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[2014.05.23]

人類恐竜共存説
~ダイノトピアは存在したか~



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信じられないかもしれないが、我々人類と遥か昔に絶滅したはずの恐竜が共存していたとする説がある。
まるで映画『ジュラシック・パーク』の様な話だが、実際にその証拠の可能性があるオーパーツが、世界各地でいくつも発見されているのだよ。


【アカンバロの恐竜土偶】

アメリカの作家ジェームス・ガーニーの絵本シリーズ『ダイノトピア 恐竜国漂流記』の表紙絵▲
ヴァルデマール・ユルスルート▲

1945年7月、メキシコ北部グワナファート州アカンバロ市郊外のブル・マウンテン(牡牛山)で、考古学マニアのドイツ人実業家ヴァルデマール・ユルスルートは謎の破片を発見した。
以降7年間、彼が使用人ティナヘロと付近の地中をくまなく掘り返した結果、約3万7000体にも及ぶ大量の恐竜土偶が発見されたのだ。
恐竜土偶とはその名のとおり、巨大爬虫類が象られた土偶の事で、そのモチーフはティラノサウルス、プレシオサウルス、ステゴサウルス、プテラノドン等の恐竜が多い。
他にも、翼竜や海竜、猿人などの絶滅哺乳類を彷彿とさせる造形のものがあり、 大半は様々な土質と色合いの粘土細工や焼き物だが、他に花崗岩、ヒスイ、黒曜石等の石彫りも混ざっていたそうだ。
大きさは、5cmくらいのものから、1m以上に及ぶものまであるそうだ。
そして、どの土偶も、いかなる古代文明の様式とは異質ではあるが、エジプト、シュメール、メソポタミアの様式を微妙に用いているのだ。
よくある普通の土偶ならば何ら不思議はない。
だが、この土偶は6500万年前に絶滅したとされる恐竜を象っており、 当然その時代に人類はまだ存在していないし、人類が化石の発見から恐竜の存在を知ったのは19世紀の事である。

発掘された恐竜土偶▲
約3万2000体の土偶は、地元の貴重な文化遺産として市役所の倉庫に大切に保管されていたが、 いつの間にか破損したり、不法に持ち出されて2万4000点まで減ってしまい、 残った土偶は現在、ヴァルデマール・ユルスルート博物館に収蔵されているという。

発見当初、ユルスルートは、著名な考古学者のチャールズ・ディペソに本格的な現地調査を依頼した。
しかし、ディペソは恐竜土偶をユルスルートによる捏造だと断定してしまったのだ。
彼は理由として、年代考証上、恐竜の土偶など有るはずがない事、また、発見者のユルスルートの使用人ティナヘロの最終学歴が小学校4年で、まともに教育を受けていないという事、さらに、未発掘と言われている場所が新しい土で覆われており、明らかに埋め戻した痕跡がある事を提示した。
しかし、その一方で後日、アメリカのニューハンプシャー州キーン州立大学のチャールズ・ハプグット教授が友人の小説家であり弁護士でもあるE・S・ガードナーの助けを借りて、徹底的に現場検証を行った。
その結果、ユルスルートが土偶を売ったりして金を儲ける様な人柄ではない事、土偶製作に必要な釜戸も燃料も存在しなかった事、地元の警察署長の築造20年を越える自宅の床下を掘ったところ、同種の土偶が43点も発掘された事から、この土偶がユルスルートによるイカサマではない事が立証されたという。

様々な形状の恐竜土偶▲
土偶の中には、直立したT・レックスなど、現在は間違いとされる恐竜観に基づいたものや、 半人半獣の象人間やワニ人間など、空想の産物と思しきものも多数存在しているという。

さらに1968年、アメリカの年代測定専門会社アイソトープ社が、3つの土偶を炭素法により測定した結果、紀元前1460年、紀元前4530年、紀元前1110年に焼成された事が判明したのである。
1969年と1972年には、ペンシルバニア大学の研究所が別の土偶を炭素法より制度が高い、熱ミネッセンス法で検査したのだ。
するとその結果は、紀元前2500年(誤差プラスマイナス250年)で、今から約4500年前に作られた事がほぼ確実になったのだよ。
さらに、土偶と一緒に装飾品祭礼用の道具等、古代人の生活用品も発掘された為、古代アカンバロ・インディアンによって製作されたと推定されたのである。
とは言え、現在、発掘現場であるアカンバロ郊外は、国家事業のダム建設によって水の底に沈んでしまっており、 その真偽を裏付ける証拠を確認する事は出来ない。
一説にはダム工事を阻止する為にでっちあげられた遺物であるとも考えられているそうだが、果たして・・・。

アンコールワットにあるステゴサウルスの様な生物が刻まれたレリーフ▲
古代人が恐竜の存在を知っていたという可能性も考えられる。
仮説としては、古代人が恐竜の化石を偶然発掘し、それを見て創造で作ったとする化石想像説があげられている。
1924年に、アメリカ、アリゾナ州ハバスパイ渓谷の数千年前川面だった岸壁で、ティラノサウルスらしき恐竜の壁画と、恐竜の化石が多数発見されている。
また、ネイティブアメリカンのズーニー族には、「石になった怪物」という、まるで恐竜の化石を連想させる神話の伝説があるのだ。
しかし近年の研究で、この土偶は化石を見ただけでは決して作れないものであることが分かっている。
もう1つの仮説は、人間が恐竜の姿を直接見て作ったとする人類恐竜共存説だ。
これはとんでもない説だと思われるかもしれないが、 アリゾナ州のハバスパイ渓谷やインドのデカン高原の岩山にある古代の岩絵には、 恐竜らしき生物の姿が描かれているし、カンボジアの世界遺産で有名なアンコールワットのレリーフにも、 恐竜と思しき姿を象った彫刻がなされているのだ。
1990年にはモンタナ州立大学の調査団が、完全に化石化していないティラノサウルスの足の骨を発見し、その化石の中から血液の成分であるヘモグロビンを検出したそうなのだよ。
つまり、これらは恐竜がごく最近まで生きていた可能性を示唆しているのだ。
つまり、6500万年前に絶滅したとされる恐竜が、人類誕生後の時代まで生き残っていた事を示し、土偶が作られた4500年前に恐竜が生きていて、古代人と共存していたという可能性も、完全に否定は出来ない。

【人類の足跡化石】

三葉虫(白枠)を踏んだとされる足跡の化石▲

1968年6月、アメリカのユタ州アンテローブ・スプリングという場所で、化石を探していたアマチュア化石収集家ウィリアム・マイスターが、実に奇妙な化石を発見した。
それはなんと、3匹の三葉虫を踏み潰したサンダル靴の足跡の化石だったのである。
三葉虫は、カニやエビに近い海生の節足類で、5億年前に栄え、2億8000万年前に絶滅したとされる生物で、海沿いに生息していたと考えられている。
サンダル靴の跡は、長さ約26cm、幅はつま先部分が約8cmで、かかと部分は約7.5cm、厚さは1cm程と、現代の平均的な成人男性の靴のサイズと一致する。
だが、現代科学の定説では、数億年前の地球上には人間はおろか、足跡を残す事が出来る脊椎動物でさえ存在しない事になって いるのだ。
この足跡が人類のものであったとすれば、定説の150万年前どころか、数億年前に人類は地球上に登場していた事になる。
定説を根底から覆すこの化石は、考古学界を騒がせる大事件となり、多くの学者達が調査に乗り出した。
ユタ大学地球科学博物館の研究員ジェームズ・マドセンは、「自然のプロセスで、偶然足跡の様に見える形になっただけだ」という否定的な立場をとり、また、同大学の人類学者ジェシー・ジェニングス博士も「1匹の大きな三葉虫が小さな3匹の三葉虫の上に覆い被さった跡である」という否定的な説を発表した。


パラクシー川の白亜紀の石灰岩層で見つかった恐竜と人の足跡の化石▲
発見者であるアルヴィス・デルク・トラックの名前をとって、デルク・トラックともいう。
しかし、奇妙な足跡の化石の発見はそれだけには止まらなかった。
1969年7月20日には、アリゾナ州のツーソンから調査に来た地質学者のクリフォード・L・バーディックが、踏み潰された三葉虫の化石の発見地点付近の泥板岩層から、2個の足跡の化石を発見している。
その化石には、子供のと思われる5本の足の指が開き気味に踏みつけられていたそうだ。
さらに翌年8月には、ソルトレークシティの教師ディーン・ピッターが、やはりアンテローブ・スプリングで、サンダル靴の足跡と思われる化石を発見している。
これら足跡の化石を調べたユタ大学の金属学者メルヴィン・クック教授は、同じ岩層上のすぐ傍に小さい三葉虫の化石があり、足跡と同時代の物と報告している。
また、1908年には、アメリカのテキサス州グレンローズを流れるパラクシー川の河床で、恐竜の足跡の化石と同じ地層から、約53cmにも及ぶ人間の足跡の様な化石が発見されている。
そして、足跡のあった粘土層に含まれた木片や木の枝による年代測定を行った結果、足跡は約5万1000年~3万5000年前のものである事が判明したのである。

さらに、1983年の春には、アフガニスタン北部にあるトルクメン共和国山岳地帯で、地質学研究所の調査隊員達は、1億5000万年前の地層の恐竜の足跡の化石と並んで、人間そっくりの足跡群の化石を発見している。
他にも、世界各地でこれらの様な足跡の化石が多数発見されている。
アメリカ、ウエストバージニア州のパーカースバーグ近郊では、長さ約36cmの完全な足跡の化石が、ネバダ州のオパール鉱山ではオパール原石の中にあった長さ3.8cmという小さな足跡の化石が、イギリスのウィンダーミア湖の近くでは、約5億年前の地層から足跡の化石がそれぞれ発見されているのである。
なお、アメリカのカンザス州バクスター・スプリングスの砂岩から出た化石の靴跡は、 かかとの部分のギザギザ模様まではっきり分かる様な代物であった為、中国と旧ソビエトの学者達は宇宙服の靴の様だと指摘した。
しかしこの足跡は、遥か昔の地球上に地球外知的生命体、あるいは未来人のタイムトラベラーなのではないか?といった説もあげられたが、 後にこれらの足跡化石のいくつかは、発掘の最中に小型恐竜の足跡を人間の足跡に見えるように細工した捏造である事が判明している。

【カブレラ・ストーン】

恐竜の姿が描かれたカブレラ・ストーン▲
ICA(イカ)の石とも呼ばれる。

1961年、南米ペルーにあるイカという町は数十年ぶりの大豪雨に見舞われ、辺り一帯が水浸しになり、付近のオクカヘ砂漠南部のマックス・トゥーレの丘で、大量に押し流された土砂の中から、奇妙な線刻画が描かれた石が、地元のインディオ農民によって、散らばった状態で大量に発見された。
当初は地元の農民に見向きもされなかったが、イカ市労働者病院の外科医ハヴィエル・カブレラ・ゲルケア博士が、無料で治療した患者の1人から、大きさ20cm程の安山岩で出来たこの石を診察代の替わに渡され、 しばらくの間、カブレラ博士の机上で患者の処方箋を止める置き石として使われていそうだ。
そしてある日、石に刻まれた鳥らしき姿が神話に出てくる動物に似ている事に気づき、興味を持った博士が調べてみた結果、その姿は、まぎれもなく1億4000万年から8000万年前に棲息していた、翼竜だったのだ。

ハヴィエル・カブレラ・ゲルケア博士▲
その後、すっかりこの石に魅了されたカブレラ博士は、診療室を私設博物館に改造し、同様の石を1万1000個程も収集した。
それらの石には、人間を含むあらゆる動物や機械の様な物が描かれており、さらに、恐竜が人間を咥えた場面、人間が恐竜に跨った場面、人間と恐竜が戦う場面、恐竜を餌付けする場面等の、恐竜と人間が共存している絵が大量に描かれていたのである。
また、恐竜の絵の他にも、カブレラ・ストーンには望遠鏡の様な物を覗いている人間の姿が描かれ、その上の方には彗星や宇宙が描かれていたり、現在とは異なった、移動する前の大陸の世界地図を描いたものが発見されているのだ。
これは、3000年前に描かれたとされる最古の地図、バビロニアの世界地図よりも9000年も前に描かれた事になる。
また、全長1m以上ある巨石には、心臓を摘出している場面や頭部を手術する様子の絵が驚く程正確に描写されており、人類が1万年以上も前に、高度な外科手術を行っていた可能性を示していたのだ。
現にペルーで発見された頭蓋骨には、手術をしたかの様な穴が開いたもの(頭蓋穿孔、トレパネーションとも)が多く存在するし、また、世界各地で様々なオーパーツが発見されている事から、1万年以上前に既に人類は高度な技術を持ち、超古代文明を築き、さらに恐竜と共存までしていたという可能性が考えられるのだ。

大量のカブレラ・ストーン▲
現在、カブレラ・ストーンはイカの町で、2001年に亡くなったカブレラ博士の息子エウヘニア・カブレラ氏が館長のカブレラ博物館に、約5000個展示されている。
1966年に、ペルー工科大学の考古学者フェルナンド・ラス・カサス博士が、石に刻まれた絵の溝を分析した結果、なんとその溝が1万2000年以上前に掘られたものだという事が判明したのだよ。
これらの石はカブレラ・ストーン、またはICAの石と呼ばれる様になり、考古学界に大きな波紋を投げかけた。
考古学の常識では、恐竜と人間が共存していた時代は存在せず、恐竜が生存していた年代は、2億3000万年前から6500万年前で、人類の祖先である猿人が地球上に現れたのがおよそ500万年前と言われ、両者には6000万年の隔たりがある。
また、仮に人類が恐竜の存在を知ったとされる19世紀より遥か以前に、実は恐竜の存在が知られていたのだとしても、 化石からその姿を復元するのには相当高い技術が必要であるはずだ。
にもかかわらず、1万2000年以上前に掘られたというカブレラ・ストーンには、恐竜の姿が緻密に描かれていたのだ。

さて、以上がカブレラ・ストーンのあらましであるが、残念ながら、このオーパーツに関する論争には既に終止符が打たれており、 考古学的に全く認められていない。
当初この石は、これまでの考古学の常識が根底から覆す大発見の可能性があるとして、一部メディアの注目を集めたものの、 実は1977年に、イギリスBBCの『古代の宇宙人飛行士の実情』(The Case of the Ancient Astronauts)という番組で、バジリオ・ウチュヤという地元の農民が、カブレラ・ストーンは金儲けの為に自分と妻のイルマが約1万5000個を偽造し、カブレラ博士に売ったと告白しているのだ。
ウチュヤは自宅近くの山で拾ってきた石に歯科用のドリルで彫刻を施し、 靴墨を塗って火であぶって古めかしい感じに仕上げ、このカブレラ・ストーンをこしらえたのだという。
年代測定の結果が1万2000年以上前のものと判定された事についても、 火であぶられた事により、石の表面の酸化が影響を及ぼしたに過ぎないという。

大洪水伝説の代名詞であるノアの方舟のイメージ▲
人類と恐竜が共存する、ダイノトピアとでも言うべき理想郷―。
当然、現代の人間からすれば、荒唐無稽の絵空事にしか聞こえないだろう。
だが、我々が暮らす現在の世界が始まる前に、旧世界の文明が存在し、 何らかの原因によりある時突然、あらゆる証拠を道連れに、滅び去ってしまったという可能性は考えられる。
世界各地にはノアの箱舟を始めとした大洪水の伝説が語り継がれており、現にその痕跡と思われるものも発見されている。
また、最近の研究で、現在の地層は大洪水により一挙に堆積した可能性が判明している。
そもそも化石が存在するという事が、突然の堆積の証拠と言え、化石になるには一挙に積み重なった地層の中に、動植物が素早く埋まり、安定した高圧力下に置かれる事が必要だ。
川の氾濫による堆積で化石が出来る事もあるが、海洋生物の化石等ではその説明がつかず、世界中の多くの化石が安定した水平層に発見されている事から、世界中の地層が一挙に堆積したと考える事が出来、そうなるには、大洪水が起こったと考えるのがもっとも説明がつくのである。
近い将来、それらの全貌が解明されれば、従来の学説が大きく覆るかもしれない。


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