、係員の案内を受けながら、約5分間だけ自由に撮る事が出来る。


木は五大陸を表す5色に染まり、上に登る毎に原生類から哺乳類へと生物が進化していく。
当時の観客達は、この壮大な生命の物語を見ながら、 数基のエスカレーター(現在は螺旋状の階段通路)を乗り継いで、地上30mの大屋根に移動したという。


クリスマスツリーの飾りの如く、ピカピカ光っているのは太陽虫で、LEDによって色が変化するようになっている。
現代の最新技術も取り入れて、当時の空気感をよりダイナミックに演出したようだ。


内壁の赤いヒダは、音響効果を意識したものであると同時に、脳のヒダを再現したものらしい。
つまり、この生命の樹は太陽の塔の内臓であり、塔そのものが一つの生命体として構想されたものなのだという。


見た目の印象より塔内は広く、大体ビル6階分の空間となっている。
直接撮影は出来なかったが、塔の中層階以降の雰囲気が少し分かる写真のポストカードが売っていた。
原生類、三葉虫、魚類、両生類と来て、爬虫類の時代には恐竜などの大型オブジェも登場し、固定技術の高さも含めて感心させられた。
青い内壁は上層階の「太陽の空間」で、無限の天空が表現されているという。


出口付近にあるミュージアムショップ。
ここぞとばかりに様々な太陽の塔グッズが並んでおり、 前述のポストカードの他、ついついガイドブックやキーホルダーなどを衝動買いしてしまった。


太陽の塔は万博閉幕後、他のパビリオンと同様、憲法に則り半年以内に解体されるはずだった。
しかし、輝かしい夢の未来都市はあっさり壊せたのに、 この異様な像は何故か保留状態が維持され、やがて保存を望む声が高まり、1975年にとうとう永久保存が決定した。


もしかしたら、太古からの主のような神々しい風体もあり、 なんとなく「壊してはいけない」という、理屈ではない人々の思いが作用したのかもしれない。
ともあれ、おかげで後世の我々も、万博当時を追体験する事が出来る訳だ。


ところで、塔内順路の最後には、岡本太郎の「芸術は呪術である」という言葉が壁面に書かれていた。
そう、ここでは“爆発”ではなく“呪術”なのである。
これは、自分に“マジナイ”をかける事で生み出される、外界の理解を拒んだ究極段階の芸術の神秘性について述べたものらしい。


まさしく、現代に至るまで人々に「なんだこれは!」と思わせる得体の知れなさや、 アヴァンギャルドな芸術性と呪術的な空気感を併せ持つ、太陽の塔に相応しい表現だと思う(※上記2点の写真は、東京の岡本太郎記念館で後日撮影したもの)。


生命の樹のてっぺんには、人類の祖先であるクロマニョン人が陣取っているが、太陽の塔はあたかも、 彼らが描いた“ラスコーの洞窟壁画”の動物の絵を想起させる。
それは世界最古の芸術とされ、呪術的な儀式の為に描かれた、とも考えられているからである。


クロマニョン人の上に現代人のオブジェが無い事も示唆するとおり、 「人類の進歩と調和」というテーマを与えられた岡本太郎は、 むしろそれを真っ向から否定し、「人類は全然進歩なんかしていない」という風に考えたという。


かくして、“根源”にフォーカスが当てられ、 過去から未来に向かって吹き上げる「生命のエネルギー」を表現した、前代未聞の巨大インスタレーションが誕生したのである。


そんなこのベラボーな塔は、きっと平成の次の時代も、人類の理解を超越しつつ、孤高に聳え続けるのだろう。

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