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[2006.01.01]

暗号を解く為の用語集



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当コンテンツにおける私の解説及び考察は、諸君等の様な一般人には少々ついて来れないハイグレードかつマニアックな内容であろう。
いや、別に恥ずべき事ではない。仕方の無い事だ。
そこで、聡明かつベリー・ジェントルなこの私が、知っておくと内容が理解し易くなるナイスな関連用語をわざわざピックアップしてしんぜよう。
せいぜい襟元を正して見てくれたまえ。


アーサー王伝説

アーサー王と円卓の騎士▲

5~6世紀頃のイングランドのウェールズの武将で、後のブリタニア王アーサーと12人の円卓の騎士達の活躍を描いた物語を総称したもので、中世ヨーロッパ最大の伝説。
古くは9世紀初めの文献に登場し、1136年頃にウェールズ人のジョフリー・オブ・モンマスが書いた『ブリテン列王伝』でまとまった形となり、12世紀以降、フランス、イギリス、ドイツの3ヶ国を中心にヨーロッパ全土に伝播し、後世によって様々な異本が作られ、エピソードが付加されて発展して、聖杯伝説とも結びつけられた。
アーサー王は伝説の王で、実在したとも言われているが真偽は不明であり、一般的に知られてるであろう言い伝えによれば、岩に突き刺さった聖剣(俗に言う「エクスカリバー」とは別物との説が有力)を抜いて王となり、円卓の騎士たちとともにブリテンを統一したと言われている。
ちなみに、紀元800年頃の、ウェールズの修道士ネンニウスの著した『ブリトン人の歴史』には、紀元500年頃のベイドン・ヒルの戦いについての記述に、戦いの指揮をとった人物がアーサー(アルトゥール)という名であったと記されている。

アナグラム

語句の文字をいくつか入れ替える事によって、全く別の意味にさせる言葉遊び。暗号解読に用いる技法の、基本中の基本と言えるだろう。
『ダ・ヴィンチ・コード』では、「O Draconian Devil!(おお、ドラゴンのごとき悪魔め!)」という語句を「Leonardo da vinci(レオナルド・ダ・ヴィンチ)」、「Oh, Lame saint!(おお、役に立たぬ聖人め!)」を「The monalisa(モナリザ)」と並び替えている。

ウィトルウィウス的人体図

ウィトルウィウス的人体図▲

レオナルド・ダ・ヴィンチによる大の字になった男性の全裸像素描。
円と正方形に内接する人体の持つ均整のとれた美しさを表現している。
ウィトルウィウスとは、ローマ時代の建築家の名前であり、彼は紀元前1世紀頃に将軍カエサルに仕え、『建築論』という10巻の書物を残している人物だ。
ダ・ヴィンチは当時発見されたこの書物に刺激を受けたそうで、そもそもこの図は、1490年頃にダ・ヴィンチが書いた、プロポーションの法則に関する手稿の挿絵であったという。
現在、この図はダ・ヴィンチの書いた中でも最もよく引用されるものの1つになっており、イタリアの1ユーロ硬貨にも用いられている。
『ダ・ヴィンチ・コード』では、ルーヴル美術館館長のジャック・ソニエールが、死の間際に暗号のメッセージを託す為、自身の体を使って等身大の複製を表している。

ウェストミンスター寺院

イギリス・ロンドンのウェストミンスター区にある、7世紀頃の古い教会の跡に、1065年にエドワード懺悔王が建てたベネディクト会の僧院。
中世の大規模なゴシック建築であり、1066年以降、英国王の戴冠式が行なわれ、殆どの歴代国王と偉人の墓がある。
1245年に、ヘンリー3世が再建を決め、フランスの建築家を招き、現在の寺院を建て始め、17世紀までの長期間にわたって建設された。
1987年には、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。

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黄金比

フィボナッチ数列で導き出される値。1対1.618であり、ギリシャ語「φ」で示される。
この宇宙で最も美しいとされる比であり、自然界でも多く見られ、オウムガイの隔壁の間も、黄金比になっている。
芸術においても極めて重要な比率であり、「モナ・リザ」の顔部分も黄金比が取り入れられている。
また、「ウィトルウィウス的人体図」の題名のもとになった古代ローマの著名な建築家マルクス・ウィトルウィウスも、著書『建築論』の中で神聖比率を賛美しており、現にギリシャのパルテノン神殿、エジプトのピラミッド、果てはニューヨークの国連ビルに至るまで、建築寸法に黄金比が使われているのである。

オプス・デイ

ラテン語で「神の御業」の意を表すスペインのカトリック系宗教団体。
正式名称は「属人区聖十字架とオプス・デイ」で、現在属している信者数は世界80ヶ国以上に約8万4000人。
1928年に、マドリードでホセマリア・エクスリバー・デ・バラゲル司祭によって創設され、各自の生活条件の中で主の徳を体現していく事を提唱し、伝統重視、原理主義的な側面を持ち、表立った活動はせず、背後から政治を操る風体の為、秘密結社の一種だとも捉えられている。
1939年には、バラゲル司祭はカミーノという小冊子を著し、政治家等の社会的地位の高い人々を対象に、組織拡張の為の布教活動を行った。
近年は、先の法王ヨハネ・パウロ2世の支持を受けて発展し、現在80ヶ国以上に10万人以上の信徒がいるという。
『ダ・ヴィンチ・コード』においては、何となく悪の秘密結社的な扱いをされており、同小説に対し、オプス・デイは自身のウェブサイトで反論を述べている。

グノーシス主義

1世紀に生まれ、カトリック教会からは異端とされた2~3世紀の神秘主義。
「グノーシス」とは知識を意味するギリシア語であり、ナグ・ハマディ写本によって解明が進んでいるが、主として、宇宙や人間の創造物語の神話を扱っており、本来はキリスト教とは独立した思想であったが、キリスト教徒の中にも影響を受けるグループがあり、創生当初のキリスト教のカトリック教会からは、最も危険な異端の考えと目されていた。

シオン修道会

秘密文書(ドシエ・スクレ)▲

1099年に設立されたヨーロッパの秘密結社。
この名が初めて登場したのは、マイケル・ベイジェント、リチャード・リー、ヘンリー・リンカーンが著した『レンヌ・ル・シャトーの謎 イエスの血脈と聖杯伝説』(1982年)であり、1975年に、パリのフランス国立図書館で「秘密文書(ドシエ・スクレ)」として知られる史料が発見され、その存在と会員多数の名が明らかになった事が根拠となっている。
その文書によると、シオン修道会は、マグダラのマリアの墓と、その血縁に連なる者(子孫)を守る為に作られたもので、更に、フランス王位への復位が目的であったとされ、創設者ゴドブロワ・ド・ブイヨンは、第1回十字軍の指揮をとり、テンプル騎士団にソロモン神殿の廃墟から秘密文書を発掘する様に命じ、また、フランク王国を建国したメロヴィング朝の末裔である人物とされている。
『ダ・ヴィンチ・コード』では、ジャック・ソニエールが総長を務め、冒頭の事実と称したページに、「シオン修道会は1909年に設立された実在の秘密結社で、その会員には、サー・アイザック・ニュートン、ボッティチェルリ、ヴィクトル・ユゴー、そしてレオナルド・ダ・ヴィンチらも含まれている」とされている。
ピエール・プランタール▲
だが、実際には、シオン修道会が実際に存在した形跡は無く、根拠とされたアンリ・ロビノーなる人物によってまとめられた秘密文書も、ピエール・プランタールという人物が、偽名を使って捏造したものである事が幾つかの証拠で明らかになり、会員とされた著名人らが残した文献もくまなく調査されたが、シオン修道会とかかわりがあったという事実は全く見つからなかったのだ。
ピエール・プランタールは、自分がフランス王家の血を引く者だという主張を行う為に、それを支持する様な証拠を作り、レンヌ・ル・シャトーの聖杯伝説を利用したのである。
1993年に、改訂版シオン修道会総長一覧に名前があったロジェ・パトリス・ぺラという人物のインサイダー取引事件に絡んで、ピエール・プランタールは家宅捜査を受け、取調べをされた際に、彼はシオン修道会に関する話は全てでっちあげであったという証言を行ったという。
彼はその後、警察から厳重注意を受けて放免され、各地に転々と移り住んだ末、2000年2月3日に亡くなった。

死海文書

死海文書▲

1947年から1956年にかけて、数回にわたってイスラエルの死海北西岸の岩山にあるクムラン洞窟群を中心として発見された、羊皮・パピルスに書かれた約850巻の写本文書の総称。
紀元前125~後68年の、イザヤ書などの旧約聖書やエッセネ派に関する文書の断片を含み、大半がヘブライ語・アラム語で書かれたユダヤ教文書である。
死海文書の殆どはエルサレムのイスラエル博物館内の聖典殿に保管されている。
これらの文書を書いて所有していたのは、一般的には当時クムランに住んでいた、ユダヤ教の修道院的性格を持ったエッセネ派の共同体だとされている。
なお、ヴァチカンがキリスト教に関するいくつかの主要な文書を意図的に隠しているという疑惑を抱く研究者も存在し、『ダ・ヴィンチ・コード』でも、死海文書の一部に、暴露されると、2000年に渡って世界を支配してきたカトリック教会の教義の根幹が崩壊するという、キリスト教の淵源にある秘密が記述されていると推察している。

聖骸布

トリノの聖骸布▲

聖遺物の1つで、キリストが磔にされて死んだ後、その遺体を包んだとされる布。
イタリア・トリノの聖ヨハネ大聖堂に保管されている為、「トリノの聖骸布」とも呼ばれている。
縦4.36m、横1.1mの杉綾織の亜麻布で、痩せた男性の全身像がネガ状に転写されている。
発見以来、長い間キリストの遺体を包んだ布だと信じられてきたが、1988年に行われた放射性炭素年代測定により、1260年から1390年の間の中世に作られた物であると結論付けられ、ダ・ヴィンチが作った物ではないかという説が持ち上がっている。

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聖杯

キリストのマイカップこと聖杯▲

聖杯(サン・グリアル)とは、キリストが処刑される直前、『最後の晩餐』で用いたとされる杯である。
また、十字架に磔にされ、脇腹を刺された際に流れ出たキリストの血を、弟子のアリマテヤのヨセフが受けた杯でもあるとされ、それらを捜し求めていく騎士の物語、あるいはそれをモチーフにした奇跡譚の様なものは世界中にあり、ひっくるめて聖杯伝説という事もある。
聖杯はその後、アリマテヤのヨセフによってアヴァロン島(グラストンベリー)に運ばれたというのが通説で、ここからイギリスのアーサー王と円卓の騎士達の、聖杯伝説が生まれたとされる。
しかし、その後は、アリマテヤのヨセフの子孫によって代々受け継がれ、キリストを刺したとされる聖槍「ロンギヌスの槍」と共に保管されていたそうだが、戦乱の所為で行方不明となり、現在も聖杯の行方は全くもって不明。
そもそも聖書には載っておらず、文献が殆ど存在しない為、探しようがないのである。
1933年に、アメリカ・シカゴで開かれた博覧会に、アンティオキアで発掘された銀のゴブレットが出品され、それが聖杯である可能性があるとされたが、専門家らは疑問を呈した。
聖杯の行方を求めて、これまで世界中の学者達が熱心な研究を行っており、かのナチス総統アドルフ・ヒトラーもこの伝説に魅せられた1人である。
この聖杯伝説には、いつしかオカルト的な意味が施される様になり、ロンギヌスの槍と合わせ、共に失われた2つの聖遺物を手にする者は、世界の支配者となる事が出来るという。
またこれに、ユダヤの預言者モーセが神から授かった「十戎」を納めていた「聖櫃」も組み込まれた。
そして、聖槍は「無敵の槍」、聖杯は「無敵の盾」となり、またそれで飲む者を不老不死にもすると伝えられている。
しかし、ヒトラーは研究を重ね、各地をくまなく探索したのだが、結局成果はあげられず、彼が聖杯を手にする事はなかった。聖杯に関する記述が初めて成されたのは西暦1140年頃の事である。
マームズベリーの修道院で修道士をしていたウィリアム・オヴ・マームズベリーが、アリマタヤのヨセフの物語を書き、殆ど同時期に近隣に住む聖職者ジェフリー・オヴ・モンマスが『ブリタニア列王伝』でアーサ王の物語を書いた。
お互いにアーサー王に関する相手側の記述を否定しているものの、これらが聖杯に関する最初の文献と考えられている。

テンプル騎士団

テンプル騎士団▲

中世ヨーロッパの三大宗教騎士団の1つ。別名「聖堂騎士団」。
正式名称は「エルサレムのソロモン神殿にあるキリストの貧しき騎士修道会」で、1118年に、シャンパーニュの貴族ユーグ・ド・バイアンら8人のフランス騎士によって、聖地巡礼者の保護と聖地防衛を目的とし、ソロモン神殿(テンプル)跡を本拠地として創設された。
1128年にローマ教皇の公認を得た修道会となってからは、中近東各地の十字軍国家の常備軍的な任務に就き、大衆から絶大な信頼を得て、寄付による広大な所領をヨーロッパ各地に有し、最古の銀行と言われる金融業を営んで巨万の富を得た。
先の広がった赤い十字架が縫い付けられた白い外套に、甲冑を纏い、十字軍遠征の全期間、イスラム教徒との戦闘を行った。
1291年の聖地陥落後は本部をキプロス島に移したが、1307年に、戦争による出費を補う為に財産没収を狙うフランス王フィリップ4世により、騎士団はバフォメットと呼ばれる悪魔崇拝を行っており、また、同性愛嗜好であるといったデマの容疑を告発され、1312年に教皇クレメンス5世によって廃絶させられた。
この一斉弾圧が行われたのが1307年10月13日の金曜日であり、これが「13日の金曜日」が不吉な日と言われている由来である。
テンプル騎士団の解散後、幹部の修道騎士達は異端として火刑に処され、全財産は聖ヨハネ騎士団に移管された。
一説によれば、テンプル騎士団の真の目的は、古代に失われた聖遺物を捜す事だったという。
ソロモン神殿▲
『ダ・ヴィンチ・コード』では、テンプル騎士団はソロモン神殿跡に眠る秘密文書を見つけ出す事が目的で設立され、13日の金曜日における弾圧も、実は教皇がその秘密文書を奪う為に命令したもので、しかし結局、文書はヴァチカンに奪われる事なく、密かにイギリスに運ばれたのではないかと推測している。また、フリーメイソンの母体となった組織とも言われている。

ナグ・ハマディ写本

ナグ・ハマディ写本▲

1945年12月に、エジプトのナグ・ハマディ村に近いジャバル・アッターリフの土中から、農夫ムハンマド・アリ・アッサンマンが掘り起こした壷の中で発見された13巻からなる冊子本形態の古文書。
従来、原典に乏しく謎が多かった、グノーシス主義思想の解明に大きく貢献し、キリスト教の最古層に属する関係文書群としても注目を集めている。
写本の殆どは古コプト語で書かれており、グノーシス主義に関する文書を中心に、ヘルメス文書に分類されるもの、プラトンの『国家』の一部等が含まれている。
写本はもともと同地に4世紀頃あったとされる、パコミオスが創設した大修道院の書庫に収められていたが、何らかの理由で土中に隠されたと考えられている。

フィボナッチ数列

それぞれの項がその直前の2つの項の和になっている数列の事。
隣り同士の数の比が、次第に黄金比に近づいていく。
イタリアの数学者レオナルド・フィボナッチの著書に出てきたのが最初とされている。
『ダ・ヴィンチ・コード』においては、ジャック・ソニエールの死体の傍に記されていた数字を並べ替えると、「1-1-2-3-5-8-13-21」となっていた。

フリーメイソン

万物を見通す目▲

「自由な石工」の意で、世界中に支部を持つ友愛団体。
かつてはその名の通り、石工等の職人達による組織であったが、17世紀から職人以外の入会が許され、18世紀にはイギリスから世界中に規模が広がった。
起源については諸説あり、中世イギリスの石工職人のギルド説、 テンプル騎士団の生き残り説、ソロモン神殿建築家説、近代設立説等がある。
また、「Freemason(フリーメイソン、またはフリーメーソン)」とは各個人会員の事であり、団体名はフリーメイソンリーである。
フリーメイソンには、ベートーベンやジョージ・ワシントン、エイブラハム・リンカーン、コナン・ドイル、ゲーテ、カーネル・サンダース、ウォルト・ディズニー等といった多数の著名人、社会的地位の高い人々が加盟していた事が知られており、現在会員数は全世界で600万人を超える。
フリーメイソンには全体を統制する本部がなく、世界各国にロッジと呼ばれる支部があるだけである。
しかし、その浸透っぷりは、ニューヨークの自由の女神像が、アメリカとフランスのフリーメイソン同士の間で交わされた贈り物であるという事や、アメリカ合衆国の国璽にフリーメイソンのシンボルが採用されている事からも伺えられる。
1ドル札の裏側にも印刷されているこのシンボルは、「万物を見通す目」と言われており、一般的に光を放射する正三角形から覗き込む左目として描かれ、宇宙の普遍の中心としての神の目を意味している。
また、この「万物を見通す目」を冠石とした下には、13段から構成される未完成のピラミッドがあり、まとめて「ピラミッド・アイ」とも呼ばれている。
なお、同様のシンボルであった秘密結社イルミナティは、フリーメイソンの上位組織であるとされ、フリーメイソン自体もその神秘性から秘密結社として、しばしば陰謀論の槍玉に挙げられている。

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マグダラのマリア

マグダラのマリア▲

新約聖書の四福音書と、ナグ・ハマディ写本に含まれていた外典『トマスによる福音書』、『マリアの福音書』に登場する、パレスチナ北部ガラリア湖西岸マグダラの出身の聖女。記念日は7月22日。
彼女は長い間、娼婦であったと解釈されてきたが、1969年に、それが誤りである事をヴァチカンは認めている。
マグダラのマリアはキリストによって悪霊を追い出してもらって以降、彼に献身的に仕えたという。
また、キリストの処刑と埋葬に立会い、墓を訪ねた際、復活したキリストに最初に会ったとされる。
彼女はその後南フランスへ行き、布教と30年の穏修生活の後に没したという。

メロヴィング朝

481年~751年にかけて、フランスとドイツに跨るフランク王国を支配した王朝。
ゲルマン人の1つである、「自由にして勇敢なる者」の意の名を持つフランク族が築いた王国における最初の王朝であり、メロヴィングの名は、初代国王クローヴィスの祖父で、ゲルマン人の一派サリ族の長メロヴィスにちなむという。
496年に、クローヴィスは家臣400人とともにカトリックに改宗し、ローマ教会との提携を進め、彼の死後は、王国は4子に分割相続され、以降、相続を巡って内紛や分裂が続き、王権は衰え貴族勢力が台頭していった。
732年に、王国の行政・財政面の長である宮宰職を世襲したカロリング家出身の宮宰カール・マルテルが、国内に侵入したイスラーム軍をトゥール・ポワティエの戦いで撃退し、王国の実権を掌握した。
そして、751年にマルテルの子ピピンは国王ヒルデリヒ3世を廃し、ローマ教皇により即位を承認され、カロリング朝を開いた事で、メロヴィング朝は滅亡した。

ロンギヌスの槍

ウィーンのホーフブルク王宮にある聖槍▲

十字架に磔にされたキリストの脇腹を刺したとされる聖槍。
キリストの血に触れた物として尊重されている聖遺物の1つであり、「ロンギヌス」とはキリストの死を確認する為に、槍を突き立てたローマ兵の呼称である。
聖伝によれば、この人物は、ローマ軍団の百卒長ガイウス・カシウスとされており、彼は白内障を患っていたが、槍を刺した際に滴ったイエスの血が目に落ちると視力を取り戻したという。
それ以後、彼は洗礼を受け、後に聖ロンギヌスと言われる様になったとされているが、彼の実在については、聖槍に関する記述が新約聖書の『ヨハネによる福音書』にしかなく、信憑性が乏しい為、後世に創作された人物であると見られている。
また、所有する者は世界を制する力を与えられるという伝承があり、アドルフ・ヒトラーの野望は、彼がオーストリア・ウィーンのホーフブルク王宮で、聖槍の霊感を受けた為に始まったという説もある。

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