福井県福井市つくも町にはですね、九十九橋っていう日本三大奇矯の1つがあるんですよ。
この橋は足羽川に架かっており、戦国時代の勇将であった柴田勝家が天正6年(1578年)3月に築造させたものでしてね、北半分は木材、南半分は石材で造られていたそうです。
で、この橋にはこんな伝説がありましてね、橋を造る際、勝家は、石工頭の勘助という男に、石材48本を切り出す様に命じ、もし期限までに納付しない場合は、死罪に処するってな事を申し渡したそうなんですよ。
ところがですね、勘助とその部下達は、47本までは切り出せたんですがね、残りの1本は寸法が少し短くて柱に適さなかったんですよ。
で、期限が迫り、新しく切り出す時間も無く、勘助はただ死を待つのみとなってしまった。
しかし、勘助の病気で床に伏せっていた母親が、息子の悩んでいるこの様子を見て、こう言ったそうなんだ。
「私の命は残り少ないから、用意した石棺の中に生きたまま私を入れて、その石棺を台にして柱を立てれば、寸法の不足を補う事が出来る」ってな感じで、自ら人柱になる事を望んだそうなんですよ、ええ。
他にどうしようもなかった勘助は、泣きながら母親の意に従ったそうです。
この人柱は、水際から西南2本目の柱だと言われています。
しかしですね、現在この橋は架け替えられ、いたって普通の橋に姿を変えています。
ですがね、柴田勝家が亡くなったとされる4月24日の深夜になるとね、柴田軍の首の無い武者の霊の行列が、この橋を渡るという噂が現在でもあるんですよ。
その行列を見た者は、1年以内に死ぬってな話ですよ、ええ。