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[2014.04.12]

失われたナチスの秘宝
~ヒトラーが隠した莫大な富をめぐる謎~



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第二次世界大戦中、独裁者アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツは、各地で略奪の限りを尽くし、 莫大な量の黄金や宝石、美術品などの財宝を隠し持っていたと言われています。
現代のトレジャーハンターをも魅了し、 未だに深い謎に包まれているナチスの財宝には、大きく分けて次の3つがあるんですよ。


【血塗られたヒトラーの資産】

究極のジャイアニズムを遂行したナチス・ドイツの皆さん▲
ナチスの金塊、通称「ナチ・ゴールド」の行方は?▲

まず、1つ目のSSことナチス親衛隊がユダヤ人から没収した資産についてなんですがね、当時SSはヨーロッパ各地から刈り集めたユダヤ人を収容所に送り込み、ガス室で殺す前に風呂に入れると偽って、衣類を脱がせて持ち物を全て没収したんですね。
しかも、死体からは金歯やプラチナを抜き取るってな徹底ぶりだったそうなんだ。
アウシュヴィッツ収容所所長ルドルフ・ヘスによると、ユダヤ人から奪った貨幣や宝石は、貨物自動車でいったんベルリンの経済管理本部に送られてから、さらに中央銀行に運ばれたそうでしてね、そこにはユダヤ人から奪った資金を専門に扱う部門があったそうなんですね。
そのうち、宝石や通貨はスイスで売りさばかれ、スイス中の宝石市場が一時はその取引で沸きかえったそうです。
時計類はザクセンハウゼンの時計工場に送られ、加工しなおされて市販され、入れ歯の金はSS病院で延べ棒にされ、親衛隊衛生局に送られたという。
ナチスの犠牲になったユダヤ人は約1000万人とも言われ、それだけの人々から奪い取ったものは大変な金額に登った事でしょうがね、ドイツ降伏時にまだ相当な資金が残っていたはずなんですが、それらは行方不明のままなんですねえ。

お宝に興味津々のアドルフ・ヒトラー▲
もともと画家志望で芸術にも造詣が深かった彼が見ているのは、ナポレオンの彫刻やティアラ。
1945年、南ドイツのチューリンゲンにあるメルカース岩塩鉱山で発見されたナチスの財宝を押収する連合軍▲
同じく岩塩坑に袋に入れられて格納されたドイツ帝国銀行の財宝であるナチ・ゴールド▲
見つかった金の延べ棒や金貨は、現在の貨幣価値にして50億ドル近くであったという。
岩塩坑からは大量の芸術絵画も発見された▲
なお全くの余談だが、ナチに略奪された美術品を救出する連合軍側の特殊チーム、 モニュメンツ・メンの実話に基いた活躍を描く映画『ミケランジェロ・プロジェクト』が2014年秋公開予定との事。

一説によると、SS資金の一部は降伏直前に南米に送られ、戦後にナチスの戦争犯罪人を匿い、国外逃亡などを助ける事を目的として結成された秘密組織「オデッサ」とナチ残党組織の資金になったとか言われているみたいなんですよ。
オデッサ=ODESSA(Organisation for ex-SS Members)は、元ナチス親衛隊隊員(SS)の為の組織という意味の名前でして、 ドイツの元ナチス党員の犯罪を追求するジーモン・ヴィーゼンタールによれば、 この組織はベルリン陥落後の1946年に結成されたみたいなんですね。
しかしその一方で、オデッサは単一の組織としては存在せずに、元SS隊員などのナチ残党の国外逃亡を支援する複数の組織 (バチカンを始めとするカトリック教会や、アメリカのCIAなどの秘密組織が含まれていたとされる)をひとまとめで言い表す呼び名であるとする説も考えられているみたいです。

廃坑に隠されていた財宝の一部(金の指輪)▲
しかし、南米に送れなかった他の資金は、ヨーロッパ各地に分散して隠されたらしいんですね。
それらの一部は戦後になってから発見されてたりするんですよ。
例えば1952年7月、西ドイツのルールー鉱山の廃坑にて、遊んでいた少年が偶然にも金塊50トンを発見したそうでしてね、西ドイツ独立時に連合軍はその金塊を返還したそうですが、この時何故かイスラエルが所有権を主張してもめにもめたそうです。


【オーストリアに眠る財宝、暗躍する秘密組織オデッサ】

エルンスト・カルテンブルナー▲

また、 オーストリアのザルツブルク地方を最後の根城に決めていたナチスは、資金や財宝をその山中に運び込み、要人達も個人的な財産を次々に運び込んだそうなんですね。
ゲシュタポのボスであったエルンスト・カルテンブルナーがアルトアウスゼーの町の近くに隠させたという財宝の詳細は、金塊50kg、金貨と金製品50箱、USドルが200万ドル、スイスフランが200万フラン、ダイヤ・貴金属5箱、切手が時価500万マルクってなもんだっそうなんですがね、カルテンブルナーが処刑されてしまったんで隠し場所を知る者はいなくなり、現在まで発見されていないそうです。
戦後、アルトアウスゼー付近では、金貨や貴金属が入った箱がいくつも発見されたそうでしてね、1947年2月、ある農民がゴミの山から2個の鉄製の箱を見つけ、中には1万167枚の金貨が入っていたそうなんですよ。
さらに翌年8月には、テープリッツ湖で釣りをしていた男達が重い木箱を釣り上げたところ、中にはドル札がいっぱい詰まっていたそうです。
1950年6月には、怪しげな若者の一団がアルトアウセルゼー湖畔に車で乗りつけ、大掛かりな捜索を行って、12個の鉄製の箱を引き上げていったという。
アメリカ軍の調査では、その一団はドイツ人だったそうなんですがね、消息は不明だそうです。
1964年9月には、かつてゲシュタポ幹部が接収していた農家の一軒で、トタン屋根の下から薄く延ばした金の板が発見されているんですよ。

1959年、テープリッツ湖でダイバーによって謎のケースが発見された時の様子▲
しかしこの時はお宝は出なかった模様。

ザルツブルクにある湖ではしばしば財宝にまつわる事件が起こっており、1967年8月には、テープリッツ湖で2人のCIA調査員が死体で発見される事件が発生し、「オデッサ」に殺害されたのだという噂が流れた。
でもってのこ事件が報道されると、テープリッツ湖は一躍財宝探しの者達がどっと押し寄せ、金貨や宝石が入ったトランク等が10数個発見されたそうです。
この周辺の森や湖には、まだ隠された財宝が眠っていると言われているそうなんですがね、財宝探しに訪れた人々は、その多くが殺されたり行方不明になっているそうなんですね。

ユンカースJu-87急降下爆撃機▲

ドイツが降伏する1ヶ月前の1945年4月、ベルリンからザルツブルクに向けて飛び発ったドイツ軍のユンカース機が、アルプス北でアメリカの戦闘機に銃撃され、オーストリア領のアッター湖に落下していった。
当時、湖北岸のシェフリングという町にドイツ兵が駐留していたそうでしてね、その1人であったヘルムント・ハルトが、飛行機の墜落する音を聞いて駆けつけてきた。
しかし、重傷を負って湖上に浮いている1人の兵士を助けたものの、彼はそのまま息を引き取ってしまったという。
ところが、彼は死に際に、ハルトにこんな事を言い残したそうなんですよ。
「湖に沈んだユンカース機は、ヒトラー総統の命令で、約800万ドルの金とプラチナの塊をベルリンからザルツブルクまで運んでいく途中だった」ってなね。
その後ドイツは降伏する事になったんですがね、ハルトはそれから10年もの間、その事を誰にも話さず、財宝を引き上げるチャンスを待っていたそうなんですよ。
そして1955年、ようやく彼はほとぼりが冷めた頃だってな事で、ロンドン・タイムズに財宝探しの仲間を募る求人広告を出したんですね。
すると、それに戦時中はイギリス海軍の潜水兵だったパット・ノーランという男が応じてきたそうでしてね、ハルトは彼と面接し、800万ドルの財宝を引き上げたら、その3割を与えるという条件で契約は成立したそうです。

オーストリアのアッター湖▲
南北に約20km、東西4km、南北に細長く広がる湖だ。
財宝伝説が残るオーストリアの湖は、現在もトレジャーハンターを集めている▲

で、1955年4月13日、2人はアッター湖畔のシェフリングを訪れた。
ひとまずホテルに落ち着いた彼らは翌日、ボートに潜水用具等を積んで、アッター湖に出発したそうでしてね、ユンカース機が墜落した思われる地点でボートを止め、パットは潜水具を身に着け、命綱を握って深さ約60mの湖底に潜っていった。
彼が降りた所は岩棚だったそうですが、周りには厚い泥の層が広がっていたそうで、これをかきまわしちゃうとたちまち視界がきかなくなってしまうんで、パットは泥に足をつけない様に注意しながら慎重に進んでいった。
するとまもなく、飛行機の残骸らしい金属の物体がうっすら見えてきたそうでしてね、ナチスの鉤十字のマークも確認できたそうです。
しかし、深度的に潜っていられるのはせいぜい15~20分位だったので、一旦パットはボートに戻り、報告を受けたハルトは興奮してもう一度潜る様に命じたそうなんですね。
でも、60mもの深さを潜った後には24時間の休養を必要とした為、その日は仕方なく調査を終了したそうです。
で、翌日、パットがホテルの部屋で目を覚ますと、枕元にいつの間にか1枚の紙が置かれていたそうでしてね、「アッター湖に沈むユンカース機は、祖国ナチス・ドイツのものだ。これ以上湖底の調査を行うなら、死を覚悟しろ」ってな事が書かれていたそうなんですよ。
ビビったパットはハルトにそれを見せたそうですが、ハルトはどうせネオ・ナチの嫌がらせだろうと考え、大して気にしなかったそうで、結局その日もパットは湖底に潜り、調査を行う事になったそうなんですよ。
で、パットは昨日見つけたユンカース機の泥をかきだして調べてみたところ、内部に木箱が30個程あったそうでしてね、彼はそのうち2個を網カゴに入れて、ボートまで引き上げた。
そして、木箱を開けると、なんとプラチナの延べ棒がが入っていたそうなんですよ。
ところが、彼らが歓喜の叫びをあげた瞬間、突如として銃声が響き、ハルトが呻きながらボートの中に倒れたそうなんですね。
何者かに胸を撃たれたハルトはほぼ即死だったそうで、喜びから一転して恐怖に陥ったパットは慌ててボートを岸まで漕ぎ着けたそうなんですがね、その時、そこには何故か警察が待ち受けていたらしく、彼はすぐに逮捕されてしまったそうなんですよ。
それも、ハルト殺害容疑でね。
パットは必死で無実を訴えたそうなんですがね、警察は目撃者がいるってな事を主張し、耳を貸さなかったそうです。
しかし、3日目になって、急に警察はパットに謝罪し、ハルトが殺されたのはハンターの過失による銃の発砲の所為であったってな事を告げ、彼は釈放されたらしいんですよ。
一説によればこの時、警察署長の方も、パットの枕元にあったのと同様の「政府に報告したり、調査をすれば、ハルト同様、お前の命も無い」ってな警告を受け取っていたらしく、怖くなった署長が事件をもみ消したってな訳なんですね。
パットはその後イギリスに帰国したそうですが、湖から引き上げられたっていうプラチナの延べ棒がどうなったのかは不明のままだそうです。


【海外に極秘移送された巨額資金】

戦後もナチスは第3帝国の復活を目論んでいた▲

さて、2つ目の財宝は、ドイツ降伏直前に、ナチスが国内に隠したり、海外に移した巨額の資金なんですがね、1944年8月、シュトラスブルクのメイソン・ルージュというホテルに、ナチス党の総統代理であるボルマンが、ドイツの大企業の幹部達を極秘に招集したそうなんだ。
その際ボルマンは、もしもの時の為に第3帝国の復活に備えて資金を海外に避難させておく事を呼びかけたそうで、早速ドイツの大企業は資産を海外に投資したり、銀行に送金したそうなんですね。
この時動かされた資産の金額は、あまりに巨額であり、巧妙に偽装された為、正確に把握する事は難しいそうです。
ボルマン自身も大掛かりな輸送部隊を組んで、ナチスの党資金を海外に避難させ、金銀や宝石は厳重に梱包され、陸路で南スペインに送られ、カディスから潜水艦で例のナチス逃亡先とされていた南米アルゼンチンに運ばれて、4つの銀行に分散して預けられたそうです。
しかし、これらの資産のうち、財界の海外へ移されたものは大半が西ドイツ独立後に返還され、経済復興に役立てられたそうです。
が、ボルマンの党財産の方は、ボルマンが死亡した為、フォン・ロイテというアルゼンチンでの彼の代理人が、独裁者ペロン将軍の政治資金に流用してしまったそうでしてね、その僅かな残りがオデッサ等の逃亡したナチ残党の資金源になったそうなんですねえ。

晩年のエーリッヒ・コッホ▲
ところで、1944年にナチス戦犯として逮捕され、ポーランドの刑務所に収容されたエーリッヒ・コッホは、1959年に7万2000人以上のポーランド人殺害に関与し、数百万のポーランド人、ユダヤ人、ソ連人を強制収容所に送り込んだ罪で死刑を宣告されたそうなんですがね、しかし結局死刑は執行されず、彼は1986年にワルシャワ北の小村にあるバルチェボ刑務所の一室で、静かに息を引き取ったそうなんですよ。
死刑にならなかったのは、公式には健康上の理由とされたそうなんですがね、実はコッホがナチスが隠匿した財宝の在り処を知っていた為だってな噂があるんですよ。
実際、コッホ自身も「聞けば全欧州が揺り動く程の秘密を知っているが、それは誰にも話さずこのまま墓場に持っていく」って話した事があるそうなんですよ。


【アイヒマン&ロンメルの財宝】

アドルフ・アイヒマン▲

3つ目の財宝といえば、ナチス要人の個人財産でしてね、まず「アイヒマンの財宝」についてなんですが、南米に逃亡して後にイスラエルで処刑されるアドルフ・アイヒマンは、ドイツ降伏の直後にポーランドのテレージェンシュタットにあるユダヤ人収容所を訪れ、ユダヤ人から没収した貴金属や金塊を運び出させたそうなんですね。
で、その数日後に、オーストリアのアルトアウセル湖に数人の親衛隊員と共にトラックでブラ・アルム山の方に向かうアイヒマンの姿が目撃されているそうでしてね、彼は財宝をブラ・アルム山に隠したと思われるんですがね、どうやらその辺りは「死の山脈」だなんて呼ばれる人跡未踏の森が広がっているそうで、発見する事は極めて難しい様です。
1965年9月に、アイヒマンを捕らえたイスラエルの情報機関モサドは、登山隊に変装させた一隊をブラ・アルム山に派遣し、財宝を捜索させたそうなんですがね、この時はオーストリア政府に妨害されて中止に追い込まれたそうです。
どうやらモサドはアイヒマンの告白から財宝の在り処をつかんでいた様なんですねえ。

エルヴィン・ロンメル▲
さて、もう1つのは「ロンメルの財宝」ってなもんなんですがね、戦後まもなく、エルヴィン・ロンメル将軍の財宝が地中海のコルシカ島近くに沈んでいるってな噂が立ったそうなんだ。
ロンメル将軍はアフリカ戦線でドイツ軍を指揮し、「砂漠の狐」なんて呼ばれて連合国軍と戦った勇猛な軍人であった半面、アフリカ各地で黄金、宝石、美術品などを次々に奪っていたらしいんですね。
で、1942年、戦況はドイツに不利になっていた為、ロンメル将軍は自分の財宝を隠す事を決意し、部下に命令して、大きな6個の鉄箱に入れられて軍艦に乗せられ、厳重な警備でコルシカ島に運ばれたそうなんだ。
ところがね、いざ着いてみると、コルシカ島にも戦火は迫っていて、財宝を隠すには安全な場所では無い事が分かり、結局6個の鉄箱は北イタリアを通過してドイツ本国に移送される事になったそうなんですよ。
この作戦を発案した親衛隊長官ハインリヒ・ヒムラーの片腕であるシュミットが指揮官に任じられ、彼らは危険を避ける為、あえてわざわざ嵐の夜を選んで出港した。

コルシカ島の地図と推定される沈没地点▲
ところが、コルシカ島を離れて間もなく、連合国軍の飛行機に見つかり爆撃され、あっけなく財宝を積んだ軍艦は沈没してしまったそうなんですよ。
しかし、乗組員の中でどういう訳かシュミットだけは生き残り、一時は連合国軍に捕らえられたんですがね、その後解放されて姿をくらませたそうです。
実はこの時、どうやらシュミットは連合国軍と取引し、財宝の沈んだ位置を示す地図を渡す代わりに、自分を釈放してチェコ国籍のパスポートをくれる様に要求したそうなんですね。
が、これを承知した連合国側がシュミット釈放後に彼に貰った地図を頼りに海底を捜索してみたところ、引き上げられたのは古ぼけた陶磁器の欠片だったそうで、連合国側はたいそう悔しがったみたいですよ。

ロンメルの財宝に関する専門書の表紙▲
かなりマイナーな話だが、2007年にはイギリスの研究家が財宝の眠る沈没地点を発見したとして海外メディアでも取り上げられている。

ところで、この話には後日談がありましてね、1950年代のある日、地中海のスペイン領イビサ島に滞在していたベーカーという船長のもとに、こんな手紙が届いたそうなんですよ。
潜水作業について、依頼したい事あり。12月20日、マジョルカ島パルマのクラブ・ナウチコへお出でを請う。尚、旅費として10ポンドの小切手を同封す。ガンサー
ベーカーにはガンサーという名の知り合いはおらず、怪訝に思いつつも退屈していた事もあり、面白半分で行ってみる事にしたそうなんですよ。
彼がヨットでマジョルカ島に出かけ、指定されたクラブ・ナウチコに行くと、既にガンサーなる背の低いガッチリした体格の中年男が待っていたらしく、挨拶もそこそこに、ロンメルの財宝の話を切り出されたそうなんだ。
ベーカーも秘宝の事は知ってたそうなんですがね、ただの噂くらいにしか思ってなかったそうなんですよ。
しかし、ガンサーは財宝は存在し、それを引き上げる為に是非ともベーカーの力を借りたいと頼んできたそうなんですよ。
あまりに荒唐無稽な話に、ベーカーは一旦断ったそうなんですが、ガンサーはあくまで食い下がり、ある大きな秘密を打ち明けたそうなんだ。
それはですね、実はコルシカから財宝を移送する時、指揮官シュミットは軍艦には乗っておらず、生き残りの将兵から沈没地点を聞いて、それを連合国軍との取引に使っただけだったってなもんだったんですよ。
しかもですね、今回の宝探しのボスは、なんとその当のシュミットだったそうなんだ。
それを聞いたベーカーは驚いたそうですが、まだ半信半疑な様子であった為、ガンサーは信じてもらえないならば直接シュミットに会わすと言い、日時と場所を約束したそうなんですよ。
で、ベーカーが約束の日時、ガンサーの指定した東ベルリンのライプチヒ交差点で待っていると、漆黒の車が近づいてきて、60歳代くらいの男が顔を出したそうなんですがね、彼はその顔を見て仰天した。
確かに新聞で何度も顔を見た事のあるシュミットその人だったんですね。
シュミットは彼に手招きして、「9月7日、サルディーニア島のアルゲロに来てください」と小声で言い残して、車は走り去っていった。
しばらく呆然としていたベーカーだったが、これで俄然この計画に乗り気になった。
ところがですね、その後の8月末、彼が飲料水を補給する為、ヨットをコルシカ島のアジャクシオ港につけ、酒場でグラスをかたむけていた時、1人の小柄な中年男が近づいてきてこう呟いたそうなんですよ。
「ベーカーさん、命が惜しかったら、このままスペインに帰った方が身の為ですよ」ってね。
この事で恐怖に陥ったベーカーは、一刻も早くここを逃げ出したいという思いにかられ、急いで出港したそうなんですがね、海に出てみると、突然エンジンが故障してしまったそうなんですよ。
調べてみると、どうやら誰かがエンジンを細工した跡があったそうでしてね、なんとかその場はしのいだものの、今度は暗礁に乗り上げてしまった。
灯台の明かりを頼りに進んでいたのに、どうも誰かがあらかじめ灯台の明かりの方向を変えていた様でしてね、何とかベーカーは必死に岸に泳ぎ着き、港湾事務所に講義したものの、誰もそんな事をした覚えは無いってな事だったんですよ。
しかも、ガンサーもそれっきりいくら電話しても通じなくなってしまったそうなんだ。
もしかしたら何者かによって命を狙われたのかもしれないと思ったベーカーは、心底ゾッとしたそうです。
実はロンメルの財宝をめぐって、いくつもの失踪や殺人事件が起きているそうでしてね、例えば1950年には、フランス人のカンセリエールという弁護士が、「ロンメルの財宝が沈んでいる地点が判明した」と公言しただけで、数日後には死体で発見されていたりするんですね。
こんな感じなおかげで、ロンメルの財宝は未だに海底深くで眠っているって話ですよ、ええ。

参考:
『世界史・呪われた秘宝ミステリー』/桐生操


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